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二章 墓場鳥と毒蛇

二章 墓場鳥と毒蛇


 アマルを見送った二人は村人に早馬を預け、手配していた馬車に乗り換えた。馬車といっても、幌のある立派なものではなく農夫が所有する粗末な荷馬車だ。

 荷台には干し藁がうず高く積まれている。二人はその藁に紛れて、人知れずリカオールの街に入る予定だ。

 街によっては、入り口の門で荷馬車の中身が厳しく監査されることもあるが、商業都市リカオールではそこまで調べられる可能性は低い。それに、門を守る衛兵たちとも顔なじみの老農夫が御者を務めてくれるので、まず問題ないだろう。


 明朝すぐに発つ旨を老農夫に伝え、二人は彼の持つ馬小屋に泊まることになった。

 農夫は当初、客人をそんな所に泊めるわけには、と躊躇したがルカが固辞して押し切ってしまった。

「大丈夫だとは思うけど、念のため、ね」

 馬小屋で二人きりになったところで、ルカが静かに語りかけてきた。

 ヒースは干し草の上に大の字に倒れこんだ姿勢のまま、顔だけ向けて彼女の言葉に耳を傾ける。野宿が続いていたので、柔らかい干し草の感触が背に心地よかった。

 「連中がそこまで警戒しているとは思えないし、これまで気配は無かったけれど、もしかしたら今夜、刺客が現れないとは言い切れないわ。彼を巻き込むわけにはいかないし、ここの方が存分に戦えるしね」

「……へえ、凄いな、姐さんは。そこまで考えているのかよ」

 ヒースが感心すると、ルカがわずかに眉をひそめた。

「貴方も少しは考えなさいよね、あんまりボーっとしていると……っと」

 話の途中で、ルカの顔色が変わった。傍らに置いた仕込み杖に手を伸ばす。

 同時にヒースも、腰に差した小剣の柄に手をかけた。息を潜め、周囲の気配を窺う。何者かが、馬小屋に近づいてくるのが分かった。

 ヒースは商売柄、足音でその人間に関しておおよその見当をつけることができる。

 静かな足取り。一定の歩幅を保っている。足全体ではなく爪先に重心を置いているのが判った。只者の放つ気配ではない。


「……フローラ、さすがね。こんなに早く来るとは思わなかったわ」

 ルカが警戒を解き、表に声をかけた。

「ありがとうございます。お姉さまからお声をかけていただければ、千里の道も一寸に縮めて馳せ参じますわ」

 鈴を転がしたような美声と共に、細身の女性が入り口に現れた。

 癖のない長い黒髪をポニーテールに束ねている。白磁の如き肌が、松明の炎に照らされて輝いていた。

 深い光をたたえた黒い瞳が、真っ直ぐにルカへと向けられている。年の頃は二十代前半といったところだろう。

 口元に穏やかな笑みを浮かべ、背筋をぴんと張り拱手する。

 ルカもすっと立ち上がって礼を返した。

「紹介するわ、ヒース。彼女が『墓場鳥』フローラよ」

「初めまして。噂はかねがね耳にしているわ」

 驚きのあまり、ヒースはフローラをまじまじと見つめてしまった。

(これが墓場鳥の姐さんかよ! ははっ、さすがにルカ姐さん。とんでもない助っ人を連れてくるもんだぜ!)


 大陸中央部から北部にかけての裏社会で、『墓場鳥』の名は知れ渡っていた。

 女性ながら優れた体術と内功術、そして剣技の使い手で、手向かう者には容赦せず、と悪漢どもに恐れられている。

 彼女もまた、ルカと同様に女侠客として各地を転々としているらしいが、基本的には一匹狼で誰かとつるむという話は聞いたことがない。


「いやあ、俺なんてケチな盗人っすよ。墓場鳥の姐さんにはとてもとても」

「へ~、ずいぶん私の時と態度が違うのね。ふむ、やっぱり若さには敵わないか」

 ヒースが謙遜すると、ルカが拗ねたように口を尖らせた。

「ええっ! ちょ、そんなルカ姐さん、からかわないでくれよ!」

 冷や汗をかく様子に、ルカとフローラが声を出して笑った。

「フローラでいいわ。正直、味方にはあまりその通り名で呼ばれたくはないの」

 彼女が顔をわずかに曇らせた。

 それを見てルカが、いらっしゃいと彼女を呼び寄せる。傍らにフローラが座ると、そっと身を寄せて頭を撫でた。

「貴女は相変わらず優しい子ね……」

「そんな、お姉さま……」

 フローラが頬を朱に染める。

「本当は誰も傷つけたくない、その気持ちに反して戦い続けざるを得ない。それを分かっていながら、私はまた貴女を戦いの場に呼び寄せてしまった……。ごめんなさい、フローラ」

「構いません、お姉さま。お姉さまの戦いは弱者を救い、道に外れた悪辣な者どもを屠るための戦い。浅才の私ですが、お姉さまのために戦えるのであれば、これに代わる幸せはありません」

「……ありがとう、フローラ」

 美女二人が目を潤ませて見つめ合う様は、一幅の画のように麗しかった。

 だがヒースは、自分がこの美しい光景の邪魔をしているようで――実際、邪魔だったかもしれないが――非常に居心地が悪かった。

 気まずそうに声をかけると、二人は我に返ったように互いの身体を離した。

(ああ、ごめんなさいっ! 本当にごめんなさい)

 心の中で詫びながら、咳払いした。フローラの事情は彼には図りかねたが、少なくともこの二人が深い信頼関係で結ばれていることだけは理解できた。


「……それにしても、安心しました」

 ヒースをちらりと見やったフローラが、ルカに微笑みかけた。

「何が?」

「最近、お姉さまが若い男と行動を共にしていると耳にしまして。その、お姉さまに限ってとは思ったのですが、悪い虫でもついたのかと心配しておりました」

 フローラが真顔で言うので、ヒースは干し草の上に倒れこみそうになった。ルカがさも愉快そうに笑い、

「あはは、それは無い。絶対無いから安心していいわよ!」

(な、何もそんな全否定することないでしょうが!)

 きっぱりと言い切られ、ヒースはさらにいたたまれない気持ちになってしまった。


 その翌日。

 十分な睡眠をとり、三人は穏やかな朝を迎えた。

 これから馬車の荷台に乗り、半日かけてリカオールの街に向かうことになる。

 夕刻前に街に入り、そこから本当の戦いが始まる。とりあえず街が間近に迫るまでは、藁の中に隠れる必要もなかった。

 ルカはフローラに、今後の計画についてヒースと同様に指示を与えていた。

「細かいところは後でおいおい伝えていくけど、基本的はこんなところね」

 元締の追い込まれた状況、戦力差といった情報に加え、それを覆すための戦略と、各人が踏まえておくべき方針。

 ルカの説明に、フローラは真剣な眼差しを向けて何度も頷いていた。

 ヒースは当初、すでに説明を受けているので聞き流そうとしていたが、

「あなたはこういう戦いは初めてでしょ? 何度でも聞きなさい、さもないといざという時に忘れるから」

 ルカの叱責を受け、

「いや姐さん、そんなに何度も聞いたら耳にタコが……」

「耳にタコ? 作りなさいよ。それぐらいやらないと駄目よ。この間も言ったけど、私はあなたの素直さを買っているの。従えないなら馬車を降りなさい」

 反論の余地なし、といったところだった。やむなくヒースは、もう一度彼女の講義を聴くことになった。


 正午を過ぎ、陽がわずかに傾きかけた頃。

 フローラが、幅の広い街道を進む馬車のはるか後方の馬影を発見した。

「さすがフローラね。相変わらずいい眼をしているわ」

 ルカが満足げに呟く。この辺りは見渡す限り平野が続いているとはいえ、遠目の効くヒースでも言われるまで気がつかなかった。

「フローラの特技はね、体術や内功、剣術だけじゃないの。眼・耳・鼻、どれも一級品よ。それに勘も鋭いわ。頼りにしなさいね。」

 ルカが褒め称えると、フローラが少し気恥ずかしそうに笑みを返した。

(なるほどね、だからこそ一匹狼でやっていけてるってわけか)

 その説明で、彼女の強さに納得した。

 武侠の世界をたった一人で渡り歩いていくには、ただ強いだけでは不十分だ。

 裏切り、不意打ち、騙し討ちも当たり前の世界である。いくら武芸に通じた人物であっても、毒殺などの卑怯な手口で始末されてしまうこともある。

 そういった危険を潜り抜けていくために、鋭敏な五感は大きな武器となるのだ。

 それに加えて、生来の勘の良さと戦いの中で培われた経験があるからこそ、この女侠は生き残れたのだろう。

「ヒースはね、とにかく足が速くて身軽よ。今度の戦いを有利に進めるには、必要不可欠な人材なの。フローラも、どんどん使ってあげてね」

 続けて褒められて、ヒースも顔を少し火照らせた。

 この人の言葉には、不思議な魅力が詰まっている。

 聞く者を「その気にさせる」力がある、とでも言うべきだろうか。


 そうこうしているうちに、馬影が徐々に近づいてきていた。

 今やヒースの目にもはっきりと見てとれる。かなり飛ばしてきたようだ。

 鹿毛の駿馬に跨っているのは、浅黒い肌をした若い男だった。

 反身の太刀を背負い、黒いマントを風に靡かせている。ウェーブのかかった赤茶色の髪。

 目尻が下がった優男のようにも見えるが、眼光は鋭い。


「……あれはっ!」

 フローラが憎憎しげに洩らし、腰に差した細剣を抜いた。

 ルカがすかさず、その肩に手をかける。

「大丈夫よ、フローラ。彼は味方だわ……今回はね」

「お姉さま、しかし、あいつは!」

 信じがたいといった表情で見やったが、ルカはゆっくりと首を振る。

 面識のないヒースが何者かと問うと、

「彼は『毒蛇』。賞金稼ぎのレミーよ」

「なっ、賞金稼ぎだって!」

 ヒースは思わず声を荒げてしまった。


 各街の保安隊や、あるいは元締などが懸けた賞金首を追い、それらを捕える、あるいは殺すことを生業としている連中だ。

 当然ながら荒事も辞さないので、堅気の人間からはヤクザ者と忌避されているし、裏社会でも金目当てに何処までもしつこく追い掛け回してくるので嫌われている。

 いわば、表の社会と裏の社会のどちらからも、白い目で見られるような存在だ。

 彼らは自らを『狩人』などと称しているが、どちらかといえば周囲からは『死肉に群がるハイエナ』と蔑視されることが多い。

 何より、ヒースはこれまでに大きな盗みを何度も働いているため、首に賞金を懸けられていた。

 いくらルカに仲間と言われても、とてもそんな気持ちにはなれないというのが正直な心境だった。


「よっ、ルカ姐! 久しぶりだなあ」

 馬車に追いついた賞金稼ぎの男・レミーが、場違いなほど陽気に声をかけてきた。

 とても賞金稼ぎとは思えない雰囲気を漂わせていたが、油断はできない。

「そうねえ、レミー。かれこれ二年ぶりくらいかしら。元気そうで何よりね」

 まるで茶飲み友達にでもあったかのような態度であったが、フローラとヒースは苦々しい表情で彼を迎えていた。

「いやいや、ルカ姐も相変わらずのお美しさで。うっかり見惚れて馬から落ちそうな気分だぜ? おっと、そっちは墓場鳥ちゃんじゃねえの。そんなに怖い顔して、せっかく可愛いのに台無しだぜ?」

 へらへらとした物腰に、フローラが怒りを露わにした。

「ふざけるな! 貴様のような薄汚いハイエナ、お姉さまがこの場にいなければ天道にかけて成敗しているところだ!」

 今にも斬りかからんばかりの気迫であったが、当のレミーは涼しい顔で、

「へへっ、そう怒りなさんな。俺はルカ姐には義理があってね。それでまあ、今回は色々と手助けさせてもらおうとやってきたわけよ。お互い仲間なんだから、仲良くしようじゃねえの」

 いけしゃあしゃあと言ってのけた。大した度胸である。

 フローラが口を尖らせて顔を背けた。

「レミーの剣術は本物よ。とっておきの武器もあるしね。それに、彼ら賞金稼ぎの独自の情報網は必ず役に立つわ。貴女たちも学ぶところは多いはずよ」

 ルカがなだめると、フローラが渋々ながら小さく頷いた。

「いやはや、『白銀の戦乙女』にそこまで褒めてもらえるなんて光栄だねえ。っと、そっちの坊やは何者だい?」

「誰が坊やだ!」

 まるで格下のような扱いに、ヒースが怒声を返した。

「おうおう、むきになっちゃって可愛いなあ、オイ。いや、待てよ……お前の顔、人相書で見た覚えがあるぜ。……『猟豹』のヒースだな?」

 言い当てられ、ヒースが奥歯を噛みしめる。

 ルカがすかさず口を挟んだ。

「レミー。これからは貴方も、全て私の指示に従ってもらうわよ?」

「おう、分かってるって。坊やじゃないんだから、大丈夫だよ」

 肩をすくめる態度にまた激高しそうになったが、ルカに抑えられた。

「それならまず、最初に重大な指示を与えさせてもらうわ。これから、戦いが終わるまで、私たちは仲間よ。仲間には敬意を表しなさい」

 ルカの表情から、先刻までの余裕が消えていた。

 厳格な指揮者の顔つきだ。その変化に三人は気付き、居住まいを正す。

「分かったぜ、ルカ姐。あんたの指示には全て従う。ケチな賞金稼ぎの俺だが、仲間のために全力で戦わせてもらおうじゃねえか」

 別人のような口調で拱手するレミーの姿は、一戦士としての気魄を漂わせていた。


「で、俺たち以外には誰が助っ人で来るんだい?」

 ヒースたちと同じように、ルカから一通りの説明を受けたレミーが尋ねる。

 陽はだいぶ傾きかけていた。

 ルカが小さくため息をつく。

「バズに頼んで声をかけたのが十人。一騎当千の強者で、信頼できる人物ばかりよ。だけど確実に連絡が届くか、届いても間に合うかが問題よね。それに、別件で動けないかもしれないし。だから今は、ここにいる戦力だけで考えるようにしましょう」

「了解。まあ、普通に考えたら、とても勝てるような戦さじゃねえが、ルカ姐と一緒なら何とかなるような気持ちになってくるなあ」

「当然のことを言うな! お姉さまに敗北の二文字はない!」

フローラが不機嫌な面持ちで反論する。

「二人とも、あまり私を持ち上げすぎないでよ。私だって人間だから、間違いは犯すし失敗もするわ。そもそも戦いの中では、不測の事態は日常茶飯事。私にもしものことがあっても、おかしくは無いのだからね」

「そんな、お姉さまは私が命を懸けて守ります!」

「それは駄目よ、フローラ。気持ちは嬉しいけど、今度の戦いは私を守るための戦いじゃないのだから……。勝つためには、私自身が囮になるような作戦だって、やらなくちゃいけないしね。そんな時でも、指示には従ってね」

 ルカがなだめると、フローラが視線を下に向けた。

「お姉さま……」

「不服なの、フローラ?」

「そうではありません。ありませんが、しかし……」

「元々、勝ち目の薄い戦いだからね。危ない橋を渡るような作戦も時には必要なの。分かるでしょ?」

 その言葉に、ヒースは不安を覚えた。咄嗟に表情に出すまいと試みたが、

「ふふ、ヒース。勝ち目は薄いって言われて不安になった?」

 ルカにはお見通しのようであった。

「べ、別に、そんなことはねえよ!」

精一杯強気な姿勢を見せようとしたが、声が若干裏返ってしまった。

「あはは、もちろん私だって、むざむざ負けるつもりはないわ。ただ、戦いではどんなに熱い気持ちがあってもね、冷静さを忘れては駄目なのよ」

 ルカが一旦言葉を切り、穏やかな午後の空を見上げた。

「彼我の戦力差、こちらが不利である、という現実から目をそらしては勝てないわ。その現実と真正面から向き合うこと。そこから戦いが始まるのよ」


 傾いた陽が空を赤く染め、風が冷たく感じられるようになってきた。

 馬車は、目指す港町リカオールがはっきりと見てとれる所まで近づいている。

 一行は頃合いを見計らって、干し草の中に身を隠した。

 老農夫の合図があるまでは、息を潜め気配を殺して待つのみだ。

 門が間近に迫るにつれて、徐々に街の喧騒が耳に入るようになった。


 リカオールは、この一帯ではもっとも賑わっている街だ。

 港からは東方および東南諸島行きの定航船も出ているため、様々な人種の入り混じる街でもある。

 馬車が止まった。

 ヒースは胃がきゅっと締まるように感じた。

 それからゆっくりと進んでは、また止まる、を繰り返す。

 しばらくすると、少し長い時間止まった。

 老農夫が、街門を守る衛兵と会話を交わすのが聞き取れる。

 顔なじみということもあり、和やかな雰囲気だった。

 ほどなくして、馬車が動き始めた。干し草越しにも街の喧騒が伝わってくる。

 馬車はやがて、周辺が少し静かになった所で停止した。

 老農夫が声をかけ、四人は素早く外へと滑り出る。

 一行が降り立ったのは、街の外れにある狭い路地の一つだった。

 ルカが礼を言い、老農夫に銀貨の入った麻袋を渡した。

 馬車が去るのを見送ったルカたちは、早速行動を開始する。

「とりあえず、暗くなるまではこの辺りに隠れましょう。それから、アマルさんに用意してもらった隠れ家に行くわよ」

 ルカの指示に従い、ヒースたちは周辺の気配に気を配りながら、陽が完全に落ちるまで待つことになった。

 夜の闇に紛れて行動し、敵に自分たちの存在を知られないようにするのが第一であった。

 そして第二に、油断している敵の不意を突き、効果的な打撃を与える。

「そこから先は、まあ奇襲を成功させてからの話、ね」


 街に夜の帳が下りる頃、ルカたちはアマルに用意を頼んであった隠れ家に向かった。

 そこには、アマルから指示を受けた密偵の一人が待っているはずであった。

 四人はそれぞれ頭巾やフードで顔を隠し、一人ずつ距離を置いて移動する。

(ここか……)

 先頭を進むルカが小さな家に音も立てずに忍び入る。

 隠れ家は、街の中心部から離れた、小さな家々が密集する一帯にあった。

 周囲は夜だというのに灯りはまばらで、あまり人の気配が感じられない。

 ルカに続いてヒースは中に入った。

 長いこと使われていない廃屋のようだ。

 調度品らしき物はほとんど見当たらず、わずかに食器が床に散乱しているのみ。四人が入ると、狭苦しく感じられてしまうほどの小さな家だった。

 裏口に気配を感じ、ヒースは身を硬くした。

「アマルの旦那の使いで参りやした」

 壮年男の低い声。

 ルカが部屋の奥にあったランタンを灯した。

 俊敏そうな物腰と、鋭利な刃物のような眼光の男が裏口に立っている。

「ご苦労様。早速だけど、例の物を見せてくれるかしら」

 ルカが手招きすると、男が懐から巻物を取り出し、部屋の中央に座って広げた。

 四人がそれを囲み、板張りの床に静かに座る。


「これは……」

「そう、この街の地図よ。この印は、現時点で元締が押さえている拠点。で、こっちが敵側の縄張りというわけね」

 男がルカの言葉に、無言で頷いた。

 道や店舗などが事細かに記されたその地図を見る限りでは、八割方の娼館、賭場、宿屋などが敵の手に落ちていた。

「この印の隣に描いてある数字は?」

「これは、そこに詰めている若い衆の人数でさあ。もちろん、いつもこの人数というわけではねえですが、だいたいの目安というところで」

 フローラの問いに、男は少し南方訛りの口調で説明した。

「私が頼んでおいたのよ。敵がどこにどのように戦力を集中・分散させているか、それを知っておかないと作戦の立てようもないからね……っと、紹介が遅れたわね。彼はニルス。彼らに元締と私たちの連絡をしばらくはお願いしてあるわ」

「申し遅れました。ニルスです。この街で情報屋稼業を勤めております。よろしくお見知りおきを」

「よろしくな、ニルス兄さん。で、ルカ姐。どこから仕掛ける? いっそ、大将の首を獲っちまうってのはどうだい?」

 レミーが不敵な笑みを浮かべ、一際大きな印の付けられた箇所を指先で示した。

 そこが敵の本拠地、というのは一目で分かった。

 無論、そこに詰めている人数は他に比べて多く、周辺にも兵が配置されている。

「賞金稼ぎらしい発想ね、レミー。だけどこの人数では、ここからそこまで突破するのは難しいわ」

 ルカが地図の端にある、小さな印を指差した。

 そこが、現在ルカたちが身を潜めている隠れ家の場所だった。

「それに、どうもアマルさんの話を聞く限りでは、大将一人を倒しても、それだけで一件落着とはいかない戦いなのよね」

 ルカが顎に手をやり、難しい表情になった。

「どういうことでしょう、お姉さま」

「気になるのは、そのエブロという男に侍っている謎の男ね。いや、もちろん女かもしれないけれど。こいつが今回の一件を全て操っているに違いないわ」

「おそらく、お姉さまのご推察通りでしょうね。ニルスさん、この者の正体はいまだに不明のままなのですか?」

 フローラの問いに、ニルスが渋い顔になる。それだけで答えは十分だった。

「全くわからねえまま、なんですよ。背はそれほど高くなくて、若い男とも女ともとれるような声、ということだけは耳に入ってんですがねえ」

「ほお。まあ、それだけでもある程度は絞り込めそうだけどなあ」

 レミーが眉をしかめ、顎から頬にかけての無精ヒゲを撫で回した。

「心当たりがあるのかよ、レミー兄さん」

 ヒースが身を乗り出すと、レミーはひらひらと手を振った。

「いやいや、この辺りで暴れ回っている悪党どもの中では覚えがねえな。もっとも、ここは港町で南方の海運の玄関口みたいな場所だ。北方や西方から流れてきた奴かもしれないし、何とも言えねえよ」

「そうね。ともかく、憶測で色々語っても仕方ないわ。不確かすぎる情報で動いては、戦局を悪化させるだけよ」

 ルカがすっと指先で印の一つを指差した。

 そこから地図の上を、細く美しい指がなめらかな軌跡を描いていく。


「まずはここね。それからこの道を辿って、次にこちらの拠点を叩きましょう。そこから先、隠れ家まで戻るか別の手を打つかは、敵の出方次第だわ」

「……わりと大雑把なんだな、ルカ姐さん」

 ハリーの屋敷を襲撃した際の手並みを思い浮かべ、意外に思ったヒースが呟く。

「勿論、できればもっと情報を集めた上で、作戦を十分に練って打ち合わせを重ねてから決行したいところだけどね。でも残念ながら、それだけの時間と戦力の余裕は無いわ。今は巧遅よりも拙速、今夜の内に戦果を上げなくてはいけないのよ」

 その説明に、一同が納得し首肯した。

 ルカは満足げに微笑み、

「それでは出発の前にもう一度、今回の作戦の骨子を確認しておくわよ。第一に、油断している敵に奇襲を仕掛け、少しでも敵戦力を減らすこと」

 敵の身分や強弱は問わず、一人でも多く屠るということだ。


「第二に、敵に私たちの戦力をなるべく悟られないようにすること。」

 可能な限り隠密裏に事を運べ、ということだ。

 襲撃者が正体不明となれば、敵は恐れを抱き、特に末端の兵は士気が削がれるだろう。

 人数という物質面だけではなく、精神面にも打撃を与えよう、というわけだ。

 もちろん、『白銀の戦乙女』の名を伝えることも相手にしてみれば衝撃となるだろうが、それはルカに言わせれば、

「いずれは知られることだけれど、初めは分からせない方が得策よ。こういうのはね、順番が大事なのよ。まずは正体不明の敵として恐れさせ、それから後で正体を明かして衝撃を与えるの」

 とのことであった。


「第三に、元締と若い衆の士気を高めること。この三つを頭に入れて戦ってね」

 一度は諦めた援軍が現れ、奇襲を成功させれば味方の士気は大いに高まるだろう。しかも、犠牲を全く出すことなく鮮やかに決めることができれば尚更だ。

(成程ね。素早く敵を倒し、正体を知られない内にさっさと退却するってわけだ)

 ヒースは頭の中でルカの言葉を反芻した。

「行くわよ。ニルス、案内して」

 ルカが静かに号令をかけ、一行は出立した。



(三章 奇襲 へ続く)

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