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一章 戦端

一章 戦端


「う~ん、暇ねえ。ちょっとヒース、呼び込みでもやってくれないかしら?」

「おいおい姐さん、天下の義賊に向かってそいつはねえ話だぜ?」

 呆れ顔で返すと、ルカは小さくため息をついて手元の作業に再び集中し始めた。

 先刻から、数種類のビーズを糸で器用に繋ぎ合わせてアクセサリーを作っている。

 ビーズの表面には細かな紋様が刻まれていて、彼女の話によれば簡素だが魔除けの効果があるのだそうだ。


 大陸南部に位置する交易都市ラファンの中央広場。南部でも一、二を争う大きな市の片隅で、ルカは小さな天幕に占い師の看板を掲げて商売をしていた。

 以前、ヒースは、

「姐さんほどの人なら、他にいくらでも稼ぐ方法があるんじゃないのかい?」

 と尋ねたことがあるが、

「他に? ああ、そうね。どこかの元締の客分にでもなれば、ただ居るだけでもお金は貰えるでしょうね」

 ルカは苦笑して肩をすくめた。

 だったらなぜ、とさらに問うと、彼女は一転して真剣な眼差しで答えた。

「楽をした人間には贅肉がつくものよ。身体にも頭脳にも心にもね。私はあくまでも『戦う人間』でありたいの。だから贅肉は不要だわ」


 屋敷での一件以来、ヒースは『白銀の戦乙女』ルカについて回るようになった。

 独り身で気楽な身の上であるし、何より彼女ほど名の通った侠客と巡り会える機会など、そうそうあるものではない。

 もちろん、彼女の類稀な美貌に魅かれた、ということもあるのだが。

 最初のうちは、

「私に付きまとっても、ろくなことないわよ?」

などと邪険に扱っていたルカであったが、最近はあまり気にならなくなっているようだ。天幕の後ろのスツールに腰掛け、退屈そうにしているヒースと軽口を叩くのを楽しんでいる節もある。


 なぜ彼女がハリーの屋敷の襲撃に関わったのか、その経緯についてはルカから直接聞くことができた。

 彼ら――近隣の住民たちから依頼を受けたのは、つい一ヶ月程前のことだという。

「間に恩義のある人が関わっていてね、それに連中の非道を見過ごすこともできなかったのよ」

 ルカは彼らを討つべくこの地を訪れ、翌日には、住民の代表数名と面会することになった。

 彼らは当初、有志を集めて元締たちと真正面から戦うつもりだったようだ。

 それにルカも加勢してほしい、という依頼だった。

 二つ返事で引き受けたルカであったが、その際彼らに条件をつけた。

「私に戦いの全権を預けて下さい。決して私の命令に背かないこと。それと、一ヶ月待って下さい。その間に、必勝の態勢を築きます」

 一ヶ月という時間は、住民を訓練し、武器を調達するまでに必要なものであった。

 戦力差や彼らの戦いに関する経験値を考慮すれば、もっと時間を取りたいところでもあったが、あまり長引けばルカの存在を元締たちが察知するという懸念もある。

 それらを踏まえての条件に、住民たちは当初やや不満げな様子であったが、

「私に従っていただければ、最少の犠牲で勝利することができます」

というルカの、断固とした口調に気圧されるように承諾したのだという。


「戦いの前の下準備、これが大事なのよ。まずは自分が動きやすい環境を築き上げることが先決ね」

「環境?」

「指揮官の指示に従わない兵なんて、場合によっては敵よりも厄介だもの。まして彼らは戦いに関しては素人よ。だから最初に釘を刺しておいたってわけ」

 代表の家に居候することになったルカは、その日から目まぐるしく動き回った。

 戦いに志願した者たち一人ひとりと面会し、彼らの長所・短所を観察した上で、各人に役割を与え、これからなすべき事を指示した。

「本当に一人ひとりと話をしたのかい? ずいぶん悠長だなぁ」

「千人を指揮しろ、と言われたら勿論そんなことはしないわよ? でもね、あの規模の兵を率いるには 個々の『違い』を活かした戦い方が必要なのよ」

 集団での訓練は昼間に表立って行うことはできないので、夜間に人知れず数箇所に集めて行った。

 長槍組には、体力に優れ度胸のある者をなるべく選んだ。

 中には体力的にも精神的にも不安な者もいたが、そういった人物を列の間に挟み、左右から仲間が励まし合う布陣にした。

 投石組は、俊敏で器用な者が中心だ。彼らには的に向かって当てる訓練と、石を詰めた麻袋を腰に提げて走ることを課した。

 長槍に必要な木や投石用の石を集めることや、黒頭巾などの用意には、戦いに直接参加しない女性や子どもたちを使った。

 

 こうして『強い軍隊』を作る一方で、元締およびハリーの身辺を警護する者の情報を集め、戦力と行動を探り出すことにも余念はなかった。

「人・物・金・情報・時間、それら全てをフルに活用することが勝利を掴む鉄則なのよ。限られた期間・予算で、できるだけのことはしたと自負しているわ」

「ふうん、大したもんだねぇ」

「唯一気がかりだったのは、貴方のことよ、ヒース」

「俺?」

 義賊として知られる『猟豹のヒース』が、ルカの到着後しばらくしてこの地に現れていたことは、すぐに察知したらしい。

「貴方のことは噂に聞いていたからね。義侠心に厚いというから、敵に回る心配はしていなかったけれど」

「そりゃそうだよ」

「貴方の狙いがハリーの屋敷に眠る財産ということは明白だったわ。変装して屋敷にも出入りしていたしね。それは別に構わなかったけれど、貴方に『仕事』をされて元締側が屋敷の警戒を強めることを懸念していたのよ」

「ああ、なるほどね。でもそれならさ、俺に一声かけてくれりゃあ良かったのに」

「それも考えたわ。でも、あくまでも住民が自分たちの手で恨み積もる元締たちを討つのが目的だったからね。あえて、貴方に関しては行動の監視だけを行うことに留めておいたのよ」

「監視されていたとはね。参ったな、全然気付かなかったよ」

「迂闊ねえ、よくそれで盗人稼業が務まるものだわ」

 悔しいが、事実だけに言い返すこともできなかった。

「まあ、まさか計画当日に忍び込んでこようとは考えていなかったけどね、ウフフ」

「へえ、偶然だったのか。さすがの姐さんにも、俺の行動は読めなかったわけだ」

「まったくもって、戦いというのは先が予測できないものね。磐石の態勢を整えても、些細な偶然から覆されてしまうのはよくあることよ。もっとも、そういった不測の事態を考慮しておくのも、指揮官には必要なのだけど」


 あの後、元締と幹部数名は、住民たちに棍棒で叩きのめされ、そのまま殺されてしまった。配下の内、特に非道の目立った連中も同様であったが、まだ日の浅い者たちは命だけは救われ、地域から追放された。

 解放する際にルカが、

「もし、この近隣で再び顔を合わせたら……分かるわよね?」

 と、さんざん脅しをかけたので、彼らが復讐する可能性は低いだろう。

 また、高利貸しのハリーも財産の大半を火事で失った上に、土地を追われる羽目になった。

 

 そんなわけで、それ以来かれこれ一ヶ月ほど行動を共にしているが、これまでのところヒースが興味をそそられるような事件に巻き込まれることはなかった。

 むしろ、平穏で退屈な日々といってもいい。

 ただ、日頃の何気ない会話の合間に洩らされる彼女の言葉には、時折ハッとさせられることが多く、それだけでも若いヒースには収穫があった。


 正午を告げる、教会の鐘が響き渡った。

 ルカが手を止めて振り返り、昼食にでも出ようか、と声をかけてきた。ヒースの胃袋はとっくに警鐘を鳴らしていたので、一も二もなく同意する。

 その時、天幕の入り口に誰かの気配を感じた。

 立ち上がったヒースが少し落胆したように、スツールに腰掛ける。

 ルカが静かな声音で外に向かって語りかけた。

「いらっしゃいませ。そんなに警戒されなくても大丈夫ですよ」

 ヒースが訝しげな顔をすると、彼女が振り返り、

「注意が足りないわね、ヒース。そんなので、本当によく今まで無事だったわね」

 静かな口調であったが、きつい言葉を浴びせられてしまった。

 叱られた子のような表情になったヒースだが、すぐに外の気配に意識を傾けた。

 天幕がそっと開けられ、壮年の男の顔が現れる。短く刈られた金髪に碧眼の中央人だったが、頬には数条の傷がうっすらと浮かび、鋭い視線が天幕内を探っていた。

 一目見て、堅気ではないことは明らかだった。


「お久しぶりね、アマルさん。この子は大丈夫、私の信用できる友よ」

 ルカの穏やかな口調に、壮年の男――アマルの口元がわずかに綻んだ。

 天幕の中に入り、威儀を正して拱手する。

 ルカも静かに椅子から立ち上がり、拱手を返した。両肘を胸の高さに上げ、左手に右の拳を打ちつける拱手は、大陸の裏社会では一般的な礼とされている。

 ヒースもルカに倣って拱手し、名乗りを上げた。売り出し中の義賊『猟豹』の名はアマルの耳にも届いていたようで、ヒースは内心得意になった。


「アマルさんはね、リカオールの街の元締、マグナス親分のところの幹部なのよ」

 リカオールは大陸南部にある中規模の港町で、ヒースも立ち寄ったことがある。

 裏社会を仕切るマグナス親分に面識はないが、筋の通った侠客という評判だけは耳にしていた。

「火急の用件ですね? 早速、お伺いいたしましょう」

 ルカの表情から笑みが消え、アマルに椅子に座るよう促した。

「謀反が起きました」

 アマルが険しい顔で呟く。ルカに鋭い視線を浴びせているが、その怒りの対象はもちろん彼女ではない。テーブルの上で握り締めた両拳が、血の気を失っていた。

「戦力差はどの程度ありますか?」

 ルカの問いかけに、アマルが一瞬目を見張った。

(誰が謀反をしたとか、元締が無事なのかよりもそっちが先か!)

 ヒースも同様に面食らっていたが、すぐに彼女の意図を理解した。

 ルカは、たとえ誰が敵であろうともこの依頼を引き受けるつもりなのだ。

 その頭脳は、すでに戦いに勝つための戦略・戦術に思考を巡らせている。彼我の戦力差は、その立案をする上で最も重要な情報ということだろう。


「こちらで残ったのは元締と若についているのが十五人、幹部連が私を含めて三人、その他の若い者が十四、五人で三十名といったところです」

 アマルがそこで一旦言葉を切り、目を伏せた。

「敵は、元締の甥にあたるエブロです。あの外道に、幹部連の残りの四人がつき、奴らの下にいた連中が全員裏切りました。それが合わせて六十人ほど、後は傭兵や流れ者に金を渡して従えています。総勢で二百人といったところです」

「二百対三十……」

 ヒースは、その圧倒的な差に我知らず呻いてしまった。


 ここからリカオールの街までは、早馬を使っても三日ほどの距離がある。

 その間に、一気に全滅に追い込まれてしまう可能性もあるだろう。

「そうですか。では、本当に一刻の猶予もありませんね」

 ルカが傍らに置いていた麻袋から穀紙と筆を取り出し、流れるような手つきで手紙をしたため始めた。

「エブロという人は、確か元締の経理を任されていましたね。金の管理には細かいですが、とても荒事には向かない人物だったはずです。その彼がなぜ?」

「仰るとおりです。三ヶ月ほど前ですが、怪しい者が奴の側に侍るようになりまして……それから徐々に、胡散臭い連中が奴の周囲に集まるようになったんです」

 ルカは話を聴きながら手紙を書き終えると、器用に折り畳んでヒースに手渡した。

 さらに、麻袋から紐できつく縛った銀貨の束を取り出し、

「これを、鍛冶屋通りのバズに渡してきてちょうだい」

「渡すだけでいいのかい、姐さん?」

「そうよ。もし彼がいなかったら、女将さんに預けてくれればいいから。時間が惜しいから、全力疾走でね」

 ルカは用だけ伝えると、これ以上言うことはないといった様子でアマルに向き直った。なおも質問を続けながら、別の紙を取り出し、筆を走らせている。

 ルカの、『白銀の戦乙女』の戦いはすでに始まっているのだ。

 日頃の、どこか泰然自若といった姿勢はもはや微塵も残されていない。

 そこにいるのは、困難な戦いに臨む指揮官の姿だった。

 ヒースは放たれた矢のように天幕から飛び出し、石畳を蹴って駆け出した。


 鍛冶屋通りのバズは、表向きは小さな居酒屋の店主ということになっている。

 だがその裏の顔は、侠客や傭兵、用心棒や賞金稼ぎといった荒くれ者に仕事を斡旋する仲介人として知られていた。

 ヒースの仕事とは直接絡むことはないが、彼の店には人だけではなく裏の世界の様々な情報が流れ込んでくる。

 ルカにも「顔見せだけはしておきなさい」と町に着いた初日に言われていた。


 バズは禿頭に無精髭をたくわえた、褐色の巨体を誇る大柄な南方人だ。

 手紙と銀貨の束を渡すと、一読した彼は低く口笛を吹き、

「こりゃあ大仕事だな。分かった、すぐに繋ぐと伝えといてくれや」

 眠たげに映る黒い目に深い光をたたえ、請け負った。繋ぐ、とは連絡を入れるという意味の裏社会の隠語だ。ヒースは踵を返し、ルカの天幕に戻った。


 戻るやいなや、ルカに覚書と銀貨の入った袋、それと大きめのザックを手渡された。覚書には細かい指示と、簡単な地図が記されている。

「ご苦労様。次はこれをお願いね」

(おいおい、使いっぱしりかよ)

 内心では、ややうんざりしたヒースだったが、反論や愚痴を許さない圧倒的な威厳を今のルカは放っていた。

 それに、つまらないことを言っている状況ではないことも理解している。

 ヒースはすぐさま天幕から走り出て、覚書の指示に従った。

(そういえば、前に姐さんが言っていたなあ)

 夏の気配が近づく町を駆けながら、ヒースはある日の会話を思い出していた。

「前にも言ったけれど、戦いではね、人・物・金・時間・情報・環境……。これらをどれだけ活用できるかが勝敗の鍵を握るのよ。これらが無ければ勝てないし、もし全て十分に所有していても、存分に使いこなせなければ意味が無いわ」

「何か難しいなあ、姐さんの話は」

「うーん、そうねえ。例えばヒース、貴方は誰にも負けないぐらい素早く動くことができるでしょ? でも、もし貴方が面倒くさがって全力で動かなかったとしたら、負けちゃうわよね。簡単にいえば、そういうことよ」

金や力をどれだけ持っていても、使うべき時にそれを使わなければそれは持っていないのと同じことだ、ということであった。

「なるほどね」


 今まさに、自分は全力で動くべき時なのだ。ルカは自分自身の力と、彼女の周りにある全てを活用しようとしている。先刻手紙を渡したバズも、その一人であろう。

 そしてヒースもまた、彼女に役割を与えられ、働きを求められている。

 ヒースは彼女に魅かれていた。一人の女性として、また戦う人間として。

 ならば自分は、彼女の期待に全力で応えるべきなのだ。


 用件を全て終えて天幕に戻ると、なおもルカはアマルと話し込んでいたが、

「お帰りなさい、ヒース。本当にご苦労様。では、早速行きましょうか。すぐに天幕を片付けるわよ」

すっと立ち上がると、きびきびとした動作で店仕舞いを始めた。平時はわりとのんびりした物腰のルカであるが、これが本来の彼女なのだろう。

「駅にアマルさんと一緒に行ってちょうだい。私はここの元締にご挨拶をしてくるから。追っ手や密偵がいる可能性もあるわ。周囲の警戒は怠らないでね」

 大陸全域を統治する帝国は、各街とそれらを結ぶ街道の要所に駅を設けている。ある程度裕福な者や行商人以外は、そこで馬車や早馬を借りて旅の足とすることが多い。もちろん、金銭的な余裕が無ければ、徒歩での旅になるのだが。

「なあ、姐さん。俺も一緒に連れてってくれるんだよな?」

「来ないつもりだったの? 私はてっきり、止めても無理にでもついてくると思っていたけれど」

「いや、もちろん一緒に行くつもりだったぜ? ただ、姐さんがそれを許してくれるかどうか、そいつがちょっと心配だったんでね」

「私は貴方の能力を高く評価しているわよ。確かにまだ若くて戦いの経験は少ないと思うけど。その不足を若さと勇気、それに素直さで補えると信じているわ」

 満面の笑顔で賞賛され、少々こそばゆい気持ちになった。

 無論、ここまで言われて嬉しくないはずがない。


 言われたとおり、アマルと共に街の中心部にある駅まで向かった。

 道すがら、彼に今回の状況について尋ねる。

 先代の元締が老衰で亡くなった際に、それまで長らく側近を務めていたマグナスが後継者となった。 それが現在の元締だ。

 継承に関しては何かと揉めることが多い世界ではあるが、先代は若い頃に妻に先立たれてから家族を持たなかったことと、マグナスの実力・人望が側近の中でも抜きん出ていたために割とすんなり決まったのだという。

 元締は堅気の世界にあまり口を挟むことがなく、賭場や娼館も公平かつ温情のある仕切りだったため、信義に篤い人物として評判が良かった。

 今は亡き妻との間にもうけた長男を厳しく育てつつ、百五十名ほどの配下には規律と礼儀を重んじさせてきた。

「俺たちは裏の世界の人間だ。だからこそ、表の世界に生きる堅気の衆よりも自分を厳しく律しなくちゃいけねえ」

 というのが元締の口癖だという。

 他の街では裏社会の抗争が頻繁に起きていたが、リカオールは元締の差配の下、平穏な日々が続いていた。


 それが、つい三ヶ月ほど前から不穏な空気を漂わせ始めた。

 組織の経理を任されていた、元締の甥にあたるエブロの側に得体の知れない人物が侍るようになったのだ。

 その人物は常に頭巾で顔を隠し、身体を包むローブすら脱がないらしい。

 元締に無断で配下を召抱えることは、裏社会では仁義に反する行為だ。

 噂を聞きつけた元締が、一度顔を出させるようにと何度か伝えたそうだが、エブロはそのたびにのらりくらりと言い訳してきたという。

「気がついた時には、街に怪しげな連中がどんどん出入りするようになった、ってわけですよ」

 アマルは苦虫を噛み潰したような表情で語った。

 当然のようにアマルを始めとする幹部たちは若い衆を率いて、その怪しげな連中――傭兵や食い詰めた流れの侠客たち――を追い出そうと試みた。

 だが、彼らはそれをまるで事前に察知していたかのように巧みに避けたという。

「思えば、恥ずかしながらその頃からすでに内通者がいたんでしょうね」

 アマルが奥歯をぎりぎりと噛む姿から、無念さを察することができた。


 そして、ついに元締が堪忍袋の緒を切らせて、

「エブロを俺の前に引きずり出してこいっ!」

と幹部衆に命じた直後に、今回の謀反が起こったのだという。

 夜半に元締の屋敷の一つが包囲され、火が放たれた。

 それと時を同じくして、街の要所に置かれた元締の拠点が襲撃されていた。

 齢五十を越える元締であるが、近隣では、獅子の如しと恐れられた侠客である。自ら剣を振るい、息子であるアントワンと共に包囲網を突破した。

 だが、拠点の大半はその夜のうちにエブロ率いる一味に押さえられてしまった。

 エブロ一味はその翌日には娼館や賭場、市の大半を手中に収め、

「今後はこの俺に従え。みかじめ料を納めろ」

 と命じた。あまりに強引な簒奪劇に異を唱えた者もいたが、彼らには容赦ない制裁が加えられたという。さらに、この謀反のためにかき集められた傭兵たちは、

「本当に仁義の欠片もねえクズ野郎どもで……。堅気の商売の邪魔はする、女は犯す、気に入らねえ奴は容赦なく殺す……。もう俺たちの街は、あいつらのせいでメチャメチャにされているんです!」 「……何て汚ねえ連中だ! 仁義も何もあったもんじゃねえ!」

 ヒースはその冷酷無情なやり口と傍若無人な悪党どもに、腹の底から怒りを覚えた。

「元締は、もう一つの残った屋敷で俺の仲間たちと共に戦っています。ただ、このままじゃどうにもならねえ。ちょうどその時に、ルカさんがこの街にいるという話を耳にしましてね」

「それで、アマルさんがここに遣わされたってわけですか」

「ええ。何しろ街の至るところが奴らの手に落ちてしまって、そう簡単には抜け出せる状況じゃありませんでした。それに、今は一人でも戦力が必要だ。そこで俺一人が街を脱け出してきたってわけです」

 生き残ったのは、元締の配下の中でも古参でかつ選りすぐりの面々だった。

 だが戦力差を考えれば、いずれ皆殺しにされてしまうのは目に見えている。

 部下に裏切られ、劣勢に追い込まれた元締は助っ人を頼むしかなかった。

 それも、圧倒的な差を引っ繰り返せるだけの才覚を持ち、何より信頼できる人物でなければ意味が無い。

 そこで元締は、旧知のルカを頼ることにした、というわけだった。


 ルカとも面識があり、敵だらけの街を単独で切り抜けられる力量を持った男として、アマルが使者に選ばれた。

 夜陰に紛れ、信頼できる馴染みの情報屋に大金を渡して馬車を数台手配し、なおかつそれらを囮にすることでどうにか突破できたのだという。


 手配した早馬に跨ったルカたち一行は、一路リカオールを目指した。

 道々で、ルカが今後の予定を二人に伝えた。彼女の案では、リカオールの手前にある小さな村で馬車に乗り換えるということだった。もちろん、その馬車についても手配済みだ。リカオールへの到着は五日後の夜になる。

 アマルは元締たちの身を案じ、一刻も早く馳せ参じたいと反論したが、

「早馬のまま直接街に向かっては、敵に私たちの存在を知られる可能性が高くなります。この戦力差を縮めるためには奇襲が必要不可欠です」

 ルカがきっぱりと言い切ると、奥歯を噛みしめて沈黙した。

「案ずるには及びません。アマルさんには、そのまま帰還していただきますので」

「えっ?」

「戻り次第、皆さんには援軍は来ない、とお伝えください」

「どういうことですかっ!?」

 青ざめた表情で問い返すアマルに、ルカは一点の曇りもない笑顔を見せた。

「油断させるためですよ、敵を。ですから、元締だけにはその後で本当のことをお伝えください。私たちはその夜、早速奇襲を仕掛けます。そこから先のことは、到着後に改めてお伝えしましょう」

「なるほどね、敵を欺くにはまずは味方からってことか」

 ヒースが感心すると、

「あら、貴方も兵法の基礎は分かっているのね。そう、戦いは煎じ詰めれば騙し合いよ。少数を多勢に見せ、多勢を少数に見せる。間近に迫ったものを遠くの存在に思わせ、遠方のものを近くに思わせる。これが肝心なのよ」

 駿馬の背で語るルカは、青空の下、初夏の涼しげな風に銀色の髪をなびかせ、薄茶色の瞳に鋭い光を宿らせていた。

 彼女の言葉を耳にしていると、これから自分たちが困難な戦い挑むということがまるで嘘のようにすら思えてくる。

「ただし、虚を突くだけで戦力差を易々と埋められるほど、戦いは甘いものではないわ。くれぐれも油断しないことね。さもないと死ぬわよ」

 まるで心の内を見透かされているかのように、釘を刺されてしまった。

 ヒースは内心の動揺を悟られないよう、ゆっくりと息を吸った。


 それから二日の間は、数時間の睡眠とあらかじめ買い込んでおいた携帯食を摂る以外はずっと馬上で過ごすことになった。

 道中では、ルカが今回の戦いにおける基本的な方針と心得について二人に伝えた。

「アマルさんや元締からすれば、納得のできないこともあるでしょう。しかし、こうでもしなければ勝ち目はありません」

 真正面から戦うことを潔しとするアマルは、ルカの提案にしばしば渋面を浮かべていたが、若くこだわりのないヒースは彼女の語る戦略・戦術に素直に感心した。

 このままでは馬が乗り潰されてしまう、という寸前で一行はリカオールの手前の村に辿り着いた。予定よりも一日早い到着となった。

「アマルさん、くれぐれも油断することのないようにお願いします」

 このまま早馬でリカオールを目指すアマルに、ルカは何度も念を押した。

 それは、エブロ一味とは決して事を構えることなく元締のところまで戻るということと、何があっても自ら死を選ばないという二点であった。

 真の侠客とは、自尊心が高いものだ。世の法に外れた生き方をする裏社会の人間であるが、彼らは勇気と誇りを重んじ、卑怯な振る舞いで名を穢すことを厭う。

 もっとも、そういった美意識を全く持たない輩も多い無法の世界でもあるのだが。

 エブロを筆頭にそうした者どもを相手にする今回の戦いにおいては、

「とにかく勝利を優先させていただきます。もしそれが呑めないのであれば、残念ですが助太刀することはできません」

 と、ルカは初めにアマルに釘をさしていた。



(二章 墓場鳥と毒蛇 に続きます)



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