十一章 死線の先
十一章 死線の先
芝生の上に、不穏な気配を全身から放つ影が二つ。
ヒースたちから向かって右手には、老傭兵『災厄』ジェイコブを屠った『西方羅刹』。
赤い髪を靡かせ、口元には薄っすらと残忍な笑みをたたえている。
その隣には、己の愉悦のためだけにこの戦いを画策した『天使』。
先日のドレス姿ではなく、白を基調とした優美なデザインの短衣とゆったりとしたズボン、底の浅い革靴を履いていた。
こちらも隣の暗殺者と同様、闘争を楽しむ狂気の笑みを張り付かせている。
その二人が、玄関から現れたヒースたちの姿を認め、足を止めた。
ゴドーの隣にラフィが並ぶ。
その後ろにヒースとレミー。
殿は指揮を執るフローラだ。
五人は、ゆっくりとした足取りで間合いを詰めていく。
意識したわけではないが、それぞれの歩調はぴたりと合っていた。
心が一つになっているのだ。
作戦は、全て頭の中に叩き込んである。
後はもう、信じて実行するのみだ。
「……『天使』よ。いい加減、姉の相手は飽きたであろう。今宵は、俺が相手になってやろう」
間合いが狭まったところでゴドーが足を止め、右手の鉄棍で『天使』を指した。
「ふふ、それが君たちの作戦? で、肝心の『戦乙女』は?」
「……死んだよ」
ゴドーがぼそりと呟く。
『天使』の表情が曇った。
「なあんだ、ガッカリだなあ。せっかく一日猶予をあげたっていうのに。戦乙女なんて呼ばれている割には、案外大したことなかったね」
そのふざけた言葉に、ヒースは怒りで拳を固めた。
「落ち着け。痴れ者の言に惑わされるな」
すかさずラフィが、冷静な口調でなだめた。
「あれ、お姉さま冷たいなあ。まあ、いいや。じゃあ、せっかくだからその作戦に乗ってあげようかな」
『天使』が腰に下げた反身の刀を抜く。
いかにも業物という刀身が、月明りに照らされて美しくも禍々しい輝きを放った。
変幻自在の飛燕刀術と、並外れた軽功を操り、戦場を遊び場とする化け物だ。
「じゃあ、私は借りを返すということで『死神』さんに遊んでもらいましょうかね」
薄笑いを浮かべたまま、『西方羅刹』がやや腰を落として身構える。
徒手空拳ながら、その常人離れした内功と不死者の如き再生力で、数多の人を殺めてきた怪物だ。
ここまでは、ルカが想定した通りに進んでいる。
足を止めていた双方が、再び間合いを詰め始める。
ヒースは呼吸を整え、その時を待った。
向かい合う敵味方が、無言のまま同時に地を蹴る。
『天使』が華麗に舞い、目の覚めるような速連撃をゴドーに見舞う。
嵐のように襲いかかるそれを、ゴドーが双鉄棍を駆使して懸命に防ぐ。
『西方羅刹』が腰を落とし、低い姿勢でラフィに向けて突き進んだ。
対するラフィも、まるで地を這うような態勢から大鎌を振るう。
足元を刈ろうというその一撃を、『西方羅刹』が横ざまに飛んで避けた。
さすがに、昨日のように上に跳んだりはしない。
(レミー兄さん、頼むぜ!)
横に跳ぶことは想定していた。
ラフィの背後についていたヒース、レミーはどちらに『西方羅刹』が跳ぶかで役割分担をしてある。
この場合は、着地点に向けてレミーが間合いを一気に詰め、それをヒースが手裏剣で援護する形になる。
ヒースの放つ手裏剣などでは、この怪物の肉体に致命的な打撃を与えることはできない。
だが、
「たとえ人智を越えた怪物であろうとも、眼は眼、鼻は鼻」
それがルカの策の一つだった。
誰でも、眼に何かが飛んでくれば反射的に避けようとする。
恐るべき再生力があろうと、それは変わらない。
そして、仮に目に当てることができれば――いかに短時間で回復されてしまうといえども、その僅かな『時間』は稼げる。
寸刻の遅れが戦いにおいては致命的になる。
逆に言えば、僅かでも時を稼ぐことができれば、それは貴重な『利』となるのだ。
この『西方羅刹』を仕留める瞬間、それは一つのゴールだ。
そこに至るまでの過程、どのようにそれが実現するよう仕向けるかが戦術である。
案の定、ヒースの放った手裏剣はあっさりと片腕で弾き返された。
だがその一瞬、視界が隠れた刹那を縫って、レミーが足元を狙って斬りかかる。
間合いギリギリで、精一杯身体を伸ばした軽い斬撃だ。
本気で仕留めようとは思えない、かろうじて擦るか否かの攻撃。
しかし、わずかに『西方羅刹』の動きが止まる。
これも反射的なものだ。
大丈夫だと頭では理解できていても、身体が勝手に反応してしまう。
その隙を、背後に迫るラフィが見逃さない。
跳躍し、一気に首を刎ねようという素早い一撃。
だが、これで留められるような敵であれば苦労はない。
いや、とっくの昔に『黒死會』の刺客によって葬られていただろう。
『西方羅刹』が体を沈めた。
大鎌が虚しく空を切る。
ラフィの着地の瞬間、これが一番危険な一瞬、『西方羅刹』にとっては好機だ。
間髪入れずに、ヒースは顔に向けて手裏剣を放った。
今度は、『西方羅刹』もまともに反応はしない。
顔はラフィに向けたまま、左手一本で迫り来る手裏剣を払い落とした。
それが――油断を誘う罠だとも知らずに。
ヒースの真横を、黒髪のポニーテールを揺らしながらフローラが走り抜けた。
その掌には、戦いが始まる前から静かに、そして着実に練り上げておいた内功が溜められている。
躊躇することなく、フローラは懐に飛び込んだ。
一行の『指揮者』であるフローラが切り札であり、最も危険な役割を担う。
それもまた、ルカの思い切った作戦の一つだった。
ルカを最も信頼する彼女だからこそ、この任を与えられたのだろう。
「はああああっ!」
気合一閃、フローラが大きく踏み込み、掌を『西方羅刹』の脇腹に打ち込んだ。
彼女の足元の芝生が、衝撃でごっそり千切れ飛ぶ程の強い踏み込みだった。
だが、さすがに闇の世界に名を馳せる『西方羅刹』であった。
瞬時に内功を脇腹に集中させ、フローラの掌から流し込まれた内功にぶつけた。
両者の強い内功が反発し合う。
弾けるような音と共に、二人の身体が正面から衝突したように飛ばされた。
後方に飛んだフローラが、背中から芝生に落下した。
そのまま数メートル、芝生を摩り下ろすように滑っていく。
かろうじて顎を引いて受身を取り、頭だけは守れたものの、相当なダメージを負っていた。
すぐには立ち上がれそうにない。
『西方羅刹』は、くの字の態勢で真横に飛ばされた。
こちらは空中でバランスを取り、足から着地している。
そこをすかさずレミーが襲う。
間合いを詰め、中段の突きを腹部に放った。
『西方羅刹』が体を捻って回避した。
顔にはすでに、開始時に浮かべていたような余裕は無かった。
その背後に――『死神』が迫った。
『西方羅刹』が咄嗟に前方に跳ぶ。
首を撥ねられる、という最悪の事態だけは避けようという判断だろう。
だが、ラフィが狙ったのは『西方羅刹』の右腕だった。
血飛沫が舞い、主を失った右腕がどさり、と芝生の上に落とされた。
この時、ヒースは迷うことなく『天使』に向かって駆け出していた。
内功で吹き飛ばされたフローラが気にかかってはいた。
態勢の崩れたところを襲ったとはいえ、レミーが無事かどうかも心配だった。
ゴドーは『天使』の猛攻を耐え切れているか、ラフィは首尾よく『西方羅刹』の腕を落としているか――。
考えたら、キリがない。
仲間の実力を信じた。
ルカが立てた作戦を信じた。
神様とやらが本当にいるなら俺たちを祝福しろ――とは、考えなかった。
最後の神頼みにすがるほど、自分たちはまだ全てを尽くしていない。
本当の修羅場はこれからなのだ。
「ゴドーさん!」
双棍鬼の名を叫んだ。
「ヒース!」
剛力と不屈の肉体を誇る鬼は、いまだ健在だった。
『天使』の刀によって斬られた傷から、血が滴り落ちているのが看てとれた。
四対一の状況を作り出すため、そしてラフィの大鎌で『西方羅刹』の腕を落とすため、ただ一人で『天使』を抑える。
その難題をゴドーはやりおおせたのだ。
そして今度は、ヒースがそれを引き継ぐ番だった。
気を抜くと身体をすっぽり包み込んでしまう恐怖を、根性でねじ伏せた。
仲間の必死の戦いを、自分ひとりの怯えで無にするわけにはいかない。
「俺が相手になるぜ、このクソガキがっ!」
自らを奮い立たせ、ヒースは『天使』に向けて最後の手裏剣を放った。
「死ぬなよ、ヒース」
すれ違いざま、ゴドーが呟いた。
ヒースは口元にふっと笑みを浮かべた。
「あんたもな、ゴドーさん」
これからお互いに、死地に踏み込まなければならなかった。
右腕を切り飛ばされた『西方羅刹』だが、それだけで死ぬことはない。
幾度もこの怪物を救ってきたのは、驚異的な回復力だ。
瞬間的に噴き上がった鮮血も、すぐに勢いが弱くなる。
だが、完全に傷口が塞がってしまっては、右腕を永遠に喪うことになる。
『西方羅刹』は冷静に己の右腕を拾い上げた。
そして、それを元の場所――己の胴に戻そうとする。
そのまま数分待てば、完全に接合できるはずであった。
今までに何度か、このような経験は積んでいる。
その接合までの隙を『死神』と『毒蛇』の二人が逃さないであろうことも、彼の計算の内に入っていた。
身を捻り、体を沈め、大鎌と毒刀の斬撃を回避する。
避けることに徹すればこれ以上の手傷を負うことはない、と確信していた。
もう少しだ。
あと数分凌げば、腕も繋がるはずだ――。
だが次の瞬間、『西方羅刹』の身体を衝撃が襲った。
新たな刺客、ゴドーの投げつけた鉄棍の先端が、脇腹にめり込んでいた。
『猟豹』と入れ替わりに、その存在が近づいてくることは気づいていた。
だが、まさかその武骨な得物を遠距離から投げてくるとは想像していなかった。
動きの止まった『西方羅刹』に、再び大鎌が襲いかかる。
狙いは接合途中の右腕だ。
ギリギリで回避し、蹴りを放つ。
『死神』が大きく跳び退ってかわした。
(あの毒蛇だけでも仕留めておくか)
鬼はまだ間合いには入って来ない。
ほんの数秒あれば、あの毒刀の男だけは仕留められるだろうと踏んでいた。
しかしそう考えた刹那、再び強烈な衝撃を受けた。
鬼が、残るもう一本の鉄棍を投げてきたのだ。
あり得ないことだった。
内功を使いこなす敵ではない、と看破していた。
唯一の武器を手離すはずもない、と思っていた。
内功も操れない者が、自分相手に素手で挑もうとすることなど、一度も無かった。
そんな無謀極まりない敵がいるとは、想像もしていなかった。
しかし、もしルカがこの場にいれば、きっとこう言っていただろう。
「戦いで『あり得ない』ことなんてないのよ。その台詞は敗者の言い訳ね」
二本目の鉄棍を投げたゴドーは、そのまま全速で走り『西方羅刹』の腰に抱きついた。
そのまま全体重を浴びせ、地面に背中から叩きつける。
すぐさま馬乗りになり、左腕を押さえつけた。
『西方羅刹』が釣られた魚のように身体を激しく跳ねらせる。
レミーが毒刀を『西方羅刹』の右足に突き立てた。
ラフィの大鎌の刃が、完治しかけた右腕を切断した。
ゴドーは拳を振り上げ、『西方羅刹』の顔面を強かに殴りつけた。
鼻骨が砕け、歯が飛び、大量の血が端整な顔を染める。
それでも、この怪物の不死の肉体はすぐに回復を始めてしまう。
時間をかけてはいられなかった。
ゴドーは両手を『西方羅刹』の喉笛にかけた。
そして、一気に絞め上げる。
『西方羅刹』の顔が、みるみる内に紫色に変色していった。
「不死の生き物なんて存在しないわ。生あるものは、必ず死ぬ。奴を仕留めるには、文字通り息の根を止めるのよ」
それがルカに授けられた『西方羅刹』退治の作戦だった。
最初に『天使』と戦わせたのも、それからヒースと交替したのも、フローラの決死の一撃も、慣れ親しんだ鉄棍を投げつけたのも、全てはこの状況を生み出すための布石であった。
『西方羅刹』の抵抗が、徐々に弱まってきた。
ゴドーは油断することなく、この怪物が完全に動きを止めるまで、辛抱強く絞め続けた。
ヒースに与えられた役割。
それは、ゴドーたちが『西方羅刹』を完全に仕留めきるまでの間、『天使』を引きつけ続けることだった。
そのために己の持つ全てを使い切れ、というのがルカから下された絶対指令だ。
手裏剣はもう残っていない。
武器といえば腰に差した小剣だけだ。
これで普通に戦おうとすれば、飛燕刀術の達人である『天使』にあっという間に斬り捨てられてしまうだろう。
とにかく動く。
決して動きを止めない。
それしかなかった。
ルカの描いた作戦の意図を、おそらく『天使』はすぐに察知することだろう。
『西方羅刹』など、彼にとってはただの手駒、あるいは玩具のような存在だ。
命を賭して救おうとはしないだろう。
だが、『天使』はこの戦いを一つのゲームとして捉えている。
しかも純粋にそのゲームに勝利することよりも、もっともっと楽しもうということだけを考えているのだ。
こちらはその心の余裕、油断に勝機を見出すしかない。
二匹の化け物と混戦になっては、数に勝るとはいえヒースたちの勝ち目は薄いし、多大な犠牲を払うことになる。
ヒースはもう、余計なことは何も考えないことにした。
『天使』の一挙手一投足に注意を払い、間合いを詰めさせない。
その一事に専念した。
「いつまで逃げ回るつもりだい? ホント、情けないね。まるでネズミだなあ」
相手の挑発には耳を傾けない。
この怪物のもう一つの武器は『言霊術』だ。
迂闊に聞き入ってしまったら、命を失うことになる。
レミーの口笛が聞こえた。
『西方羅刹』を仕留めた、という合図だった。
ヒースは脇目もふらずに、屋敷を目指した。
すでにフローラが、よろよろとした足取りながら玄関前に達している。
全員が戻るまでの間、『天使』はラフィが相手をし、玄関まで誘導する作戦だ。
可能性は低いが、ここでもし『天使』が逃げ出せば、作戦は中断となる。
その場合の策も、ルカは用意していた。
ヒースはフローラに続き、玄関に飛び込んだ。
あとはただ、仲間たちの帰還と『天使』の到来を待つ。
そしてこの怪物を仕留め、戦いに終止符を打つのだ。
(十二章 天使 に続く)




