十章 戦乙女のセオリー
十章 戦乙女のセオリー
食事を終えると、途端に眠気がヒースの全身を包んだ。
両肩にずしりとのしかかるような疲労感がある。
ルカの寝室を訪ね、容態を伺おうかとも思ったが、部屋の前まで行ったところでフローラのすすり泣くような声が聞こえたので止めておいた。
(ルカ姐さん……)
脳裏をよぎる最悪の事態。
それをどうにか振り払おうと試みたが、無理だった。
息をつき、不安を振り払うように寝室に足早に向かった。
(眠ろう。今は何もかも忘れよう……)
そう思った次の瞬間、かすかな物音を耳が捉えた。
(まさか!?)
ゴドーの言葉の通り、あの連中の言など信用できるはずがない。
気まぐれに、戯れに人の命を奪うような化け物どもだ。
ヒースは玄関に走った。
「どうした?」
外に立っていたゴドーが首だけヒースに向ける。
その隆起した巨大な背には、誰もが全幅の信頼を寄せることだろう。
だが敵は、想像を絶するほど危険な存在だ。
「ゴドーさん、屋根に……」
「ふ、それなら案ずるに及ばぬ」
双棍鬼が微笑して返してくる。
首を巡らせて、屋根を見上げた。
(何だ、『死神』の小姐さんか……)
そこにいたのは、大鎌を構えたラフィであった。
「演武のようだな。せっかくだから、間近で見学させてもらうといい」
「え?」
「なかなか見られるものではないぞ、『死神』ラフィの演武など。良い土産話になるだろう」
すっかり眠気の吹っ飛んだヒースは、その提案に乗ることにした。
地を蹴り、軽やかに屋根まで駆け登る。
ヒースの登場にも、ラフィはまるで気にかける素振りを見せなかった。
上段に構えた大鎌を斜めに振り下ろし、そこからすぐに足元を刈る。
腕力ではなく、全身の力を使ってこの巨大な得物を扱っているのが看てとれた。
実戦とは違い、パッと見ただけでは緩やかな動きだ。
だが、その動作一つひとつには内功がしっかりと込められている。
一連の動作の中で、彼女の身体の軸は決してぶれることがない。
しばしの間、ヒースは『死神』の演武に見惚れていた。
やがて彼女が動きを止め、ヒースに顔を向けた。
「すまぬ。おぬしの眠りを妨げてしもうたか?」
眉を寄せ、上目遣いに見つめられると、儚げな少女としか受け取れない。
これが裏社会で恐れられる凄腕の暗殺者などとは、一体誰が信じるだろう。
「いや、あの、大丈夫。俺のほうこそ邪魔じゃなかった?」
いま一つ、彼女との距離をどうとるべきか計りかねていた。
実年齢では上のはずなのだが、風姿は自分よりもずっと幼いからだ。
「……あまり、人に見られるのは、慣れて、ない……」
わずかに頬を染め、うつむき加減でポツリポツリと語る様子からは、戦闘時の姿はまるで連想できなかった。
「それにしても凄いよね。あの『西方羅刹』に一撃浴びせるなんて」
それは素直な気持ちだった。
ルカが手を出すな、と命じていたこともあったが、正直な話、あの怪物の圧倒的な武威の前にすくんでいた。
だが、彼女は未知の能力を持つ敵に対して果敢に挑み、致命的な一撃を与えた。
もっとも、それもあの信じられない能力の前には意味を成さなかったのだが。
「……あのまま行かせてはならぬ、と思うたのじゃ」
「え?」
「あやつには何か秘密がある…そう感じた。あくまでも、わらわの直感じゃがな。それを見極めぬまま、次の戦いに臨むのは危険であろう、と」
ヒースは唸った。
彼女の言は的を射ていた。
ルカを初めとして、誰一人『西方羅刹』に関する情報を持っていなかった。
ジェイコブという大きな犠牲を払い、内功に長けた者ということは知ることができたが、それだけでは不十分と彼女は直感したのだろう。
「指示には逆らうことになるが、ルカとて全知全能ではない。犠牲を抑えようという判断は理解している。だが、時には危所に登り果実を得ることも必要であろう?」
あそこで仮にラフィを喪っていたら、途方もなく大きな損失となっていただろう。
しかし、彼女はその危険性も思慮した上で、あえて一歩踏み込んだわけだ。
「これでルカも『西方羅刹』を仕留める策を生み出すはずじゃ」
「ラフィさん……」
今、寝室で懸命に己の身を蝕む呪法と戦うルカを、彼女は信じきっている。
静かな、しかし熱いラフィの言葉に、ヒースもまた強く勇気づけられた。
「今はともかくルカを信じるのじゃ。幾度も死線を掻い潜ってきた戦乙女ぞ、そう易易と『悪霊』の呪いに屈したりはせぬ」
「……ラフィさんは、姐さんとは長いのかい?」
彼女のルカを信じる気持ちの強さに、思わず問いが口をついてしまった。
「……うむ。わらわが弟を追って里を出て……そう、ルカと初めて逢うたのはそれから数年経ってからじゃな」
それが今から何年前なのかは、あえて問わなかった。
何となく、ルカと彼女の実年齢は知りたくないようにも思えたからだ。
「ちょうどその頃のわらわは、各地で悪名を垂れ流す弟の所業に……そして、いつまで経ってもその背に追いつけぬ己自身に苛立ちを感じておった……それに……」
「それに?」
眉をひそめて言いよどむ彼女に、恐る恐る続きを促した。
「里を出て初めて知った、人の世の汚さに嫌気がさしておったのじゃ」
妖しの里でひたすら武を磨くことに専心していた彼女は、世間というものを全く知らなかった。
そんな彼女も、旅を続けるには路銀を稼がなくてはならない。
「最初は里から持ち出した装飾品を売って何とか凌げたのじゃがな、それも底を尽き、金が必要となった。じゃが、わらわは武以外に何も持っておらぬ……」
それも、ゆくゆくは妖しの里で『影』――諜報と暗殺で暗躍するために鍛えられた技なのだという。
それを活かす術は、
「暗黒街で殺しを請け負う、暗殺者として働く以外になかったのじゃよ……」
その類い稀な能力により、瞬く間に彼女の名は闇の世界に知れ渡ってしまった。
「皮肉な話よ。わらわも結局、あの弟と何一つ変わらぬ、ということじゃ」
「でも、ラフィさんは極悪人しか殺さない主義って聞いてたぜ?」
「じゃが、殺したところで悪が根から絶たれるわけではない……。気がつけばこの手は血に塗れ、心も闇の中に閉ざされてしもうたのじゃ。もう弟のことも、己自身のことも、何もかもどうでもいい、とまで思い詰めておった……」
そんな折に彼女が出逢ったのが、ルカだった。
「わらわは驚いた……この闇のような穢れた世間を渡り歩きながら、まるで彼女には屈託がなかったからな……。ひたすら前を見て、己の全力を尽くし……そして……何より、『人間』とその未来を信じておった」
それはヒースも同感だった。
ルカは決して諦めない。
予期せぬ苦境にも挫けることなく、常に道を模索する。
そんな彼女の姿に惹かれて、ここまできた。
「誰も、何も信じることのできなかったわらわに、彼女は何より大切なことを教えてくれたのじゃ。闇の中に一筋の光明を見出すことができたのは、彼女のおかげじゃよ。だからわらわも、決して諦めぬ。後ろを振り返ったりはせぬのじゃ」
静かに輝く月を見上げ、笑みを浮かべる『死神』ラフィ。
その美しい横顔を、ヒースはただ無言で見守るだけであった。
翌朝。
ヒースは、幹部連と若い衆の怒号で目を覚ました。
話を聞いてみたところ、ルカが先日言っていた『内通者』が発覚したらしい。
(まさか幹部の一人が関わっていやがったとはね……)
幹部の中でも比較的目立たない男で、黙々と己の仕事をこなすタイプだったらしく、元締に対する忠誠心も篤いと思われていたので、内部には衝撃が走ったようだ。
だが、男は数名の部下を連れてさっさと街を出てしまったらしい。
ルカが言っていたように、エブロが死に、しかも『天使』と『西方羅刹』が好き勝手暴れまくるような現状では、ここに残るメリットは無いと判断したのだろう。
(まあ、去る者は追わず、だよな。それに今はそれどころじゃねえ)
何よりも気にかかるのは、やはりルカの容態だ。
結局あのまま、フローラは眠ることなくつきっきりでいたようだ。
ヒースたちが説得しようとしたが全く話を聞かず、最後は当のルカが「眠りなさい!」ときつく命じることになった。
「ヒース……悪いけど、あの娘がちゃんと休めるようにしてあげて……」
蒼白な面持ちのルカに頼まれて廊下に出ると、フローラが壁にもたれかかるようにして突っ立っていた。
「フローラさん!」
駆け寄って肩に軽く手をかけると、彼女の痩身がぐらりと揺らいだ。
慌てて腰に腕を回し、抱きかかえる。
大丈夫、とフローラが弱々しい声を洩らした。
「無理すんなよ。姐さんからのお達しだ。寝室まで連れていくぜ」
抵抗しようとした彼女を強引に持ち上げ、そのまま寝室まで運んだ。
ベッドの上に横たえると、彼女は小さく溜め息をついた。
「ごめんなさい、手間をかけさせたわね、ヒース」
出会ってからというもの、沈着冷静で誇り高い姿ばかり目にしてきただけに、このような彼女はとても新鮮に映った。
「いや、気にすんなよフローラさん。それより、眠れそうかい? 何か食べる物を持ってこようか?」
「……スープを……頼んでも……いい?」
ヒースの問いにしばしの間を置き、やや恥ずかしげに答えを返してきた。
すぐに厨房に向かい、昨晩の残りのスープを若い衆に温めなおしてもらう。
憔悴した様子で横たわるフローラであったが、湯気をたてるスープの美味そうな匂いにわずかに頬を緩ませた。
「……自分で食べられるかい?」
「わ、私は子どもではない! そのくらい自分でできる!」
(いや、そういう意味で言ったわけじゃないんだけど……)
思いがけず叱り飛ばされて尻ごむヒースをよそに、彼女はスープをあっという間に平らげてしまった。
「うむ、美味しかった……ありがとう、ヒース」
「なに、腹が減っては戦ができぬって言うからね。後はゆっくり寝て休みなよ」
皿を受け取り、寝室を後にしようとしたところで、
「ヒース……その……」
思い詰めた声で呼び止められた。
「……何だい、フローラさん」
「お姉さまが……呪いに打ち勝てるか否か……おそらく、五分五分だ」
「なっ……」
今にも泣き出しそうなフローラの言葉に、思わず声を失ってしまった。
これが余人ならいざしらず、ルカを心の底から慕い、崇拝する彼女の言だけに重みがあった。
(相当やばいってことかよ……)
ルカを喪う。
想像しただけで目の前が闇に閉ざされてしまいそうであった。
「で、でもよ。五分五分なら……うん、姐さんなら大丈夫だって! 今までだって危ない橋を何度も渡ってきた人だぜ? あんな呪いなんて……」
必死になって言葉を紡いだ。フローラを安心させようというよりも、むしろ自分自身を勇気づけたい心境だった。
「……うん、そうだな……」
ゆっくり、大きく頷いた。
「すまない、今の話、他の者には言わないでくれ。士気に関わることだ」
「ああ、分かってるって。それにしても……」
「何だ?」
「姐さんは、本当に皆に慕われてるよなあって思ってね。いや、勿論凄い人だってのは、付き合いの浅い俺でも分かるんだけどさ。時々、その、何というか底が知れないというか……怖い、とすら思うことがあるんだよなぁ」
「お姉さまが怖い? フフ、私に向かって言うとはいい度胸ね」
「え、いや、怒らないでくれよ。悪い意味じゃなくってさあ……」
眉をしかめるフローラの美貌に、背筋を冷たい汗が伝う思いだった。
「フフ、でも、分からないわけじゃないわね、その気持ち。私はもう何年も前から共に戦わせていただいているけれど……。未だに、お姉さまという人が理解できない、という時があるわ。勿論、悪い意味ではなくてね」
「へえ、フローラさんでも?」
「ええ。一つ言えるのは、私たちとは違うものがお姉さまには見えているってことかしらね。それだけ広い視野を持ち、深く物事を考えている、ということなのかも知れないけれど」
「広く、深く、かあ。なるほどね」
難しいことは学のない自分には理解できないが、確かにルカは細かいところまで目を配っているし、置かれている状況や他者の心理を深く分析している。
「広く、深く。これはね、私がお姉さまから初めて教わったことでもあるのよ」
フローラが目を閉じ、両の掌を己の胸に当てた。
かけがえのない、大事なものを守るような、そんな仕草だった。
「そういや、俺もよく言われるな。よく見て、よく考えろって」
「フフ、私も昔はそうだったわ。お姉さまと知り合った頃の私は、今よりずっと無鉄砲で、考え方も幼かったからね」
師の下で剣術と内功を一通り修めたフローラは、その技をさらに磨くため、そして見聞を広めるために諸方を巡り歩いたらしい。
「物心ついた頃からずっと山里で暮らしていた私にとって、この世界はとても広く、驚きに満ちていたわ。でも……同時にこの世界は忌々しいほどに汚れてもいた」
強者が弱者を虐げる世界。
生まれや育ちで差別を受ける世界。
神の愛を説く司祭たちが金と欲を追い、法の守護者たる役人が賄賂を扱う――それが現実だった。
「私は許せなかった。己が修得したこの力で、世界を変えたいと思ったのだ。今思えば、身の程知らずにも程がある話だがな」
「でも、間違っちゃいないと思うぜ、それ。見て見ぬふりをするより、よっぽど上等じゃないか」
「ありがとう。でもね、そうは言っても私は無力だった。気がつけば、自分でも覚えきれないほどの罪状を被せられた凶状持ちになってしまったのよ。『墓場鳥』なんて、不吉な通り名まで付けられてね」
追っ手に狙われ、夜の闇を駆けていたその頃に、彼女はルカと出逢ったという。
「不思議な人だったわ。それまで出会った誰とも違う、特別な人だった。何より私が絶望しかけていたこの世界に対する、見方が違っていたの」
「見方?」
「ええ。道理が通らぬ世の中を嘆いていた私に、お姉さまはこう言ったの。『道理など、人それぞれ。誰もが自分の道理を持っている』って。そして、皆が皆それを貫き通せるものではないのだ、ともね」
先程まで青白かったフローラの頬に血の気が昇っていた。
「だから、貴女は貴女の道理を貫きなさい――でも、貫き切れずに投げ出してしまっても、それはそれで貴女の人生。でもとにかく、これだけは守ってほしい。安易に死を選ぶな、絶望するな、とね。フフ、目の前の霧が晴れる思いだったわ」
「人生を……全うしろってことか……」
「そう。理想を求めるためなら命なんか惜しくない、死ぬなんて怖くないって思っていた自分が、とてもちっぽけに感じられたわ。生きること、それが一番大事だと……当たり前のことだけれど、それを私はお姉さまに教えられたのよ」
いかなる危地にあっても、決して諦めない。
汚濁に塗れた世間に追い詰められても、決して絶望しない。
それは、ヒースがこれまで見てきたルカの生き方そのものだった。
「そうか……。うん、大丈夫だよ、フローラさん」
「え?」
「フローラさんに『生きること』を教えてくれた姐さんだぜ。そう簡単に呪いなんかに負けたりはしねえよ」
一瞬キョトンとした顔のフローラが、微笑を浮かべた。
「そうね……そうよね。ありがとう、ヒース」
「さ、それじゃゆっくり眠ってくれよ。フローラさんが休まないと、姐さんも気が休まらないだろうからさ」
フローラが静かに頷くのを見て、ヒースはその場を後にした。
徹宵の警備を続けたゴドーの代わりに、ラフィが守りにつく。
残ったレミーとヒースの二人は、ルカの寝室にいた。
「……ルカ姐さん……」
寝室に入った二人は、凄まじい光景に絶句した。
寝台の白いシーツには、鮮血が点々と飛び散っている。
ルカは、時折激しく咳き込みながら、左手を胸に当てて詠唱を続けていた。
そして右手は、小刻みに震えながらも羽根ペンをしっかりと握り、傍らに置いた紙に刻みつけるような勢いで文字を連ねている。
文字でびっしりと埋められた紙が、ベッドの周辺に散らばっていた。
中には、大きく×印で消されているものもある。
それは、彼女の昨夜からの苦闘を如実に物語っていた。
頬はやつれきっていたが、眼にはかつてないほど鋭い光が宿り、まさに鬼気迫る表情であった。
迂闊には声をかけられないような闘気が、痩身に漲っている。
その姿に、ヒースは昨夜の『死神』ラフィの言葉を想起した。
『戦乙女』はまさに今、己の命を削ってまで戦いに勝利しようとしているのだ。
「……ルカ姐……もういい、もういいよ……」
レミーから苦しげな声が洩れ出した。
その瞳には光るものが浮かんでいる。
ルカは彼をきっと見据えた。
一旦手を止めると別の紙に短い一文を記し、それを二人に突きつける。
「諦観と妥協はいかなる勇者の身をも滅ぼす」
諦めないこと、常に全力を尽くすことこそ、最上の策。
ルカの覚悟は、もはや誰にも止めることなどできない。
『天使』・『西方羅刹』を倒すための秘策。
もちろん、この二人は難敵中の難敵だ。
すでにいくつかの方案は記されていたが、ルカは妥協することがなかった。
本当に、最悪ともいえる状況まで、彼女は想定していたのだ。
それも全て、この戦いに勝つために。
昨日とはうって変わって、空には雲ひとつなかった。
風も静かで穏やかな過ごしやすい一日だった。
しかし、沈みかけた夕陽が空を赤紫に染める頃、最悪の悲劇が訪れた。
「お姉さま!」
フローラの魂切るような悲鳴が響き渡った。
屋敷にいたヒースたちは、即座に寝室に駆けつけた。
元締がはっと息を呑んだ。
アントワンが「バカな……」と悲痛な呻きを洩らす。
ベッドに臥すルカの身体が、激しく震えていた。
常に瞳から放たれていた力強い光は、見る影もないほど弱弱しくなっている。
今にも閉じられようとしている目が、ヒースたちに向けられていた。
その手に握り締めていたのは、乱れた文字で埋め尽くされた紙の束だ。
一同がルカを取り囲む。
懸命に、最後の力を振り絞って差し出された紙を、ヒースが受け取った。
「……これが私の……秘策よ……」
「分かったよ、ルカ姐さん!」
心の奥底から激情の炎が湧き上がる。
ここまでして、彼女は勝とうというのだ。
「……この戦略……この戦術の通りに戦うのよ……。そうすれば、勝てる、あの、化け物どもに……」
ルカの胸が激しく上下していた。
開け放たれたドアの外から、待機している若い衆の堪えきれない嗚咽が耳に届く。
「……ルカ……おぬしは……本当に……馬鹿者じゃ!」
ラフィの瞳が濡れていた。
ルカが微かに笑った。
「……そうね……フフ、ほんと、バカよねえ。でも、どこまでも勝利を追い求める、それこそが私の……戦乙女のセオリーなの……」
ルカの言葉が途絶え、皆が一斉に彼女の名を叫んだ。
焦点を失った瞳。
見開かれた目を、そっと『死神』の手が覆った。
瞼を閉ざされたルカの表情は、先刻までの苦しさからようやく解放されたかのように、穏やかなものに変わっていた。
恐らくはヒースたちに秘策を預けたことで、安らかな心になれたのだろう。
フローラがルカの胸に両手をそっと置いた。
ラフィがその上にさらに手を置く。
ヒースたちも彼女に倣い、次々に手を重ねていった。
五人は互いの結束を確認すると、ルカの指示書に従って直ちに行動を開始した。
リカオールの街に、夜の帳が降りようとしていた。
だが、時は容赦なく刻まれ、半月が中天に達する頃に、奴らは現れた。
門の警備を任されていた若い衆が、息せき切って玄関前まで走ってくる。
「では元締、手筈通りにお願いします」
フローラが落ち着いた声で伝えると、元締が頷き、護衛の若い衆に守られながら屋敷の裏口へと向かった。
続いて幹部衆が、数名の若い衆と共に屋敷の周辺に散る。
「では、私たちも参りましょう」
『墓場鳥』ことフローラは、ルカの指示書で全ての指揮を任せられていた。
時に生真面目すぎるきらいはあるものの、課せられた任務を忠実にこなすという点と、何よりルカとの付き合いが長く、彼女を最もよく知る点で最適と言えた。
熱い義侠の志を胸に抱くこの女侠客を、ルカは本当に妹のように大事にしていた。
そして彼女も、ルカを姉のように慕い続けてきた。
ルカの立てた作戦を実行することに、彼女は己の全てを懸けようとしている。
「よっしゃ、最後の大仕事に取り掛かるとするかねっ!」
『毒蛇』ことレミーが、得物の毒刀を抜き、不敵な笑みを浮かべる。
彼の得意武器である猛毒は、『西欧羅刹』には効かないが『天使』には有効だ。
また、賞金稼ぎという仕事柄、待ち伏せや不意打ちといった戦い方に熟練している。
何より、技術的な面以上に、その明るく捌けた性格をルカは評価していた。
時と場合によっては軽薄と受け取られてしまうこともあるが、本当に苦しい時にはその軽さこそが一行の支えにもなるのだ、と。
「うむ、外道どもに我らの武侠を知らしめてくれよう」
『双棍鬼』ことゴドーが、太く力強い声で皆を勇気づけ、先頭に立つ。
ルカは彼をこの戦いの『柱』と位置づけていた。
剛力に加え、少々の傷では倒れることのない頑健な肉体と、幾多の修羅場を潜り抜けてきた経験。
そして、何者をも恐れぬ勇気と、身体を張って人を守る義侠心。
言葉数こそ少ないが、ただいるだけで周囲の人間の精神的な『柱』となる男の中の男であった。
さすがにそこまで褒めちぎられて、当人はやや照れた表情を浮かべていたが。
「……決着を、つけようぞ……」
『死神』ことラフィが、大鎌を抱えるように持ちながら、ゴドーの背中に従った。
戦闘における技術ではこのメンツの中でも図抜けている、とルカは評していた。
妖かしの民として生を受け、溢れんばかりの才気を有しながら、ひたすら己の武を丹念に磨き続けてきた。
才に酔うことなく、日々地道に積み重ねてきたその武こそ、『本当の武』である。
彼女の戦いに懸ける真摯さは、強敵と命を奪い合う極限の状態でこそ、本領を発揮するのだ。
「いよいよ、だな……」
『猟豹』ことヒースは深く息を吸い、気持ちを落ち着けた。
最も経験の浅い彼を、ルカは「この戦いで最も成長した」と評していた。
若さゆえの真っ直ぐ過ぎる性分、経験不足からくる恐れや迷いもあるが、彼の場合はその素直な心根が良いほうに向いた。
自身の未熟さを知り、時に無力さに悔しい思いを味わいながらも、少しずつ知識や経験を積み、己の糧にしてきた。
持ち前の俊敏な身のこなしと、器用さをどのように活かせばよいのか。
それを今のヒースは、しっかりと理解している。
『白銀の戦乙女』ことルカ。
彼女は魔女としても、剣士としても超一流とは言いがたい。
厳しい修行を積み、研鑽に努めてきたことは間違いなかったが、それでも『天使』や『悪霊』ほどの才気は持ち合わせていなかった。
だが、彼女は紛れもなくこの一行の優れた『指揮者』だった。
寝る間も惜しみ、己の命まで削って、戦いに勝利するための策を練り続けてきた。
理路整然とした思考・言動で一行を動かすだけではなく、胸に宿る熱い義侠の心が仲間たちを燃えさせた。
数に頼れば勝てるというほど、戦いは甘くはない。
精神力の強さだけで勝てるなどというのは、現実を直視しない妄言だ。
一人だけ圧倒的な強さの豪傑がいれば勝てる――それは幻想に過ぎない。
策を練れば勝てる、という考え方もやはり正確とは言えないだろう。
全てを尽くしても、敗れる時はある。
だが、大半の敗者はそのような運・不運ではなく、「全てを出し尽くす」ことを怠ったことによって敗北しているのだ。
ルカはそれを知っていた。
そして、全てを「勝利する」という一点のために捧げ尽した。
彼女は今ここにいないが、その強固な意志と、文字通り命を賭した働きを仲間たちは知っていた。
そして彼らは、戦乙女の残した戦略に己の命を賭けることを誓った。
(十一章 死線の先 に続く)