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転生→ドナドナ

改稿しました。最終更新2/14

 なぜか、サラブレッドに転生してしまった俺は、ありとあらゆることを試してみた。

 歩く、走る。全て四足歩行だ。まだ子供だというのに、人間のときより圧倒的に速く走れる。二足歩行が四つん這いになるのとは、訳が違った。

 飲食。試しに牧草を食してみる。思いのほか悪くない。言うなれば、全国チェーンの変わりばえしない、安定した味といったところか。

 飲み物は主に水。水は全く味は変わらなかった。そもそも水に味があるのか疑わしいが、俺は水に拘るほどグルメではない。ただ、飲みにくかった。

 バケツに入れられた水を舌を使って飲むのだ。生きていくためには、水は不可欠だ。なんとか飲み方は慣れるしかない。

 俺がいる場所はサラブレッドの生産牧場だ。木の柵に囲まれた牧草地には、俺のような幼い当歳馬から、一回り大きな一歳馬がいる。

 今が平成何年の何月なのかはわからない。だが、周りの木々は青々としており、花もちらほら咲いている。恐らく、春なのだろう。

 サラブレッドはだいたい、三月から五月に生まれるため、俺は生まれて間もないのだろう。ただ、母親は傍にいないようだった。

 どうやら、異彩を放つ俺から逃げたようだった。無理もない。元は人間だったのだ。馬にも何か感じるものがあったのだろう。

 成長すれば、親離れの日は必ずやって来る。それが早いか遅いかだけだ。

 人間として生きていたときのように俺は、一人だった。周りの当歳馬も俺を避けて歩く。元々、一匹狼だった俺は特に気にも止めなかった。

 そんな俺の姿を見兼ねた牧場主が俺に世話を焼く。牧場主の名は、蛭子実吉(えびこさねきち)。無精髭を生やし、一年中メッシュキャップを被っている。キャップのツバを後ろにして被っている姿は、どこか古臭かった。

「おうウルフ! 今日もお前は一人か。しょうがない。俺が構ってやろう。おーよしよし、可愛いなぁ」

 蛭子は、俺の頬に自分の頬をスリスリとなすりつてきた。痛い。無精髭が凶器になり得るのではないか、と思えるほど痛い。

 しかも勝手にウルフなんて愛称をつけやがった。最早何も言うまい……。

「ほれ! 人参持ってきてやったぞ! 食え!」

 蛭子は俺に人参を一本差し出した。何故だろう唾が滴る。人間のときには、感じたことのない感じだ。生の人参が旨そうに見える。たまらず、人参にかぶり付く。

 う……うまいっ! なんだこの甘味と、適度な青臭さ。コリコリとした食感が心地良い。こんな美味いものがこの世にあったのかと思うほどだった。ペロリと平らげた俺は、蛭子にもう一本催促をした。

「おうおう、そんなに美味かったか? 悪いがお前だけ贔屓(ひいき)するわけにもいかんのでな。今日はさっきので終わりだ」

 そう言った蛭子は(きびす)を返し、牧草地から離れた家屋に帰って行った。

 この牧場はそこまで、大きな牧場ではないようだった。一般人からすれば、十分広い敷地も、競馬関係者からすれば普通のようだった。

 俺は、この牧場では期待されていないようだ。蛭子以外の牧場スタッフの俺の扱いはぞんざいだった。

 以前、厩務員――馬の身の回りの世話をする人――が持ち歩いていた資料を見たところ、俺の父親は、クレイジーイーグルという馬で、母親はジャクリーヌワイルドという馬だということがわかった。

 父のクレイジーイーグルは、日本のダート路線で活躍した馬だ。日本においてダート、いわゆる砂の路線は、芝の路線に比べ、大きなレースが少ない。

 俺が転生するきっかけになった有馬記念も芝のGⅠだし、3歳馬の頂点を決める日本ダービーも芝のGⅠである。

 日本の馬主は、ダートよりも芝で、活躍してくれることを願っているのがほとんどである。

 俺は父親のこの馬を知っていた。地方の交流GⅠ――地方の馬、中央の馬が参加することができるレース――を総ナメにし、中央競馬でもジャパンカップダート(GⅠ) を勝っていた。

 芝では、走らなかったが、ダートでは無類の強さを発揮した馬であった。気性が荒かったのも印象的だった。

 母は、日本の中央競馬で二勝を挙げた馬だった。特に目立った成績はなく、血統も特に目を見張るものはなかった。事実、俺はこの馬を知らない。

 地味な血統だ。競馬の血統について、それなりにわかっている自分なりの結論だ。

 ましてや、父親がダートで活躍した馬だ。芝での活躍など、全く期待できそうにない。周囲も同じように思っているだろう。

 競馬は(ブラッド)のスポーツだと言われている。なぜなら、強いサラブレッドからまた強いサラブレッドが産まれるからである。

 サラブレッドにとって、産まれたときに、能力の半分は決まっていると考えても大袈裟ではないのだ。

 果たして俺は無事に競走馬としてデビューできる日が来るのだろうか……。


 俺はなんとか一歳の誕生日を迎えていた。馬房にささやかな祝福のメッセージと山積みの人参が置かれていた。蛭子のはからいだ。彼は俺にだけ妙に優しい。

「随分立派になったな。一年前は線が細かったのにな」

 蛭子は俺の鼻を撫でながら、笑顔で言った。

「ウルフ、お前は一人じゃないぞ。俺はお前を応援しているファンの一人だ。無事に立派な競走馬になるんだぞ!」

 蛭子は、手に持った缶ビールを、俺のバケツにコツンと合わせて、乾杯した。

 こんなに優しくされたのは初めてだった。涙が出そうになる。俺は蛭子のためにも、立派な競走馬になることを決意した。

 一歳になり、大分この馬の体にも慣れてきた。水を器用に飲むこともできるようになった。一回り大きくなったせいか、ストライドが大きくなり、走りにも磨きがかかっている。

 そんなある日、俺は馬運車に乗せられ、どこかに連れて行かれた。突然、連行されるのだ。恐怖すら覚える。俺は駄々をこねて暴れ、激しく抵抗した。

 ドナドナの歌詞の牛たちも同じような心境だったのだろうか。だが、結局抵抗も虚しく馬運車に乗ることとなった。

 馬運車は酷く揺れた。馬運車のサスペンションは、揺れを軽減する作りになっていると聞いたことがある。だか、揺れるのだ。サスペンションが固くなっているのだろうと勝手に納得して、馬運車に揺られる。

 馬運車の中には、俺の他に当歳馬、一歳馬、二歳馬が何頭かいるようだった。勘違いしないで欲しいのだが、馬に転生したからと言っても、馬の言葉はわからなかった。馬同志の会話など皆無。車内は酷く退屈だった。

 だが、幸いなことに、厩務員スペースからラジオが聴こえてくる。一番壁際にいた俺は壁に耳を当て、ラジオを聴く。なんとか退屈しないで済みそうだ。

 俺はラジオから流れる音楽を聴きながら、終始リラックスしていた。心地良い揺れも相待って、眠気が襲ってきた。


 いつの間にか寝ていた俺は、車の停車する音で目が覚めた。どれだけ走っていたのだろうか?

 周りの馬達は、顔が疲れているものがほとんどだった。馬齢が若い馬は、輸送に慣れていないため、体調を崩してしまうこともある。

 俺は寝ていたせいか、幾分気分は良かった。早く外に出て、凝り固まった体を(ほぐ)したかった。

 馬運車の扉が開いた。外は生憎の曇り空。何故か、気分も沈む。

「よーし。ウルフ降りるぞー」

 厩務員が、俺を引いていく。ここはどこだ? 俺は辺りをキョロキョロ見渡した。

 そこには、俺がいた牧場が何個も入るような広い敷地が拡がっていた。

 門にはノースギガファームという看板が掲げられていた。なるほど。ここはセリ市か。ここでは、俺のようなデビュー前の競走馬に値段をつけ、馬の売買が行われている。

「よし、じゃあ登録に行くぞー」

 馬運車から降りた蛭子は、いつもより小綺麗な格好をしていた。髭も綺麗に整えていた。使い古されたキャップも今日は被っていない。孫にも衣装だな……。

 登録を済ませた俺には、番号が書かれたゼッケンが鞍の位置に付けられた。番号は『258』と書かれている。

「ウルフの取引値はどうするんですか?」

 付き添いの厩務員が蛭子に質問をしていた。

「悩んだが……。取りあえず二百でいくつもりだ」蛭子は、苦い顔をしている。

「妥当ですかね……。 他の当歳馬と一歳馬はそこそこの値段が付きそうですからね。ウルフは、取り敢えず買い手がつけば大成功ですかね……」

 厩務員は淋しそうな顔を浮かべている。

「うちも決して経営が楽じゃないからな。主取(ぬしとり)だけは避けたいところだな……」

 蛭子も淋しそうな顔を浮かべる。主取というのは、生産者自信がセリに出した馬を買い取ることだ。ようするに、誰も買い手がつかない場合に起こるのだ。

 待て。待て。まだ、セリ市が始まってすらいないのに、何だこのお通夜みたいな雰囲気は。縁起でもない……。

 セレクトセール――さらに厳選されたセリ市。良い血統の馬が集まりやすい――には、億がつく馬が出されることもあるのに、俺の値段は二百万かよ……。

 いや、悲観するな。芦毛の怪物と言われた、あの笠松のアイドルホースですら、三百万の値だったらしい。高ければ走るというわけでもない。後は、天命を待つしかないのだ。

 セリは順調に進んでいった。次々と仔馬たちが売られていく。ついに俺の出番だ。セリの関係者に手綱を引かれ、セリの場に移動する。

 騒ついているせいか、買い手が遠いせいか、どのようにセリが進んでいるのか全くわからなかった。しかし、前の馬よりも随分静かな気がする。嫌な予感しかしない。

 暫くして、セリの場から退場する。閲覧席に蛭子の姿を見つけた。ガックリと肩を下ろし、俯いていた。

 そうか、俺は売れなかったのか……。

【後書き解説】

主取(ぬしとり)――セリで買い手がつかなかった馬を、販売者自らが買い取ること。競走馬のセリ市では、必ず誰かが買い取らなければならない仕組みになっている。そのため、セリに最初に掲示される値段で、買い手がつかなかった場合は、生産者本人がその値段で買わなければならない。生産者も馬を少しでも高く売るために、必死なのである。

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