事故→転生
競馬のライトノベルがあったらいいなと思って書いてみました。
出来るだけ競馬のわからない方にも、わかりやすいように書いていくつもりです。
また、登場する馬名はフィクションですが、モデルの馬はいます。
俺はまだ僅かに雪が残る、並木道を駆けていた。年が明け、年末の曇天が嘘のような冬晴れだった。まるで、新年の門出を祝うかのように、並木道は装いを新たにしている。
年が明けて、二日しか経っていないからなのか、寒空の下外出するのを控えているからなのか、並木道は閑散としていた。
厚着をした老人が犬を散歩させているだけだった。
呼吸が苦しい。口を大きく開け、今にも涎が垂れてきそうだった。
無理もない、全力で走っているのだ。
遡ること、一時間前……。俺はフルフェイスのヘルメットを被り、コンビニエンスストアの自動扉の前に立っていた。
右手には果物ナイフを握り、ズボンのポケットに忍ばせていた。
左手に着けた腕時計を見ると、まだ十一時前だった。店内の客足は疎らだ。覚悟を決め、店内へ。
「おい! 金を出せ!」精一杯の大声で言う。ズボンの右ポケットから忍ばせていた果物ナイフを出し、凄みを効かせる。
最早、強盗の常套句と言ってもいいであろう、言葉である。強盗のマニュアルがあるのなら、必ず一ページ目にこの言葉があるに違いない。
「は、はい! い、今用意しますので」
店員は慌てて、レジの引き出しを開いた。
「早くしろ! そっちのレジも全部だ!」
店員は反対側のレジの引き出しも開き、幾つかのお札を抜き出す。
俺は、抜き出すと同時に札を奪い取り、ジャケットのポケットに無造作にしまった。
後は、現場から速やかに逃走するだけだ。長居は無用。逃げるのだ、韋駄天の如く!
俺は浮かれていた。ついさっきまで、財布の中の所持金は、十七円しかなかったのだ。
先日、競馬の暮れの祭典、『有馬記念』で大勝負に出たせいだった。財布の様子を見れば結果は言うまでもない……。
年を越せただけでも、まだマシだ。大晦日に、飛び降り自殺のニュースが取り上げられていた。自殺した青年は、有馬記念で全財産を使い切り、命を絶ったらしい。
まだ、俺は生きることを諦めていない。いや、そうではない。犯罪に走ったのは、半ばヤケクソだったのかもしれない……。
だが、一瞬にして福沢諭吉が六人、樋口一葉が三人、野口英世が七人も手に入ったのだ。浮かれたくもなる。自然と頬が緩む。
いかんいかん。日本の警察は優秀だ。帰るまでが遠そ……いやいや逃げ切るまでが、完全犯罪だ!
逃走経路は抜かりない。目の前の交差点を左に折れ、すぐに細い路地に入る。この辺りの地理なら、頭に大方入っている。
浮かれていたせいか、背後への警戒が薄れていた。先ほどのコンビニの店員が追ってきている。
短髪でいかにも正義感の強そうな若者だ。大学生だろうか? 普段から、愛想よく接客しているのを見かけたことがあった。
俺とは真逆だ。昔から目つきが悪く、気性が荒いせいか、周囲から煙たがられ、何かといざこざが耐えない性分だった。
コンビニ店員は、なにやらプラスチックのボールを投げつけてきた。俺の背中に当たったボールは勢いよく弾け、蛍光ピンクの塗料が背中にべっとりと付いた。
「うわ! なんだこりゃ!」
投げつけられたのは、防犯用のペイントボールだった。コンビニ店員は、力尽きたのか、地面に崩れ落ちる。
逃げ足には、自信があった。これでも高校のころは、陸上部の短距離選手だった。
しかし、いらぬ足枷ができてしまった。周りにいた人達も、今のやり取りで、俺が強盗犯だと気づいたようである。
遠くに甲高いサイレンの音が、聴こえてきた。ドップラー効果に基づいて、だんだん音が大きくなっていく。
一台のパトカーがみるみる自分との距離を縮めていく。プラン通りに、細い路地に入る。路地の前でパトカーを停めた警官達が、後を追いかけてくる。
まだいける。路地を抜けた先の広い道路に出てから、反対側の並木道を抜ければ、大きな交差点だ。人混みに紛れることができる。大丈夫だ。
そして、今に至る。全力で駆けてきて、疲れてきたようだ。脚がもつれそうになる。なんとか踏ん張って走る。並木道の幅広い道を大きなストライドで駆ける。交差点が見えてきた。
交差点に出ようとした次の瞬間――。
俺は宙を舞っていた。鈍い音が響く。スローモーションのように、辺りの情景が目に入ってくる。トラックが俺を轢いたのだ。
「うわ。なんだこれ。俺、今轢かれたのか?」
俺は妙に落ち着いていた。アドレナリンが分泌されているからなのか、痛みもない。
割れたフロントガラスの細かい破片が、雨のように俺の周囲に降り注ぐ。気づけばガラスで、手も切れていた。トラックのフロントは、衝撃でひしゃげていた。
皮肉なことに、いつもネット通販の荷物を届けてくれる宅急便業者のトラックだった。『私たちドライバーは安全第一の運転を心掛けています』というCMで、イメージアップを図っている企業だ。
「なにが安全第一だ」と呟いた俺は、目の前が真っ暗になった。
一面真っ暗闇。これが死の世界……? 死の世界など、本当にあるのだろうか。だが、俺の意識はまだここにある。暗闇という恐怖を感じている。
突然、耳鳴りが起こる。不快な音だ。俺の目の前に眩い白い光が現れた。その白い光は一層輝きを増し、周囲の暗闇を取り払っていく――。
眩しさに耐え切れず、いつの間にか俺は、目を瞑っていた。暫くして、光がいくらか収まったのか、目蓋の感じる光が弱まる。
不思議なことに、身体が風を感じている。草の擦れる音まで聴こえてきた。不思議に思った俺は、ゆっくりと目を開いた。
目の前には、だだっ広い牧草地が拡がっていた。地に足がついている。俺の体は重力を感じている。
「生きて……いる……のか?」
さっきまでの暗闇が嘘のように、太陽の日射しが眩しい。日射しの暖かさを感じることもできた。
ただ、何か身体の様子がおかしい。違和感を感じていた。いつもより、目線が低い。俺の身長は、170センチなのだから、明らかに目線が低く感じた。
手を動かしてみる。おかしい……。手を動かすとなぜか、地面の牧草の感覚が伝わってくる。
脚はどうだ? うむ。ちゃんと地に足がついている。だが、こんなに俺の脚は細かっただろうか? 何かお尻がむず痒いし。こんなに鼻息も荒かっただろうか……。風邪気味だったせいか?
すると、遠くから人の声が聴こえてくる。
「見て! あれがクレイジーイーグルの仔みたいよ!」
「へぇー立派なもんじゃない」
二人の男女が会話をしながら、此方に向かってくる。男女の後方から、キャップを被ったツナギの男が彼らに声を掛けた。
「待ってくださーい! 当歳馬は臆病な仔も多いので、気をつけてください」
何やら男女に注意をしているようである。
「気をつけまーす!」女が柵沿いを走って近づいてくる。
「うわぁ。可愛い顔してるなぁ」
可愛い? 可愛いわけないだろ。俺に可愛い要素なんて一ミリもないぞ。
「ただ、ちょっと目つきが悪い気が」女の連れの男が言う。
「ええ。父も母も綺麗な目をしていたのですが、この馬には似なかったようで……」
ツナギの男は、女に説明した。
ああ、そうだよ! 俺は生まれつき目つきが悪いんだよ! 俺は鼻息を荒くして、抗議した。
「お、こいつ一丁前に怒ってるぞ」男が俺をからかう。怒って何が悪いか。
「そうだ! せっかくなんだし、記念に写真を撮りましょ! お願いします」
そう言うと、女はツナギの男にカメラを渡し、俺を間にして連れの男と並ぶ。
「これ、フラッシュは切っていますよね?」
「はい。大丈夫ですよ」
「わかりました。それじゃあ、こっち見てー。はい、チーズ!」
ツナギの男は、デジタルカメラを俺に向け、シャッターを切った。女はカメラを受け取った。
「綺麗に撮れてますね! ありがとうございます!」
俺は見世物か? なんなんだこいつらは。俺をどっかの人気者みたいに扱いやがって……。
「まだ、怒ってるのかなこいつ。ほら、見てみろよ。綺麗に撮れてるだろ?」
連れの男は、俺にデジタルカメラを差し出し、先ほど撮った写真を見せてきた。
なんだこれは……。そこに写っていたのは、男女に挟まれた一頭の馬だった。
なんじゃこりゃー!! 俺はなぜか馬になっていた。まだ小さな仔馬だったが、四本脚で地に足が着いていた。
紛れもない馬の姿で、サラブレッドの当歳馬のようだ。毛色は芦毛。まだ若いせいか、白というより灰色に近い、その毛色はどこか地味だった。
だが、かつて笠松のアイドルホースだった馬も芦毛だ。芦毛の好きなファンも多いのだ。
さて、どうしたものか。腹が減った……。何を食えばいい? 何を飲めばいい? 俺はこれからどうすればいいんだ!?
俺が転生したのはサラブレッド。こんなことがあっていいのだろうか……。
【後書き解説】
当歳馬――産まれたばかりの0歳馬のこと。馬の年齢は、馬齢と言います。馬齢は0歳から数えます。実際に競馬場にデビューするのは、2歳からになります。