確かに愛していたのだよ
魔女リャナン・シーに愛された男は絶大な芸術の才能を我が物と出来るが、代わりにおしなべて早世するという。
そして死後も魂を囚われ、未来永劫にリャナン・シーのために芸術を捧げ続けるのだと――。
ミア・ブレンスは出世欲が強い女だった。
平民の出身だったけれども、若くて綺麗で頭の回転が速いのを活かして、ついに、さる若伯爵の愛人になった。
後は正妻を追い出してしまえば、彼女は伯爵夫人となれる!
ミアは囲われているアパートで、伯爵の邸宅に行きたい、どうか奥方様にご挨拶したいの、と上手に甘えた。
彼女が甘えれば何だって買ってくれるし、贅沢なデートだってしてくれるのに、けれど若伯爵は頑ななまでに妻に彼女を会わせようとしなかった。
「彼女と……リーナと君を会わせることは出来ない」
どうしてだろう、とミアは不自然に思った。
これだけ派手に付き合っているのだ、余程のバカでなければ妻だって夫に愛人がいることに気付いているだろう。
そしてミアは伯爵夫人になりたいという野心を、欠片も、微塵もまだ見せていない。
浮気するような愚かな男がこの野心に勘づくはずが無いのに、どうしたのだろうか。
「私は奥様とも上手にやりたいのですけれど……」
「……良いんだ。そんなことはしなくて良い。君といるだけで僕にとっては何よりの救いなのだから……ああ、これが『真実の愛』なのか……」
一瞬だけ若伯爵は怯えたような顔をしたが、すぐに優しい顔をしてミアにキスをするのだった。
若伯爵は天才音楽家であった。
自らもバイオリンを奏でる傍ら、バイオリンのための美しく華麗な曲を幾つも生み出していた。
作曲の閃きは突然襲ってくるらしく、ミアを囲っているアパートでも若伯爵はいきなり五線譜に万年筆を走らせることがあった。
ミアは音楽なんて分からなかったが、最上の金づるの機嫌を自ら害するような愚行はしないあざとい女であるから、微笑みを浮かべて若伯爵の背中を見ていたし、うっかり若伯爵がインクを机にこぼした時は手が汚れるのも厭わずに布で拭くのだった。
「なあ、ミア。一つだけ頼みがあるんだ」
ある日、若伯爵が真剣な顔をして話を切り出した時、ミアは彼の誕生日を祝うために街で食材と美味しいワインを買ってきたばかりであった。
「どうしましたの、旦那様?」
「これを受け取って欲しいんだ」
そう言って若伯爵が差し出したのは、楽器ケースに大事に収められたバイオリンであった。
流石のミアも目を見開いた。
このバイオリンは若伯爵がわざわざ外国から買い付けた名器で、売れば百年は遊んで暮らせるほどの価値があったからだ。
「駄目ですわ旦那様!私は――」
若伯爵はそれでもとミアの腕に楽器ケースを抱かせると、己は机の前の椅子に腰掛けて、机に飛び散ったインクの跡を名残惜しげに指先で撫でた。
それからミアの方を向いて、言った。
「もうすぐ僕は死ぬだろう」
さしものミアだって愕然とした。
「だ、旦那様……?」
寂しそうに微笑むと、若伯爵はミアを見つめる。
「リーナに言われたよ。『期限が迫っている』と。僕は良いんだ、何も後悔は無い。ミア、君を愛して自由に生き、音楽とバイオリンに全て魂を捧げた」
……何を言っているのだ?
「けれどね、やはり期限が近付くと残される者の心配をしてしまうようだ。幸い僕に父母はいない、跡取りの養子も優秀だ。僕にとってはミア、君だけが――君だけが心残りなんだ」
ミアは用心深く、けれど戸惑っているフリを続ける。
「ねえ、旦那様、何の期限なのですか……?まるで旦那様が……もうすぐ……」
そう、まるで間もなく死ぬ者が遺す、『遺言』のような言葉では無いか。
「ミア」
彼は愛おしそうにミアの額に手をやると、彼女の巻き毛を撫でながら言った。
「君は僕を愛していなかっただろうけれど、僕は君を確かに愛していたんだよ」
その翌日、若伯爵は邸宅で死んでいるところを執事に発見された。
葬式にミアは行かなかった。
愛人が葬儀に顔を出したなんて、妻にとっては宣戦布告も良い所だからだ。
けれども葬儀の後で、真っ先に教会の墓地に足を運んだ。
真新しい墓石の前で彼女はしばらく動けないでいた。
アルト・ベルサー、享年二十四。
彼女と二才しか違わなかった。
「貴女がミアさんかしら?」
思わず振り返ったミアの視線の先には、真っ黒な喪服を着た淑女が立っていた。
「ミアさんね」
「リーナ様ですね」
ふふ、と淑女は微笑むと、視線を墓石に移した。
「愚かな男だったでしょう?音楽の才能と引き換えに、その魂を私に捧げたのだから……」
「……どう言うこと?」
淑女は妖艶に目を細めた。
「私は魔女リャナン・シーの一族。男に燦めくがごとき芸術の才能を与える代わりに、その魂を我が物と出来るの。与えた芸術の才能が偉大であればあるほど、若くして亡くなるのよ」
「旦那様も?」
「ええ、何もかもを承知の上で、私と契約したわ。でなければ愛人遊びなんて許されはしないもの」
リーナは愛おしげに墓石を見つめると、呟いた。
「『真実の愛』なんて要らないわ。だって私は貴方の魂を、永遠を手に入れたのだもの」
どう、と風が吹いた。
思わずミアが帽子を押さえた瞬間に、もうリーナの姿は消え失せていた。
「……」
ミアは沈黙するだけの墓石を見た。
今更なのに、涙がこぼれた。
「ねえ、本当に私のことを愛していたの……?」
こう言うファンタジーが入っている話、大好きです。




