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「記録魔の悪役令嬢は気味が悪い」と断罪された私ですが、その帳面ごと隣国の皇太弟殿下に拾われました

掲載日:2026/03/20

「記録魔の悪役令嬢は気味が悪い!」


 その声が広間へ響いた瞬間、私はむしろ少しだけ安心した。


 ああ、やっぱりそこを罪状にするのね、と。


 春の夜会の中央で、第一王子の取り巻きたちが左右に分かれて立っている。

 泣きそうな顔をしているのは、最近やたらと彼らに庇われているリリアーナ嬢。

 そして真正面で私を指さしているのは、王太子補佐を務める侯爵子息ガスパールだ。


「君は何でも帳面に書きつけ、人の言動を探り、落ち度を探している」


「事実確認です」


「それを気味が悪いと言っている!」


 会場はざわめき、視線が一斉に集まる。

 私は扇を閉じ、片腕に抱えていた帳面をそっと持ち直した。


 焦げ茶の革表紙。角は擦れ、頁には細かな付箋が差してある。

 学院の催事記録、寄付金の照合、温室の苗の出入り、夜会の席次変更、馬車の入出刻限。

 私は昔から、気になったことを何でも書き残す癖があった。

 理由は単純だ。人の記憶は都合よく歪むが、記録は少なくとも歪んだ痕跡を残すから。


「リリアーナ様が困っているのに、君はそれを利用していたではないか」


「利用、とは」


「彼女が失敗するたび、嬉しそうに帳面へ書いていた」


 嬉しそうに、とは心外だった。

 実際には、寄付帳簿の数字が噛み合わないことや、温室の鍵が誰の手を渡ったかを確認していただけである。

 だがこういう場で説明は意味を持たない。

 必要なのは分かりやすい役柄で、私は今ちょうど「陰気で執念深い悪役令嬢」の席に座らされているのだ。


「返答はないのか」


 ガスパールが声を強める。


「ありますわ」


 私はゆっくり言った。


「帳面に書いていたのは、誰がどの時間に何を動かしたかです。気味が悪いかどうかはともかく、後で困るよりはましでしょう」


「ほら見ろ、やはり反省していない」


 場が一気に彼らの方へ傾く気配がした。

 王子の取り巻きの一人が、わざとらしく息をつく。


「貴族令嬢が、人の綻びばかり記録するとは」


「だから悪役令嬢なのですよ」


 誰かがそう囁き、リリアーナ嬢がまた目元を押さえた。


 私はその様子を眺めながら、胸の奥で静かに線を引く。

 ここまで来たらもういい。

 この国では、帳面は罪状なのだ。

 ならば、その罪状ごと持って出ればいい。


 私は一礼だけした。


「では、そのように」


「待て」


 ガスパールが苛立った声を出す。


「帳面を置いていけ」


 その瞬間だけ、私は本気で笑いそうになった。


 これだからだ。彼らは帳面の中身を侮辱しながら、同時にそれを手放したくない。


「お断りします」


「証拠隠滅のつもりか」


「私物ですもの」


 私は帳面を胸元へ抱き寄せた。


「それに、気味が悪いのでしょう? ならば近くにない方が安心ではなくて」


 そのまま踵を返す。

 背後で何か言われた気もしたが、もう振り返らなかった。


 私の席は、この国にはない。

 ならば早いうちに出るべきだ。


     ◇


 翌朝までに、私は必要な物をすべて整えた。


 祖国に未練はないと言えば嘘になる。

 けれど残ったところで、帳面を手放し、曖昧な優しさに従って沈黙する以外の未来は見えなかった。


 荷は少ない。

 衣類、証書、最低限の装飾品、そして数冊の帳面。


 帳面は用途ごとに分かれている。

 学院記録帳。

 夜会出納帳。

 寄付金照合帳。

 人の悪意を記録するためではない。ただ、誰かが後から「そんなはずはない」と言い出した時に、盤面の歪みを辿れるようにするためだ。


 私は昔から、そういうふうに世界を見ていた。

 誰かの顔色ではなく、刻限と数字と順序で。

 それを父は「細かすぎる」と言い、母は「もっと大らかに」と笑い、元婚約者は「だから女らしくない」と評した。

 けれど、そのどれも私を守ってはくれなかった。


 だから今度は、自分の見方を捨てずに済む場所へ行く。


 行き先はアルフェリア。

 祖国の東にある隣国で、規律と軍政に優れ、冷酷な皇帝一族が治める国として知られている。

 愛想のなさなら、帳面嫌いの祖国よりよほど相性がいいかもしれない。


 国境を越えたのは二日後の昼だった。

 検問所で書類を見せると、兵士が帳面の束を見て少し眉を上げる。


「随分と紙を持ち込まれるのですね」


「これがないと困りますので」


 私はそう答えたが、兵士は笑わなかった。

 むしろ当然のように通行票へ印を押し、別室への案内札を差し出す。


「王都に着いたらこちらへ。財務監査局の窓口です」


「監査局?」


「紹介状にそのように」


 紹介状を書いてくれた商会主も、まさかそんな場所へ繋ぐとは言っていなかった。

 けれど、隣国ならあり得るのかもしれない。数字と書類を侮らない役所が。


 王都へ着いた翌朝、私は指定された窓口を訪ねた。

 応接室へ通され、温かい茶まで出される。

 祖国なら「後日改めて」と待たされるところだ。


「クラウディア・ヴァレンティナ嬢」


 呼ばれて顔を上げる。

 入ってきたのは、監査局の首席補佐官と名乗る中年の男だった。


「持参いただいた帳面、拝見しました」


 机の上には、私の学院記録帳が開かれている。


 勝手に読まれたことへ腹は立たなかった。

 読んだ上でなお、ここへ呼んだのなら、その時点で祖国とは違う。


「温室の鍵の移動記録、寄付金の差し戻し、夜会の席次変更……」


 補佐官は頁をめくる。


「かなり細かい」


「必要でしたので」


「祖国では評価されましたか」


「いえ。気味が悪いそうです」


 率直に言うと、補佐官は一瞬だけ黙った。


「ならば、こちらは幸運ですね」


「……幸運?」


「そこまで痕跡を拾える人間が、自分から帳面ごと来たのですから」


 その言い方だけで、少し息が楽になる。

 やはりこの国では、帳面は最初から罪状ではないらしい。


「ひとつ、試していただきたい案件があります」


 補佐官は別の束を差し出した。

 軍需品の受払記録だった。

 表面上は整っている。だが頁を三枚めくっただけで、私は違和感に気づいた。


「封印番号が飛んでいます」


「早いですね」


「いえ、目立ちます」


 祖国でも何度か見た。帳簿そのものではなく、帳簿を繋ぐ中継記録で不自然な抜けが出る時、それは大抵、誰かが“きれいに整えたつもり”の後だ。


「封印番号九一二と九一四の間に九一三がありません」


「書き漏れでは」


「いいえ。次頁の追記欄にだけ残っています。誰かが本記録から外した」


 私はそのまま搬送刻限表、倉庫入出記録、運搬人名簿を並べた。


「本来は北倉庫へ入るはずの布が、南倉庫経由になっています」


「つまり?」


「横流し未遂か、少なくとも差し替えです」


 補佐官の目が鋭くなった。


「根拠は」


「ここです」


 私は帳面の端を指で押さえる。


「同じ封印番号に対応する搬送人が、二時間後に別の積荷にも署名しています。距離的に間に合いません」


「偽署名か」


「あるいは写し書きです」


 補佐官はしばらく無言で記録を見つめ、それから鐘を鳴らした。


「すぐに南倉庫へ人を」


 わずか半刻後、戻ってきた使いが報告する。

 結果は私の見立てどおりだった。


 軍需用の防寒布が、別の商人荷へ混ぜられかけていたのである。


「……驚きました」


 補佐官は率直に言った。


「祖国でも、こんなふうに帳面を?」


「ええ。笑われながら」


「惜しいことをする国だ」


 私はその言葉に返事をしなかった。

 惜しいと言われても、あの国は惜しいと思わなかったからこそ私を手放したのだ。


     ◇


 その日の夕刻、私は宮殿へ呼ばれた。


 通されたのは、豪奢ではあるが無駄のない書斎だった。

 棚は高く、窓は狭く、机の上は驚くほど整っている。

 その中央に立っていた男が、こちらへ視線を向けた。


 アレクセイ皇太弟殿下。

 現皇帝の弟にして、監査局と軍政の実務を束ねる人物。

 冷淡で容赦なく、数字の合わない者を嫌うと噂されている。


「クラウディア・ヴァレンティナ」


 低く、よく通る声だった。


「はい」


「帳面を見せろ」


 第一声がそれで、私は思わず瞬いた。

 祖国では「気味が悪いから置いていけ」と言われた物を、この人は最初に「見せろ」と言う。


 私は抱えていた帳面を差し出した。

 皇太弟殿下は椅子にも座らず、立ったまま頁をめくる。


「学院催事、寄付金、夜会出納、温室管理……」


「雑多ですが」


「雑多ではない。歪みの出る場所を追っている」


 私は息を呑んだ。

 その一言で十分だった。

 この人は中身を読める。

 しかも、何のために書いたかまで拾っている。


「記録癖だと笑われました」


「笑う者は、いずれ記録に殺される」


 さらりと言われて、私は少しだけ口元を緩めた。

 恐ろしい物言いだが、妙にしっくり来る。


「南倉庫の差し替えも、この帳面の見方で気づいたか」


「はい。数字より、繋ぎの痕跡が不自然でした」


「良い」


 たった二文字だった。

 けれどその短い評価に、余計な侮りが一つも混ざっていない。


「祖国へ戻る気は」


「ありません」


「即答だな」


「不要だと証明された場所ですもの」


 皇太弟殿下はしばらく私を見た。

 その視線は冷たいというより、読み取るためのものだった。

 人の表情や愛想ではなく、返答のぶれなさを見ているような。


「ならばこちらで働け」


「……随分と早いお話ですね」


「遅い方が無駄だ」


 もっともだ。

 私も長々と期待だけ引き延ばされるのは好まない。


「監査局付きの記録精査補佐を置く。仮職ではなく継続の席だ」


 継続の席。

 その言葉が、胸の中でゆっくり形を持つ。


 祖国での私は、いつも誰かの横にある余白だった。

 名前の出ない整理役。便利な補助線。問題が解ければ忘れられる手。

 けれどこの人は、最初から席だと言う。


「条件があります」


 気づけば、私はそう言っていた。


「聞こう」


「帳面は手放しません」


「当然だ」


「整理だけではなく、必要なら改善提案も出します」


「そのために置く」


「それから、もし祖国から呼び戻しが来ても」


「断る」


 言い切られて、私は一瞬だけ言葉を失った。


「私の返事を聞く前に?」


「戻したくないから聞いている」


 あまりにも率直で、笑いそうになる。

 甘い口説き文句とはほど遠い。けれどそのぶん、期待だけで終わる気配もない。


「……承知いたしました」


「受けるか」


「はい」


 答えると、皇太弟殿下はほんのわずかに頷いた。

 表情は大きく変わらない。だがその一瞬だけ、空気が和らいだ気がした。


「よろしい」


 それだけで、話は終わりかと思った。

 けれど彼は帳面を閉じ、私へ戻しながら付け加える。


「それと」


「はい」


「その帳面は、今後こちらでも持ち歩け」


「ええ」


「誰にも置いていけと言わせない」


 胸の奥が、不意に熱くなった。

 たかが帳面だ、と笑う人は多かった。

 だがこの人は、その帳面ごと守ると、まるで当然のことのように言う。


 丁重に扱われる、というのはこういうことなのだろう。

 飾られたり甘やかされたりすることではない。自分の武器を、そのまま武器として扱われることだ。


     ◇


 新しい執務室は、宮殿東棟の監査局隣室に用意された。


 机は広く、記録箱には鍵が二つつき、補助筆記官までついている。

 最初の一週間で、私は三つの案件を処理した。

 南倉庫の差し替え、港湾税の二重計上、そして軍馬の飼料台帳の抜け。


 どの案件でも共通していたのは、数字より先に“説明されない違和感”があることだった。

 日付の飛び。

 確認印の欠落。

 同じ筆跡の不自然な模写。

 帳面は何でも記録する。だからこそ、記録されなかった部分も逆に見えてくる。


 祖国では、その見方を気味が悪いと呼んだ。

 けれどアルフェリアでは違った。


「その視点は有用です」


 補佐官は率直に言った。


「他の者にも共有できますか」


「完全には無理でしょう」


「なぜ」


「嫌がられながら何年も続けないと、癖になりませんから」


 自分で言って、少しだけ可笑しくなった。

 補佐官も一瞬だけ息を漏らしたが、すぐ真顔へ戻る。


 そんな日々を送るうち、祖国からの書状が届いた。


 父から。

 ついでに、あの夜会で私を断罪したガスパールからも。


『誤解があった』

『戻って説明してほしい』

『王宮会計に乱れがあり、君の知見が必要だ』


 必要。

 その言葉だけ見れば、今の私が欲しかったものに近い。

 けれど違う。

 向こうが欲しがっているのは私ではなく、便利な帳面の持ち主だ。

 不要だと切り捨てた後で、困った時だけ呼び戻すための。


 私は返事を書かなかった。


 その代わり、その書状を閉じて机へ置いた時、扉の向こうから声がした。


「浮かない顔だな」


 皇太弟殿下だった。


「祖国からです」


「戻れと?」


「ええ。今になって、必要だそうです」


 彼は机の上の封書を一瞥する。


「遅い」


 短く、それだけ言った。


 あまりにも簡潔で、私は少しだけ笑ってしまう。


「本当に」


「返答は」


「するつもりはありません」


「ならば処理する」


「処理」


「監査局経由で正式に辞退通知を出す。私的な未練を残さない形で」


 そこまで先回りされて、私は一瞬だけ黙った。

 この人はいつもそうだ。優しい言葉を並べる代わりに、実際に必要な線引きを先に引く。


「ありがとうございます」


「礼は不要だ」


「では、何と?」


 皇太弟殿下はごく僅かに目を細めた。


「こちらで必要な人材だからと伝える」


 その一言で十分だった。

 祖国では罪状だった帳面が、ここでは役目になる。

 気味が悪いと笑われた記録癖が、ここでは最重要資質として扱われる。


 私が欲しかったのは、たぶん最初からそれだけだった。

 見たくないものまで見てしまう自分の癖を、捨てろと言わない場所。

 その癖ごと、必要だと言う人。


「クラウディア」


 不意に、皇太弟殿下が私の名を呼んだ。


「はい」


「その帳面は、今後も増えるのだろう」


「きっと」


「ならば、保管箱をもう一つ用意させる」


 私は吹き出しそうになった。


「それは……口説き文句としてはどうかと思います」


 初めて、皇太弟殿下ははっきりと眉を上げた。


「口説いているつもりはない」


「そうでしょうね」


「必要だから言っている」


 やはりそこへ戻るのか、と私は思う。

 けれどその一貫性が、可笑しくて、嬉しくて、どうしようもない。


「でしたら、ありがたく」


 答えると、彼はほんのわずかに口元を緩めた。


 噂の冷酷さが消えたわけではない。

 ただ、必要なものを必要な形で扱う時だけ、この人は恐ろしく丁寧なのだ。


 祖国で罪状だった帳面は、今や私の席そのものになった。

 頁をめくるたび、そこには私が見てきた歪みと、これから正していける余地が並んでいる。


 もう誰にも、気味が悪いから置いていけとは言わせない。


 私は新しい頁を開き、今日の日付を書いた。


 アルフェリア監査局、東棟。

 保管箱、二箱目申請。

 祖国からの呼び戻し、正式辞退予定。


 最後の行を書き終えて、ふと笑う。


 罪状だったはずの帳面が、立場ごとひっくり返す。

 そんなこと、本当にあるのだ。

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気質が合わないからと複数で悪役扱いする元婚約者グループが悪質。 両親は虐げてたわけてはなさそうだけど、理解もないし守れもしなかったからね、、、、、。
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