52話 『ダイブイン!』
この日の月はこの世で最も赤みを帯びて、大きかった。俗に言うスーパームーンとやらであろう。そのストロベリーの如き月光を浴びながらサラディン一の屋敷前で待機する男がいた。
待たされること数分、貫禄のある顔には苛立ちする素振りを一切見せず、ジッと何かを見据えているように鋭い瞳は一寸の狂いも見せていない。彼はもう老体だ。社会でいえば定年退職も視野に入れる人物。立ち尽くす彼を見て、一人の兵卒が動く。
「ジュラル様、ここは我々はお任せを。どうかお休み下さい」
「否、ここで私が退くことなどあってはならぬ。兵長ともあろう自分が先頭に立たずしてなんの意味があるのか」
「それでも今宵はもう夜が、お身体に障るのでは――」
「それも否。たとえ歳を喰っていたとしても、老体にムチ打ち忠誠を尽くすことが騎士たるもの。お主も理解しておろう」
「は、はい……」
金剛の如き忠義心の厚さに兵卒の男は後ろへと下がった。
ジュラルは腰に二本の刀を携え直立する。この場にミユという主人はいない。犬が主人の帰りを待っているかのように不動だった。
それからまた数分後――事態は動きを見せなかった。当てが外れた、などということは無い。確実にトウマは目の前の屋敷にいると断言出来る。
「――感謝を」
記憶に新しい自らの元に訪れた二人の人物に向け、ジュラルは星空を仰ぎながら呟いた。
※※※
アモデウス家の屋敷内部ではいつも通りの平穏があった。埃ひとつ無いレッドカーペット。壁に掛けられた灯された松明。使用人は床を、壁を掃除し、花に水をやって愛で、食堂では食器の洗い、処理に掛かっている。
そんな中、いつも通りでは無い場所が一つ。屋敷の最上、まるで頂点だと言わんばかりに高所に置かれたとある夫婦の部屋。凛とした空気感の中、戦地にあるかのように部屋そのものが揺れていた。
「どうするどうする? やばいわ」
「王都兵が何故ここに、しかもこんなガキ目的で!」
「……俺を睨まないでくれよ。ゲホッ、一番の被害者俺だかんな?」
常に歩いていないと平常心を保つことができないのか、フィンセントとクリーエルは黄色の瞳に動揺を映しながら同じ場所を行ったり来たりしていた。その間に逃げ出そう、とは出来ないみたいだ。
現に扉の前では黒衣の男が膝を着いているため近づいただけで取り押さえられるだろう。魔法が使えたら容易に逃げられたのだが、何の影響かトウマは魔力の流れを感知出来ていない。
「王都兵に渡せば一生帰ってこない、この子は私たちのものなのよ!」
「だが王都兵に逆らうのは王命に背くのと同じだ、逆らえば財産は没収、地位も落とされるっ!!」
最悪の未来を想像しているのか二人とも顔の血色が青を帯びてきていた。
十あるうちの一つくらい手放せば良いじゃないか、とトウマは思ったがこいつらにそんなことができるわけが無いとすぐに諦めがついた。
人間の執着の権化、とも言うべきかこの二人はそれを上手く体現している。欲しい欲しいのあまり、一つ取られただけで赤子のように泣き喚き返せと叫ぶ。
「ご、ご決断を! いざとなれば戦争になりかねません!」
「うるさいっわね! そうなればアンタ達が奮戦すればいいだけの話じゃない!」
「し、しかし向こうには皇族の方や『豪剣』様までもが居られるとか! まだ王都には帰還されていませんが『言霊の神』まで……」
「ぐぅ……チッ、ほんと使えないわね!」
「だが、このまま黙って渡す訳にもいかない。あいつは俺たちの獲物だ。この高貴な体に傷をつけた仲間の一味、見せしめとして役立てる必要がある!」
時間が、過ぎていく。無意味な抵抗を重ね続け、無意味な時間が経過していく。皇帝直属の兵士と、数ある都市の一つの領主。頂にいる人間を辿り、どちらが上かと優劣を付ければアモデウス家は余裕で負ける。
それが許せないのだ。全てを手に入れた二人にとって、辛酸を舐めさせられることは絶対に、あってはならない――。
刹那、金属がひしゃげた音が聞こえた。重低音が屋敷の土地全体に響き渡り、上層階に位置する二人の部屋が最も良く聞こえた。ヒヤリと冷たいものが全員の背筋をなぞる。そして、
「さっさと門を開けぬか! 我々をいつまで待たせるつもりだ!!」
誰かの怒気が街全体に散布。
元から顔色が悪いと言うに、クリーエルの顔は生気が抜けたようにもう一段階赤みが抜けた。反対にフィンセントは先程までの顔から一変、顔を真っ赤に染め上げ、扉から出ると、入口を展望出来る場所に向かい、
「門を破るとは無礼者め!! 貴様らは礼儀というものを知らんのか!!」
声高らかに叱りつけた。すると、お返しと言わんばかりに更に声量を上げた声で、
「貴様らこそ我々がどのような存在か知っているだろう! ならば早くこちらに引き渡せ! 差もなくば階級を平民に落とし、反乱を企てた逆賊と見なすぞ!!」
「くっ……舐めやがってぇ……!!!」
高所から見下ろすフィンセントは暗闇で相手の顔が見えずともそれが『豪剣』と呼ばれる男である事に確信を得ていた。
すると、騎馬の中か一人の人物が声を荒らげていた男を抑えて口を開く。
「アモデウス家のもの達よ、我々は平和的解決を望んでいる」
「何が平和的よ! 門をぶち壊して、逆賊と見なすなんてことを言われた以上平和的になんて無理よ!!」
「となると、交戦する事になるが本当によろしいのか! 貴殿らに勝ち目はないぞ!」
「な、舐めないでくれるかしら! 家がどんな人間を雇っているか知っているでしょう?! 殺しの英才教育を受けた人間ばかりなのよ!」
「それがどうなされた! こちらは正規兵、声をかければ隣の都市からも兵士を動員出来るのですぞ! そちらが技量で勝っていようが我々はそれを数で封殺する! 勝ち目はない、さっさとトウマ殿を渡すのだ!」
それを遠目に見ていたトウマも内心落ち着いてはいない。アモデウス家の本命はトウマでは無い。彼を利用し、ほか三人を捕まえるのが目的だ。しかし、奴ら王都兵は違う。トウマを目の敵にし、本気で殺しに来ている。
紛い物である自分が会談に入り、条件を――なんてことは出来ない。戦って、どちらの陣営の方が勝率があるかと言えばどちらともゼロだ。
となればやることは決まっている。
トウマは周囲を見渡し、テーブルの上に乱雑に置かれたタオルのようなものを見つけた。それに目掛けて一直線、手に取って頭に巻いた。
「使用済みかもしれないけど、今はそんなこと言ってらんねぇよ」
顔に流れる血を減らすこと、かつ傷口を圧迫することが出来た。これで失われていた右目が開く。同時、呼び掛けをする。
「おい、精霊起きろ!」
『人使いが荒いねぇ、ボクとしてはもう少し優しくして欲しいんだけど』
「言ってられるかよ! 魔力供給を絶たれているんだが直せそうか?」
『魔導薬か……解析は既に終わってるよ。あと少しで治せるちょっと待ってね』
「だー急いでくれよ、マジで死にかけてんだ」
チラッと扉の方を向いて見れば、二人揃って下に向けて罵詈雑言を浴びせている。どうやら戦争をするつもりらしい。勝ち目は無いと分かっているのだが、それでも退く気は皆無。
「あんた達が私たちを逆賊呼ばわりするならこの街全体を人質にするわ! そもそも誰のお陰でこの街は発展出来たと思ってるのよ!」
「そうだ! 全ては我ら二人のお陰だ! 貴様らは助けを求めても手を差し伸べてくれることをしなかったくせ、俺たちが必要とするあのガキまで奪うのか!」
「それは先代の皇帝に言ってくだされ、現皇帝は協力ではないか!」
熱を帯びているがそれも近いうちに終わるだろう。そうなれば恐らくだが、アモデウス家は終わりだ。跡形もなく綺麗さっぱり消え失せるだろう。
『終わったよ、治癒が完了した。これで魔法を使えるはず』
「マジ? さんきゅ助かった!」
『ちょっと待った』
では早速とスタートを切ろうと足に力を込めたトウマを静止する精霊。「なんだよ」と少し鬱陶しさを醸し出しながら苦言を呈するトウマに対して精霊は、
『ミレーユは助けないで欲しい。ここで捨ててほしい、お願いだ』
「まだそれ言うのか、それは無理だ」
『……本当に、良いのかい? ボクは注意したよ』
「好きにしろ、俺はあの子を助けに行く。地下牢にいたはずだ」
『……じゃあ好きにさせてもらうよ。君を窮地から救った代償として』
フッと精霊の気配が消えたことを感じたトウマは勢いよく地面を蹴り抜いた。その中で、脳にチクリと針を刺したような痛みを感じつつ気にしないと走り出した。
「……っ! 貴様っ! ぐぉわ!」
「「っ!?」」
正面、向かって扉の近くで膝を付き主二人の背後に佇む男を殴り飛ばし、トウマは通路を走る。フィンセントが真っ先に気が付き、逃がすまいと手を伸ばすがトウマはヘッドスライディングで回避。そのまま距離を取って、手すりに登った。
「っ、貴様何をする!?」
「ちょ、まさか死ぬ気?!」
口に手を当てながら驚愕する二人を他所にトウマは下を見る。
高い、高層ビル六階位の高さだ。地面があんなにも遠くにある。手を伸ばせば掴めそうなのに掴めない。痛いだろう、直撃をしたらひとたまりも無い。人間の体など肉塊に変化するだろう。
「トウマ殿か!」
遅れてジュラルも視認。
しかし、遅かった。気がついた時にはトウマと思しき人間は体を宙へと預けていた。そのままそのまま、自由落下しやがて、ドンっと奥行のある音とブシャっと何かが潰れる音が遅れて聞こえてきた。




