30話 『先生、動きます』
「本当にあそこで合ってるの?」
「間違いないよ。本当にそこだよ」
あれから数時間が過ぎた。トウマとヒヨリの二人は棚の陰に隠れ、従業員室をジッと見つめている。細かく言えば、トウマは転移魔法についての本に視線を落としているが……。
「中々来ないわね。これはパンを持ってくるべきだったかもね」
「おー、アンパンと牛乳ってやつ?」
「あんぱん? 知らないけれど、おいしそうな名前では無いわね」
「いや美味いよ。俺はパンの中では一番のお気に入りだから」
「そう、今度機会があったら作って貰おうかしら」
視線は扉の先に向けたまま、ヒヨリはトウマの話すあんぱんに少し興味を持った。尚もトウマの視線は転移魔法にある。
まだ日が浅いとはいえ、少しの知識が着いてきて明日には実際に陣を書いてみようと思い始めている。
「ヒヨリ先生ー、転移魔法陣って書くコツみたいなのありますかー?」
「何よ急に、って言いたけどそういう話だったわね。正確に、ただこれだけよ。書き始めはどこからでも良いからとにかく正確さね」
「だったらコンパスとか定規使った方が良いな。あるのかな。最悪自分で作るか?」
「さっきから知らない単語ばっかりね。魔法でちょちょいっとやればいいじゃない」
「綺麗な円とか描けるの?」
「描けるに決まってるじゃない。羽根ペンに魔法をかければ自動でやってくれるわよ」
となるとトウマが頑張って自力でノートを取っていたことが馬鹿らしくなる。自動筆記ペンが作成可能ならば、より効率的に勉学に励める。
「あ、来たわよ……!」
ヒヨリは振り返る事なくトウマの頭を手のひらで叩く。叩かれたトウマはすぐさま首を上げて視線を扉の方へと切り替えた。
昼間の陽気なステップとは違い、雨の中を鬱々と歩いているかのような低音を響かせながらリューシュは現れた。心なしか緑色のロングヘアーも色が悪く見える。
彼女は扉を開けようとドアノブに手を伸ばしたが躊躇し、引くのを止めて、やっぱり開けようかという動作を繰り返していた。
「ふーっ……大丈夫大丈夫。笑顔笑顔……」
誰にも聞こえないような声色で励ましの言葉を唱える。が、ヒヨリはそれを読んでいた。扉の近くには声をヒヨリの元まで届ける魔法が掛けられている。
リューシュの明るさの消えた声はしっかりとヒヨリの耳に入っていた。バッと振り返ってトウマの肩を強く叩きながら、火を灯したかのように赤い瞳に少しの焦りを浮かべながら、
「だいぶ追い込まれてるんじゃない? 声が自然と漏れてるなら限界が近いかもしれないわよ」
「マジか、やっぱ昼間の笑顔はハリボテか……!」
「ドア前まで行くわよ。いざとなったら飛び込むわ!」
「ま、マジかよ!」
スタスタっと忍び脚で二人はドアに耳を当てる。多少音が籠っているものの会話の内容はハッキリと聞こえた。
異なる声が三つ。昨日は居なかった人物が増えている。声色からして男だ。
「なんだ、まだいたのか」
「あと少しよ。十五になるまでだもの。あと少しだけ我慢してくれる?」
「もういいんじゃないか? 一人でやっていけるだろ」
「そうだとしても大衆の目が気になるじゃない。せっかく良い地位にいるんだもの。守るために仕方ないじゃない」
「あ、えと……きょ、今日は……」
「同じよ? いつもと同じ。あぁでも、今日からあいつらの相手をしてね。凶暴だから明日の朝まで自由は無いわ。まぁアンタの身体でも利用価値はあるのよ」
「俺なら絶対ごめんだけどな。そんな汚い髪色の女とまぐわうのは。まぁ確かにお前みたいな奴でも良いって言ってくれる人間がいるのは良かったな。晴れ舞台だ。俺からしたら嵐舞台だけどな」
「……はい」
その後もごにゃごにゃと何かを話していたがトウマはチラリとヒヨリの顔を見た。既に彼女は嫌悪感と怒りとを混ぜた最悪の顔をしていた。童顔ではあるものの怒った表情は大人の女性と寸分変わらない。
視線に気がついたのかヒヨリはギロッと鋭い眼光をトウマに向けた。眉を吊り上げ、わなわなと拳が揺れている。言葉を交わさずとも分かった。ヒヨリは扉を蹴破ろうとしている。それでも堪えていた。飛び込むと言ったが不可侵であることくらい理解していたのだ。
「さぁほら早く行ってちょうだい。ここに居るだけで虫酸が走るわ」
「そうだな。お前がいるだけで自分の価値も下がる気がしてやまない」
「……うぅっ、はい……っ」
震えた声。扉一枚に隔たれた向こうとこちらの空間は別物だ。二人の大人から野次を飛ばされるリューシュの姿を想像するといても立っていられない。
「もう無理! ぶっ飛ばすわ!」
ヒヨリが我慢の限界だと告げた直後、腰を上げて扉を指さし、トウマに命令する。
「この扉ぶち破って!」
「え、ま、マジ!?」
「マジよ! 早くしなさい!」
ヒヨリの気持ちはトウマも理解していた。だが第三者の自分達が割って入ることは許されるのかという考えがストップをかけていた。あたふたし、扉を破らないトウマに対してヒヨリは淡い黄色の髪を逆立たせる。
自分の方が身長が高いのに、見下されているような圧力。トウマはそれに押され、扉の前に立ち、脚を振りあげようとした瞬間、
「おいおい、なにしてんねん。ここは図書館やで、喧嘩したいんなら外や」
「「……っ!」」
「なんやねんちびっ子って、隣の男だれや! 俺に辟易しすぎて別の男雇ったんか?!」
二人の背後に現れたアメジストのように艶やかな短髪の青年。胸の前をおっぴろげにし、ジャラと金のネックレスが揺れる。身なりはヤンキーそのものだが言葉の節々には隠しきれない馬鹿さが滲み出ている。
「違うわよ確かにアンタには少し煩わしさを感じてたけど、そうだわ。アンタ、この扉蹴破ってくれない?」
「お前喧嘩しすぎて頭イカれたんか? そんなこと出来るわけあるかい」
「喧嘩しすぎて馬鹿なのはアンタよ! 命令よ、早く蹴破って! 責任云々は取るから好き放題しなさい!」
「ぬぅ……そんだけ言うんやったら余程のことがあるんやろうな。仕方ないな、扉とはいえ手加減できんわ。やるからには本気でぶっ壊すでぇ?」
ゴキゴキと指の骨を鳴らしながら扉へと近づくラーヴェル。扉を開けるだけというのに、何故か嬉しそうに口角を上げている。
「兄ちゃん失礼するな、話はまた諸々聞かせてもらうわ」
「お、おう……」
今朝は遠巻きでしか確認しなかったがラーヴェルの骨格はそこら辺の平民より断然良い。ボディービルダーのようにムキムキでは無いが密度の高そうな筋肉だ。
トウマとヒヨリは後方へと下がる。すると、ラーヴェルは今朝と同じように地面を蹴り抜く。
「ごめんな扉くん、俺手加減って分からんねんな」
大気中の魔力が全てラーヴェルの拳に集まる。そして次の瞬間、金剛石のように重く、魂の乗ったストレートが放たれた。
ただの木製扉が耐えられるわけも無く、扉は粉々に砕け散った。ラーヴェルの馬鹿げた拳は空気をも動かし、突風を生んだ。
「うぉぉぉああ?!」
「な、何?!!」
「な、なんですか!?」
室内にいた三人は狼狽えながらもかまいたちのように鋭い風を浴びながら狼狽える。
扉の向こうから、別の三人が現れるが先陣を切ったのは子供のように小さい赤色の平民服を纏った少女だ。勢いよく入ってくると、自分よりも背の高い大人二人に向けて説教を始める。
「アンタ達ね! 自分の子供になんてこと言ってるのよ! 聞いてて腹が立ちすぎたわ!」
「な、なに、この子……?」
「い、いきなり入ってくるとは失礼だぞ!」
トウマとラーヴェルも遅れて入ってくる。トウマは初めて二人の姿を見た。二人ともコピーしたかのように真っ白な白髪と黄色の瞳。貴族が纏うであろうドレスや礼服に身を包んでいた。
簡素な印象を与える図書館とはうって代わりこの部屋は令嬢が住まう特別室のように豪勢でキラキラしていた。
「いきなり説教てどういうこっちゃ! ホンマに頭イカれたんか!?」
「実はかくかくしかじかで……」
状況を知らぬラーヴェルにトウマは簡潔に説明する。すると、
「おいアホンダラ二人! お前ら自分の子供に何やっとねん! 流石に身売りはアカンやろ!」
「すげぇ手のひら返しだな」
「まさか、聞かれてた……?」
少し狼狽える母親らしき人物とは反対に父親らしき自分はナルシストのように髪をかき上げると、
「それがどうした?」
「「「……は?」」」
開き直ったのか何でも無いように話し出したのだ。その態度の豹変ぶりに三人は気の抜けた返事しか出来なかった。尚も男は続ける。
「利用価値の無い人間を有効活用してるだけだが? それがどうした? そもそも他人の教育に口を出すもんじゃないんだが?」
「アンタね……!」
「仕方ないだろう? 世界各地で野蛮とされる『異世界人』の象徴である緑髪。批判されて当然だ」
部屋の隅でポツンと顔を下に向けたまま何も言わないリューシュを指さした。異世界人という単語にトウマの身体は自然と反応する。
「ていうか、俺の子供じゃないしな。拾い子だし、どうでもいいんだよな。な?」
「そうね、自分の子供じゃないから心は痛まないのよね。何をしてるの? 早く行きなさい!!」
怒鳴られたリューシュは身震いする身体を叱咤し、ゆっくりと立ち上がる。肉食獣に追われる獲物のように動き出した。
それを行かせまいとヒヨリが立ち塞がる。
「ダメよ行かせないから」
「お、お願いです……」
止める力の少ないヒヨリは全身を使ってリューシュを引き止める。意地でも譲らないヒヨリを押しのけることが出来ないリューシュを見かねた男が、
「魔法を使えばいいだろ! 頭の悪いやつだ!」
それを聞いたリューシュが得意の風魔法を行使し始めた。至近距離で喰らえば木っ端微塵になってしまう。リューシュの風魔法はそう思わせるほど強力であるのをトウマは知っている。
急いでヒヨリを引き剥がすトウマ。それと同時、リューシュがめいいっぱい溜めた風魔法が放たれた。
「嬢ちゃん、今朝の俺見たら分かるよな」
魔法と二人の間に割って入るラーヴェル。出力は今朝より劣る。それでも、強力であることは間違いない。
ラーヴェルは腰を低く構え、左腕を振りかぶる。空気を割きながら迸る鎌鼬の中心を振りかぶった手で弾き返す。
「黙って聞いとったら胸糞悪いねん。異世界人の象徴だからってなんや。拾ったなら愛情持って最後まで育てんかい!」
刹那、神速の踏み込み。一瞬で呆然と立ち尽くす父親の懐へと侵入。
「これで頭冷やさんかい!」
顎下への強烈な掌底。それが父親の顎を砕ち、物のように吹き飛んだ。それを見届けたヒヨリも溜めに溜めていた感情を乗せて、特大の氷塊を母親にぶつける。
それは部屋の形状を変えるほどの威力。まともに喰らえば死ぬのだが、壁に刺さる女はピクピクと体が動いているのを見るあたり手加減はしたようだ。
「リューシュ、今日であいつらとは絶縁よ。一緒にいたら貴方がダメになる」
「で、でも……」
「大丈夫よ。何が来ても守ってあげるから」
そう言ってリューシュの手を優しく包むように握るヒヨリ。暖かい手のひらの熱が伝わったのかハラッとリューシュの瞳から涙が零れた。膝から崩れ落ち、ヒヨリに抱きつくリューシュ。
これにて一件落着――
「ふふっ……ふふふ……」
仰向けとなり、妖艶な笑みを浮かべながら砕けた顎で楽しそうに笑い出す父親。
「あぁん? 頭冷えたんか?」
「馬鹿め……俺たちが、誰なのか知らずに……手を出したな……終わりだ、お前達全員……」
「まさかこれ死亡フラグってなんじゃ……」
「サラディンの……全権利を抱える、アモデウス家に手を出した貴様らは……遠からず、皆殺しだ」
アモデウス家。魔法都市サラディンを先端都市へと飛躍させた名家中の名家。知らなかったとは言え、その家に喧嘩を売ってしまった。




