25話 『希望と絶望』
リューシュという少女は将来有望の伸び代だらけの女の子だった。やはり言葉遣いは丁寧だし、客と対話をする中で話題を広げる力も高い。それでいて常に笑顔だし、容姿端麗だし、しっかりと質問に答えてくれる。
珍しいと言い切ったトウマの転移魔導書についてもどこに保管されているかしっかりと頭に叩き込んでいた。つまり記憶力も良いのである。
「ここですね! 右に行くにつれて魔法の階級が上がりますのでご理解の程お願いします!」
「まじで助かった。リューシュがいなかった永遠に彷徨ってた」
永遠にとは少し誇張が過ぎたが、今日一日転移魔導書に触れることが出来なかったのは事実だろう。なにせ、転移魔導書が蔵書されていたのは入口を入ってすぐ右に曲がったところだったからだ。
「近くにデーブルがありますのでノートを取りたい際はそこでお願いします!」
「りょーかい!」
足を揃えピンと手を立たせた彼女を真似てトウマもビシッと決める。それを見たリューシュが嬉しそうにニンマリと笑った。
「ではごゆっくり!」
身を翻して大きく手を振りながら彼女は依頼をした男性の元に向かった。トウマも笑顔でそれを見送る。彼女が前を向き手を振るのを辞めるまで――。
「ほんと、気持ちのいい子だなぁ」
さて、と話題を元に戻し『転移魔導書初級』と書かれた木版のタグを見つめる。その下に綺麗に並べられたのが転移についてあれこれと書かれた書物だ。
その隣には中級、上級と等級がどんどん上がっている。これが彼女の言っていたことである。
「手っ取り早く上級からいきたいけど、飛び級は無理だな」
生憎と天才肌でないためにいきなりハイレベルなことを習得、なんてことは不可能である。トウマという人間はそれほど出来た人間ではない。
『転移魔導書初級蔵書』と書かれた本を手に取った。その表紙はリューシュのおかげがホコリひとつない。
手に取った瞬間、ずっしりとした鉛のような重さがトウマの手へと伝わった。落としそうになったところを慌てて空いた手で支える。
「分厚いな、これで初級とか心折れそうなんだが」
『初級』と確かに題目に書かれた本は目視だが厚さ十センチはある。どうしたものか、とトウマは考え込む。
蔵書と書かれたそれは恐らくは持ち出し禁止だ。なぜなら持ち出し可能なら『貸出可』と背表紙に書かれているからだ。しかし、この本にそれは見受けられない。
「リューシュはきっと許さないだろうなー」
「ダメですよっ!」と頬を膨らませ、腰に手を当てるリューシュの姿がありありと浮かぶ。
「ふぅ……」
『あの、まだでしょうか』
読むことに少し渋っているトウマに対して嫌気が刺したような声色で精霊が言う。精霊はこの図書館に入ってから今か今かと俺が本を読むのを待ち構えていた。
「わぁーったって、読むから待ってろ。近くにあるテーブルに行くから」
リューシュからの注意喚起として、立ち読みはなるべく避けて欲しいと言われた。言われたなら守らねばならない。追い出されでもして入室拒否なんてことになればこの街にきた理由を失う。
「よっと、えぇとノートノート」
旅の移動中、サラディンへと赴く理由を述べると彼女が薄いノートをトウマに渡した。用意のいい事である。金のないトウマにとって最高の贈り物だった。
イスへと座り、辞典のように厚い書とうっすいノートを石製のテーブルに広げる。羽根ペンもセットで貰った。これで環境の準備は完了。ラッキーなことに着席しているのはトウマのみだ。
大きく息を吸って吐き、大きくうなづいてからトウマは表紙を捲った。本の目次のページを軽く流し、ついに内容を見ることに。
まず始まったのが転移魔法のことについてだ。その歴史と運用方法が事細かに書かれている。正直言って割愛してさっさと内容に行きたいのだが運用方法は気になったためトウマは件の内容が書かれたページへ指を動かす。
端が破れているページの内容を黙々と読み続けること数分。音の無い世界でトウマがポツリと呟いた。
「やっぱり魔法陣は必須か、それも膨大な魔力もセットね」
早速重要事項に当たった。
転移魔法陣で移動させる物体の距離と使用魔力量は絶対比例する。
果てしないだろう。自分が異世界に飛ぶとなれば。
「十メートル移動させるだけで成人の魔力五分の一。距離に換算した場合、地球とこの世界ってどのくらいだ?」
そもそも次元が違う、全くもって別の世界線ならば距離を表すことは不可能。別の星であるならまだ希望はある。
「もしかしたらあれか? 宇宙船作って帰還というプランも視野に入れるべきか?」
そうとなればこの作業は蛇足だ。全て無意味となる。この街に来た理由もパァだ。トウマは大きなため息を漏らしながら書に頭をぶつける。
盲点だった。移動距離で魔力が増えること、別の世界線である可能性も視野に入れるべきだった。
「まぁでもやるだけやっておくか。魔力に関してはどうせ魔晶石とかいう便利なものがあるはずだ」
サラディンで普及する転移魔法陣移動はまさしく魔晶石の魔力を使ったもので人の魔力を一切使っていない。と精霊が教えてくれた。
「精霊、魔力どんくらい?」
『具体的に数値化することは不可能ですが、貴方を目的地に飛ばせるほどの魔力量は無いですね』
「まじかよ。お前が頼りだったのに」
生物界準頂点に輝く精霊という生物に淡い期待を抱いていた。希望が砕かれたからとて、彼らが不良品という訳では無い。
知能が高い、言葉を話せる、魔力量が多い、空を飛べる、憑依できる、成長過程にある等。彼らの特徴を上げればキリがない。
『ともかく魔法陣について学習を進めては? 魔力消費を抑える方法については追々考えればいいかと』
「ってことはあるにはあるんだな?」
『ありますが学習をしないことには実現できないので』
「やれば出来るんだな?! よし、やろう!」
急に見えた希望に再び希望を抱くトウマ。羽根ペンを手に次ページを見るとついに『魔法陣の描き方』というタイトルのついたページにたどり着いた。
それがより一層トウマの学習欲を刺激し、ペンを迸らせた。
※※※
それから数時間、トウマはひたすらに板書をしては参考書を捲り、再び板書をしてを繰り返していた。もう日が傾き始めていることに気がついたのは窓から差し込む黄昏色の陽光。
「そういえばミレーユは宿取れたのかな」
不意に気になったミレーユの心配をし始めるトウマ。旅期間中、いやそれより以前に分かっていたことではあるが彼女は抜けている所がある。
キャンプ地に忘れ物をしてトンボ帰りしたり、勉強に集中しすぎているせいで肉が真っ黒焦げになったこともある。
宿を取りに行くと率先して行ってくれたのは助かる。のだが、手続きを誤ってトウマの分の部屋が用意されていないかもしれない。そもそも宿が満員でどこにも泊まれないかもしれない。
「今日のところはお暇しようかな」
羽根ペンを置き、書を勢いよく閉じ、今日綴ったノートをパラパラと捲る。主に書かれているのは陣の描き方とその効果。コツとかも一応加えておいたがまだ初級だ。これが出来ねば元も子もない。
「本はもとの場所へっと」
借りたら返す。元の場所に当然のことだ。言われずともトウマも十七、それくらいのマナーは身についている。
本を返し終えたトウマが大きく伸びをする。心地よい電撃が全身を巡る。「さて」と退出しようとしたその時、
「ほんと、使えない子ねぇ」
「すみません……」
「もう少しテキパキとできないのかしら?」
「すみません……」
説教をされているのかひたすらに謝罪の言葉と怒りと皮肉の混じった言葉が聞こえてきた。音源は恐らくは正面の扉。従業員室らしきところだろう。
無視をして立ち去ろうとしたトウマだが、絶えず飛ばされる罵詈雑言と謝罪の言葉を聞き少し気になった。なにより、謝罪をする言葉に聞き覚えがあったからだ。
そっと、扉に耳を立てて見れば――
「育てた恩ってのがまるで分かってないわね。衣食住を与えてここまで育てたじゃない」
「はい……すみません」
「聞き飽きたのよその言葉も。まぁ仕方ないのよね、忌み子だもの。望んで作った子じゃないから」
「…………」
「何よその目は。最低限その服があるだけ有難いと思いなさい?」
「はい……」
「面白みのない子ねぇ。ほんと誰に似たんだか。もう良いわ、あんたの世話も後一年。いや、あと一ヶ月ってところね。十五になったら出ていく約束だものね」
「は、い……」
「どうしたのよ。いつものように明るく元気な返事は無いのかしら? お客さんにはそうするのに私にはそうしてくれないのね」
「すみま――」
「だから、いいってば。耳障りなのよ。とりあえずご飯早く作ってちょうだい。待ちくたびれたわ」
「はい……」
誰かの生気の無い返事が聞こえたのを終わりに、この扉から遠ざったような気がしたトウマは眉を顰める。
一連のやり取りを聞いて叱られる立場にあった子が誰なのか見当はつく。リューシュだ。間違いなくあの子だった。声色はあの時のように全然明るく笑っていない。今のはこの世界に絶望し、生きる理由を見いだせない少女の声だった。
「……」
トウマはドアノブを捻って中に入ろうか迷っていた。きっとだが彼女は泣いている。表向きは明るくとも心は常に泣いているはず。明るく振舞っているのもそれを隠すためだろう。
「……」
それでもトウマにはドアを開けてリューシュを罵る人間を叱ることは出来ない。勇気が無いとかではない。あれは、他人が入って良い領域ではない。
彼女が、リューシュが自ら解決せねば何も変わらないとそう思ったからだ。
「……」
面を倒したままトウマは扉の前でしばらく佇んでいた。




