21話 『忘れ去る記憶』
国門での検査を終えた俺たちはついに国を出立した。
広がるのはどこまでも続く樹海と晴天。そこを開拓して出来た道を俺たちは通っていた。
ため息をつかずにはいられなかった。
死した親子を思えば、楽しく冒険とはいけなかった。
せっかく切り替えに成功したというのに、これでは意味がないではないか。
その日の夜、簡易的なキャンプ地を作った。晩御飯は彼女のバッグに入っていた、氷漬けにした肉をじっくりと焼き、食べた。
味は、悪くなかった気がする。
食事を済ませた後にやること、それは何もない。
だが、彼女が好きなのかは知らないが分厚い書を大地にドンっと広げ睨めっこを始める。
「んー」と唸ったり「ぇえ?」と悩みの声を洩らすミレーユを見て、いて立ってもいれず彼女の隣に移動すると、書を覗き込む。
幸いなことに俺の体内に入っている『精霊』の存在で文字は看破出来る。
大きな用紙にあったのは数字と✕の羅列。
そういえば彼女はかけ算に苦戦していたな。
だが、かけ算は初等教育の基礎中の基礎。
十歳の子が習うはずだが、彼女は見たところ十歳ではない。
「かけ算のやり方が分からない感じか?」
「難しくて覚えられないんです。例えば、24×13とか。どうしたらいいのかさっぱりです」
「そしたらまずは――」
彼女の手に握られている羽根ペンを借り、俺はスラスラと解法を書き込む。
それと同時に口頭での説明を入れる。
彼女は熱心に話を聞いてくれた。
相槌もしてくれていたし、吸収しようという試みが見られた、のだが。
「分かんないです」
「えぇ……なんでだ」
俺が教えたのはかけ算の筆算。
だが、彼女はそれを全く見たことがないと言い切り、この世界独特のかけ算法を書き出した。
それは酷く難しく、使いにくいものだった。
「たぶんこっちの方が早くて楽だよ」
「そうでしょうか、私はエーレさんにこのように教わったのですが……」
「あの占い師本当に教授なんだよな……?」
不敵に笑うエーレ占い師を頭に浮かべ苦言のようなものを口にする。
これでは彼女がいつまで経っても成長出来ぬままだ。
俺は彼女が筆算のやり方をマスターするまで教えることに決めた。
やることないし、何より彼女は純粋だからな。
※※※※※※※※
あれから数時間、みっちりと教え込むと彼女はすんなりと先程の問題を解いた。
その後は雪だるま式にスラスラと解けてしまい、三桁同士のかけ算もお手の物だった。
かけ算の分野を解ききった彼女の喜び様は半端じゃなかった。
その場でウサギのように跳ねたり、俺に抱きついたり、満足そうに口元を上げて笑っていた。
笑みの絶えないミレーユを見て俺も嬉しくなった。教師はこれをやり甲斐にしているのかと悟れた。
「……スゥzZZ」
「そんなに嬉しかったんだな」
現在は羊毛の枕に頭を預け睡眠中だ。
もちろん、寝る前にベッドのことに関して長く語られた。
聞いた時は驚いたがかけ算の分野を解くのに二ヶ月かかったらしい。
ちなみにかけ算分野のページ総数は二十。
なぜ彼女がああも嬉しがったのか、理解できた。
「……そういえば」
俺は立ち上がり、彼女を見つめる。
天使のように和やかな寝顔をし、寝ている。
少し距離を取り、近くにあった一本の大木にもたれ掛かった。
ポケットから『手帳』を取り出し、中を視る。
昨日の新規未来を視ていないことを思い出したのだ。
『トウマとミレーユはジュラルの息子をいじめから救い上官を退職にまで追い込ませた』
「なんだ、あの事かよ……」
顔を上げ、満天の星空を視界いっぱいに入れる。
軽いため息をつき、今朝のことを思い出す。
あの子は、どうなったのだろうか。
ジュラルに、父親にちゃんと言えただろうか。
騎士団長の息子をいじめるという狂気じみたことをしている連中はムショ行きだとして。
正義感が強いのか、優しすぎるのか。
どういう教育を受けたのか。
そこについて言及するつもりは無いが、あの子はもっと自分を大事にした方が良い。
そんなことを思いつつ、再び『手帳』に目を落とした。
「――っ!」
『だが、子は精神を病んでしまい国から姿を消した』
俺は無意識のうちに立ち上がり、ギュッと『手帳』を握っていた。
その力は時間が過ぎる度に強まり、しばらく佇んでいた。
なぜ?
その問いだけが俺の心に残った。
俺の何かが間違っていた?
青年の気持ちを優先すべきだった?
アイツらのことを助けるべきだった?
そもそも、路地裏に入るべきではなかったのでは?
多くの疑問だけが頭に残り、胸に残ったのは少しの後悔と虚脱感。
「助け、られなかった……?」
選択肢があったであろう箇所は黒く滲み、先程の文に置き換わっている。
俺があの時、読んでいれば正しいルートで救われたんじゃ……。
これがもしも、誰かの死で、ミレーユのことだったのなら……。
フッと彼女の方に目をやると小さな寝息を立て、「完璧完璧」と夢の中でもかけ算をマスターしたことを喜んでいた。
彼女の笑顔、それが二度と見れなくなる。
そう思うだけで肝が冷え、手が震えだした。
「避けられない……俺は、俺はこいつを使わないと……この世界で、やっていけない?」
必然的に頼らねばならない状況に、自分で追い込んだ。
使いたくもない、燃やすなどと暴言を吐いていたにも関わらず自分のせいで。
この世界で頼れる人がいなくなれば、自然と俺の帰るルートは閉じてしまう。
ミレーユだけでも、守らねば。
そうでなければ、俺は本当に帰れなくなる。
瞬間、暗い夜の森を一筋の光が迸った。
光源は手元、『手帳』だ。
咄嗟に目を覆い、俺は光が収まるのを待つ。
数秒後、落ち着いたことを確認し、中を確認。
次は、後悔の無いよう視なければ……!
『魔法都市サラディンで転移魔法の発動と、基礎魔法の習得に成功。帰還が現実味を帯びた』
「――よしっ!」
大きくガッツポーズ。
素晴らしい、良いじゃないか!
魔法都市サラディン、流石最先端技術の街だ。
「よし、そうなれば帰還方法はどうなった。教えてくれ」
今度は『手帳』が真っ赤な光を森一帯に放ち、宙に浮かぶ。
そして、例の脳内に語りかける声がそれを伝える。
『トウマ・カガヤが帰還する方法』
『一. 転移魔法を大成させ、魔力を全て注ぎ込む』
『二. 魔王と契約する』
「なるほど、特に変化無しか、じゃあ――」
『ペナルティ発動: 祖母の顔を永遠に忘れさせます。そして、この会話は消去されます』
「は……? おい、ちょ――」
直後、再びの紅。
今度の赤光は俺を完全に包み込んだ。
「がァァァァ!!」
刹那、頭蓋を鈍器で割った衝撃が俺を襲う。
次に脳みそを直接弄られているような感覚が走った。
頭を抱え、その場にのたうち回る。
あまりの痛みに額を近くにあった大木にぶつけ、別の痛みで忘れようとするが、ただ額が割れるだけ。
それだけでなく、精神を操作されているように激しく感情が移り変わる。
「いってぇぇぇええ!!」
「苦しいぃぃぃ!!」
「アハハハハっ!! おもしろっ!!」
「悲しい……誰かぁ……」
「ざっけんな! 誰だこれをやってんのは!!」
「可哀想に……哀れすぎんだろ……」
喜怒哀楽が次々に溢れ、自分でも抑えることができず自由に遊ばれた。
一分くらいだろうか。
最後に悲しんだことを最後に、俺は虚脱感と疲労によりその場に倒れた。
「うっ……おぉ……」
大木を支えに、顔を伝う涙を袖で拭った。
荒い呼吸を整え、涙が止まるのを待つ。
その間、地面に無造作に落ちている『手帳』を拾い上げ中を確認。
「サラディンで成功するのか!」
どうやら俺はサラディンにて転移魔法を使えるようになるらしい。
もちろん自力で、ではなくこの『手帳』や『精霊』の力もあってのことだろう。
未だに自分が魔法を使えることに違和感を覚えるが、サラディンまでの過程で慣れたいものだ。
「そういえば、なんで俺帰りたいんだっけ」
この世界に失望した?
ヒロインの子と会えなかったから?
最強ではないから?
いや、違うな……もっと身近で大事なことだったはずだ。
ふんわりと二人の、腰が曲がったばあちゃんと、車椅子に座るじいちゃんの背中が見える。
だが、二人は何故かこちらを向いてくれない。
背中を向けたまま、俺にそっぽ向いているのだ。
俺をもう、見捨てたのだろうか。
孝行出来ぬ子はいらない、と。
いや違う。二人はそうな薄情では無かった。
ばあちゃんはやたらと過保護で、鬱陶しさを感じる程だった。
毎朝学校に行く時も、バッグの中を確認させたり、放課後は直ぐに帰って来いとか、遊んでも門限は六時だ、とか。
門限を過ぎた時は馬鹿みたいに怒られた。
それこそ昭和のスパルタ教育で、暗い夜の中一日外で過ごした。
その日以上にばあちゃんを憎んだ日は無い。
じいちゃんはその逆で、全てにおいて優しかった。
俺が何をしても怒らず、笑って成長を見守る。それこそ産みの親のように。
高価なものや、小遣いをねだっても嫌な顔一つせずくれた。
ばあちゃんに締め出された時だって、「ほれこっちじゃ」と言って車椅子で現れた時はビックリした。
まさに愛とムチを各々が持ち、俺は伸び伸びと育った。
十七年。
俺は来年で選挙権を持つ。
だが……どうしてだろうか。
嫌いだからという理由は何一つ無いのに、なぜだ。何故思い出せない。
「どんな……顔をしていたか、もう分かんない……」
俺は異世界に来てたったの数日で十七年共に過ごした家族二人の顔を完全に忘れてしまった。




