12話 『転換日』
見覚えのない天井。今朝見たものとは全く違う茶色の木材が敷き詰められた天井だ。フワフワなベッドは王宮のものと比べると質感も温かさも違う。ここのベッドは王宮のはるか上を行き、雲に寝ているような感覚だ。
そんなことを思いつつ上体を起こし、周囲を見る。本が積まれた棚に、テーブル、イス。宿屋か何かだろうか。地面には、大量の本。片付けの途中だろうか。すると隣から、
「んえぇ〜〜分かりません……掛け算ってどうやるんでしたっけ……」
本と睨めっこをしながら四則演算のうちの一つに頭を悩ませ、無垢さを見せる淡紅色の女性が座って勉強をしていた。羽根ペンの動きが止まり、口をモゴモゴとさせている様は小学生のようだ。
「あの……」
「寝ている子を起こすは申し訳ないですし……もっとちゃんと勉強すべきでしたぁ……!」
ぐでーんと本の上に顔を起き頬を膨らませる女の子。
俺に気がついていない、というよりも無視、ではないか。
「掛け算ってだいたい要ります? だって足し算と引き算出来れば十分じゃないですか? エーレさん酷いですよ、もうっ……」
「あのっ!」
「ひゃい! すみませんすみませんエーレさん! ちゃんとやりますごめんなさい!」
と俺の方向を見て謝る彼女。白藍の瞳にちょっと涙を浮かべ「許してください」と頼み込む。やがて返事が返ってこないことに気がついた彼女が顔を上げて、
「わわっ! 起きたんですね!」
「はい。ここに運んでくれたのは、貴方で間違いないですよね?」
「ええはい。というより、いつから起きてました……?」
少しの恥じらいと共に答えを求める彼女。
口がプルプルと震え「今起きました」と言ってほしそうな顔をしている。これは、どうしたら良い。
明らかに嘘をついた方が上策なのは理解している。が、少しの悪戯心でずっと聞いていたと言いたい! いや言おう!
「少し前から見てました……掛け算に唸っている貴方を……」
「あ、あぁ……恥ずかしいっ!」
顔を真っ赤に反対を向く。椅子から降りて部屋の隅っちょで小さく蹲る彼女。何というか、絵に描いたような純粋な女の子だ。
「現代に居たら良かったんだけど……」
ポリポリと頭を掻き、現代を少し恨んだ。
もしも彼女のような存在がいればクラス中、いや学校中が大騒ぎだ。
と、そんなことよりも、だ。
「あの助けてくれてありがとうございます」
悶えている彼女にお礼を伝えると、彼女も思い出したように恥じらいを忘れこちらを振り返る。今度は心配そうな表情を浮かべ、俺の身体あちこちを確認する。
「怪我はないですか、どこか痛いところとか、本当は言えないけどここ痛いってところあったら言ってください。あと、ベッドに不満があったら絶対言ってください、私こう見えて寝る場所にはこだわりがあって、ふわふわじゃないと寝られないんです。凄いでしょそのベッド! 世界各地のベッドを追求した結果たどり着いたのがそのベッドなんです! あ、あと今すぐお水を取ってきます、起きてすぐのお水は大事ってエーレさんが言ってたので!」
勢いよく部屋の外に向かった彼女。
「……とんでもない子に拾われた」
静けさが残った部屋に一人、俺は開いた口が塞がらなかった。
マシンガントークを初めてされたが、追いつけなかった。ベッドのもふもふ感を重視していることは十分に伝わった。帰ってきたらまず名前を聞こう、それが大事だからな。ベッドの話は絶対にしない、したら話が進まない!
「容姿は満点以上、だけどトークに少し問題あり、か。まぁそれも個性として受け止める必要があるな。それに、部屋の散らかり具合が……絶対転ぶ気がするぞ」
もしかしたらこの先お世話になるかもしれない人だし。友好的な関係を築いていきたいものだ。
そう思っていると、部屋の扉が勢い良く開けられた。見れば彼女の手には盆がある。その上には透明なグラスに入った水が二つと、お菓子のようなものが沢山乗せられていた。
「さぁ起きてください! 一緒に――わぁっ!」
言わんこっちゃない。
俺が予想していた通り、彼女は乱雑に広げられた本に足を取られ持っていた盆をひっくり返してしまった。グラスは割れ、お菓子はあちこちに拡散。
「いたた……やばばば! エーレさんが怒る……!」
震え声でエーレという人名を口にする彼女。
すると待ってましたと言わんばかりに、入口から誰かが入って来る。
分かる。一目見て分かった。
ゴゴゴという効果音が聞こえる。だって怒気を纏ってる。それに目が良くないものを見つけたように光っている。
体格の大きい、少し太った女将が入って来たのだ。地面に座り込み、女将を見てブルブルと震える彼女に対して女将は
「あんたって子は! 何回言っても分からないもんだねぇ! どうして部屋を片付けないんだい!」
「ひっ……! ご、ごめんなさいぃぃ!」
土下座。最高で最上位の謝罪を見せる彼女。これで万事解決、なんてことには当然ならず狭い一室に女将の怒号が響く。空気に乗せられた声は部屋全体を揺らす程だ
「人を助けたのを見て感動したばかりなのに、その感動が消えちまったよ! 早く掃除しなさい! 罰としてテーブル拭きをしてもらうよ!」
「は、はいぃぃ……ごめんなさい!」
すると今度、女将はギラリと鋭く光る目を俺に向けた。
俺はビクッと全身が反応し、震え出した。今までの震えとはベクトルの違う死によるものではない。まさか俺も怒られる、ってことは、ないよね?
「――――」
無言でズカズカと俺に歩みを進める女将。瞳はまだ光ってる! なんで俺も怒られなきゃいけないんだ!もしかしてさっさと起きろってことか?
俺はすぐさま布団を跳ね飛ばし、地面に座り込む。足に冷たい地面の感触が伝わる。俺を見下ろす女将は怒号を飛ばす――ことはせず、ケロッと怒りを引っ込め、
「元気そうでなによりだよ。あの子が連れてきた時生気のない顔をしてたから心配だったんだよ。騒がしくてすまないねぇ」
優しい、川のように穏やかな声。
そのまま女将は俺に背を向けると、扉まで行きガラス片を集める彼女に一喝。
「それが終わったらたんまりと手伝ってもらうからね!」
「ひ、ひゃい!」
バタンと扉を閉めて立ち去る女将。
その後、半泣きになりながら砕け散ったガラスを集める彼女。
思わずそのドジっぷりに口角が上がり、俺は彼女の元まで行きガラス片を集めた。
「あっ、大丈夫! 私がやります、私のせいなので……」
「いや、助けてもらった恩返し。生きるか死ぬかだったし。そういえば名前は? まだ聞いてなかったよ」
「あ、そうでした。ごめんなさい忘れっぽくて……」
両手でパシッと頬を叩くと、鈴のような声色で彼女は名前を言う。
「私はミレーユ、この宿でお手伝いをしているミレーユです」
「ミレーユか、助けてくれてありがとうミレーユ。俺はトウマ。トウマ・カガヤだ」
「いい名前ですね。無事で良かったです」
クスッと笑う彼女。その様子に俺も思わず口角が上がる。ミレーユ、俺の人生を左右することになる女の子と出会った運命の日。この時から運命の歯車は狂い出したんだ。




