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『食卓』


「もうちょっと時間かかるから待っててね」


 玲武の家の玄関に立つと線香の香りが鼻腔をくすぐった。そういえば八月一日はお祖父さんの命日。残念ながらアタシは面識がなく、この街に引っ越してくる前に亡くなっている。元気だった頃は無類の旅好きだったそうで、その血は色濃く孫に受け継がれている。前にお祖父さんが撮り溜めたアルバムを見せてもらったことがあるが、現代では失われつつある日本の原風景が残された素晴らしい写真ばかりだった。


「卵もだいぶ値上がりしてた……あれ、婆さんは? まだ帰ってきてない?」

「帰ってきたけどね、また出かけちゃった。今度は田中さんのところ。夕方まで帰ってこないって」

「えっ、どこぞの引きこもりより元気だなぁ」

「ほんとね」


 アタシが洗面所で手を洗っている間に似たもの親子は息を合わせて笑っている。誠に遺憾である。これではアタシが悪いことをしているみたいじゃないか。


「意地悪な人たちだなぁ、もう」


 アタシなりの遺憾の意として、ぷりぷりと頬を膨れませながら扇風機の前を陣取った。昔は物足りなさがあったけど不自由な身体になってからは扇風機の風が身体にちょうどいい。エアコンだと身体を冷やしすぎてしまう。でも今は熱った身体を冷ますため、多少強引にならざるえない。


「……羞恥心がないの?」

「だって暑いんだもの。仕方ないじゃない」


 シャツの裾をたくし上げていると後ろから冷ややかな声が聞こえてきた。別に見られて減るものじゃないし、アタシは気にしない。

 昼ごはんが出てくるまでの間、特にやることもないのでテレビをつけた。夏休みの真っ昼間といっても放送しているのはニュース番組ばかり。一局だけ昔のトレンディドラマの再放送をしていたけど途中から見ても大して面白くない。

 このご時世、平日にしたって休日にしたって時間帯関係なく、ほとんどはニュース。たまにバラエティやドラマが放送されたって全部再放送。目新しい番組なんて一つも見かけない時代。それにニュースの内容だってどの局も内容は大差なく、黙示録やヴェルズの真偽性を問うものばかり。かつての娯楽もとうに廃れ、人々の不安を煽るだけのコンテンツへと落ちぶれてしまった。

 それでも手持ち無沙汰よりかはマシかと、頬杖をつきながら頭を空っぽにして見ていた。


「それよりもあれ、どうする?」


 あれ、とは? なにか約束していただろうか。


「旅だよ、た、び! ……タイムリミットは明日だけど俺の気持ちは変わらない。だから予定を決めようぜ。とりあえず北か南か――」

「まってまって、アタシ、行くつもりはないよ」

「約束しただろう。三日までに俺が諦めなければ旅に行くって」

「あのね、常識的に物事を考えて。交通がまともに機能していない世界でどうやって遠くに行こうって? 鉄道や飛行機のチケットはどこも品切れ。この家には車なんてないし、そもそもあなたは免許を持っていない。ヒッチハイクなんて考えてないでしょうね。それやるなら人数分の拳銃を用意してよ。どのみち不可能でしょうけど」


 世界の終末に旅に出ようなんて正気の沙汰ではない。これに関してはアタシが意固地になっているとか、常識に反しているとか、間違った選択をしているとは一切思わない。


 確かに前々から玲武には「旅に出よう」と口説かれていた。

 彼は小さい頃から旅に焦がれていた。自分の爺さんみたいにいつか旅に出て、日本中を回って見たいと顔を合わせる度に語っていたのを思い出す。

 鉄道が機能しなかろうと世界が黙示録に近づこうと、アタシは素直に応援したい。彼のことだ。世界最後の日に家に戻ってこようだなんて器用な真似はできない。一度この街を離れれば二度と帰ってこないだろう。玲武と会えなくなるのは寂しいけれど彼の夢だ。アタシが止めるだなんて差し出がましいことはできない。


 そう、本来ならアタシは彼の夢を後押しする立場。

 なのにどうしてか、アタシは彼の誘いを頑なに断り続けている。なぜなら此度の旅の目的は彼の夢の果てではなく、千束緋依莉を満足させるため。我ながら意味がわからない状況なのだ。行きたければ勝手に行けばいい。


 懸念していることが一つある。それはアタシを一人で終末を迎えさせないために、気を使って誘っている可能性。ただでさえアタシは不自由な身体でままならないことが多い。旅なんて行ったら確実に足手纏いになる可能性が十分にありえる。加えてこのご時世、安全神話なんて風前の灯だ。大きな荷物を庇いながら旅なんて絶対に不可能なのだ。


「移動なら問題ない。ちょっと待ってろ、見せてやる」


 と、玲武は一旦、自分の部屋に戻るや否や、すぐに茶封筒を手にして戻ってきた。その中を見ると五枚のマルス券が入っている。鉄道の切符なのだろうけど、新幹線の切符よりも若干細長く、あまり見たことがない形状をしていた。

 試しに一枚手に取ってまじまじと観察した。触った感じ、精巧に作られた偽物ではない。表面にはいろいろと文字が書かれているが疎いアタシにはよくわからない。説明を求められた玲武はなぜか得意げに胸を張っていた。


「これは今や幻の存在となった万能切符。期限付きだけどこれさえあれば日本全国、新幹線と特急以外ならどの鉄道にも乗れる」


 玲武の話が胡散臭いので自分のスマホで調べてみた。

 …………本当だ。正式名称は「万能切符」ではないが、まどろっこしいので「万能切符」で覚えよう。兎に角、本当に存在していた。好奇心でオークション並びにチケットを売買するサイトを覗いてみるも、常人ではおいそれと手が出せない金額。こんな代物をどうやって手に入れたのだろう。


「うちの爺さんの知り合いから生前お世話になったお礼にって送られてきたんだ。なんでも鉄道会社のお偉いさんで、よく爺さんが撮った写真を広告に使っていたんだとさ」


 ちなみに玲武のお父さんは旅に関するエッセイを書く著名な作家さん。親子三代、似たもの同士なのだ。


「ま、順調に進むかわからないけどさ、それもまた旅の一興だ。緋依莉は行きたいところないの? 個人的にはあまり行ったことない北に行ってみたかったり」

「どうしても旅に行きたいのなら一つアドバイスをしてあげよう。荷物は軽くした方がいい」

「……荷物ってお前のことか?」

「それ以外になにか?」


 眉間に皺が寄った瞬間は見逃さない。けれどそれは紛れもない事実でアタシの意思。玲武の夢を止める権利はないように、玲武もアタシの意思を無碍にする権利はない。互いにそれをわかっているから子供のような駄々をこねて自分の意見を正当化するしかないのだ。


「はいはい、喧嘩の続きはこれ食べてからね」


 と、いつの間にか食卓には色とりどりの具材がてんこ盛りの冷やし中華が運ばれていた。輪切りのトマト、細切りのきゅうり、わかめに錦糸卵、それから紅生姜。それを目にしただけで胃袋がぐぅと唸った。玲武の相手なんか後回し。今はこのおいしー手料理にありつこう。



    ◇



 引っ越してきたばかりの頃はこの家で食事をすることが多かった。だけど新しい生活や精神がだいぶ落ち着いてきた頃を境に、少しでも大人に近づく決心を固め、行事や祝い事でもない限りは自炊して自分の家で過ごすことにした。

 とはいっても今までろくにフライパンも触らず育ってきた。基本的で簡単な料理は朱莉さんから教えられたものの、結局めんどくささが優ってしまって今ではインスタント中心の単調な色の料理を食べて暮らしている。


 久しぶりの朱莉さんの手料理に舌鼓を打つ。けどさっき寄った商店街も売られている食料が少なくなっているのは瞭然で、どれも金額が尋常ではないくらい値上がりしていた。朱莉さんが玲武に持たせた金額より少し足がはみ出してしまったので代わりにアタシがいくらか払ったが、このままではもうこの冷やし中華を食べられるのも最後かもしれない。と思うとスープの最後の一滴まで余すことなく飲み干した。

 けれど食事に関してはコンビニがインスタント食品専門店と化しており、平時の時と変わらない値段で提供されているので餓死することはない。腹が膨れるだけもこの国は恵まれた環境なのだ。


「で、旅行はどこ行くの?」


 すっかり後回しにしていた問題を掘り返したのは意外にも朱莉さんだった。不意の一撃に思わずむせてしまい、慌てて麦茶で喉を潤した。


「旅行じゃない、旅だ。とりあえず北の方の観光地を目指そうかなと」

「なら日光は? 東照宮もあって自然豊か、温泉もある」

「えぇ、日光って栃木だろう。せめて関東は出たいな」

「東北は趣きがあって素敵な場所だけど、若者二人で行くのはちょっと退屈かもねぇ」

「あの」


 怪しい気配を感じ取ってすかさず割り込んだ。なにやらアタシ抜きで勝手に話が進んでいるではないか。朱莉さんにも伝えてあったはずだと思うがもう一度アタシの立場をハッキリさせる。


「さっきも言ったけど行かないよ」「どうして」


 これでは暖簾に腕押し。話が永久に進まない。ので、ここは第三者に助けを求めた。朱莉さんならこの強情なバカ息子を止めてくれるはず。そんな淡い期待が心のどこかで会った。

 ――が、


「ね、私からもお願い。今回はうちのバカ息子に付き合ってくれないかな?」

「……はっ?」


 普段な傍若無人な玲武を一緒に止めてくれる味方。それが今日に限ってはアタシを裏切り、血の繋がった息子を選んだ。

 彼女は正座をしたまま、ジッと鋭い目でアタシを見てくる。


「旅の資金ならこの家から全部出す。もちろんこのことはお婆ちゃんもお父さんも承諾してくれた。その切符とお金があれば、あとは緋依莉ちゃんからの返事だけ。だからどうか――このバカ息子にお慈悲を」


 目の前の光景に目を疑う。アタシと朱莉さんに血の繋がりはない。しかし昔から、そして今も彼女はアタシの第二のお母さん。いつも元気溌剌で、近くにいてくれると憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれる太陽のような存在。

 そんな人が正座をして頭を下げて……これじゃあまるで、


「あ、頭を上げてください。やめてください」


 それでも朱莉さんは頭を上げない。これには玲武も予想外だったのか呆気に取られていた。

 玲武に諭され、ようやく頭を上げた朱莉さんの顔は未来永劫忘れられない。太陽のような明るい人が目頭を赤くして涙を流していたのだから。

 朱莉さんのことは玲武に任せ、食事を終えたアタシは自分の家に戻ることにした。

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