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『アーバン・エクソダス』


 廃屋敷に付き合わせた見返りとして一緒に買い物にいってやろうと思ったのに、なせか玲武に手を引かれ無理やり家に帰されてしまった。いったいどうしたのだろう。そんなに顔を真っ赤にして。


「茹蛸みたいに顔赤いけど熱中症?」

「お、おバカっ、そんな格好で外を出歩くな。早く着替えろ」


 着替え? 寝巻きのまま飛び出したのははしたないかもしれないが、そんなに顔を真っ赤にして怒ることだろうか。ちょっと注意するだけなら優しく教えてくれたっていいのに。そんなにつんけんしていると女にモテないぞ。思春期の男の子には致命的な弱点だろうに。


「……あぁ、そういうことか」


 洗面所で身支度を整える中、ふと鏡に映った自分の姿を目にする。淡い水色のネグリジェに、うっすらと浮かび上がる女性のシンボル。どうやら怒ってたわけでなく照れてたみたい。アイツにも可愛らしい一面が残っていて、なんだかホッとした。

 にしたってどうして彼が恥ずかしがるのだろう。こういうのって男の子には役得で、顔を真っ赤にして怒るのは女の子の特権なのに。アタシたちって昔からこうだ。いつも一般的な関係とは真逆を進むのがアタシと玲武。小さい頃から運動面ではアタシが優勢で、勉強面では玲武が一歩先。中学に入るまではアタシの方が身長が高かったのに、再会した時にはうんと先を越されてしまったのが今でも悔しい。そんなアタシたちは物心ついた頃からずっとライバルだったのだ。


「お待たせ、さぁ、出かけようか。どこにいくんだっけ?」

「どこっていつもの商店街だよ。近くのスーパーも品が入ってこなくなってぼちぼち閉店し出してるからな。食材を買う時はやっぱりあそこだよ」


 今思うと家に帰ってきてしまったのだから無理についていかなくてよかったんだ。そう気づいた時には灼熱の空の下。額から滴る汗を幾度も拭いながら道を歩いていた。

 

「ね、ね、今日のお昼は?」

「冷やし中華」

「わぁ! 朱莉さんお手製の冷やし中華、食べたぁい」

「はいはい。どうせそんなことだろうと思って待っている間に連絡しておいた」

「さっすが玲武。気が利くね」


 玲武のお母さん、谷中朱莉さんは現役の料理研究家。かつては『朝でも簡単 学生のスタミナお弁当』というレシピ本を出版し、時折テレビ番組にもレシピを提供していた凄腕シェフ。当然ながら食卓に出る料理は家庭料理とは思えないくらい絶品の数々で、味にこだわらないアタシですら朱莉さんの料理の虜になっている。あぁ、想像しただけでお腹が空いてきた。


「よだれが垂れてきてますよ。そんなに母さんの料理が好きなら、うちに住めばよかったのに」


 あぁ、いけないいけない。玲武に指摘されて慌てて袖で口元を拭う。


「一緒に住めるわけないじゃないか。あのアパートに住めるのも大家さんや朱莉さんたちの好意のおかげであって、これ以上図々しく生きるつもりはない。だからさ、旅の話も引き受けるつもりは――」

「あれ、あそこにいるのって、うちのばあちゃんか?」


 話を遮った玲武が指す反対車線の歩道には確かに大家さんがいた。その隣で自転車を引く緑色の作業着の男性にも見覚えがある。あれはいつもアパートへの配送を担当してくれている、アタシの引きこもり生活を支えているお兄さんだ。二人はビルの木陰になっているところでなにやら話し込んでいる。仕事中のお兄さんは兎に角、大家さんはよくもまぁこんな暑い日に外に出られるな。アタシより何倍の年月を生きているくせ、元気も体力もアタシの何十倍もある。世界が終末が近づこうとエネルギッシュに生きる姿は見習わなくてはいけないのかもしれない。


「今日は日高さんの家でヨガをするんじゃなかったのか」


 アタシたちが近づくといち早く気づいたお兄さんは帽子を取ってペコリと頭を下げる。引きこもりのアタシには毎日のように顔を合わせる彼はもはや知人。こんにちは、と笑顔で挨拶をするも、玲武は呆れ顔でまず自分の祖母に声をかける。


 聞けば最近、大家さんはヨガ仲間の日高さんと昼食を共にすることが多く、今日もいつものように家に向かったそうだ。しかし三日前に約束したにも関わらず不在。もしかして家の中で倒れているんじゃないかと心配になり、たまたま近くを通りかかった配送員のお兄さんに尋ねたみたいだ。


「息子さんが迎えにきたのか。倒れたわけじゃなくてよかったじゃないか」


 その話を聞いてお兄さんも心配になり日高さんのお隣さんに話を聞いてみたところ、なんでも昨晩、日高さんの息子が突然家に来たようだ。

 一人暮らしの年寄りの家に親族が迎えに来た。それはアーバン・エクソダスを意味する。




 ヴェルズの黙示録によって世界の終焉は定まった。


 ――もし世界があと一日で滅ぶなら何をしたい?


 やり残したことをやる。ひたすら美味しいものを食べる。今までできなかったことに挑戦する。道徳的に許されなかったことをしてみる。

 答えは千差万別。ただ一年前に行われた大規模調査によると四割ほどは「家族と一緒に過ごす」と答えたそうだ。

 残りの時間は家族と一緒に故郷で過ごす。アーバン・エクソダスはそんな人間の本能によって発生した自然現象。世界が崩壊に近づくと困窮していた地方が活性化する、なんて政治家にとったら皮肉な結果だろう。

 かくいうアタシもアーバン・エクソダスの支持者の一人。でもアタシには終末を共に過ごす家族も帰る場所もない。

 だからこそ自分が叶わない夢を最も信頼できる人に託したい。これはアタシのエゴなのだろうか。




「……おい、どうした」


 唐突に肩を揺さぶられて目が覚めた。ハッとした時には玲武が心配そうに顔を覗き込んでいた。ううん、ちょっと考え込んでいただけ。玲武には余計な心配をさせてしまったようである。


「あれ、大家さんは?」

「家に帰した。すいませんね、うちの婆さんが余計な仕事を増やしてしまって」

 野球部で培った最敬礼を披露する玲武。でもお兄さんは笑って許してくれた。

「別に構わないさ。困った時はお互い様。助け合って生きていかないとね」


 彼はどんな時に忙しくても白い歯を見せ、礼儀正しく、そして優しい。その姿勢はまさにプロフェッショナル。エレベーターもないボロアパートの二階へ毎日のように重いダンボールを届けてくれて、それで文句の一つも言わないなんて聖人君主の称号は彼に相応しい。

 加えてこの身体を慮ってくれて、いつも荷物を部屋の中まで運んでくれる。時には扉の建て付けが悪いからと仕事が終わった後に直しに来てくれたこともあった。彼には感謝しきれないほどの恩がある。


 そんな身も心もイケメンなお兄さんとは数日顔を合わせていなかった。会わなかったというよりか単に通販で注文していなかっただけなのだが。というのも彼曰く、人類最後の一ヶ月となると荷物が届かない可能性があるから、日用品はできるだけその前に買い込んだ方がいいと助言があった。事実、昨夜のニュースによると大手運送会社が地方の運送を取り止めたそうだ。表には出ない業界内の噂でもあったのだろう。

 恩人には感謝が尽きぬが今は冷やし中華の方が優先。すれ違いざまに軽く頭を下げて商店街に向かおうとした時だった。


「あぁ、でもちょうどよかった。最後に千束さんに会えて」

「最後?」

「先ほども大家さんには伝えたのですが――」


 爽やか系の彼は頭をかきながら、ばつが悪そうに話してくれた。聞けばたった一言で要約できる内容だった。彼もまた時代の流れに乗るようだ。しかも今夜、娘と妻を連れて故郷がある福島に発つ。この時代の人間には当たり前のことなのだけど、別れがあまりにも唐突で言葉を失ってしまった。それを見かねた玲武はアタシに代わって話をしてくれた。


「福島まではどうやって? もう電車は乗れないでしょうに」

「退職金の代わりにと、会社で使ってたバンを社長が譲ってくれたんです。僕としては使い道のないお金よりも移動手段の方がありがたくて、社長にはほんと頭が上がりませんよ」

「太っ腹だなぁ。まぁ、車も東京に置いていかれるより終末まで役立った方が嬉しいか」

「もともとはお盆の時期に出発するつもりだったんです。でも社長の計らいで早めてくれて急遽昨日、里帰りを決めたんです。離れる前に千束さんに会えてよかった」


 そんな、最後に会えてよかったのはアタシの方だ。彼には感謝の言葉とせいぜいペットボトルのお茶くらいしか用意できなかった。己の無力さを痛感するばかりだ。

 今生の別れにはもう慣れたつもり。まだ別れの挨拶をできるだけ幸福な方だろう。

 心から湧き出る葛藤を噛み殺して平静を取り繕い、いつもどおりの笑顔で別れを告げた。


「どうか元気で、家族とのよき終末を」

「えぇ、お二人もよき終末を」


 彼は軽やかに自転車に跨り、一度も振り返ることなく先に行ってしまった。別れの挨拶をしたあとは後腐れがないよう速やかに別れる。これが今の世界の一般常識だ。

 あっという間に彼方に消えていく様子をただ見送る。これでまた一人、貴重な話相手が減ってしまった。一抹の寂しさが心を蝕む前に玲武の手を握り、一緒に商店街へと進み出す。


 大丈夫、アタシにはまだ玲武と谷中家のみんながいる。以前のような孤独にはならないんだ。


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