『廃屋敷』
今朝の目覚めは最悪だった。
けたたましい爆音とともに地響きで部屋がゆらゆら。その衝撃でパソコンデスクに積み上げていた本の柱が崩壊してしまった。
ここ半年は爆発も日常茶飯事になってしまい、周囲の安全確認もお手のもの。天井ヨシ、壁ヨシ、窓ガラスヨシ、意識ヨシ――わたしの名前は千束緋依莉。都内の高校に通う高校二年生。好きな食べ物は大根おろしが乗っかった和風ハンバーグ。嫌いな食べ物は鰻。今日も今日とて元気に引き篭もるピッチピチの十六歳――うん、アタシの頭も問題なさそうだ。
無事に安全を確認できたので二度寝を決め込もうとしたが、すっかり意識が冴えてしまって眠れなくなってしまった。限りある睡眠時間を奪った罪は重罪。なので爆発の実行犯は直ちに極刑に処すべき、なのだけどおそらく今回の爆発に犯人はいない。強いて言うならこの世界。
まぁ、万が一犯人がいたとしても、ひと月後にはみんな平等に失うことになっている。それをわざわざ処刑しようだなんて、よほどの物好きしかいないだろう。
その証左に市街地で爆発が起きたって近所は静か。平時ならパトカーやら消防車のサイレンが聞こえてきたっていい頃なのに、外は静寂を保ったまま。ご近所さんもわたし同様、街中の爆発を日常の一部として受け入れているようだ。
今朝の目覚めは最悪。結局いつもより一時間ばかり早い起床になってしまった。
身体の重心を右側に傾け、ゆっくりと慎重に身を起こす。こんな身体になってからもう四年になるけれど、未だにバランスが取れないことが多くて気が抜けない。悔やむ時間とかやりきれない気持ちはとうに捨てている。起き抜けに大きく口を開けて大欠伸しても気にしない。どうやらどこかで乙女心も置いてきてしまったようだ。
それにどうせ誰も貧相な身体には興味もない、と、着替えず顔も洗わずふらふらな足取りでベランダに向かって異変を確認。爆発は十分ほど前だっただろうか。ベランダからの景色はいつもと変わらず、背の低い一軒家が広がる下町空間。でも一歩外に出てみると灼熱の現実がか弱い娘に襲いかかってくる。
「小学校の隣ですって」
「あら、やだ。休みでよかったわねぇ」
盗み聞きするつもりはなかったが、ちょうどアパートの前の道を歩くご近所さんの声が聞こえてきた。小学校の隣というと…………誰も住んでいないお屋敷があったっけ。それなら納得。
この時代、家庭のインフラ崩壊なんてザラにある。このアパートのように職人の伝手があるなら兎に角、行政によるインフラ業者囲い込みとアーバン・エクソダスによる人手不足によって住宅のインフラは崩壊寸前。ガス管の爆発や電気系統による火事なんかは些細な事件となり、手付かずの家が時限爆弾と化しているのも社会問題になっている。
だからといって自分にできることなんてない。このアパートが、あの寝室が、自分の身体が壊れないことには無関係。ならばアタシは無関心を決め込んで電脳世界に引き篭もるのが得策だ。
さぁ、薄暗い気持ちを切り替えて楽しいことを考えよう。ただでさえ楽しいことが失われていくこの時代でも日常の足元に喜びと感動はある。その代表として古来より続く人の欲。人間の欲望といえばやはり食欲。今日の朝食はさっぱりと春雨スープにしようか。いや、ここはお米とアサリの味噌汁? たまには日本の定番で朝を迎えるのもいいかもしれない。
どんなご飯にしたってお湯さえあれば簡単に用意できるのが現代の数少ない利点。現代人に許された怠惰をあまねく貪って、今日も今日とて日常を消費しよう。
灼熱世界をシャットアウトしていると目の前の道をとことこと歩く見慣れた顔がいた。玲武が向かう先には小学校、つまりは先ほどの爆発の震源地。
「ひょっとして野次馬? なぁんだ、アイツにも下世話な好奇心があるじゃない」
谷中玲武という男は他人に厳しく、他人に理想を押し付けてくる暑苦しい人間。およそ一年に及ぶ説得によりなんとか登校に関してはうるさく言わなくなった。でもそれ以外、主にアタシの私生活に関しては母親以上に口うるさい。か弱い乙女が暮らす巣窟に勝手に乗り込んできては「部屋の換気をしろ」だの「インスタントばかり食わないで料理しろ」だの常日頃正論をぶちまけてくる厄介な存在。
そのくせ、一度やると決めたことにはとことん突き進むし、時には周りが見えなくなることもある。噂によれば野球部でも、夢を諦めず努力を積み重ねる玲武と、黙示録を前に投げやりな生き方しかできない他の部員とで何度か衝突したそうだ。
相手を納得させるのではなく、自分の意思を誇示するだけの不器用な生き方。
身体だけはアタシよりずっとずっと大きくなったくせ、中身はガキのまま。昔からそういうところは気に食わない。
「ガキには大人のお守りが必要ね。まったく、手がかかるんだから」
どうせ銀座のど真ん中を歩くわけではないのだ。却って身支度を整えない方が爆発に怯えた少女を演じられて都合がいいかもしれない。椅子に引っ掛けていた麦わら帽子、それからソファーの上に置いていた「身体の一部」を装着し、灼熱の世界に身を投げた。
――正直侮っていた。思えばベランダはまだ屋根があっただけ生優しかった。麦わら帽子という夏のマストアイテムを手にしたって空から照りつける灼熱破を完璧に凌げるわけもなく、外に出て三分後には己の体力の限界と愚かな判断を呪っていた。引きこもりには夏と地獄の境界線なんて曖昧なのだ。
おまけに頑張って玲武に追いついてみれば「買い物に行くだけ」と、まさに骨折り損のくたびれ儲け。このままのこのこと引き返すのも癪なので玲武も道連れに野次馬根性を爆発させることにした。
「ありゃ、このお屋敷か。ここは毎年クリスマスの時期になると家中を飾りつけて綺麗だったんだよな」
アタシはこの街に引っ越してきて二年ばかりの若輩者。買い物は家の近くのコンビニで事足りるし、そもそもが時代も時代なので必要最低限の外出しかできない。そんなアタシでも小学校の隣で異彩を放つ大正浪漫のお屋敷の存在は知っていた。聞くところによれば明治の著名な建築家が設計した、歴史的価値もある貴重な建物。代々受け継いできた住民が丁寧に暮らしてきたおかげで数年前までは人が暮らしていたそうだ。
ただそれも「ヴェルズの黙示録」以前の話。この家の主人は貿易業を営んでいたが、黙示録による世界的な混乱で貿易は破綻。気づけば一家全員が蒸発したようだ。
こんな不幸はそこらじゅうにありふれている。不幸が連鎖しないだけ、この国はまだ平和な方だ。
これを不幸と思えるほどアタシの心はまだ暖かい。
そんな気付きがあっただけ三文以上の価値がある朝だった。




