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『学校』


「わぁ、誰もいない学校って神秘的!」


 今年の夏は例年よりも暑いともっぱらの噂で、猛暑日ではない日の方が少ないとのこと。引きこもりのアタシにはあまり関係のない話だけど、気のせいか今年は部屋から耳にする蝉の声が少ない気がする。

 誰もいない、もう誰も来ないとわかっていても律儀に昇降口で自分の上履きに履き替え、掲示板の張り紙どおりに廊下を走らず進んだ。


 足音が聞こえない階段、話し声が聞こえない廊下、誰もいない職員室(ただししっかりと施錠されていた)、そしてーーアタシの青春の舞台になりえた2年1組の教室。一学期の始業式に来て以来、およそ三ヶ月ちょっとぶりの登校になってしまった。もう自分の席の位置なんて覚えておらず、適当に廊下側の一番後ろの席に腰掛ける。


 掲示板に貼られた見慣れない学級新聞にはこれまた見覚えのない名前がずらりと並んでいる。どうやらうちの学校のサッカー部は最後のインターハイでいい成績を残したようだ。そこに貼られた写真の連中には何の思いれもないけれど、そこに写っている全員はサッカー部らしくロン毛で、男の子らしく凛々しい表情をしていた。しかしアタシにはもうやり残したことはないぞ、と強がりを見せているようにしか思えなかった。


「その写真の真ん中がうちのクラスの杉田。典型的なサッカー部でチャラいやつだったけど最後まで授業は居眠りもしないで真摯に聞いてた。放課後になると一目散に部室に走ってったけどな」

玲武(れん)とは正反対だ。あんたはしょっちゅう居眠りしてるらしいし」

「授業どころか、まともに学校に来なかった緋依莉(ひより)よりは全然マシだ」


 むぅ、それは確かにそうだ。直球ど真ん中の正論に思わず閉口してしまう。


 玲武はアタシが暮らすアパートの三件隣に住む幼馴染であり高校のクラスメイトでもある。彼もまた今年は甲子園を目指すラストチャンスとして死にものぐるいで頑張っていた。しかしいくら本人が頑張ってもそれは他の人も同じ境遇。運悪く初戦で強豪校と当たってしまい、最後の夏は呆気なく終わってしまった。本人はまだ悔しさが残っているのだろうが、今は気持ちを切り替えて現実と向き合っている。


 なのに! なのに、だ。


 現代人の最優先事項は己の時間。なのにどうしてコイツは他人の益ばかり考えるのかアタシには理解できない。多分このまま、コイツの考えていることは一生わからないままなんだろうな。


「玲武は後悔してない? 今日は学校に来ただけで貴重な数時間がなくなったんだよ? これでもまだ、アタシと旅する気?」


 おもむろに席を立ち上がったアタシは教室の窓を開けてカーテンを靡かせる。その前でゆったりとターンしながら彼の方を向く。

 夏休みに突入し、もう校則は関係ないからとツーブロックにして爽やかになった谷中玲武は静かに静かに首肯した。相変わらず答えが変わらない彼にうんざりしたアタシはぎこちない左手で払う。

 頑固者の彼のことだ。簡単に引き下がらないとは思っていたが、実際に半日を無駄にしてまだ諦めないのだろうか。ったく、高校生になってからますます磨きがかかったな。


「……まぁ、いいさ。あなたとの約束のタイムリミットまで残り二日。このまま玲武が引き下がらなければ、残りの人生は似たような生活の繰り返し。嫌ならいつでもやめたっていいんだよ」

「やめるもんか。俺の心残りはお前だけ。お前の心残りを全て無くさないと俺が成仏できない」

「わかってるような口を聞かないで。アタシにはもうやり残したことはない。だから、あなたには世界最後の日を家族で過ごしてもらいたいのっ! それができるってすごく贅沢なんだよ? ……アタシにはもうできないことなんだから」




 真っ青な空。綿菓子のような雲がふわりと漂い、どこからともなく風鈴の音が聞こえて来る夏の一コマ。アタシが立っているこの場所では日本の原風景が展開されている。

 しかしこの世界のどこかでは狂気と動乱が蔓延し、かつての平穏が消失しつつある。むしろ数年前と変わらないこの場所こそが特異点なのだ。


 世界は黙示録を承認した。同時に世界各地で大混乱が起きた。

 グローバルという言葉は死語になり、今となっては国家を維持している地域の方が珍しい。

 世界平和の名の下で抑圧されてきた不満がこれを機に爆発し、世界中で争いが勃発した。


 欧州では過去の大戦の清算。

 中東では聖典の否定。

 亜細亜では民衆が蜂起した。

 北米と南米は均衡を保っているが、嵐の前の静けさと答える学者が多い。何が起きても不思議ではない緊迫した状況だともいわれている。


 今時アポカリプス寸前の世界なんてSF小説ですら見かけない。 

 核戦争で汚染された世界とかパンデミックで人類絶滅一歩手前の世界よりかはマシな状況。けれどこの日常が明日も続く保証はない。きっと何かの拍子で動揺が走ればこの日常も簡単に壊れてしまう。


 黙示録があれど、この世界にはまだ終焉の前兆は現れない。だけど一歩ずつ確実に、黙示録に記された予言の日に近づいていく。


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