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人間は、自分で心の底から、馬鹿だなと思う行為は、したくてもできない


 これは人間観察を続けていると、ほとんど法則のように見えてくるものである。


 人は愚かな行動を取ることがある。しかし、その瞬間、当人の内部ではそれは「最善」か、少なくとも「やむを得ない選択」として処理されている。後から振り返って「なんて馬鹿なことをしたんだ」と思うことはあっても、行為の渦中にいるときに「これは明らかに馬鹿だが、あえてやろう」と決断することはない。自発的行為である限り、そこには必ず自己正当化が伴う。


たとえば無謀な賭けに出る人は、「今回はいける」「ここで引くほうが臆病だ」と考えている。危険な恋愛に身を投じる人は、「本気だから」「これを逃したら後悔する」と信じている。怒りに任せて関係を壊す人でさえ、「ここで言わなければ自分が自分でなくなる」と感じている。つまり、人は常に“馬鹿ではない理由”を携えて行動する。


もし本当に「これは馬鹿だ」と心底理解していたなら、人は動けない。理性以前に、自己像がそれを拒否する。人は自分を完全な愚者としては扱えない。どんなに自己嫌悪が強くても、「それでも今回は仕方がない」「これには意味がある」という逃げ道を用意する。そうでなければ、行為そのものが成立しない。


この性質は、善悪の問題ではない。人間が自分を保つための最低限の構造なのだ。自分を馬鹿だと断定しながら行動し続けることは、精神の自壊に近い。だから人は、無意識のうちに判断を書き換える。「これは馬鹿じゃない」「正しいかもしれない」「少なくとも理解できる」。そうやって、行為を可能にする。


逆説的だが、他人から見て最も愚かに見える行為ほど、当人の中では強固な論理に支えられている。外から見ると穴だらけの理屈でも、本人にとってはそれで十分なのだ。人は納得してから動くのではない。動くために納得を作り出す。


だからこそ、愚かさは常に事後的にしか現れない。結果が出たあと、距離が生まれたあと、初めて「馬鹿だった」という言葉が許される。それは反省であって、行為の動機ではない。


人間は、自分で馬鹿だと思う行為をしない。

だから人は、何度でも同じ過ちを、真剣な顔で、正しいつもりで繰り返す。そしてその営みそのものが、人間らしさなのだろう。彼は、自嘲的に自分を馬鹿だとは周りの人たちに言うだろうが、心の底では決してそれは思わないのだ。それは、死ぬ寸前までそうだろう。

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