結晶水【閲覧注意】
正直、ここからはエロ注意ってことで、あんまりご婦人などにはお薦めしたくないのであるが、エロ漫画というものを脱構築してしまった唯一の作家ということで、私は、結晶水氏を推したいのである。
結晶水氏の作品は、一言でいうと、【逝っちゃいすぎてて、もはやギャグ】というものである。私は、2000年くらいにこれに接しており、あまりの暴挙に驚いてしまったのであるが、2026年にこれを読むと、笑ってしまうのであった。
多分、彼は、【やべー奴】である(笑)。マジな人で、彼の欲望をストレートに漫画にしたのだろう。だが、それにしても、初期はまだ作品としてというか、エロとして成り立っていたが、後期の作品に関して言うと、もはや成り立っていないのである(笑)
その極点が、例の母子ものだろう。「ただ死んでいるだけやん!!」という、信じられないようなものを出してきたのである。普通、そういう作品というものは、ドキドキハラハラさせるべく作られたものである。
「世にも奇妙な物語」とか、ホラー映画を思い出して欲しい。そういうストーリーテリングが必要なのであるが、彼の作品には、「どうなるか」なんて読者に、エロ妄想に浸らせる隙がない。読んでいるうちに、「ああ!死んじゃった!」ってやつである。
こんなとんでもないものを書くのは馬鹿だし、こんなとんでもないものを読むのはアホである。と言わんばかりの作品なのである。つまり、極悪、暗黒の極地というものなのだ。ここでは、犯罪というものが、あからさまにされているのである。
犯罪というものも、恐らく、こういうものなのだろう。奴らは、超えてはいけない一線を平気で超えている。「時計じかけのオレンジ」「気狂いピエロ」あるいは、フランス映画「犬の家」の世界である。ウィリアム・フォークナーの世界と言っても良いだろう。
令和の時代は、犯罪と死というものが、巧妙に隠蔽されている世界である。たとえば、路傍に死体が転がっていると言うことはない。1950年代には、割とあった光景なのらしい。今のインドもそうなのらしいのであるが、
確実に行われているのに、自分たちの隣で起こっているのに、我々の目には隠蔽されてしまっている。それを明らかにしてしまったのが、結晶水氏である。そして、当人は多分、半分、やっちゃったかな、と思って書いている(笑)うん。やっちゃっている。ダメだって。あれは。




