阿部千代氏へのお答え
ごめんなさい。余りにも感想欄での対応が不親切すぎたのと、あと、このエッセイなんとかして100話仕上げたいんだけど、足りないので、阿部千代へのお答えということで、書かさせていただきます。
まず、感想欄に書き込んでくれてありがとう!そこから始めて……どうも、あなたは100%納得したいと思っているが、そんな納得はどこにもないってことなんだよね。つまり、俺が相手してもあんたの友達が相手しても何してもね。そんなん納得はどこにもないってことなんだ。
だから、あなたは永久に愚痴言うだろうよ。それはでも、結局は、自分の良い風にしたいってことにしかならないわけでしょ。で、それがならないから、諦め顔で、それを知っている俺は、本当の世界を知っているって感じなのかな。でも、んなもん、みんなわかってんだよ。
そして、みんなわかっているのに、わざわざ言葉にしないだけなんだ。なぜなら、言葉にした瞬間、それは急激に陳腐になるからだ。世界が思い通りにならないこと、納得などというものが幻想に過ぎないこと、それでも人は生きて、飯を食って、眠って、また朝を迎えるしかないこと。その全部を、ほとんどの人は「はいはい」と飲み込んで、日常という名の鈍い布でくるんでしまう。
あなたは多分、その布を剥がしたくて、あるいは剥がれてしまって、寒さに震えているんだと思う。だから納得を探す。説明を求める。誰かに「それでいいんだよ」と言ってほしい。でも、残念ながら、そんな最終回答は存在しない。俺が何を書いても、阿部千代が何を言っても、それは一時的なカイロみたいなもので、すぐに冷える。
それでも、書くしかないし、読むしかない。愚痴も、怒りも、諦めも、全部含めて、生きている証拠だからだ。納得できないまま生きることを引き受ける、その不格好さこそが、たぶん一番まともなんだと思う。少なくとも、俺はそう思って、今日もこうして、あんたに向けて無駄な文章を積み上げている。
たぶん問題は、納得できないことそのものじゃない。納得できない状態を、どこかで「敗北」だと思わされていることなんだと思う。答えに辿り着けない自分は未熟で、理解できない自分は遅れている、みたいな顔をした空気が、そこら中に漂っている。でも実際は、納得しきった瞬間から、人は思考をやめてしまう。
だから、永久に愚痴を言う人間のほうが、よほど誠実なのかもしれない。世界に対して「おかしいだろ」と言い続ける体力が、まだ残っているということだからだ。諦め顔で悟ったふりをしている人間より、よほど生き物として信用できる。
この文章も結論じゃない。ただの途中経過だ。納得できなさを抱えたまま、今日も書いて、明日にはまた違うことを言う。そのブレごと含めて、生きている。そういう不安定さを、せめて笑いながら引き受けられたら、それで十分なんじゃないかと思っている。




