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小説に必要そうなもの

 段々とわかってきたが、ま、ブランショは天才だから、「小説=死」というお話には乗っかってゆけないことは当たり前なんだけど、ま、多分、そこに影響を受けて、古井由吉は「仮往生伝試文」を書いたんだろうけど、それも、傍に置いてだ……。


 ニーチェが「ギリシア悲劇の構造」を受け継いでいるだけ、というのは、前にも書いたが、結果的に答えを出すことができなかったと言うだけで、その過程は、多くの人々に影響を与えている。ニーチェが、ショウペンハウエル(松岡正剛氏の解説が面白い。検索してみよ)の圧倒的な影響を受けた作家であった、ということも忘れてはいけない。


 ギリシア悲劇の構図とは二つあって


 1 人々によく知られた人・あるいは地位の高い人

2 理不尽な目に遭う


 こう言うことになっている。日本で、貴子流離譚が特に好まれるのも、こういう理由による。つまり、悲劇形式にしておけば、ストーリーは勝手に進んでゆくのである。

  

 だが、ハッピーエンドが悪いと言うわけではない。たとえば、シンデレラの「この後、二人は末長く幸せに暮らしました」とか。こんなもので人生というものの本質的な悲劇性というのは誤魔化せない。晩年はそれなりにこの二人だって不幸なはずだ。シンデレラの背景には、身分制という悲劇がずっと横たわっている。


 なお、ギリシア悲劇にも、ハッピーエンドは多々ある。それは、「デウス・エクス・マキナ」として知られている。仏法法話でも、神に救われたとは、よくある話である。となると、小説というのは、


 悲劇構造を通して、「人間」と「美」を描くもの。という基本理解が出てくるだろう。しかし、美とは何かの奥には、様式美、モード史、文化史も絡んでくるし、人間となると、心理学、精神分析学、社会学、恋愛学?そのほかいろいろ絡んでくる。


 理不尽に関しても、仏教では「人生とは無常である」と書いているが、無常とは、常に一定していないということである。形あるものは崩れる。命あるものは死す。妙本末句教頭。南無。お仏壇の長谷川〜。なんて言っている場合じゃない。


 結局のところ、悲劇構造を知ったうえで、それでも書いてしまう自分自身が問題なのだ。無常とは慰めではなく、意味が固定されないという冷酷な事実である。だから私は、救済も絶望も半端に引き受けながら、悲劇を様式として使い続けるしかない。そこにこそ、私の書く理由がある。

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