自分を責めるのはイクないよっ!BY 日高のり子
しかし、そんな私に、「タッチ」の南ちゃんが立ちはだかるのである。あの、心を和ませる、日高のり子の声で、こんなことを言ってくるのである。
「でも、チンサン、頑張ってんだから。阿部千代ちゃんも、すごい人だと思うので、あんまり自分たちを責めないで!退会なんてもってのほかよ。そりゃ、アクセス数ないかもだけど、みんな、そんなもんじゃない。その中から、面白いのが出でくるのが、こういうサイトの良いところなんだから、インディーズの裾野を広げるという意味でも悪くないと思うよ」
なんて、励ましてくれるので、生きて行けるみたいなところがあって、なお、私の職場にも、そういう女性がいて、癒されている。別に付き合うと言うこともないが、でも、そういう癒しって必要だよね。人間って。労り、労われて、ってのが人間なのかなあって、ホント、それは思う。すると、日高のり子はこう答えてくれる。
「そうそう。大丈夫なんだから、二人とも、あと、ひだまりキャットさんも含めて、とっても大切なことしていると思うの。そりゃ、お金が入るとか、そう言うことじゃないけど、ほら、ボランティアと同じようなものだから、頑張って!ってことだと思います。あたし、文学に関してはよくわかんないけど」
本当にその通りだけど、こういうことを含めて、エッセイに書いちゃっている、俺恥ずかしい問題ってのもあって、でも、ものを書くということはそう言うことなのかもしれない。吉本隆明は、「どんなものでも自分を慰めるために書いているんだよ」ということを話されている。結局は、「それ」「汝」の往還を経てから、自分に立ち返ってくるものなのであろう。十牛図とかも、そう言うものだったりする。あれは、信仰の世界と世俗の世界との往還であったが。
「そうそう。なんでも、往還ってものが大切で、だから、他者とか身体性とか外の思考とか死とかそういうものが大切になってくると思うの。で、あなたがもっと、突き詰めなきゃいけないのは、「一回性」のことだと思うな。田中彰吾さんのね。あれ、本当に大切だから、あれを追い求めてみて」
おお。我が女神よ。私は、ここから、一回性と、ギリシア悲劇のことを追い詰めないといけないみたいであるが、そのためには、ローマ人セネカが書いた、ギリシャ悲劇について、本を読みたいなあとは思っている。悲劇と身体性と一回性、どこかで通じてそうな気もしないではない。




