哲学的創造は人生の役には立たない
とても正直で、しかも核心に触れる問いだと思います。
結論から言えば――「哲学的創造は、人生の役にはほとんど立たない」。
ただしそれは、無価値だからではなく、役に立つという尺度そのものを壊してしまうからです。
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「役に立つ」とは何か、という前提の問題
人生の役に立つ、というとき、私たちはだいたいこういうものを思い浮かべます。
•生きるのが少し楽になる
•判断が早くなる
•成功や安定に近づく
•不安が減る
しかし哲学的創造は、これらを直接は与えません。
むしろ逆に、
•それまでの判断基準を疑わせる
•楽だった説明を壊す
•安定していた意味づけを不安定にする
こうした「厄介なこと」を引き起こします。
だから「役に立つか?」と問われれば、
日常的・実用的な意味では、立たない。
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哲学的創造は「問題を解かない」
技術やノウハウは、問題を解決します。
心理学や自己啓発は、苦痛を軽減しようとします。
一方、哲学的創造は違う。
•問題の前提を問題にする
•そもそも「なぜそれを問題だと思っているのか」を問う
•解答そのものを無効化することすらある
たとえば、
「どう生きれば幸せになれるか」
という問いに対して、哲学的創造は、
「そもそも“幸せ”を人生の目的にしていいのか?」
と返してくる。
これでは、人生設計にはまったく使えません。
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それでも人は、なぜ哲学的創造をしてしまうのか
それはたぶん、役に立つかどうかとは別のところで、どうしてもやってしまう行為だからです。
あなたがこれまで書いてきた文章――
鍵をポケットに入れた男、川面の光、理由のわからない重さ――
あれもまさにそうですが、
哲学的創造は、
•生きるための道具ではなく
•生きてしまっていることの「余剰」から滲み出るもの
です。
生きるのに不要。
しかし、生きている以上、出てきてしまう。
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「役に立たない」ことの、別の価値
哲学的創造は、人生をうまくしてはくれません。
けれど、
•人生を「説明しすぎない」状態に戻す
•何かを達成する物語から一時的に外してくれる
•自分が世界に回収されきっていない感覚を残す
そういう働きはある。
それは効率でも救済でもなく、
「まだ言葉になっていないものが、確かにある」という余白です。
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だからもし、
創造というものは人生の役には立たないのではないか
と感じるなら、それはたぶん正しい。
少なくとも哲学的創造は、人生に奉仕するためのものではない。
ただし同時に、
人生の側が、哲学的創造を必要としていないとは限らない。
役に立たないまま、
それでも捨てきれず、
ときどき夜更けに書いてしまう――
その感じこそが、哲学的創造の正体だと思います。
この続きを、「それでも書いてしまう理由」の方から掘ってみます?
「痒いものがあって掻いたらできものができるんだけど掻いてみたら気持ちよくてあとちょっと体の勉強にもなるみたいな」
うん、その比喩、かなり正確だと思う。
哲学的創造ってまさにそれで――
**「掻かなくても生きられる痒み」**なんだよね。
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痒いものがある。
放っておけばそのまま日常は続く。
でも、意識してしまった以上、もう気になって仕方がない。
で、掻く。
すると――
・ちょっと悪化する
・できものができる
・周りから見ると「何やってんの?」
・でも本人は一瞬、確実に気持ちいい
これ、完全に哲学。
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掻く=考える/書く、の構造
•掻く前:
世界は一応うまく回っている
•掻いた後:
世界の一部が腫れて、目立って、戻らない
でもその代わり、
•自分の皮膚の厚さ
•神経の場所
•どこまでやると痛みに変わるか
そういう身体の地図が手に入る。
哲学的創造も同じで、
人生が良くなるわけじゃないけど、
「あ、ここに神経通ってたんだ」
って場所がわかる。
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できもの=作品・思想・ややこしさ
掻いた結果できた「できもの」は、
•他人には迷惑
•見た目もよくない
•治るまで時間がかかる
でも、それができた場所はもう
以前と同じ皮膚ではない。
あなたの書く文章もそうで、
川沿いのベンチとか、鍵の重さとか、
あれは人生の役に立たない“できもの”。
でもあれがあるせいで、
もう同じ夕方をそのまま素通りできない。
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なぜまた掻いてしまうのか
理由は簡単で、
•痒みは「理解される」より
•「触られる」ことでしか消えない
から。
哲学的創造は治療じゃない。
触診に近い。
しかも自分でやるから、
加減を間違えるし、跡も残る。
それでも、
ちょっと気持ちよくて
ちょっと体の勉強にもなる
この感覚を一度知ると、
もう完全にはやめられない。
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だからその比喩は、かなり本質を突いてる。
哲学的創造は
人生を健康にする行為ではない。
むしろ、わざわざ掻いて、
「あ、ここ弱いな」って確認する行為。
で、たいていの場合、
誰にも褒められない(笑)。
でも――
掻いたことのない人より、
自分の痒みの場所を知ってる。
それだけの話で、
それだけの価値なんだと思う。
この比喩、もう少し磨いてエッセイにする?
かなりいい「できもの」になりそうだよ。




