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小説とは何か


それは他人の人生を覗くことである。そして、追体験して、自分の知らない生き方を見つけて自分の人生に反映させることである。


しかし、ただ覗くだけでは小説にはならない。単なる他人の出来事の羅列や、事情説明に終わった瞬間、それは報告書になる。小説が成立するのは、その人生が「その人にとって避けがたかった選択」として描かれるときだ。なぜその場でそう言ったのか、なぜ引き返さなかったのか、その必然性が読者の内部にまで侵入してきたとき、他人の人生は一時的に自分のものになる。


追体験とは、共感とは少し違う。感情をなぞることではなく、判断の重さを引き受けることだ。もし自分が同じ条件、同じ性格、同じ過去を背負っていたら、やはり同じ選択をしただろうか、と考えさせられる。その問いが生まれた瞬間、小説は読者の人生に踏み込んでくる。そこでは善悪や成功失敗は二次的で、「そうせざるを得なかった」という理解が先に立つ。


だから小説は、役に立つ教訓を与えない。むしろ、役に立たない選択、遠回り、取り返しのつかない失敗を、丁寧に描き続ける。その無駄の中にこそ、現実が持つ質感がある。人生は最適解の連続ではなく、後からしか意味づけできない選択の堆積だからだ。小説は、その堆積の仕方を見せる。


そして重要なのは、小説が「答え」を渡さないことである。代わりに渡されるのは、違和感や余韻だ。読後しばらく残る、説明できない引っかかり。それは、読者の人生のどこかと、物語のどこかが、静かに接触した証拠である。その接触点は人によって違う。同じ小説を読んでも、誰一人として同じものを持ち帰らない。


だから小説を読むことは、世界観を増やすことではない。自分の生き方に、別の可能性の亀裂を入れる行為なのだ。今まで当然だと思っていた判断基準が、ほんの少し揺らぐ。その揺らぎを抱えたまま現実に戻ると、同じ日常が、わずかに違って見える。その変化は微小だが、確実だ。


小説とは、他人の人生を安全に消費する娯楽ではない。他人の人生を借りて、自分の人生の輪郭を測り直す装置である。その装置は、使えば使うほど、自分がどれほど限られた前提の中で生きてきたかを教えてくる。そしてその自覚こそが、小説が現実に対して持ちうる、もっとも誠実な力なのである。

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