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私という幻想について


 だから、私というのは、幻想なのである。これは、前に書いた。「我と汝とそれ」を参考にしてほしい。しかし、賢者のような顔をして、私というものを軽んじると、とんでもないしっぺ返しがやってくる。


 なぜなら、私というものは私本体だからである。ある程度、歓待してあげないといけないのである。そうしないと、私は痩せ細って鬱病状態になってしまう。


 だから、私をある程度、養わないといけない。これが、貪瞋痴と結びつくのだ。つまり、怠け病ということにもなるだろう。しかし、これも必要な部分がある。いつも、厳しいことばかり言っていたら、生きる意味がなくなってしまう。


 たまには、私に有頂天になっても良いだろう。そのために、組織、ゲーム、というのはあるのだ。カラオケでも良いだろう。私もたまに、カラオケで、90点くらい取れるのがあるからそれをやって、元気になって帰ってくるものである。


 こうやって、したり顔で、エッセイを書いているのもそうなるだろう。人間はご褒美が欲しい生き物なのである。鬱になってしまう人は、自分褒め技術が足りない人間である。


 そこに関しては、苫米地英人さんの本などを読んでも良い。あの人は、自己洗脳のことをちゃんと書いている。確か、瞑想法の本に、書いていると思う。というか、コーチングの専門家でもあるのだ。


 私と言うのは、肥大化させておかないといけない反面、その倨傲さ、傲慢さが、思わぬトラブルにも繋がってくるのである。他人を下に見る習慣を持ってしまう人が出てきてしまうのだ。


 そこは厳に戒めるべきなのであろう。なかなか、人間はそれができないのである。だから、現実世界というのはトラブルが絶えないのだ。ここにものを書く人間はみんな、自分が一番と思っている。


 いや、思っていないと思っていても、「自分が一番と思っていない謙虚さを持っている」と思っている。つまり、それは自分が一番と思っていることと同じなのである。それは、そんな謙虚さなどもないのだ。本来は。


 我々は関係性なくしては、存在しないのであって、その関係性において、どうなのかと言うことなのである。ここにものを書いているだけでは、何者でもない。そう考える必要性があるのだ。しかし、心の底では覚めていても、人生というのは妄想の織りなすゲーム世界である。それを楽しむにしくはなし。

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