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田中彰吾氏の説く【人生の一回性】


 メルロ=ポンティの専門の哲学者 田中彰吾氏の言葉。この前、リハックというところで、高橋さんと話している哲学者の田中氏の言葉に感動したのだった。


我々は、一回しか訪れない時間を毎回違うものとして味わうべきである。あれも同じ、これも同じと、パターン化して、固定観念化して通り過ぎるべきではない。


確かにその通りで、我々の人生がつまらないのは、全てをパターン化しているからである。しかし、現実は、厳密には決して、過去の繰り返しではない。その微妙な兆候を感じなくてはいけない。そこから、工夫してこそ、独自にものをこなしてこそ、我々の生きる充実感、つまり独創性があるのだ。


そのために必要なのは、大きな決断や劇的な転換ではない。むしろ、ほとんど見落としてしまうような差異に、わずかに立ち止まる態度である。昨日と同じ道、同じ仕事、同じ会話。その中に混じる、ごく小さな違和感や、かすかな変調を「誤差」として捨ててしまうのか、それとも「兆し」として拾い上げるのか。その分かれ目に、人生の密度は宿る。


人は効率のために世界を単純化する。名前をつけ、分類し、「だいたい同じもの」として処理する。そのこと自体は生きるために必要だ。しかし、いつのまにか我々は、世界を単純化するのではなく、自分自身を単純化してしまう。今日は月曜日だからこう振る舞う、あの人はこういう人だからこう返す。そこには安全はあるが、驚きはない。


田中氏の言葉が鋭いのは、時間の不可逆性を真正面から引き受けている点だろう。この一瞬は二度と来ない、という事実は、ロマンチックな標語ではなく、冷酷な現実である。だからこそ、漫然と消費することは、取り返しのつかない損失になる。逆に言えば、どんなに退屈に見える時間であっても、それを「今回限りのもの」として味わう視点を持てば、そこには必ず未知が含まれている。


独創性とは、才能の多寡ではなく、感受性の姿勢なのだろう。与えられた状況を既知の型に押し込めるのではなく、状況の側がこちらに何を要求しているのかを聞き取ろうとする姿勢。その積み重ねが、「自分なりに生きている」という実感を生む。人生が面白くなる瞬間は、何かが成功したときではなく、世界が少しだけ違って見えたときなのかもしれない。


我々は同じ一日を生きているのではない。同じ形式の中で、毎回まったく異なる一日を通過している。その事実に気づけるかどうかが、生きることを「作業」にするか、「経験」にするかを分けている。田中氏の言葉は、人生を変えろと命じてはいない。ただ、もう少しだけ、注意深く生きてみろ、と静かに促しているのである。

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