バタイユ(混沌)
私は、ネグソシストという小説を書きたいと思っているものであるが、そこにはクソに関するあらゆる短編などを混ぜると言う内容で、リアルタイムに脱糞の良さを臨場感ある雰囲気で語りたいと思っているが、それについて、先にやっている人がいて、それは、コミックコロコロとかではなくて……
バタイユだったらしい。この前、ゆっくりの紹介動画を見て、「ああ!これじゃん」と思ったのだった。バタイユと言う人の中では、善と悪、性と愛が分かれていないのだ。これは、そもそも父が梅毒で死んだ。ということもある。だから、若い頃から、へべれけになって、そして、娼館に通っていたのだと言う。
彼の眼球譚というものも、まだ読んでいないが、そう言うものなのだろう。そことの連想であるが、サルトルの「嘔吐」なんて言うのも、アイデアとしてはとても面白い。つーか、ブランショのバタイユ論をもう一回読み直さないといけないかもしれない。
彼は、生活の上で生じる余剰エネルギーは、遊びや芸術などに使え、ということを言っているのだった。もし、余剰エネルギーをちゃんとしたことに使ったら、そこから戦争が始まるのらしい。
ここら辺こそ、混沌派の面目躍如たるところだろう。日本人にも、芸のためなら女房を泣かす。という言葉があり、酒場は人生の学校、みたいな言葉もある。バタイユの言っていることは、非常識ではなく、我々の日常に溶け込んでいるのだ。
自分は「エロティシズム」みたいな内容の本を一冊読んでいた記憶がある。そこでは、贈与として贈り物を火に燃やす、ポトラッチ、という儀式が昔のアメリカにあったことを紹介していたのであった。これも、生活の上での余剰エネルギーである。
……となると、私の異世界小説=クソという言説も改めなくてはいけないのか……否、私はクソを褒め称えようという小説を書こうとしている最中なので、私にとっては、異世界小説はオッケー、そして、ここ「なろう」で、小説を読んでいる人たち、あるいは、そういうジャンルの小説を書こうとしている人たち、これは、バタイユ的な変態なので、もっと頑張れ!と言うことを言いたいのであった。
この感覚は、みうらじゅんの、「アウト老」という考えにも通じていると思っている。はっ、東浩紀が酒飲んで、何か語っているのも……って言うか、東浩紀の弱点は、遊びが下手ということなのかも。その点、松岡正剛とかは、遊びの天才であった。ま、その話とは別に、東浩紀氏の本、読みたいなー。




