29.むしろ好都合
sideレティシア
「レティが、『お強いのはわかっていますが一人で行動するのはやめてくださいね』と言ってくれたおかげで、あの時適切な対処ができた。礼を言う」
「そんな、私のおかげだなんて。でも、スヴェイン様に何もなくて安心しましたわ」
王女の計略は失敗に終わった。
あの晩、冷え切った夜の空気が、王宮の中庭を支配していた。足音が石畳に反響し、次々と捕縛されていく暗殺者たちの息遣いが、鋭い刃物のように張り詰めた空気を切り裂いていく。
伝令の知らせを受けた第二王子と近衛騎士団長は、迅速に包囲網を敷いた。訓練を重ねた第二王子の近衛隊は一糸乱れぬ動きで暗殺者たちを制圧し、その活躍ぶりは誰もが称賛せざるを得ないものだった。普段から鍛錬を怠らない彼らにとって、この結果は必然よ。
惨状の現場に立ち尽くす王女の顔色は蒼白だったらしい。
国王は命を狙われた恐怖で顔を蒼白にしていた。第一王子は状況に対処できず、完全にパニックに陥っている。その中で第二王子は冷静に指揮を執り、混乱する場を見事に収めた。その威厳と判断力に、誰もが頼もしさを感じたに違いない。
賭け事の場、関わった高位貴族。清廉潔白な第二王子なら見逃すことはないと思うけど。
命を救われたくせに、しつこくスヴェイン様を陥れようとする王女が、その場で、なおも悪あがきを続けていたという。
「その者のポケットに、不正の証拠が入っているわ。私はそれを確かめるためにあの場にいただけ、罪などないわ!」
彼女の叫び声が王宮の廊下に響き渡った。だが、その証拠とやらは結局どこからも見つからなかった。
それもそのはずだ。
夜会では護衛のため傍にいられないがエスコートは、と、邸に迎えに来たスヴェイン様は、ご自分の邸で隊服を着てくるに決まっている。王宮においてある隊服のポケットに何かを入れても意味はないじゃない。
まあ、それもバレンに言って処分してもらったけど。
結局、王女の計画はお粗末で、浅はかなのよね。
「スヴェイン様、今回の件で責任を問われる方はどなたですの」
*****
side第一王子
「誰かが責任を取らなければならない」
父である国王のその一言は、冷たく鋭い刃のように空気を裂いた。
秘密裏に行われていた賭け事は、ついに隠しきれなくなった。
そして、それに絡む暗殺者の出現。参加者たちに口止めを試みたものの、事態はすでに王宮の内側だけで収まるものではなくなっていた。
噂はすでに広がり始め、納得しない者たちの怒りは日に日に増えていっている。
「王女の我儘から始まったことです。辛いですが、王女に責任を取ってもらうしか……」
その言葉を口にしたのは、どこか憔悴した面持ちの宰相だった。目元の皺が深く刻まれ、疲労の色がありありと浮かんでいる。
「そうか、そうだな」
父上は、短く頷いた。それがどれほど冷酷な決断であるかを分かりつつも、他に選択肢がなかった。
失った信頼を取り戻すため、国の利となる生贄が必要だったのだ。
妹である王女には、来ていた縁談の中から、最も遠く離れ、最も国に利益がある国、エレデーンへの嫁入りを命じられた。その国は、地理的にも政治的にもこれまでほとんど繋がりがない。つまり関係性が危ういということだ。
王女の言動次第で、また、この国やエレデーン国の決定次第で、王女の命など儚く散る可能性が濃厚だが……。王命は絶対だ。
「なぜ、あの国なのです。特につながりを求めていないくせに! 利益のある近い国だってあるのに!!」
涙を浮かべた妹は、私を睨みつけた。その瞳の奥には、怒りと絶望が渦巻いている。
「ひどいわ。私にだけ責任を取らせるなんて」
声は震え、感情を押し殺せない様子だった。
「側妃なんて冗談じゃない。私は第一王女よ!」
散々喚き、暴れる妹を侍女たちが宥め、押し出発の日には押し込むように馬車に乗せた。装飾が施された豪奢な馬車の扉が閉まると、妹の叫びは徐々に遠ざかり、やがて消えた。車輪が石畳をきしませながら動き出す音だけが、重々しく耳に残った。
意図せず、今回の事件で、王太子としての私の資質が厳しく問われている。
周囲からの冷たい視線と暗黙の圧力が、まるで目に見えない鎖のように私を締め付けた。
……あんな状況でパニックになるなという方がおかしいだろ?
内心でそう呟き、ひそかな苛立ちを抑えた。
父上だって、同じような状況だったじゃないか。
冷静に対処した第二王子は、むしろ怪しい。
カリストリア国の暗殺者だと調べがついているが、その調査を指揮したのは第二王子本人だ。彼が暗殺者を雇い、偽装した可能性だってある――王位を狙うために。
「父上、カリストリア国への使者ですが、今回指揮を執ったのは第二王子です。彼が代表が適任です」
慎重に言葉を選びながら、提案を口にした。
「いいのか? 国の代表だぞ。お前が行き、上手く収めることができればお前の王太子の座は安泰だが」
父上の声には探るような響きがあった。
「命を狙った国と交渉をする。本当に無事に帰ってこられると思いますか?」
私の言葉に、父上は深く考え込んだ。
カリストリア国との関係は、過去から続く因縁だ。
中間に位置する土地を巡り、幾度となく争いが繰り返されてきた。今回の暗殺未遂はその延長線上に過ぎないが、歴史を紐解けばこちらの国が先に攻め入った事実もある。なので交渉もこちらの国ではなく、あえて中間の土地で行うこととなった。
「証拠は揃っているし、賠償金や今後の協定の話し合いという親書は来ているが……確かにそうだ」
王の目が遠くを見つめる。その背中が一瞬だけ小さく見えた気がした。
第二王子が無事に帰った来られたら、そのことを怪しむことができる。
無事に帰ってこられなかったら、それはそれで。むしろ好都合。
私には何の損もない。




