16.恋なわけないじゃない sideリリア
sideリリア
「それで、リリアは、第2近衛隊の隊長に狙いを絞ったのね。もっと顔のいい人もいるのに」
メアリーが笑いを含んだ声で言いながら、カウンターに置かれた花束に顔を近づけた。彼女が手に取ったのは甘い香りのするピンクの小花だ。
冷たい空気を忘れさせるほど、小さな店先には暖かな花の香りが漂っている。だが、メアリーの言葉にはどこか刺があった。
私は手を止め、束ねかけの花を置く。
メアリーは昔から、恋愛話には首を突っ込まずにいられない性格だ。そのたびに、私は少し疲れる。
「メアリー、私たちは平民よ。顔のいい騎士なんて、女を選び放題じゃない。その点、あの強面の騎士様。無骨な感じで女に慣れていない様子だったわ。微笑むと毎回視線を逸らすもの。いけるわ」
微笑むと、彼は困ったように視線を逸らしていた。それを思い出して、少しだけ口元が緩む。
平民と結婚しても、生活が大きく変わることはない。
けれど、きちんとした収入があれば――少しだけ余裕のある生活があれば、家計の心配に追われることなく、小さな贅沢を楽しむこともできる。花屋になるという夢をかなえた私にとってそれは次のささやかな夢だ。
「……あら、困って視線を逸らしていたんじゃない? だって婚約者がいるらしいわよ。子爵家の令嬢で、とても可憐な方だそうよ」
メアリーが肩をすくめて挑発するような笑みを浮かべた。
近衛らしくないスヴェイン様の顔立ちは珍しく、有名なようで、意外にも、メアリーは彼の情報をよく知っていた。
「違うわ、本当に照れていただけよ」
少し間を置いて、静かに反論する。心の中で言葉を整理する時間が必要だった。
「……婚約者なんて、政略でしょ? 可憐な令嬢は、美しい騎士に憧れを持つはずじゃない。きっと、その令嬢だって家のために我慢して、それなりの関係を保っているだけだわ」
世間知らずの令嬢は、時々お忍びで街に来る。
その振る舞いが目に入るたび、心の中で小さく笑ってしまう。彼女たちのきらびやかな衣装も、上品な笑顔も、薄っぺらい舞台衣装のようにしか見えなかった。
そうやってお人形みたいに笑っていれば、何でも思い通りになると思ってるんでしょ?
言葉にはしないが、胸の内で吐き捨てるように思う。彼女たちが持つ「当然のように愛される」という無垢な自信を、どこか嘲笑する気持ちがあった。
見目の良い男どもに言いくるめられ、得意げに大量に物を買っているのを何度も見たことがある。
スヴェイン様の婚約者だって、そんな令嬢に違いない。
メアリーは少し目を細めて、私の顔をじっと見た。だが、すぐに新たな反論を投げかけてくる。
「まあ、あなたも可憐だけど……でもあの隊長、辺境伯家の方よ。伯爵家の人間だもの。さすがに身分が違いすぎるんじゃない?」
「嫡男ではないと聞いたわ。だったら、親の決めた婚約者と嫌々結婚する必要はないもの。最後には、本当に恋した女を選ぶに決まっているわ。市井で暮らしている貴族の次男、三男もそうだもの」
婿入りが決まらない貴族の次男や三男が市井で暮らすことは珍しくない。
彼らは爵位を継ぐことはないが、きちんとした教育を受けているおかげで職に困ることも少ない。隣の家の旦那だってそうだ。元は貴族出身で、今は通訳官として立派に働いている。
「仕立て屋のサラが付き合っているのだって、近衛の騎士なんでしょ? 『三男で継げる爵位がないからなのか貴族の身分を隠しているようだったけど、騎士は出世すれば騎士伯をもらえるわ。絶対逃さない』って張り切っていたもの。私だってこの出会いを逃さないわ」
メアリーはその言葉に少しだけ眉を上げた後、クスリと笑った。
「ふふ、あなたもなかなか抜け目ないのね。でも、その情熱を向けられた隊長殿、気の毒だわ。恋ではないのでしょう?」
その言葉に、一瞬だけ胸が締めつけられるような思いがした。メアリーの笑顔が眩しいのが腹立たしくもある。
「……恋なわけないじゃない」
そう小さくつぶやいた声はどこか冷たく響いた。
美しく洗練された騎士。輝くような微笑みを持つ王子様。私だって憧れはある。でも、それは手が届かない幻想だ。
現実を選ぶ強さ――そう言い聞かせながらも、どこか胸の奥でざらつく感情を抱えたまま、私は黙って花を束ねる手に力を込めた。




