1.実りある時間
sideレティシア
「はぁ、早く帰りたいわ」
第2王子殿下の婚約者選定のお茶会なんて、何の興味も無いのに。
公爵家や侯爵家の令嬢も集められるその場で、王子殿下の婚約者選びは、すでに形式だけのもの。
真の目的はまだ婚約者のいない王子の側近候補たちの婚約者選び――つまり、私のような婚約者のいない令嬢たちには出席の義務が課されるのだ。
正直なところ、面倒としかいいようがない。
せっかくの休日。新しい事業の取引の内容も確認しなければならないし、我が商会に侵入したスパイをあぶり出す必要もある。時間はいくらあっても足りないというのに、令息たちの自慢話を笑顔で聞かなければならないなんて。
お茶会に集まる令息たちが、自分の目の前で華々しく語り合う。
誰もがこの場にいる理由を心得ている。結婚の意義を掲げ、自らの家名を背に、相手を見つけようとする。
その姿勢が鼻につく。この場にいる自分が、ただ「品評されるため」にここに呼ばれているのではないか、という無力感。
ほら、まただ。
「ロラン子爵令嬢は、美しい私の隣に立つのにふさわしい令嬢だ。どうだろう、あちらでお互いのことをもう少し話さないか?」
自分のことを“美しい”と言ってのける令息はあなたで3人目。
美しさ以外で誇れるものはないのかしら?
「シャルトル侯爵令息、あちらの伯爵令嬢があなたのことをずっと気にかけておりますわ。身分が近い令嬢の方がお話が合うのではないでしょうか? 私のことはお気になさらず」
にっこり微笑みながら言い放つ。
シャルトル侯爵家との関係を深めたところで、利益はない。却下よ。
「そ、そうか? 私は君が…。それでは、伯爵令嬢と話をした後、一応また来てもいいだろうか?」
「ぜひ」
来ないでほしい。
聞き飽きたのよ、外見と優秀さの自慢話は。だいたい――。
我が商会が取り扱う装飾品の広告塔になるため、美容には惜しまず投資しているわ。贔屓目に見ても私のほうが美しいでしょう?
優秀さ? 私は学年1位ですのよ。他国の商会とも取引をしているし、言語も政治も得意分野よ。
援助が必要? 我が家のほうが裕福ですわ。情報を正確に把握できない方なんて論外。
爵位? 本気になれば子爵以上の爵位を手に入れるのなど造作もないけれど、しがらみが増えるだけだからやらないだけ。
はぁ…憂鬱。近寄らないでオーラを出してみようかしら?
そんなことを考えていた矢先――。
ガタン!
テーブルが揺れ、ティーカップがぐらつく。
隣を通り過ぎた令嬢のスカートがテーブルに触れたのだ。
『ドレスが濡れたら帰れるかしら?』少し邪な考えが頭をよぎり、反応が遅れてしまった。さすがに王宮のカップを割るのはまずいわ。
慌てて手を伸ばす――その瞬間。
大柄な騎士が素早く駆け寄り、片手で落ちかけたカップを受け止める。
大きな手が視界に入り、顔を上げると――鋭い目つきと堂々たる体格の騎士。
低く、力強い声が響く。
「お怪我はありませんか?」
その瞬間、心の中で何かが弾けた。その姿は、まるで絵本に登場する英雄のようで、思わず息を呑んだ。
お礼を言い、微笑みを向けると、彼は、頬を赤く染め、ほんの一瞬だけ視線をそらした。
その仕草がまた、たまらなく愛おしい。
スヴェイン・クレシー。
辺境伯家のご次男。最近近衛の隊長になったという噂の彼だわ。
皆が“目つきの悪い無骨な方”と評していたけれど――こんなにも素敵な方だったなんて!
鋭い目つき、最高じゃない!!
婚約者はいないはず。伯爵家と子爵家? 大丈夫、いけるわ。
年の差? 10歳くらいかしら。問題ないわ。お父様とお母様だって15歳差ですもの。
ただ…。10歳下の小娘が、彼にとって“女”として見られるかどうか。ここが最大の課題ね。
ふふ、ふふふ。
よし! 実りのない時間だと思っていたけれど、今日は大収穫よ。
さて、どうするべきかしら。
外堀から埋めるのが一番かもしれない。彼の信頼を得て、少しずつ印象を深めていくの。
…いけない。冷静さを欠いているわ。安易に答えを出すのはまだ早い。しっかり計画を練らなくては――。
彼に私という存在を意識してもらい、心を手に入れ、そして相思相愛を目指すわ!
スヴェイン様という名前が、私の心にしっかりと刻まれた。
彼の横顔を見つめながら、隣に立つ未来を想像して決意を固めた――。
*****
「レティ? どうしたんだ?ぼーっとして」
スヴェイン様の問いかけに、ハッと我に返った。
「スヴェイン様との出会いを思い出していたのですわ」
微笑みながら答えた。スヴェイン様はその言葉に目を細める。
庭の緑を背景にした彼の姿は、どこか落ち着いた威厳を感じさせた。ああ、スヴェイン様は、今日も素敵ですわ。いいえ、出会った時からずっと素敵。
大柄で鍛え抜かれた体躯、真面目で規律を重んじる性格、そして、見た目に反して意外と不器用で純粋なところ――最高!
「おお、奇遇だな。俺も今日レティが来る前、思い出していた」
見つめる目にはどこか優しさが宿っていた。その言葉に、心が小さく跳ねた。
「まぁ、私たち気が合いますわね!」
「そうだな。ただ――レティ、一緒にいるときは過去の俺じゃなく、その、今、目の前にいる俺を見てほしい」
スヴェイン様の低い声が届き、頬が赤らむ。そう言ったスヴェイン様の頬も赤く染まっている。
「っ! そうですわね…私としたことが! 今から穴が開くほど見つめますわ。覚悟なさって!」
スヴェイン様は、思わずと言った様子で笑い、肩をすくめる。
「はは、いいぞ。好きなだけ見てくれ」
二人の会話に笑顔がこぼれる中、庭に吹き込む春の風が彼らの髪をそっと揺らした。




