57話 膨らむもの。
よろしくお願いします。
——今日も、この男が来ている。
「ペントラ卿、エーリチェ男爵殿。あの黒鱗魚蜥蜴の見事な鱗、拙者も購入いたしましたぞ! 実に見事な切り口にございます!」
まるで、駆け出しの騎士の様なことを喋り倒す老人に詰め寄られ、アントニオは僅かにだが眉間へと皺を寄せた。その途端、右脇腹を突かれる。
「奥方様」だった。目顔で、お返事は? と言っている。仕方なく、エーリチェ男爵は口を開いた。
「かたじけない」
益々声を高めていくご老人——監査官殿であるが、アントニオが愉快であるはずもない。
この男が、あの日に口にした侮蔑を思い出せば、到底、赦せるはずもなかった。
グシャリ。
掌に、冷たさを感じる。
「こら、アントニオ。加減を覚えなさいと、昔から言っているでしょ?……もう、仕方のない子ね」
奥方様の柔らかな手に、右手が包まれる。
立ち上がった彼女が手に持つ絹布により、濡れた掌は拭われていた。
「少々、失礼いたしますね、婆や」
慎ましき淑女は傍の老婆へ声を掛け、踵を返して中座する。
さしものアントニオも、バツが悪くなっていた。
「魔銀を、またしても紙の様に。おおう……」
これで、五つめだ。会談に付き合わされてから、それだけの杯を握りつぶしていた。
「まったく、アントニオにも困ったものね。でも苦手でもなんとかなっているなら、よかったわ」
「気楽なこつ言んなさる。ただやなかとばい」
更に何事かを捲し立てる監査官の戯言を聞き流しながら、アントニオは「あの方」と乳母殿の溜息を聴いている。
——恥を掻かせてはならん。俺も、もっとしっかりとせんといかんな。
そう思いつつも彼は、戻ってきた奥方様が監査官殿へ機嫌よく相槌を打つ度に、表情を抜け落ちさせていた。
「こんな、不器用で無愛想な男ですが、我々トラーパニの民にとり、掛け替えのない『英雄』ですの」
「あの頃」を思い出させるほどに、明るく微笑む貴婦人。彼女の細い指が、アントニオの右手へ添えられていた。また杯を、握り潰さぬ様に。
「それにしても、実に絵になるお二人だ。実の所、ここだけの話ですがな……」
監査官は相変わらず興奮をして喋り倒している。
「今回の監査も、特に問題はないでしょう」などと、職務の進捗までをも語り出していた。不用意なことに。
「監査官殿、『ズル』は、いけませんよ」
たおやかながらも冷たい声に、背筋が伸びる。
論理だけが意味を持つ言葉。
あの日、アントニオが剣を誓った彼女へ。
「……はっ。ご褒美、かたじけなく」
酒焼けした太い声に、奥歯が軋んだ。
木石だの鉄みたいだのと、奥方様には揶揄われるアントニオであるが、彼とて男だ。
目前の老爺の視線に澱む色を、察さぬはずもない。
「おほほ。監査官殿は、冗談もお上手で」
貌だけで美しく微笑む女性の震えが、伝わらぬはずもなかった。
「いやはや、トラーパニの先行きは、安泰なのでしょうな。実に、けしから……うらやましい」
空々しく笑う男には、そろそろお引き取り願おう。
中庭でオルトが息も絶え絶えになっている。
「オルトも限界のようですので、この辺りまでで」
柳のジーノにも、飽きがきている頃だろう。
「流石は『英雄殿』。若君に『もしも』があったら一大事ですからな」
鷹揚に頷く客人。
「痛みいる」
「なんの。某らはここらで、お暇いたしましょう」
そう言って、立ち上がる監査官。アントニオもまた立ち上がっている。
「それでは、『また』のお越しをお待ちしておりますわ。ごきげんよう監査官殿」
最後に立ち上がった女主人が送り出す。
彼女は御子息——オルトのことだが、彼の願いにより、三日に一度の監査官の来訪を受け入れた。
護衛が戦闘教導を行う間、監査官の身辺へ責任を持つのもまた義務だ。
だからこそ、こうして付き添っている。
「アントニオ、良い機会ですからね。実戦にて社交の仕方を学ぶのですよ」
「はっ、我が夫人」
ご期待には応えてみせよう。このお方の剣として。
「可愛くないわねぇ……」
「はて、ご指示には従っておるつもりでございますが」
クスクスと笑う淑女の視線は、中庭へと。彼女が誰よりも大切にしている、息子の元へと。
「ほら、伸びているオルトを回収しますからね。アントニオ、ついてきなさい」
背中から、老婆の咳払いが聞こえていた。
それでもアントニオは、騎士礼を見せて「奥方様」へと付き従う。
不確かな主従であり、家族とも言えぬ二人。
十四年にも渡り、そんな歪な関係は続いている。
それでも夏の港町の風は、変わりなく吹いていた。
さっと吹きかかった潮風に、髪を掻き上げる。
短く刈った頭は暑い風に靡き、瞬く間に乾いていった。
「お兄ちゃん、かっこいい!」
「よっ! 良い僧帽筋!」
「カチカチ、しゅきぃ……」
アウグスタの息子、三年後には子爵を継ぐ予定のオルトは、女性たちに囲まれていた。
真昼の公園の広場にて、上半身裸でいて。
「若! モテモテだな!」
「この、女泣かせ!」
「ルカ様を泣かせたら、殺す」
口々に、通り過ぎる大人たちの声援を受けながら。
ムキった筋肉を収縮させれば、女性たちは悦ぶ。
「やーん! 硬い!」
「はぁ、はぁ……。ルカ様の、きんにくぅ」
メスガキたちではあるが。そしてオルトの筋肉は、ルカのものではない。
オルトはルカの学園での級友たちに囲まれて、彫像の如く立っている。
「チビども、可愛いなぁ!」
腕を上げて回れば、キャッキャと歓声が上がった。
「可愛いって!」
「お兄ちゃん、お上手〜」
訓練帰りのオルトであるが、公園にてルカの級友たちに捕まってしまっていた。
「ほら、貴女も」
「私はいい」
「なんでよー! ノリ悪いー!」
オルトを囲むのは四人だが、騒がしいのは三人だけだった。一人の少女だけが、大人しくしている。
「可憐なシニョリーナ。何か心配事がおありでしょうか? 不肖ながら、その憂いを解く一助となれれば」
三人にぶらさがられたまま騎士礼を見せるも、彼女は首を振って俯いてしまう。
大人しい、というよりも沈んでいた。
オルトはそんな子供を放って置ける程、賢い大人ではない。
「お前ら、食えないもんとかあるかー?」
だから、お節介でも焼いてやる。そんな気分の日があった。
「「「なーい! 四人とも!」」」
返ってくるのは、良いお返事。
「なら、ちっと待っとけやー」
それに、ルカたちを相手に淑女への対応を日々磨いてきている。その成果を見せるときがきていた。
オルトは筋肉に纏わりつく三人のメスガキ共を降ろし、売店へと走った。
「おら、水分補給の時間だぞ!」
戻ってきたオルトは、大皿を持っている。
五つのグラスを乗せて。
一つは冷たい茶であるが、残るは——。
「うぉー!」
「お兄ちゃん、さっすがぁ!」
「よっ! 小熊のビーさん! 太っ腹!」
甘く味つけされた炭酸水へレモンを絞り、ミントと塩で味付けされたセルツ。その上に季節のソルベを乗せ、焼き菓子を添えたドルチェだ。
トラーパニ風スグロッピーノである。
群がってくる子供たちへと手渡してゆく。
勿論、近寄ってこない大人しい子にも。
「あ、ありがとう。いただきます……」
「いただきます」の一言もなく、食べ始めた三人のガキたちと比べ、随分と礼儀正しい子であった。
「おう、食え、食え。残したら、勿体無いからな」
少女はスプーンでソルベをほんの少しだけ掬い上げ、お口へと放り込む。
頬が緩んでゆくのが見えた。
冷たいソルベを口の中で転がしている様で、ほんの少しだけ唇が動く。
やがてコクリと喉を鳴らせば、キラキラとした瞳でストローへ口付けた。
——美味そうだな。俺もアッチにすりゃよかった。
四人とも、幸せそうにドルチェを頬張っている。
——ふ。ルカですら口を割るドルチェ攻撃の効果は抜群だ。やはりガキなんざ、チョロいもんだぜ。
茶で喉を潤しながら未来の子爵は、大人らしく悪い心持ちをして、広場の端を見ていた。
人だかりが出来ている。
オルトが見知る訳ではないが、メスガキ共の母親はそこにいる。らしい。
彼女たち自身から、聞かされていることだった。
「まぁ、適当に遊んでおけってのも、なんだがな」
子供たちを連れて公園に来てるのに、大人たちだけでの集会を行う。オルトには、全く理解出来ない理屈であった。
「お母さんたちも、心配なんだろうね。一緒にいたいけど、所用もあるからつい、放ってしまうの」
とてもメスガキとは思えない切り返し。
「っても、社会不安があるからね。手の届く位置に我が子を留めたい。その気持ちは、理解出来る」
別のメスガキも言う。
「もう少し、慎重に備えて貰いたいものよね。やれやれ、親孝行も楽じゃないわ」
そして、もう一人までも。
三人とも、難しいことを言い出した。
オルトには、まったく理解が出来ないことである。
メスガキたちの、態度は。
「……ごめんね、皆。ウチの両親のせいで」
消え入りそうな声だった。その視線は集まりの一角を見ている。
そこに居るのは、あの「赤い屋根の家」の夫婦。
「気にしないでよ。まぁ、失敗しようとしてじゃないんだし、なんとかなるっしょ」
しおらしい声なぞなんのその、メスガキたちはどこ吹く風だ。オルトは、何が何だかわからなかった。
「そうそう。いざとなれば、お役所がなんとかしてくれるって話だし」
その話は聞いている。母ちゃん発案のものらしい。そのくらいは、オルトも覚えていた。
「『拡散型先物取引事業における、事業者破綻による被害弁済の特別条項。受益者への遡及的回収』」
「??????」
なんだか長ったらしいものに、オルトは目を白黒とさせる。得意気な、メスガキたちだった。
「だったっけ? 新法案。奥方様も、よく考えたものよね。息子であるお兄ちゃんとしても、鼻が高いんではなくって?」
どうやら誉められているみたいなのだが、うろ覚えな息子には、高く出来る鼻などない。
「おっ、おう……」
子供って、こんなに色々と考えているのか? そんな疑問が浮かんでしまう未来の領主。
メスガキたちに気圧されてしまう。
そういえば、ルカも——。
——え? マジで? 子供ってこんななの? 俺らのときって、犬のウンコとかで遊んでた気がするんだけど。もしかして、女の子ってヤベーのか?
学問は不得手だが、決して馬鹿ではないオルトは、メスガキたちの恐ろしさに慄いている。
といったところで、歓声が湧き上がる。メスガキたちからではない。大人たちの集う一角からだった。
「皆様。お集まりいただき、ありがとうございます」
備え付けられた壇上に立ち、頭を下げた男。
風采良く、洒落者の如く暑いのにカッチリとした背広を着込んでいる。髪は綺麗に後ろへと撫で付けていた。
見知った顔だった。
オルトは数式や単語を覚えるのは苦手だが、形は割と覚えている。
造形や風体に対する感覚だけは、鋭かった。
山の獣や異界の怪物たちは、見た目の違いがあまりない。それでも個体差を見抜く彼に、人相の判別などは容易い話であった。
「あいつ……」
唸ったオルトに、メスガキたちが色めき立つ。
「やーん! お兄ちゃん、かっこいい!」
「さっすが、ルカ様のお兄ちゃん!」
何故、ルカが出るかはわかはない。しかし、ガキとは食器が転がっても喜ぶものである。
成人している「大人の男」としては、微笑ましく見るべきものだった。
一方で、大人たちもまた盛り上がっている。
「我々の指導者よ!」
老人の一声に、また観衆が湧き上がる。
「平等と公平の使徒よ!」
「生活の保護者よ!」
続いた男女の声に乗り、口々に叫ばれた賛美の声が響き渡っていった。
「……ごめん」
大人しい娘が呟く。口火を切った老人と男女は、赤い屋根の家の住人だ。そして、この子も。
「いいって、いいって。そんなの、親の都合じゃん」
「謝ることなんて、なんもないし」
メスガキたちが口々に慰める。実に子供らしい無邪気さだった。
「ウチらの親だってさぁ、それが正しいと思い込んでやってっかんね。巻き込まれたんじゃなくさ」
「経験だけを積んで、それが正しいと言う老害は、思考を止めた愚者よ」
なんかまた難しい話が始まったので、オルトは無心で群衆を見ていた。
「寒冷地であっても、毎月薪を蓄えていけば冬を越せる。そこで、我々にとっての薪とはなんだ?」
謎かけのような言葉から始まった。
オルトでも、解答はすぐに思い至った。それは誰もが同じであって、口々に答えが返ってゆく。
「お金ね」
メスガキの言う通りであった。片手を上げる男。
「仮令得るものが減ったとしても、長期的、継続的な副収入は生活を助けることとなる。それを手放してしまえば、残るのは負債でしかないのだ」
そうだ、そうだと叫ぶ人々がいた。
オルトに論理はわからない。もしかしたら、正しい主張なのかもしれない。そう、考えることは出来る。
「拡散スキームや、「対話」において急所となる箇所を、ご説明します」
それでも、欺瞞だと思った。
朗々として声を響かせる男は、「あの時」の、指導者だ。フィオナを傷付ける空気を作り出した、煽動者だった。
「まともみたいなこと、言いやがって」
そう吐き捨てたくもなる。
「論理的にはね。けれども、土台に破綻があるよ」
「それに気付けた、ビーさんは偉い!」
肩に乗ったままのメスガキたちに、頭を撫でられる。どうやら、褒められているようだった。
どこか、釈然としないが。
煽動者の言葉は続く。やたらと小難しい理屈が。
「——以上。これで、対応は可能だろう。後ほど書面に纏めたものをお配りするので、役立てて欲しい」
暫しの沈黙。
その後ろには正装で着飾った、けれども柄の悪い連中がいる。彼等は分厚い紙束を抱えていた。
「あんな、胡散臭い連中なのにな」
「盲目なのよね。人は、見たいものだけを見るから」
かもしれなかった。見えているはずなのに、誰も気にしていない。男の言葉に酔いしれている、ようにも見えた。
そして煽動者は再び口を開く。
「生活こそが、我々の鎹だ」
呟くように小さい。だが、よく通った。
「それを守ることこそが、公の務め。だが彼らに、それが出来ているか!?」
そして叫びにも似た問いを。
同調の歓声が再び巻き起こる。
観衆は口々に、行政への不満を吐き出していった。
「っても、そんなに苦しくはないだろうに」
呆れたように漏らしたオルトだ。
言ってはなんだが、彼から見れば聴衆たちはそう困窮しているとも思えなかった。
「まぁ、仕方ないんじゃないかな?」
この熱狂が単なる鬱屈の捌け口にも見えて、離れた場所なのに、居心地の悪さを感じている。
「自分を省みるよりは、他責とした方が楽だからね」
わからなくもない。正論とも言えた。だが、それをオルトが簡単に受け入れることはなく。
「誇りは、ねぇのか」
つい、言ってしまう。
「ないわ」
すかさず返したメスガキに、次代の領主は教えを乞う視線を送ってしまう。
「お兄ちゃんみたいな、ノーキンにはわからないかもね? 誰だって、目の前の当たり前が大事よ」
またもや正論であった。
「マセガキがよぉ……」
「そういうのに、興奮するのよ」
それが、メスガキスマイルでなければ。
再び煽動者による、朗々とした声が響く。
「自由な商売を! 正義のための日々を! 我々に必要なのは、なんだ!?」
言葉を切ると、またもや聴衆は湧き上がる。
「利益の遡及的回収は横暴だ! 自由を守れ!」
「権利を侵害するな! 安全を保障しろ!」
興奮し、口から泡を飛ばしていく大人たち。
「ちゃんと保障されてんじゃん。なぁメスガキ共、だよな?」
「ざぁこ、ざぁこ」
オルトに煽りを気にする余裕はない。
それでも、こいつらの親にはちゃんと躾とか教育をして貰いたいという気がしている。
けれども、それが出来ないからこそ今があった。
大人たちの剥き出しの感情を、子供たちはどこか冷めた目で見ているようにも思えた。
「まぁ、なんだ。お前らも遠慮はすんな。もしも何かあったら、お兄ちゃんが守ってやるからよ」
それが寂しいものに感じて、口にしている。
「かっくいー!」
「さっすがぁ!」
少女たちは、何故だか盛り上がる。
メスガキたちはまた肩に登ってきたり、腕に掴まりにきたりと、益々纏わりついてくる。
「うふっ、うふぅ……。ハア、ハアッ、きんにくぅ!」
「もっと、カチカチにして!」
ご要望に応えムキリと力瘤を見せてやれば、一人を除いてキャッキャと騒ぐ子供たち。
「だからまぁ、ガキは普通に笑ってろ」
その一人の頭へ、掌を乗せて。
撫でてやれば、コクリと頷く動きが伝わった。
「それが、大人の務めだ」
オルトの視線は今、大人たちへと注がれている。
何か大きなものが、膨れ上がっていた。
一瞬だけ、一人の男と視線が交わる。
一団の指導者。
しかし、それはすぐに離れた。
「つっても、俺に出来ることなんて、身体を張るくらいしかないんだけどな」
この大きな流れを、止めることは出来ない。オルトはそう感じている。
だからこそ彼に誓えるのは、それだけの決意でしかなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。短編とかも描いておりますけど、この作品も早く完結してあげたいです。




