54話 思わぬ便り。
お読みいただき、ありがとうございます。
喜べば良いのか、嘆けば良いのかわからない。
アウグスタはそんな複雑な思いを抱えながらも、市長への手紙を書いている。
「残念ながら、ご期待に添えず、誠に申し訳ございません——と。はぁ……」
所謂、お祈り返信であった。
不景気な溜息が漏れるのも仕方がないことだ。
市長と同じくアウグスタも現在の状況について、明確な指針を持てずにいる。
「婆や、今日の霊核輸出事業の出納記録を持ってきて。それから——」
引き継ぎを終えるまで、そちらの業務はアウグスタが埋めることとなっていた。
そういった事務仕事は慣れたものであり、それほど苦でもない。
「それにしても、王都の霊核はどこに隠しているのだか」
「どうせ、碌でもなかとこばい」
そうだろうと、アウグスタも思う。
シシリアから大量の霊核を流しているというのに、王都の相場があまり下がらない。一定の価格推移をしていた。
「隠しているにせよ、流しているにせよ、いずれ限界はくるわ。長期戦になるわね」
資源危機による高騰は収まったにせよ、予断を許さない状況だ。霊核相場は物価に直結している。
価格というものは、共通する信頼で担保するもので、その醸成には長い時間を要した。
「確かあと、三十日と少しだったわね」
「三十四日たい」
監査期限という期間制限のあるものと異なり、商品相場は終わりのない闘争だった。
そして二人が言及したのが、今回の監査における残日数についてである。
「もうそんなに、心配はないと思うけど」
監査に関しては、打てる手を打ち、また精神的にも優位を取れている。
フィオナの爆発からという偶然の幸運に過ぎないのだが、今後はそれ程の面倒はないだろうとアウグスタは楽観していた。
「甘か」
「あらあら、婆やは心配性ね」
以前と同じく鋭い婆やの声だが、今回に限っては容易に頷けない。
「監査の方はどうとでもなるわよ。まぁ、問題がないではないけど……」
もうそろそろ、帳簿上の瑕疵がないことも明らかとなっている頃だろう。
赤い獅子のやり口として、監査そのものは領有貴族を領地に留めるための方便だと、アウグスタは見切っていた。
「まぁ、別の問題がないとは言えないけども」
だからこそ、監査官殿たちは副業に精出しているのだと彼女は考えている。
その商品に問題があるのだが。
「それにしても、王都の武器というのは人気があるものね」
「当然。ばってん、人殺しんためん道具ばい」
王都では神聖障壁により術式の制限がされる。そのおかげで現代兵器が発展していた。
「異界の脅威への対抗策だわ」
「そうなんやろうね」
目的と手段は別である。婆やは特に何も言わない。
「さて、私はどうするべきかしら?」
「なんもゆわんのが今は正解ばい」
事件の、後始末についてであった。
犯人への処遇も、再発防止案も一旦棚上げし、状況を注視する。有効な対応手段が浮かばない以上、それが最善ではあるのだが——。
「坊が勝手に動きよる。おんなじ意見やて思われたら、意見が割るるごたる」
少しだけ問い詰めたところ、銃規制派の喧嘩騒動はオルトに原因がある様だと発覚していた。
本人はまったく無自覚であったのだが、それは関係がない。人がどう見て、考えるかが真実と言えた。
「一応、釘も刺してお説教はしているけれど……」
「弱かね」
でしょうね。とアウグスタは頷く。
公的な声明を出していない以上、立ち位置は明らかになっていない。貴族や行政府は理解するだろうが、庶民は別の理屈を持っていた。
「中立ば声明でん出せば良かんやなかと?」
「そういう訳にも、まだいかないのよね」
立ち位置を明らかにすることは、支持者となった。
だが、こういった二元となると中立の分は悪い。
どちらかを、選ぶ議題であるからだ。
中立も保留も結果的に似たものであるが、今は機会を伺うしかない場面でもある。
——苦しいわね。
平等に数の論理が決め手となる民主主義において、消極的な姿勢は発言権を失うこととも同義であった。
手詰まりともなると、余計な感傷が浮き上がる。
「『あの子』のご両親は、どうしているのかしら?」
「雀がせからしく鳴きよるけん」
一言で、婆やはプイと視線を逸らしてしまった。
今日の民間広報では、号外が数多く出ている。
公報で犯人の素性に関しては伏せられていた。
「ご両親の嘆きが、見える様だわ……」
公平な情報、平等な機会。
それを重視した結果、好奇心を煽ることとなった。
民間広報の需要はそこにある。
——少年の心情はわからない。けれど、ご両親の心痛を思えば。
親だから、どうしても己の身として考えてしまう。
重く沈みゆく気持ちに、アウグスタはそっと蓋をして。
「さて、婆や。鉄鋼と化学に高値がついたわ。そろそろ利食いでもしましょうか」
「よかね」
深く息を吐き、手元の帳簿に視線を落とす。積み上がった金融資産の一覧が見えた。
「ここのところ支出も多いし、現物を少し補充しておきましょ」
「腕ば鳴ると」
感情の制御された理と利による数字の闘いに挑む母にして、当主代行であった。
「……なんね?」
「?」
静かな訪に、婆やが顔を上げる。
執務室はアウグスタの自室であるが、些細な変化に気付いたのは、婆やの方が早かった。
「……ああ、よか」
交信を用いている様なので、侍女の誰かだろう。
人前で交信を用いる時は声に出し、それを暗に伝えるのはマナーであった。
「奥方様に手紙ば届いとるばってん、どぎゃんすっとね?」
「私に? ……手紙なら、読みますけど」
珍しいことである。立場の割に、アウグスタ宛の便りは少ない。
代行という正式でない身分もあった。
政策意見や陳情の類いならば行政府へ送られる。
悲しいかな寡婦の彼女は長らく社交を断っており、私信を用いるのも限られた身内であった。
「よかと? 恋文たい」
婆やは意地悪く、瞳を細めている。
「もう、冗談は止して」
それはないと断言出来た。
便りの全ては婆やを始めとした侍女たち——家臣団により検閲される。
家中結束を重んじた初代、祖父の治世より続く習わしだった。
「冗談じゃなか」
とても不本意そうにして、吐き捨てる婆やがいた。
アウグスタはそれに構わずに、ククッと笑いながら呼びかける。
「良いわ。入って頂戴」
侍女の一人が扉を開いた。その手には、封書が摘まれている。
「……冗談じゃなか。あん男からたい」
吐息の様に長く吐き出された婆やの声。
——あの男?
そんな疑問を浮かべる余裕など、アウグスタにはなかった。視線は封書に施された封印に、吸い込まれている。
その封印には、見覚えがあった。
忘れるはずもない意匠、消えることなき呪いの絵図。
「赤い獅子……」
思わず漏れた呟き。
王冠を抱いた紅き獅子が咆哮をあげるそれは、王国財務省最大派閥を示す紋章だった。
「……」
思わず、息が止まる。
この紋章自体に意味はなく、また人を害する力があるではない。なのに、圧迫感が押し寄せる。
顔の見えない象徴は、「英雄」を殺す。
「……ヒュッ、はぁ、はぁ、はぁ……」
短く、か細くなってゆく呼吸。
——ああ、私はまだ。
「……しっかりしなっせ、あん小物ばい」
矍鑠とした婆やの声に、我へと帰る。皺くちゃの手に、背中を摩られていた。
ふっと意識が過去から抜け出れば、その封書を観察する余裕も生まれてくる。
「……監査官殿?」
封印の隣には、差し出し人として彼の姓名が大書されている。
アウグスタにとり最も恐ろしいのは、「知っていながら」も「貌の見えない」意思だった。
凶行を犯した少年の様に、かつて夫と共に海を渡った彼等の様に。
「何故彼が? 一体、何の用件で?」
「知らんて」
思わず疑問を口にするアウグスタ。婆やはつまらなそうに吐き捨てた。
「とても、個性的な筆なのね」
「下手くそなだけや」
監査官殿の筆致は、随分と自己主張が強く、個性的なものである。筆一つにも、あまりにも我が出ている様に感じられた。
「……なんか、損した気分だわ」
つい、溢れてしまうのは無理もない。
赤い獅子たちには、「わからない」、「見えない」といった貌のない悪意であるからこそ、神秘的な恐ろしさがあった。
「あんボンクラからのもんなんて、損しかなか」
そこに野卑な笑い声が混ざってしまえば、そんな印象も薄れる。
「冴えないは言い過ぎよ。アレはアレで多分、貫禄を出しているつもりなのでしょうし」
婆やは口が悪かった。アウグスタも嗜める。
それでも彼女もなんとなく、緊張も恐怖も返して貰いたいと、思ってしまっていた。
「奥方様は、考え過ぎだけんね」
肩を竦める婆やに、そうかもしれないとも思う。
だが、それは性分なのだ。
今更変わるものではないと、アウグスタは開き直っている。
彼女は一つ咳払いをすると取り繕い、侍女から封書を受け取った。
淑女の礼を一つ見せ、下がってゆく家人。
執務室には、二人だけが残る。
「さて、監査官殿は、どんなご用件なのかしら」
自らの手指で、赤い獅子の封印を破った。
綺麗に折り畳まれた手紙が入っている。
開けば、「明日、面会を希望する」との文言が、ご機嫌伺いの長い口上の後に記されていた。
「どうやら先方も、膠着を良しとしないみたいね?」
感想を婆やへと告げる。
文面から、そう推測するしかなかった。
取って付けた様な、定型文の並ぶ長い美辞麗句は響かない。そういった、女であった。
目的は、落とし所の模索といったところか、とアウグスタは考えている。
「しょんなか男たい」
手紙の文面へ、視線を這わせた婆や。
彼女は呆れた様に言う。長々と綴られる女性宛の美辞麗句から目を逸らして。
「まぁまぁ、そう言わないの。男の人には面子とかが大切でしょうし、社交辞令は大切よ。此方もあまり余裕はないしね?」
アウグスタに人的余裕がない様に、監査官殿には時間がなかった。
会計監査には、一定の期限がある。
渡した大量の帳簿に、瑕疵はない。
加え、精査だけでも監査期間が終わりかねない情報量だった。
「そぎゃん暇があるとなら、仕事ばすりゃよかろ」
その通りであった。そしてそれこそが、アウグスタの見出した勝ち筋でもある。
余計な真似をさせないため、監査に専念出来る様にと敢えて、詳細に纏めたものを差し出している。
難癖程度ならあり得るが、会計監査である以上、何処を突かれても問題はない。そういった正攻法を選んでいた。
精査や裏取りをやり切る頃には、何の問題もないと太鼓判を押させる出来にもなっている。
それを察したからこそ、夜会には心理的重圧を掛けに来たのだと、キエッリーニ家当主代行は見抜いていた。
「難癖かしらね?」
「知らんたい」
見て取れた監査官殿の性情は、わかりやすい程に小物であった。
危ない橋を渡る気はないが、目先の手柄も惜しい。そういった、よく見る普通の人である。
——そうなると、思い付く可能性としては。
「落とし所の探り合いが妥当か」
彼に得るものがない以上、傷を負わずに引くしかない。そう仕込んでもいる。
懸念は逆恨みなどの感情的な破綻だが、幸いにも彼はフィオナに「わからせ」られていた。
「そげなタマかよ」
婆やには別の感想がある様だが、相手は王都の官僚を長く務める人である。アウグスタにとっては、まだやり易い部類だとも考えていた。
「返事を書きます。婆や、悪いけど届けてくれる?」
決断は速やかに、されど優雅に。
「御意」
婆やが恭しく頷いた。アウグスタは筆を取る。
——少しだけ、明日は苦言を呈しましょうか。あの方も、事件には心苦しさがあるでしょうし、少しは自重して貰いたいですしね。
十四年もの間、キエッリーニ子爵の未亡人として、そしてトラーパニの母として。
彼女は、民たちの指導者であり続けてきた。
理と利による共生は、可能なのだと信じている。
アウグスタは会談が実りあるものとなる事を、疑っていなかった。
その背中を、初代からキエッリーニに仕える老婆が立ったまま見ている。
酸いも甘いも知る、百戦錬磨の老女だ。
彼女は世の中に、「どうしようもない連中」がいることを知っていた。
だがそれを伝えて、どうなる問題でもない。
もはや世は、若かりし頃の彼女が駆け抜けた、排除による統制の時代ではなかった。
婆やは信じるしかない。
かつて乳を与えて育んだ少女を。やがて幸福を知り、妻となり母となった女性を。
幸福を奪われて、なお立ち上がって歩む「アウグスタお嬢様」の強さを
理に従って、いずれ世を去り行く老婆はただ見ている。女らしく実りながらも、なお細い背中を。




