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29話 急転。

不手際しましたが、かなりのネタバラシ回です。


 ——ただ、一閃。


 それだけで、かつて人だった異形は活動を止めた。


 オルトは残心を取っている。

 背後に聴こえる、早く浅い呼吸音。少し遅れて、ルカが着地していた。


 ——ちっと、無理させちまったか。まだまだガキんちょなのにな。


 だがその後悔は、もっと大きな充足感により、上書きされている。

 ルカも、もう十二。

 残り三年も身体を鍛えれば、良い戦士、冒険者になる筈だ。オルトはそう思う。「相棒」として冒険に出るその時が、楽しみで仕方がなかった。


 徐々にその景色を失ってゆく、クソッタレな異界。

 キラキラと最後の輝きを放ちながら、消失してゆく霊核たち。

 結晶化した術力そのものが、世界へ還っていった。

 それは、人の欲、そして業。そういった「面倒臭い」諸々から、解放されていく様だった。


「うっし。後は、外のを片付けたら、解決だな……どうした? ルカ?」


 ルカの唇が動いた。何かを言い掛けて、双剣を構えている。その膝が僅かに撓んで——。

 なんの気無しに見ている。「圧縮」が解除され、自然の理により膨れ上がる、醜き欲望の残滓を。


 圧縮され続けた物質は、理を取り戻す。その反動により、暴力的なまでの膨張が顕れた。


 世界が、僅かに静止する。


 嫌な予兆が軋みをあげている。

 引き伸ばされてゆく、体感時間。


 瞬間。飛び散る肉片、射出された骨片。それらがまた、歪んだ音を鳴らせ破裂する。

 生臭い血煙が、飛沫となった。


 それは、集束爆裂と名付けられた破壊の連鎖。


 瞬時に、強化を更に高めたオルト。

 迫り来る、残酷なまでの破壊が端に見える。死角からの被弾を覚悟した。

 その視界の片隅に、狂気を捌き、いなし、躱してゆくルカの姿があった。

 静まり返った境界。思わず、声が出る。


「無事か? ルカっ!」


 焦げた臭い。摩擦によるものだ。無傷で耐え切ったオルトが振り向いた。

 そこに、ルカはいない。


「はっ……?」


 呆けかけたオルト。その視線は離れた場所へ。

 倒れ伏す、小さな体躯があった。その下には、赤い染み。ジワリと広がってゆくそれに、青年の頭は沸騰していく。


「ルカっ!」


 叫んでいた。だがその脚は、らしくもなく縺れる。

 ルカはまだ、生きている。それだけは、確かな事。

 顔を上げ、唇から血を流す、蒼白となった「従兄弟」の貌が見えている。——それは。

 子供と呼ぶにはあまりにも美しく、透き通った笑顔であった。


 

 オルトは駆ける。生意気な、弟分の元へと。つんのめり、情けなくも足首を捻りながらも。

 ルカが、膝で立ち上がる。大丈夫だよ。なんて顔をしているんだと、いつもの澄まし顔で。

 

 辿り着いたオルトは傷を見る。太腿が剥き出しの、絵物語での王子様風衣装。フリルとリボンのあしらわれた衣服は、オルトでさえ手が込んだものだと判る。

 動きにくいと、嫌がっていた事も知っているが。


 剥き出しの素肌には、細かな傷が走っている。

 飽和爆発に対し、露出は致命的だ。オルトの脳内では昨今の女冒険者達による、ファッション性への、批判が浮かんだ。


 だが、そんな場合ではない。薄らと、現界へと馴染み行く異界を背に、弟分を仰向ける。


「……ざっ、……けんな」


 唸り声は、クマの声よりも低い。


 見たところ、手足の負傷に関して言えば、脹脛へと走る長い傷以外は軽微なものだ。

 問題は、じんわりと血を滲ます腹の傷。

 背中へは抜けていなくとも、鋭利に砕けた骨片が、突き刺さっているかもしれない。

 そう思わせる程に、激しい爆発だった。

 散弾は、ルカの強化を抜けていた。


 カハッと、喀血するルカ。顔を抑えて気道を確保。

 触れた肌は、驚くほどに熱かった。

 その体内で、傷ついた組織が悲鳴を上げるように熱を発しているのが、わかる。

 蒼白な顔とは裏腹の熱量に、オルトの指先が震えた。


「おい、ルカ、目を開けろ! 寝るんじゃねぇぞ!」


 返事はない。ただ、浅く、苦しげな呼吸が、吸い込んだ血を吐き出すように喉を鳴らす。

 じわり、と衣装のリボンが赤黒く染まっていく。

 その精緻な刺繍が、今はルカの命を削り取らんとする、死の不吉にしか見えなかった。


 オルトに学識と経験が必要な治癒は使えない。

 それでも、応急手当て程度ならば知っている。

 

 まずは、傷の確認。患部に異物が残されたままでは不味かった。苦しげに喘ぐルカ。

 熱を逃すにせよ、衣服を寛げるべきだった。


「チッ、この服って、どうやって脱がすんだよ」


 ルカの纏う衣服はボタンを外し、それだけで脱がせられる様な構造をしていない、複雑な造りであった。

 だが今は、そんな事を考えている余裕はない。


 震え、滑る指先。

 もどかしさが、更に焦りを誘った。


 今は、一刻を争う。このまま時間を無駄にして、取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。

 

 異界はまだ晴れない。けれど、屋敷へ戻ればリナがいる。アイツなら、何とかしてくれる。

 信頼があった。それまで、ルカが保つのなら。

 なんとしてでも、繋ぐ。

 


「クソッ、どいつもこいつも、こんな動きにくい服を着せやがって!」


 つい、力任せにボタンを引き千切ろうとしていた。

 丁寧に縛られたリボンが、吸い込んだ血で重く、固く結ばれ、オルトの太い指を拒絶している。


 もどかしく、ままならない。その感情は、やがて焦りを通り越し、怒りへと変わった。

 

 ルカの呼吸が一段と浅くなる。瞳は虚に、光を失い始めていた。


 ——解いている、暇なんてねぇ。


 オルトはルカの身体、その細い腰を跨いで膝立った。血に濡れて滑る指を、リボンの隙間へと強引にねじ込む。


 ——死なせねぇ。


 もう、瑣末な事など頭から抜け落ちている。尽くすべきは、最善。

 それだけが、今のオルトの祈りであった。


 打たぬ様にとルカの頭を抱き抱え、片手は力強く精緻な衣服を掴んでいる。


 絹を裂く。繊細な薄衣が、悲鳴をあげた。


 

 破り開き、露になった白い肌。

 肋骨のやや下、柔らかな脇腹に骨片が刺さり、とめどなく血液が溢れている。

 オルトは、迷わずそれを引き抜こうと、より深く身を乗り出し、指を伸ばそうとする。


 背後の空間が、サラサラと消え去った。


 その時——。


「……何をしているのです、オルト」


 玲瓏な、アウグスタ(母ちゃん)の声が響く。

 差し込む月光。

 心臓を凍らせるような、冷めた調べ。


 間に合った。救いがあった。反射的に顔が上がる。


 そんなオルトが見たのは、これまでに見た事もない程の冷たい視線をした、アウグスタ(母ちゃん)と、殺意を隠そうともしない獰猛な、アントニオ(兄貴)の貌であった。


「何って、脱がしてんだよっ! 見りゃわかんだろ! 腹に……っ!」


 言いかけ、オルトは視線を逸らす。夏なのに更に気温が下がり、重苦しい圧が増した気がしたからだ。

 そういえば、やけに暑い。

 しかし、本物の救いを見つけた。リナがいる。


「リナっ! 早くルカを——」


 叫ぶオルト。だが、またもやその言葉を紡ぐ事は出来なかった。


「どきなさぁぁぁぁぁい、このバカぁぁ!!」


 凄まじい絶叫と共に、黒白の弾丸が奔る。

 侍女服に身を包んだリナだった。猛った十五の少女が十九の巨漢を突き飛ばす。

 リナはルカの元へと駆け寄ると、即座に傷を確認。治癒の術式を展開し、治療を開始した。

 清冽な術力の気配、そして癒しの光がルカの身体を包んでゆく。


「いてて……。まぁ、これで一安心か」


 尻餅を着いたまま、オルトは安堵の息を吐く。

 リナの腕は確かで、オルト自身も何度も世話になっている。大海蛇による港への襲撃の際だって、リナがいたからこそ、犠牲を出さずに済んだ。


「団長。邸内の制圧は完了しました。証拠品の押収も、完了しております」

「騎士達は撤収し、行政府へ向かえ」


 扉を開けて部屋へと入って来た、エーリチェ騎士団の副官。

 つい先日、重傷を負った彼であるが、既に完治している。リナの治癒によるものだ。

 オルトは立ち上がる気力もなく、リナの背中を見つめていた。リナがいればもう大丈夫だ、という確かな信頼。

 だが、その信頼を打ち砕くように、リナが叫んだ。


「このっ! 毒っ!」


 そこに響くは、いつも朗らかなリナのものとは思えない声。

 その声が、オルトの背筋を震わせた。


「お、おい……」


 必死に術式を編み上げるリナ。その指先は震えている。ルカの傷は塞がっている筈なのに、悪い予感がしていた。

 リナは、ルカの身体を毛布で包むと抱き上げる。そして、アウグスタへ向けて一言。


「傷だけは、癒しました。ですが……」


 歩み寄ったアウグスタへ、ルカを受け渡す。毛布越しでも、激しく震えるルカの姿が見えた。


「充分です。屋敷へ、戻りましょう」


 幼子を抱き締める母親へ、そして癒師であるリナへ、思わず立ち上がったオルトは詰め寄る。


「どういう事だよ! リナっ! なんでルカは、治んねーんだ! 俺やおっさんは治せたのによ!」


 唇を噛み締める、リナの顔色も蒼白だ。だが、叫ばずにはいられなかった。

 その隣から漏れる、重い吐息。


「良いですか、オルト。治癒は代償として、生命力を削ります」


 そんな事は知っている。散々聴かされてきた事だった。それに、何の関係が——。


「……まだ小さなルカ様の身体には、負担が大きいんです。……それにっ! 私の『治癒』じゃ、免疫反応の抑制なんてっ!」


 絞り出す様に、そして悲鳴となったリナの声。

 繋がった。繋がってしまう。

 大きな負傷、腐敗した死体、筋肉のない子供には、過酷な戦闘。


 そう。ルカはまだ誓いの儀(ジャメンタ)も迎えていない「愛し子」なのだ。

 そんな当たり前の事さえ忘れ、浮かれていた自分にオルトは猛烈に腹を立てている。


 異形を仕留める為とはいえ、この負傷だってオルトの不注意が招いた事だった。


「……ッ、俺が……俺が、もっと上手くやってりゃ……」


 拳を、握りしめている。つい先程まで感じていたルカの体温の熱さ。蒼白となっていく顔色の冷たさが、思い起こされる。


「……自ら選んだ道の先。この子自身の力で、繋ぎ止めなければ、ならないわ」


 いつも通りに、いや、いつも以上に平坦で冷徹な、母ちゃんの声。

 つい、怒鳴りつけようとしたオルトだが、見てしまう。

 何事にも揺るがない「冷たい」母の顔を。だが、ルカを抱いたまま拳を握りしめ、鮮血を滴らせる細い指先を。


 踵を返し、歩み始めた大人達。リナもその背を追うように、歩み出した。帰るのだ、キエッリーニの屋敷へ。まだ保護されて然るべきルカを、護るために。


 無力を感じているのは自分だけではない。

 母ちゃんも、リナも、アントニオの兄貴だって、この何ともならない状況に、恐れ慄いている。

 それを上手に隠すのが、大人達だった。ならば、大人の端くれとして、オルトは。


 脚を、動かしていた。


 母の胸の中で震える、弟分の頭へと手を伸ばす。

 熱い。けれど、これは生きる為に戦っている証だ。

 コイツ自身の闘いだ。

 ならば、「相棒」として、無責任でも、自分勝手でも、想いを贈らなければならない。


 それが、オルトに出来るたった一つなのだから。

 ただ、死線を共にした「弟分」の生命力だけを信じて、彼は腹の底から声を絞り出す。


「おい、ルカ……! しっかりしろ! 寝てんじゃねぇぞッ!」


 怒鳴り声にも似た、咆哮。オルトは意地っ張りで生意気なルカならば、応えてくれると信じている。


「負けんじゃねぇぞ! いつものクソ生意気な顔を、見せろよな。お前も男なら、気合い入れて、意地張ってけよ!」


 歩みが、止まった。精一杯の激励に、胸を打たれたのかもしれない。だが、留まっている意味はない。そう促そうとした時——。


「何を言っているのです? ルカは——」


 アウグスタ(母ちゃん)の言葉が、上手く聴き取れなかった。静かな声ながら、困惑に満ちている。

 表情には現れていないが、はっきりとその感情は伝わった。


「あ、あの、若様。ルカ様とは、もう一年近くも一緒に暮らしていますよね?」


 リナはわかりやすく動揺している。なのでオルトは安心させる為、即座に返してやった。


「当然だろう? 何を当たり前の事を言ってんだ?」


 何か、空気がおかしかった。


「ルカは、オルトに懐いていた筈だが」


 美形な兄貴の表情は、変わらない。ボソリと漏らした呟きもまた、困惑に満ちたものだった。

 場違いにも、似た者同士でお似合いだと、思ってしまう。


「……一体何を、言ってんだ?」


 しかし、そんな態度を取られれば、オルトだって困惑するしかない。

 騎士達は既に撤収している。やけに、静かだった。


「ですから、ルカは——」


 響くのは、どこか言い淀む母の声。


「……貴方が服を引き裂いて、馬乗りになっていた、 貴方の「従姉妹」は、女の子ですよ」


 やはり、それは冷たく静かだった。空気が、やけに白いものとなる。


「……は?」


 言葉が漏れる。一つだけ。


「ですから、ルカ様は女の子なんですよ。……え? 若様、まさか……」


 リナの鳩が豆鉄砲を食らった様な声。


「人の娘を男扱いとは、死ぬか?」


 温度も湿度も消え去って、何故か殺意に満ちた英雄様の声までもが聴こえる。


「……い?」


 二つ目の言葉が、自然と溢れていた。ルカを見る。

 痩せっぽちの、小さな身体は震え、母ちゃんの胸にしがみついている。


「……オルト。貴方、もしかして……」


 無性に耳を塞ぎたくなった。寧ろ塞いだ。

 だが——。


「冗談でのジャレ合いじゃなくて、本当に気付いてなかったの? ルカが、女の子だって」


 その言葉は、深い溜息と共に零された。

 とても残念なモノに出会したという母ちゃんの言葉は、オルトの脳内へと深く刻まれる事となった。

 

 


「……いや、待て。何で、ルカが女の子なんだよ?」


 苦し紛れの反論。だが——。


 オルトの脳内は、らしくもなく猛烈に働いている。


 ——男、だと?


 何を言っている。ルカは、ずっとルカだった。

 小さくて、生意気で、腕の立つ——弟分。

 そう、弟分だ。


 ……いつから、そう思い込んでいた?


 声か? 口調か? 剣を振るう姿か?


 違う。


 どれも、理由にならない。気付けば、最初からそう「決めて」いただけだ。

 そう、根拠なんて、どこにもなかった。


 いや、あったはずだ。……あったか?


 逆に、女の子だという「証拠」なら——。


 腐るほど、あった。


 フリルとリボンのあしらわれた、華美な服装。

 ご婦人方からの、「王子様」という呼び名。

 リナとの仲の良さ。

 母ちゃんに甘える姿。一緒に寝たがる。


 そして——。


 つい先ほど、自分が破いた服の下。


 白い肌、華奢な身体、柔らかな……。


「……っ!」


 オルトは、顔を覆った。


 熱い。顔が、焼けるように熱い。


「いや、待て。そうだ、ルカは俺の弟分で、相棒になるんだ。そうだよな? だから、お前は男の子の振りをして……あれ?」


 だが、この男の往生際は悪かった。この後に及んでルカへと縋り付かんとしている。

 顔を上げるルカ。呼吸は浅く、熱に浮かされていながらも、その顔を蒼い。

 その潤いが失われかけた唇が、開く。


「……私、男の子の振りなんて、してないよ……」


 絞り出す様に、小さく呟いた。

 オルトは頭を抱える。


 またもや、記憶が駆け巡る。

 リナが、呆れたように溜息をついたり

 アウグスタは、静かに首を振っている。アントニオも、何も言わない。ただ、剣を鞘に収め。


 娘を抱くアウグスタの背中を見ている。その横顔は。

 怒りでも、殺意でもなく、ただ、呆れていた。

 可愛い娘を男だと思われていた父親の、やり場のない呆れ。


 足音が、再び響き出す。


「……帰りますよ、オルト」


 アウグスタ(母ちゃん)の声が、やけに遠くから聞こえる。


「ルカの容態が、心配です」


 その言葉に、オルトは顔を上げた。

 ルカが。

 女の子の、ルカが。

 震えながら、母ちゃんの胸にしがみついている。


「……ああ」


 オルトは、立ち上がる。

 混乱は、まだ収まらない。でも、今は——。

 ルカを、家に連れて帰らなければ。それだけは、確かなことだった。


 夜の街を、一行は歩き始める。

 オルトの顔は、まだ真っ赤なままで。

 リナは時々、くすくすと笑っている。

 アントニオも何も言わず、ただ娘を見守っていた。

 アウグスタはルカを抱いて、静かに歩む。


 真夏の夜の月明かりが、一行を照らしていた。




 


 

読まれたい。結構頑張ったんですけどね。

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