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27話 赤い屋根の家。


 トラーパニの夜は、虚飾に彩られている。


 アウグスタは華やかな夜会を眼下へ収めながら、自らが導いた歪みを見詰めていた。


 アントニオへと言い寄るご婦人方は、今夜も死屍累々を晒している。もう少し、手心を加えて欲しい。


 急速な経済成長による、競争意識の過剰。それは、この宴の中にも滲んでいる。

 騎士達へ、投資話を持ちかける商人などが良い例だ。平和と安定を求めた結果、生じ始めた人の業から産み出される虚飾。思うところはあった。


 その「虚飾」を暴かんとしているのが、最も大切に想っている子供達だということを、知ることもなく。



 

 夜の坂道を下る。並ぶ二人と共に。


「リナお姉様は、帰られた方が良いのでは?」

「何を言うですか、ルカ様。こんな面白そうな遊び、除け者なんて、嫌ですよ。それに、お姉ちゃんは逃げ足に自信があるんです。いざとなったら、ルカ様を抱えて逃げますからね。どうぞ、お任せあれ」


 あまりにも自信満々で軽いリナへ、オルトが「お前さぁ……」と嘆いた。

 ルカ達は、「悪い事」をしようとしている。

 怪しげな儲け話の実態を探るためとの建前があるにせよ、要するに盗み聴きが目的であった。

 ルカとしても万が一を考えれば、リナを巻き込みたくはない。

 でも、心配して着いて来てくれている。それには、心地よいくすぐったさもあった。


「ご心配なく、お姉様。私とて、騎士の端くれ。婦女を護りし、剣なれば」


 喜んで貰えれば、いいな。つい声が出た。またもやオルトが「お前さぁ……」と鳴いた。


 湿り気を帯びた夜気。少し大きな風の音。虫の音は既に止んでいる。見えてきた。

 夏の夜。朧に浮かぶ、赤い屋根。

 あの場所には、彼女とそのご両親、そして級友達とそのご両親達も集っている筈だ。


 少しだけ、歩みが早くなる。二人も着いてきてくれる。男らしい汗の匂いと、お日様の優しい香り。

 側に寄り添うそれだけで、また少しだけ、強くなれた気がした。


 ルカは、この胸に広がるザラつきの正体を、確かめたかった。

 

 

 辿り着いた屋敷には、当然ながら守衛がいた。だが、彼等は眠ってしまっている。

 議員の邸宅だというのに、不用心なことだった。そんなに、遅い時間でもないのに。

 悠々と門を潜り抜け、三人して忍び笑っていた。


 目に見えるのは、煌々とした灯り。その隙間からは騒めきが漏れ出ている。多くの人の気配。

 強い香の匂いが鼻をつく。締め切られた窓から漏れるその空気は、嫌に熱い癖に、酷く空虚だった。


「登るぞ。屋根裏から見よう」


 声を顰めたオルト。確かに真正面から覗き、見つかるのは上手くない。頷きあった三人は、忍びやかに密やかに、目星を付けて屋敷の外壁を登った。



 屋根裏へと続く点検口の隙間から、調整された冷たい隙間風とともに、下階の熱気が這い上がってくる。

 ルカとオルト、そしてリナの三人は、埃の積もった梁の上に腹ばいになり、息を殺して階下を見下ろしている。


 そこは迎賓用の大広間だった。

 甘く、気だるい香り。白亜の壁の前には多くの人々がひしめき合い、奇妙な活気に溢れている。


「——見てくれ、この図を」


 彼女の、父親だ。机の上に巨大な紙を広げている。

 その脇には夫人が、その背中側には議員の姿が。そして、父親の脚元にしがみついているルカの級友の姿があった。

 

 広げられているのは、地図ではない。無数の「線」が、蜘蛛の巣のように中心から外側へと広がっていく奇妙な図式になっている。

 その頂点には彼女の家名があり、そこから枝分かれした先に、今この部屋にいる大人たち——また別の、ルカの級友の家名が連なっていた。


「我々が『王国の夜明け』という名の権利を分け合えば、この線はさらに伸びる。皆が一人ずつ、志を同じくする友を五人連れてくるだけでいい。そうすれば、未開の異界から上がる利益は、汗を流さずとも我々の元へ流れ込む。これはもはや経済ではない。旧態依然とした貴族達の支配から、我々選ばれし民が脱却するための、聖なる儀式なのだ」


 大人たちが一斉に、喉を鳴らして笑った。

 その笑い声は重なり合い、うねりとなって、天井裏のルカ達の耳を打つ。

 一人が立ち上がり、恍惚とした表情で叫んだ。


「そうだ、これは正義だ! 救われない貧民に施しをするより、我ら高潔な者が富を独占し、新たな秩序を築くことこそが主の御心だ!」


 リナの隣で、ルカは手を小刻みに震わせて、梁の木材をきしませた。

 下で見得を切っているのは、昨日ルカに「誠実であれば、幸運が訪れるよ」と説いていた級友の父親だ。

 その横で、うっとりと帳簿を撫でているのは、「お行儀よくて、奥方様が羨ましいわ」と微笑んでいた、友達の母親だ。


 知っている顔の筈なのに、まるで知らない生き物の様だった。

 特に、「まだ存在しない富」を語る時の彼らの口角の上がり方。

 唾を飛ばし、瞳孔をカッと見開いて、存在しない重みを感じているかのように、空を掴んで離さない、あの手つき。


「……ルカ。見ろ、あれ」


 オルトが視線を向ける先には、双方を呪いにより縛る、「契約書」。赤い獅子の紋章が刻まれている。


「あれが、財務省の認証……?」


 その紋章は、王国財務省公式のもの。


「……違います。あれは、その一派閥のものです」


 リナが囁く。赤い獅子。王国財務省内に巣食う闇。

 

 三人の眼下では、夫人が差し出されたズシリとした革袋を、まるで愛おしい赤子を抱くようにして胸に抱きしめながら、それを渡していく。

 彼女は革袋に頬ずりしながら、隣の夫と視線を交わした。

 その視線に、家族に向けるような温かさはない。

 共通の「秘密」と「獲物」を共有する、冷酷な共犯者同士のぎらついた光。


「これが終わったら、次は学園職員を誘おうか」

「ええ。賢い人達ですから、『主の配当』とでも言えば、すぐに落ちるわ」


 そして聴こえるのは淡々と語られる、蜘蛛の巣を広げる計画。その背中で、空虚な笑顔を浮かべる議員。

 彼らにとって、街の人々はもはや隣人ではない。

 自分たちの「檻」を大きくするための、養分に過ぎない様だった。


 ルカは吐き気を堪えて、目を閉じた。

 すぐ下で、また一際大きな拍手が湧き起こる。

 自分たちが信じていた隣人が、どろどろとした腐った蜜のような欲望に呑み込まれ、別の何かに作り変えられていく。

 その崩壊の音を、ルカたちはただ、暗い天井裏で聞き続けるしかなかった。


 だが、状況は動く。


「さて、皆様。『証』をご覧になりたい方は、地下へ」


 その言葉に、何故か頭か冴え渡る。鼓動が静まり、これまでの気持ち悪さが嘘の様に、晴れている。


 ——この感覚は。


 覚えのあるもの。ある種の予感がルカの胸に燻る。


 大人たちがぞろぞろと移動を始めていく。


 ——その時。


「お父さん、私も——」


 ルカの級友が、父親の袖を引いた。


「ダメだ」


 父親は冷たく言い放つ。


「子供には、まだ早い」

「でも——」

「上で待っていなさい」


 級友が、一人残される。大人たちは、次々と地下へ消えていく。

 天井裏で、三人は顔を見合わせた。


「……行くか?」


 オルトが小さく呟く。ルカは頷いた。


「秘密を隠すなら、やっぱり地下ですよね」


 リナの囁きは、核心に迫るものだった。

 大人達が地下から引き揚げて来ると同時に潜入だ。一度、下へと降りる必要がある。

 ルカはたった一人残された、華奢な背中を震わせる少女の背中を見ている。

 やがて目を逸らし、ギシリと奥歯を噛み締めた。


 ——まだ、終わりじゃない。それに、この胸騒ぎは。

 

 それを確かめるために、まだ、やるべきことがあった。

 

 少女は部屋へ戻ったようだった。昼間、父親の成功を誇らしげに語ってくれた彼女はもういない。

 心が痛んだ。熱狂に浮かされる両親を見上げる彼女は、「道」を見失いそうになった、あの時の自分自身を見ているようであり——。


 やめよう。とルカは切り替える。フィオナお姉様も言っていた。「まだ」、違法じゃないと。

 ならば、やり直せると信じるしかない。

 熱に浮かされた来客達は、高揚のまま大広間へと戻ると、一人、また一人とはけていく。


 彼等が去れば、この屋敷に残る者は多くない。

 彼女と、その両親。そして祖父である議員だけになる。そうなれば、「何か」のある地下室を確かめる事など、そう難しくはなかった。


 オルトとリナも、息を潜め気配を殺している。

 そして、三人の大人は最後の来客を送り出し、それぞれの部屋へと引き揚げていった。

 オルトとリナ。三人で視線を交わし合う。今だ。


 三人は、暖炉の奥に隠された階段を降り始めた。

 最初の数段は、普通の石段。冷たく、湿っている。


「……なんか、変だ」


 左手を壁に着けたオルトが立ち止まる。


「何が?」

「匂い」


 確かに、変だった。地下特有のカビ臭さではない。甘く、濃厚でどこか、生臭い。


「それに、暖かい」


 リナが呟いた。地下なのに、気温が上がっている。まるで、何かが呼吸しているようなと。

 ルカは、自分の鼓動が沈んでゆくのを感じた。

 先にあるのは、大量の霊核の気配、だけの筈だ。

 だが、それとは違う何かの気配もまた蠢いている様だった。


 階段を降りるたび、その「何か」が近づいてくる。階段の途中で、ルカは足を止めた。


「……どうした?」

「オルト、今、何段降りた?」

「は? 十段くらい……いや、待て」


 オルトが振り返る。ルカも同じくだ。

 上を見上げても、入口が見えない。十段程度では、こんなに遠くならない。


「空間が、歪んでる……?」


 リナの声が震える。ルカは壁に手を当てた。冷たい石のはずが、ぬるりと、脈打っている。


「……っ!」


 思わず手を引っ込める。壁が、生きている。


「ルカ、大丈夫か?」

「……うん。ごめん、気のせい……かも」


 だが、何かが違う。この地下は、何かがおかしい。その予感だけが冷たい思考に差し込まれる。

 やがて階段を降りきると、地下室の扉が見えた。

 重厚な木の扉。

 隙間から、微かに光が漏れている。そして、音も。


「……何の音だ?」


 オルトの声に、リナが首を傾げる。規則的な、何かを叩く音。それは、あまりにも大きく、あまりにも遅い。だがこの、とても聴き慣れた物音は。


「開けるぞ」


 オルトが扉に手をかける。ルカは、思わず息を呑む。この先にあるのだと、確信している。

 胸のザラつきの、正体が。


 扉を開けた瞬間、異臭が襲いかかった。甘ったるい、焦げ臭く、鉄錆びた。


「うっ……」


 リナが口を押さえ、腰砕けになる。

 穏やかなお姉様には、刺激が強すぎる。

 ルカは唇を噛み締めた。


 死臭。


 部屋の中央に、それはある。最初、ルカには理解できなかった。キラキラと煌め屑く霊核に照らされた、異形。


 それは、巨大な、肉の塊だった。

 そうではない。人だった。人だったものがある。


 人が、何人も、融合している。手が、足が、頭が、

ぐちゃぐちゃに混ざり合い、絡み合っていて、たった一つの塊となっている。


「……嘘だろ」


 オルトの声が震える。その「塊」の表面に、見覚えのある顔があった。


 数日前、街で見かけた商人。

 投資に失敗したと噂されていた青年。


「あれ、全部……破産者……?」


 リナの声が、掠れる。ルカは拳を硬く握り締めている。


 これが、「実物」。

 これが、「証」。


 異界の霊核なんて、最初から存在しなかった。あったのは、ただの。


 失敗者を喰らう怪物。肉塊が、震えている。


「……ぁ」


 無数の口が、同時に声を上げる。


「にげ、ろ……」

「たす、けて……」

「いた、い……」


 ——まだ、生きている。そして。


「走れっ! 逃げるぞ!」


 オルトが叫んだ。三人は、一斉に扉へ走る。だが、塊から触手のような腕が伸びた。


「ルカ!」


 リナがルカを突き飛ばす。触手が、リナの足を掴んだ。


「リナ!」

「逃げて! 早く!」


 リナが叫んだ。触手が、リナを引きずり込んでいく。舞い散る霊核の光が、歪に輝いた。


「させねえっ!」


 オルトが剣を抜き、触手を斬りつける。だが、切り口からは新しく無数の腕が生えてきた。

 周囲を取り込みながら、増える手数。


「……化け物か!」


 叫んだオルトには構わず、ルカは神経を研ぎ澄ます。

 それは、非力なルカの磨いた業。力でなく、技を引き出すための術式。


「——収納解除。刀剣顕現」


 ルカの手には、二振りの刀が握られている。

 鉈の重み、剃刀の切れ味。そう呼ばれる業物。

 双剣で、触手を切り飛ばす。そして、悍ましい怪物の顎の前からリナを蹴り出した。


 別方向から迫る触手を、オルトが身体で受け止める。弾かれる、触腕。

 二人は背中合わせとなった。ルカの頭は、オルトの胸の辺りまでしかないが。


「やるじゃねーか」

「オルトも、さっさと斧を出す」

「俺、収納苦手なんだよな……」


 本能だろうか。肉塊が狙うのはリナだ。そう直感している。


「リナを護りつつ、撤退だ。前は任せるぜ」


 頷いたルカは、ジリジリと後退してゆく。油断なく、双剣を構えながら。


 一歩、二歩。


 その時、塊の中心が、ぱっくりと開いた。巨大な口。その奥に見えるのは異界だ。


 星も、空も、地平線もない。ただ、渦巻く紙と数。


「新しい、異界……」


 ルカは、呆然と呟いた。が、それは一瞬のこと。リナの悲鳴が聴こえる。地を蹴る足音も。


 ——ああ、また。お姉ちゃんは身体を張ってでも、護ってくれようとしているんだ。私が、子供だから。


 振り返れば、身体を泳がせながも駆けるリナ。

 遅いし、ころんじゃうよ。だから、言ってやる。


「リナ! 奥方様へ! おねがいっ!」


 それでも手を伸ばそうとするリナの優しさに、ルカの口許には笑みが浮かんでいた。


 そして——。


 欲望により産声をあげた、異界(非常識)が黒い輝きを放ちながら、ルカとオルト。

 二人の戦士を飲み込んだ。



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