26話 日常に潜む不穏。
ガヤガヤとした人波に洗われる、朝の魚市場。
磯の匂いと鮮魚の香りが混じり合って鼻をつき、高らかに叫ぶ声が、そこかしこから聴こえてくる。
今日もオルトはリナに連れられて、ジーノ捜索に励んでいた。
とはいえ、別に成果は上がらない。
この人通りの多いトラーパニの港。しかも魚市場にて、一人の男を探すのは困難な事だった。
「てーか、冷静に考えれば、ブラブラしていて見つかる訳ないんじゃねーの?」
「若様は浅慮ですねー。お魚好きなら、現れる場所なんて決まっていますよ」
ごく当たり前の事を言っただけなのに、リナにまで浅慮と呼ばれてしまう。
今日も彼等は探偵用服装であった。
市場という場所においては、とても浮いている。
ルカはいない。学園があるので。
「おう、坊ちゃん。おめかしして、デートかい?」
「ちげーって、見てわかんねーのか? 捜査だぜ」
「お、おう……」
声を掛けられた。なんの気なしに答えれば、相手は面食らっている。マジマジと、その顔を見てみれば。
「? 若様、お知り合い?」
リナの惚けた声が、やけに遠く感じる。
「う、う、う、う、う、……」
「鵜、鵜、鵜、鵜、鵜?」
吃るオルトへ、問い返すリナ。
その二人の目の前にいる男は。
背は高くない。痩せている。
青白い肌に、無精髭。
朝陽ギラつく港の朝に相応からぬ、街の男の姿。
「柳のジーノ!」
「えー!」
オルトの肩を外し、幾名もの騎士達を血祭りに上げた、危険人物であった。
すかさずオルトは、背中に荒縄で縛りつけていたカツオを構える。ブチブチと荒縄が千切れ飛び、陽光を受けた魚身が輝いた。
掌から伝わる、ズシリとした重み。
今朝獲れたての大物だ。
その身は死後硬直で硬く引き締まっており、硬度は鋼鉄の丸太をも凌いだ。
普段の得物である斧とは違い、切れ味こそなかろうとも、質量は負けていない。
重く、硬い魚。
カツオは凶器だ。人の頭蓋程度なぞ、容易く潰す。
諸手上段。閉所での構えとして最善でないが、背中に負っていた以上、それ以外の選択肢はなかった。
「おいおい、危ねぇな。場所を考えやがれ」
「おー。大漁ですねー」
言いながら、魚籠を掲げるジーノであった。
その中には小振りな魚達がひしめいている。コアジやイワシなどだった。
その釣果に、リナは大変感心している。
「ちっと小銭でも稼ごうと思ってな。今朝の釣り立てだぜ。買ってくかい?」
「是非。丁度、お夕飯にカルパッチョでも足そうとしてたんですよね」
そんなリナへ、ジーノが提示した額はかなり割安なものだった。
市場を通していないので、会場使用料が掛からない。その為の、お得価格である。柳のジーノは中々の商売上手なようだった。
「おい、小僧。いい加減、剣……じゃなくて、カツオを収めやがれや。まともな商売人の、邪魔をするもんじゃねぇぜ」
カツオを構えたままのオルトは、正論に鼻白む。
何故、密輸犯に叱られなければならないのかと。
だが、剣……ではなくカツオを収めようにも、荒縄は千切れ飛んでしまっている。収めどころがない。
「おい、坊ちゃん。こいつでも使えや」
そう言われ、ジーノから放り投げられたもの。
筵であった。
オルトはいそいそとカツオに筵を巻き付けて、小脇へと抱えた。ジーノはリナから受け取った硬貨を数えると、「まいどあり」と笑う。
「悪いな。確かに場所を弁えてなかったわ。筵は洗って返す」
「いらねーよ。魚臭い筵なんざ」
一先ずは落ち着き、会話となる男達。
魚籠ごと小魚を受け取ったリナは、とてもご機嫌であった。
「んで、こんな所で何してんだ? また密輸——じゃなくて、今度は密漁か?」
「ちゃんと、届出は出してるぜ」
ジーノが首から下げたものを掲げた。
その日限りの漁獲許可証である。手数料を払えば簡単に手に入るものだった。
「んで、デートじゃねぇなら、何してんだお前ら?」
ここで、お前を探していた。などとは、とても言えない。ジーノの間合いの中にはリナがいる。最悪を想定するならば、ここは穏便に——。
「私達、柳のジーノさんを、探していましてね。初めまして。私、キエッリーニの侍女、リナと申します」
などと考えていたのだが、魚籠を持ったままに淑女の礼を見せる、リナがぶっ込んだ。
「ああん? 最近の侍女ってなぁ、人探しなんかもやんのかい?」
「そうではなく、若様がコテンパンにのされたみたいですし、やっぱり借りは返さないとですからね」
探偵らしく胸を張り、妄言を吐き出すリナ。その姿に、ジーノはククッと笑った。
「別に俺ぁ、構いがしねーがよ。『何もしていない』俺に因縁付けようってなら、ちぃとばかし、痛い目を見るぜ?」
「ええ。ですから、是非その時をお待ち下さい。まだ街へ留まられていらっしゃって、幸いでした」
それまではニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたジーノから、表情が抜け落ちる。
瞬間、オルトは地を蹴った。リナの前に立とうと。
「早まるじゃねぇ」
だが、ジーノは掌を掲げただけだった。それは、嫌に大きい。
「度胸のあるお嬢ちゃんだな。俺ぁ、もう暫くはこの街に居っからよ。坊主、落とし前を付けてーなら、いつでも、好きな時に来いや」
またニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべ、言いながら紙片をオルトへと投げた。
そして、踵を返す。ジーノはリナより受け取った小銭を片手で弄びながら、足音も立てずに去って行った。
「なんか、普通のおじさんでしたね?」
「お前、何を見てたんだ?」
リナには、ジーノの怖さがわからないのだろう。
肩を外された時も、そうだった。騎士達が返り討ちにあった時だって、同じだ。
凪いでいる。
異名の如く、風に靡く柳の様なその殺気のなさが、オルトにはとても恐ろしいモノに見えていた。
投げ渡された紙片を広げたオルトは、深く眉根を寄せる。そこに書かれていた住所には、キエッリーニ邸の立つ丘の下、かつては騎士達が屋敷を構えていた、現在の高級住宅街。その一つのものであったからだ。
「おう。ルカ、今日も学園は楽しかったか?」
「普通」
今日も今日とて、ルカの迎えはオルトとリナの二人である。
「普通に楽しかったんですよねー? ね? ルカ様」
「……うん」
兎角、夜会がなんだので、屋敷の者達は忙しい。
オルトは役に立たないと追い出され、リナは「帆を下ろして」いた。
なんでも、十五の種子には参加資格がないと、除け者にされたからだという。
夜会という航路において、リナは乗組員でもなければ乗客でもない。ならば、風を送る義理も義務も存在しない。
というのが、彼女の主張だった。サボりたいだけにしては、やけに声高でもあった。
という訳で、この、いつ終わるのだかも知れない夜会期間中は、二人がルカの送迎を担当している。
面倒ではないし、何やら大人達がバタバタとしているので、良い息抜きにもなった。
なお、オルトは既に成人した大人である筈だが、その扱いに疑問を抱いていない。
「の、割にはちっと、顔色が冴えないな? もしか、イジメられてんのか?」
「違う」
ルカはオルトへは、つっけんどんだ。
「ルカ様は、イジメられなんかしませんよ。皆の王子様ですし」
「違うけど、友達がね」
が、リナには素直である。この女好きめ。と、オルトは思っていた。
「お友達が、どうかしたんですか?」
リナが首を傾げて尋ねる。彼女の口は上手い。
任せておけば良いだろうと、オルトは軽く聴き流す事にした。
「……友達のお父さんが、相場で大儲けをしたんだって。それで、他の友達のお父さんやお母さんにも儲けさせてあげるから。って今夜、皆で議員様のお家に行くんだって。ほら、丘の下の、目立つ赤い屋根の」
その言葉に、オルトの足が止まる。
赤い屋根。それが差し示す唯一の邸宅は、紙片に書かれていた住所と一致している。
「その屋敷っの住所って——」
「凄いね、オルト。番地なんて何桁もある数字、覚えられたんだ」
オルトは番地を誦じた。驚きに瞳を見開くルカだった。リナと顔を見合わせている。
「おう。俺って、なかなか良い記憶力だな」
馬鹿笑いをするオルトに構わず、ルカは話を続ける。
「何か、変なんだよね。投資って、利益の分配でしょう? 人が増えたら確かにお金が集まるけど、何か、変……。なんか、認証も受けられとも言ってたし」
上手く言語化出来ないのか、ルカはもどかしそうにする。シーゲルソン風衣装を纏ったリナは、その姿へ一瞬で、探偵風の顔付きになった。
「投資は自己責任。分配効率が落ちるのは、投資家にはあまり歓迎されません。これは、臭いますねぇ。これは、事件の香りですよ!」
突然におかしな口調で叫び出したリナに、さしものオルトも驚いてしまう。ルカなんて、少し涙目である。リナの様子の方が、余程に事件だった。
ルカが嫌な予感がすると言い、リナもふむふむと頷きながら、兄さん、これは事件ですよ。などと言い出すので、詳しそうなヤツに聞くことにする。
屋敷に戻れば、そういった難しい事が好きなヤツらがいるのだ。母ちゃんとか、フィオナとか。
「それじゃ、厨房にお魚を届けますんで、付き合って貰いましょうか。その後で、奥方様か、フィオナお姉様の所へ行く。で、良いですか? ルカ様」
「うん。いいよ」
オルトもカツオを抱えている。届けなければならなかった。
そんなこんなを考えながら、ルカへ寂しいなら、肩車をしてやるよ。と慰めたのだが、にべもなく断られてしまっていた。
「おーい、帰ったぞー。良いカツオを買ってきたぜ」
オルトはズシンと、デカい、重い、硬いカツオを厨房の調理台へと置いた。
仕込みは粗方終わっているのか、少し落ち着きを取り戻している厨房は、料理人もまばらであった。
「ちょっと! うるさいわね馬鹿オルト!……ぃたたたたぁ……」
そこには何故か、部屋着のままにシジミ汁を啜る、フィオナの姿があった。
「おう、フィオナ。丁度良いところに。聴きたい事があんだけどよ」
「うっさい! アンタ、声がデカいのよ。頭に響くんだから。……痛っ」
頭を抑えるフィオナである。顔色も良くない。
「おう。働きすぎとか、引きこもりとかじゃ、頭もおかしくなるよな。大丈夫だフィオナ、カツオを食えば元気が出るぞ」
「だから! うっさいって!」
苦しみながら叫ぶという高等技能の発揮をするフィオナの背中を、ルカが優しく摩った。
リナは生簀へと小魚達を放流している。割と年少組は自由であった。
「んで、あによ? 聴きたい事って」
ジトリとした視線をオルトへと向けるフィオナ。その視線は、また下らない事じゃないでしょうね、という強い殺気の籠ったものだった。人は痛みに引き摺られると、寛容さを失うものである。
「フィオナお姉様、実は……」
「なぁに? ルカ。お勉強で、わからない所でもあったの?」
が、フィオナもルカには寛容だった。とても優しい顔付きと声音で微笑みかける。
この状況の方が変じゃね? これこそ事件だろ。などと思ったオルトであったが、口を挟まない。
戻って来ていた料理人の一人が、カツオを見て、思いっきり親指を立てたので。
オルトもまた、親指を天へと向けて立てている。
その横で、ルカは熱心にフィオナへと向け、説明をしていた。
「……霊核先物の認可、ね。あの胡散臭い、『霊核相場安定のための、暫定認可制度』ね。財務省のバカたちが苦し紛れで捻り出した、その場凌ぎよ」
フィオナはシジミ汁を飲み干すと、ルカの頭を撫でた。
「そういえば、バカに踊らされているバカも、増えているわね」
その目は据わったままに、なお言葉を続ける。
「いい、ルカ。投資ってのは本来、何かを生み出すためのものよ。でも今、丘の下でやっているのは違う。あれは、ただの共食いよ。……財務省はね、市場を冷え込ませないために、中身のない箱に『価値がある』と印章を押したの。嘘を本物だと認めたのよ。だから、誰も止められない。……合法なの。今はまだ」
そして、再び頭を抑えた。
「いい? 貨幣が貨幣を生む。そんな理屈は幻想よ。冒険者組合が臍を曲げてみなさい。『国家』の発行する信用なんて、紙切れほどの価値さえ消えるわ」
冒険者組合は唯一神教会と並ぶ、最悪の暴力装置である。力により担保された管理でなければ、この世界では通用しない。
フィオナはカツオへ視線を向ける。大物だった。
「結局、信頼出来るのは技術と現物よ。数字遊びを価値だと信じられるのは、平和な時だけよ」
一つ伸びをしたフィオナは、湯浴みしてくるわ。と言って、部屋へと戻っていった。
三人も、調理場を後にする。
調理場では料理人達が慌ただしくも賑やかに、宴の準備を再開していた。
「で、何で二人は着いてきてるの?」
ルカは問う。
「お子様の夜歩きには、大人が同伴だろ?」
「ちよっとした、好奇心ですかね」
オルトとリナが返した。
余計な詮索なのかもしれない。奥方様や父上に何も言わずに出るのも、浅慮なのかもしれない。
でも、友達のお父さんやお母さんが、危ない事に巻き込まれているのならば、止めたかった。
ルカはそう思っている。
「投資話がどんな内容なのか、確かめるだけだよ」
その為の、情報収集だ。内容が不適切なものであれば、きっと大人達は考え直す。
「潜入捜査ですね」
「ダチのためなんだろ? 俺も付き合わせろよ。良いよな、男の友情ってよ」
何かオルトは勘違いしている様なので、一応正しておくことにする、
「女の子だよ。友達って」
「お前って、本当に女好きだよな。いんのかよ? 男友達。ま、どっちだってやることぁ、変わんねー」
呆れ顔のオルトを、ルカは鼻で笑う。
夜闇の中密やかに、キエッリーニの屋敷を抜け出てゆく、三つの青い影。
義侠心、冒険心、好奇心。
様々な感情を沸かせた子供達は、気付いていない。
月に照らされた屋敷の窓辺から、静かに見守る目があることに。
読まれたいものです。酷評でも。




