25話 夜会。刺客達の夜。
ありがとうございます。読まれて評価まで貰えたのが嬉しすぎます。
着飾らされたフィオナの耳に、楽しげな男女の、話し声や笑い声が溢れる。
彼女は主催であるアウグスタの隣へ腰掛け、所在なく夜会の風景を眺めていた。
初日に用意されたものとは異なり、本日からは立食形式での夜会であった。
自由な交流と、気軽な行き来の為という触れ込みをしている。これならば堅苦しくはならず、楽しめるだろうという采配。
実の所、これはフィオナの発案であった。
来賓を長期間、遠慮なく楽しませるには、この形式が最善でしょうと献策し、採用されている。
まずまずは満足だ。早くも幾人かのカップルが成立している様であり、彼女もまたこの催しに確かな手応えを感じている。
連れ立って迎賓室から出て行く男女を、フィオナは祝福を込めて見送った。
だが、まだこの催しの目玉は残されている。
目玉というのはそう、アントニオ・マリオ=ペントラ男爵を指す。
初日は少々堅苦しい雰囲気であったので、様子見に多くが徹していた。先日に先走り、彼へと粉を掛けていたご婦人達は婆やにより、脱落を宣告されている。
当然だ。男爵夫人、貴族となる者には慎みと忍耐が必要とされる。あまりに軽率な振る舞いは家を危うくするので、頷ける対処であった。
だが、夜会二日目ともなれば、初日とは異なり動く者も出る。大々的に脱落の可能性を示唆されているのだから、速攻に挑む者もある。
「こちら、よろしくて?」
「どうぞ、お掛けください。麗しのシニョーラ」
そんなご婦人の中の一人、パレルモ近郊の子爵家令嬢から声を掛けられれば、アントニオは立ち上がり、微笑み掛ける。
「失礼いたしますわ。でも、良いのかしら? 騎士様に、こんな事までさせてしまって」
「佳人のお時間を頂戴いたしまして、光栄にございますれば」
アントニオが椅子を引けば、芳しい香りを醸しながら、ご令嬢が腰掛けた。
その香りは王都でも流行のトワレで、甘さの中にも動物的な刺激を秘めた、官能的なもの。
五感を制するのに、香りは有効な手札である。
そして、彼も座る。ご令嬢の正面へと。
周囲の淑女達は動きを止め、その卓を見守っている。まさに注視、という言葉が相応しい。
「あの方は、確か化粧品企業の……」
「少し、若過ぎるかもね。耐えられるかしら?」
フィオナも奥方様と共に注視している。
そして二人は見詰め合い、やがて——。
ご令嬢の方が突っ伏した。
長い髪が散らばり、耳が覗く。色白の彼女の耳は、鴇色に染まっていた。
介抱しようとアントニオが立ちあがろうとするが、周囲に制される。
素早く侍女達がご令嬢を回収してゆく。
友人達と連れ立って来ていた様で、幾名かの若い娘さん達も付き添っていった。
「流石に若い子には、少し厳しいわね」
「まぁ、あの顔ですからね。あんな美形、王都にだってそんなに居ませんよ?」
「良いじゃないの美形。フィオナだって、嫌いではないでしょう?」
フィオナには、アウグスタがはしゃいでいる意味がわからない。つい、心中では何言ってんだこのオバさんと考えてしまう。口には出さないが。
「しかし、死屍累々とは恐れいりますわ。あれ、天然なんですか?」
「紳士としての所作は、子供の頃から教え込んでおきましたからね。こういった場で、いつものムッツリは出さない筈よ」
どうもこうもないのだが、フィオナはアウグスタのお相手役をさせられている。
婆やは全体指揮を執っているので、適任がいないからだった。その役目を果たすべきオルトはルカとリナと共に、早々に追い出されていた。
子供が見るには、まだ早いと。
「あのですね、奥方様? 私はオルトよりも歳下なんですけど」
「しっかり者のフィオナなら、大丈夫よ。オルトには、ルカとリナの子守を頼んでいるのよ」
柔らかに微笑むアウグスタに、フィオナはゲンナリとしてしまう。
十八に満たないご令嬢は昼のうちに帰されている。例え苦情があろうが、婆やの牙城は崩せはしなかった。
そうすると、屋敷の中での未成年者はルカとリナだけになる。だが、逆だ。
オルトへの指示は、二人「に」子守をさせる為のものだと、フィオナは気付いている。
確かにあの脳筋には、この様な場はまだ早かった。
「まぁ、奥方様の無聊を慰めるに、やぶさかではありませんが」
この場は割と自由な宴であるので、王都への霊核輸出事業の相談をするには都合が良い。
オルトに焚き付けられ、張り切った冒険者達。
彼等により、トラーパニにて出荷を待つ霊核は飽和状態だ。とても、ミリオッツィの足だけでは足りていない。
「ほら、フィオナ。新たな挑戦者が現れたわ」
「あれ? あの方って確か双翼派の……」
淑女達が躊躇い、牽制し合う中、また一人の刺客が立ち上がる。大人な、知的美人であった。
「ええ。以前はとても痛い所を突かれていましたけれど、最近はとても懇意にしてるのよ。謂わば、彼女も同志の一人ね」
この女性、議員である。若手だが、切れ者と評判であった。
かつては軍事予算を削りがちなアウグスタを、片翼での飛行と批判する双翼派、中庸派閥の急先鋒であったが、アウグスタによる議会掌握以来、良い関係を築けている。
「いつも分厚い眼鏡を掛けているので、わからなかったのですけど、随分と美人さんですね」
「やはり、切れ者、策士とも呼ばれる女傑ともなると、違うわね。自らの弱点をも、武器へと変えるとは」
そう。彼女はその特徴ともされる眼鏡を掛けていない。これは、前例を見ての対策なのだろうと賢いフィオナは一瞬で看破した。成程、策士だ。
知性派を気取る彼女としても、実に興味深い一戦であった。
「ごきげんよう、シニョーリ。お相手が居られなくて、ご退屈ではありませんか?」
「これは、シニョーラ。何、こうして切れ者と噂の麗人にお声掛け頂けるのですから、退屈などとは。それに、不器量者でありますからな」
挨拶は穏やかに、会話も弾んでいるようでもある。議員は論理的に、騎士は実践的に語り合う。
「この経路を通すには、大型の脅威が……」
「確かに。急所の心臓は四つあります故、一度で潰すには、やはり……」
「……まぁ、お上手ですのね」
会話の合間にも、彼女は艶を撒くのも忘れていない。これが大人の手管かと、密かに舌を巻くフィオナであった。
「……不味いわね」
「何がです?」
だが、アウグスタの表情は優れない。どこか失望に染まっての一言。
やがて、議員の彼女は優雅な辞去の挨拶をすると、一目散に「化粧室」へと駆け出した。
「少し、彼女には刺激が強すぎたみたいね。でも、会話は弾んでいたわ。時間を掛ければ、何とか……」
「ああ。そういう……」
利害を説く事で、会話を弾ませた彼女へのアントニオの返答は、実に血生臭いものだった。
フィオナには、二人の姿は実に機嫌良く、楽しそうにも見えた。
だが、それは女が耐え忍んでの事。
口下手で嘘のつけない男が、相手から会話を引き出されて語るのである。正直な話、いや、もっと配慮してあげてよ。と、フィオナでさえ思ってしまった。
奥方様はまだ終わっていないと思っている様だが、再起は無理だとフィオナは感じる。
折れた女は、支えられたいものなのだ。それくらい、物語などで知っている。
なので、どう見ても何も気付いていない美形顔へ、議員の彼女が再挑戦するとは思えなかった。
そして、また暫くの時間が過ぎてゆく。
この間に新たなる女傑は現れず、フィオナは今後の相談を重ねられた事に、大変満足していた。
そんな中、また新たな女性が不敗の騎士へと挑む。
「あら。あのご婦人は……」
彼女はこの夜会の出席者としては割と珍しい、アウグスタと同年代の女性であった。
参加には十八での本成人以上、未婚。との条件があるので、かなり珍しい。
アウグスタも知らぬ顔の様であり、マジマジとして観察している。その視線が注がれるのは、主に手袋を嵌めた左手——その薬指へであった。
アウグスタの眉が、僅かに動く。
「アニトニオ様。お席、よろしくて?」
「ええ、歓迎いたします。シニョーラ」
暴力的なまでの美形に怯まず、色気をたっぶりと振り撒く彼女へ、周囲からもどよめきが漏れる。
その中の幾名かの視線や囁きは、あまり良い感情ではなかったが。
「オホホ。シニョーラとは、お上手ですわね。アタクシ、出戻りでしてよ。お気軽に……」
彼女は艶やかに名乗った。それにフィオナはなんとなく覚えがあったが思い出せず、小首を傾げる。
「シニョーラ。貴婦人の無聊を慰めるのも、騎士の務め。どうか、お寛ぎ下されれば幸いです」
敢えて求められた名でなく、敬称を用いる如才ないアントニオの返し。
だが、フィオナは見てしまう。隣の奥方様が、彼女へ時折見せるあの、冷たい視線を注いでいるのを。
「あの、奥方様? 手袋はファッションですし、そうお気になされなくても」
やんわりと微笑む奥方様へ、フィオナは背筋を震わせた。
婚姻の契約と共に、左手薬指へは契約の証が刻まれる。それにより、人類種は既婚者を識別する事が容易になるのだ。
「そ、そうよね。ちゃんとした方を招待しているし、心配はないわよね」
また、不貞を働いた者へは契約の証は変質し、呪いとなった。なので、左手を隠すという行為への奥方様の警戒心は頷けぬものでもなかった。
なお、未婚のフィオナのみならず、アウグスタの左手薬指にも契約の証はない。白魚の様な指先だった。
これは死別に限り、時間が経過する事で、契約が解除されるからである。
死が二人を別つとも。という婚姻の誓いは、まやかしであった。
「うふふ、アントニオ様。ルカ様には、まだお母様が必要でなくて? 私、子供が大好きですのよ」
その一言が効いたのか、その後は中々会話も弾んでいる様にも見えた。隣の冷気は益々増したが。
やがて、ご婦人は穏やかに暇乞いをする。大人の余裕か、手応えの実感か。
その時、ようやくフィオナは彼女の事を思い出す。王都で浮き名を流すその二つ名は、「好色婦人」。割と最低な二つ名であった。
「お嬢様。実は昨夜……」
いつの間にか婆やがアウグスタの側に居て、耳打ちをしていた。奥方様は深く頷いている。
そして、その視線は不貞による離縁からの独り身となった好色婦人へと注がれており、フィオナは新たな脱落者を察した。
「宴もたけなわね。それでは、フィオナ。そろそろ、いってらっしゃいな」
そっと、背中を押される。その微笑は、千尋の谷へと堕とす母獅子にも等しかった。
だがフィオナは、代行、アウグスタ・ビアンカ=キエッリーニに逆らう気にはなれない。それは、彼女だけではなかった。
十四年前の災厄。
暴徒により街が焼かれ、数多くの生命が失われたあの日。
フィオナが母を失ったその日から、アウグスタはトラーパニという街そのものの、母であり続けた。
幼い頃は、強く反発したものだ。
仕方なかろう。それを受け入れられる程、人というモノを知らなかったし、未熟だった。
フィオナは歩む。一歩ずつ、しっかりと。
だが、あの頃のこの人の年齢に近付いて、その凄まじさを理解した。
喪服のままに泥に塗れ汗を掻き、街の生活を立て直している。そして、寄る辺なき子供達を慈しみ続けたのだとも知っていた。
不器用な人で、それらにかまけ、息子の教育は失敗してしまったが。
あの人の愛息であるオルトは、とても貴人や、貴族などと呼ばれる様な性格には育たなかった。
脳筋で、不器用で、だけど優しいアイツは。
「ペントラ卿。これからは、アントニオ様と、お呼びいたしましても?」
「……フィオナ嬢。綺麗になったね」
それは、この人も同じ。ただ、顔だけは良いが。
「お上手ですのね。疲れられましたか?」
「実の所、僕は女性が苦手でね。どう接すれば良いのか、わからないのだよ」
「あら、あら。こんなにお上手ですのに」
卓へと腰掛ける。微笑みを浮かべる美形だが、動揺などはない。だけど、とても好もしいものに見えた。
「まぁ、私とアントニオ様でお話し出来る事なんて、オルトとルカ、ついでにリナの事くらいしか、ありませんけどね」
「ははっ。最高のお話しだよ。それでもやっぱり、君の事を、聴かせて貰いたいな」
「まーた、そんな事言っちゃって。……聴きたいのは、別の方の話じゃなくって?」
頬を僅かに膨らませ、掻く仕草。
頬を膨らますのはルカに、頬を掻くのはオルトに、伝染した癖だった。
「ま、聴きたければ、ご本人に聴けば良いじゃないですか。誰に憚る事でも、ありませんよ」
無言で視線を逸らす美形。その逸らした先へある者へ、注ぐ視線の意味を、自覚していないのだろうか。
「良い大人なんですから、あんまり素直じゃないのも考えものですよ」
「……善処しよう」
私のこの言葉、聴こえてらっしゃいますか? 「奥方様」。自分の視線の意味にも気付かない鈍い人達。
だが、サービスはここまでだ。
代行。という重い名を背負った貴女へ。
「考えなさいな」それは、貴女の口癖でしょう? 「お母様」。
フィオナは楽しくなってきている。ならば、自分が楽しまなければ損だ。
だって、商人の娘なのだから。
「ところで、アントニオ様。エーリチェでの霊獣達。その始末を我がミリオッツイ商会へと委託を……」
「これは、これは、逞しい。これも彼女の、教育の成果かね?」
その問いには、答えない。教育なんていう、生優しいものではないのだから。
騒々しくも、愉快な夜が更けていく。
そろそろ第二の反抗期を迎えても良い筈だ。そしていつまでも、物分かりの良い大人しい娘でいると思うなよ。これは、宣戦布告よ。
二人は宴が終わるまで、実に有意義に語り合う。
翌朝、バカみたいに杯を空け続けたフィオナは、酷い二日酔いに悩まされる事となった。




