23話 柳と剣と探偵と。
「ビーさん、ツバメの巣!」
「危ないから、触っちゃダメだよ」
「はーい」
オルトに肩車された女の子は、とても元気いっぱいだった。
ルカの注意に良いお返事をするが、身体はあちらこちらへと泳いでいて、落ち着きがない。
「……オルト。ありがとう」
「お、おう」
なんて事はない。ルカの細腕ではいつまでも抱えたままではいられないし、街中での術式行使も禁じられている。
ところが、降ろしてみれば六歳児は、大変なお転婆だった。
とにかく目に付いた物には反応し、ふらふらと横道に逸れるし、花や猫を見つけるとしゃがみ込む。手を繋いでいても振り切ってしまうので、実に大変なのだ。
「この謎が解けたなら、名誉あるリナ探偵団に加えてあげますよ!」
「えー。格好悪いからやー」
頼りのリナも役には立たない。子供と一緒にふらふらするし、寧ろ、猫さん発見ですよ。などと率先して逸れていった。
露店の前を通った時など、暫くは動けなかった程だ。
流石に見かねたオルトが抱き上げれば、幼女は高い、高いと大盛り上がりである。
——私も昔は、こうだったのだろうか。
そんな事を考えてしまうルカは、オルトの顔を仰ぎ見る。
「そういやルカがちっさい頃も、こうやって肩車してたなー。覚えてっか?」
「ルカ様もー?」
喜びに綻ぶ、幼いお顔。
「ルカも、こんくらいの時は可愛かったんだけどな。にぃに、にぃにって」
オルトの陽気な声に、唇を噤むルカ。
「……知らない」
ボソリと一言だけ。その光景に、後方で理解者顔をするリナであった。
「ビーさん、柳のおいたんより高いから好きー」
そんなこんなで歩いていたら、思いがけない言葉が出て来る。
「柳の……」
「……おいたん?」
幼女は楽しげに笑う。
「うん。柳のジノおいたん!」
とってもお話好きなので。
グツグツと鍋の煮える音。新鮮な魚介類に混じる、香辛料の強い香り。
古ぼけてはいるが清潔で、生活の匂いの滲む、中々居心地の良い店内だった。
まだ真新しい、柳の枝に囲まれた海雷獣の剥製が置かれているのは異様であるのだが。
ここは銀の鰯亭。幼い少女の母親が一人切り盛りする、大衆食堂であった。
三人はそこで幼女と共に、甘く味つけされた炭酸水へレモンを絞り、ミントと塩で味付けされた飲料、セルツを飲んでいる。
爽やかな酸味が舌に心地よいシシリア夏の定番飲料であった。
「そっかー。ジーノおいたんは、鰯が好きなんだねー」
「ママのお料理は絶品なのー」
ルカもオルトも黙り込んでしまっている。
代わりにリナが幼女に話しかけ、割とどうでも良い情報を集めていた。子守ともいう。
「待たせて悪いね。小熊の坊ちゃんも、お久しぶりだね。半年ばかりぶりかい?」
「あれ? 女将さん、俺の事覚えてくれてたんですか? 二、三回しか来た事ねーのに」
少し驚くオルトに、女将さんは胸を張る。
「一回でも来てくれるなら、立派なお客様さ。で、ジーノさんの話を聞きたいそうなんだけど、良いお客様だよ。この子とも遊んでくれるしね」
その顔は抱き上げた娘と共に、何の恐れもないという穏やかなものだった。
そんなこんなで話を聴けば、ジーノはここ一月くらいで、彼女の切り盛りする、この店へ来る様になったらしい。
なんでも王都の商家に雇われて、仕事が片付くまでトラーパニに滞在する予定という事だった。
好物はお酒とお魚。食後は、いつも柳の楊枝を咥えているらしい。
幼女曰く、お魚の骨を綺麗に抜いて食べさせてくれて、一緒に遊んでくれる面白いおじさんであるそうな。
「器用な人でねぇ。ほら、そこの海雷獣の剥製も、売り物にゃならないからってさ」
その言葉に相槌を打つのはリナだった。
「あー確か、飲食業には海雷獣は小灰繁盛のお守りなんでしたっけ?」
得意気な知識披露。女将さんも大きく頷く。
「そそ。腹ペコ大食いが来ます様にってね。あの剥製も、自分でしたんだってさ」
女将さんも幼女も共に、普通の、何の変哲もない、気の良いおじさんだと言っている。
話が進む度、オルトに困った様な表情が出始める。大方、倒すべき「敵」として目した相手の意外な人臭さに、戸惑いがあるのだろう。
態度には出さないが、リナも似た様な気分なのだろうと、ルカは推測している。二人には、どこか甘いところがあった。
だが、ルカは違う。
冷たく深く、考える。
なにせ、情報があるに越したことはない。密輸という犯罪に与する危険人物であるならば、尚更だった。
「ああ。そうそう。昨夜だったかな? 暫く来れなくなりそうだからって、これを沢山置いていってくれてね。ジーノさんの手作りなんだよ。ありがたいけど、寂しいもんだね。忙しく、なるのかしらね?」
それは、柳で作られた楊枝であった。
柳には古くから鎮痛作用があるとされ、精製されて鎮痛剤にもなっている。
精密な作業の痕跡。そして、海雷獣の剥製という、そう簡単には手に入らない物品を、事もなげに参じるという精神性。
恐ろしい「敵」だとルカは思う。オルトも考え込んでおり、リナもまた感心しきりであった。
「今日は、ウチの娘を送ってくれて、ありがとうね。またお店に来なよ。サービスするからさ」
「ルカ様、ビーさん、リナ! まったねー」
明るい幼女と女将さんの声に送られて、リナ探偵団は帰路に着くことになる。
とはいえ、三人にはこれ以上、柳のジーノの足取りを追う事は、出来そうにもなかった。
黄昏の光の中、軍靴の音が響く。まだ熱い港の風が、さっと吹き抜けた。
孤影が征く。
石畳を離れ、硬く滑らかに均された表通りを抜け、裏路地へと。
そこは、陽光から逃れた暗がりだった。
表通りの華美さはない。空気も淀んでいる。
ただ、脇道でさえもが表通り同様に、冷たい理での舗装がなされていた。
軍靴の響きが、硬質なものに変わる。
剣は、柳の居所を突き止めていた。
——やれやれだ。
魔銀位階の無頼、柳のジーノは止めどなく滴る冷や汗を拭う事すら出来ない。
気配も足音も、殺している。
幾つもの角を曲がり、囮も多く撒いていた。
だというのに、「冷たい鉄」の振動は、真っ直ぐに此方へ向けられている。
それが、判ってしまう。
強者故の嗅覚は、彼へと絶望を運んでいた。
先日から嫌な予兆を感じていたジーノだが、明け方になり、その意味を知る。
一斉検挙。
街へ敷かれた新法。それを侵す者達への、強制介入だった。
騎士達を返り討ちにし、切り抜けたジーノだが、さっさと逃げるべきだったと悔いている。
仕事に対し誠実な彼の気質が、彼自身を追い詰めていた。
重い鋼の振動が、揺るぎなく向かってくるのが判る。汗も震えも、口の中の渇きも止まらなかった。
自律神経の制御は、得意な筈なのに。
行き止まり。
柳の楊枝を強く噛み締めて、建造物の外壁を駆け上がる。屋根を超え、反対側へと着地する。
近道だ。この区画、比較的高層の建物が多い。だが、ジーノの身体能力ならば問題なく抜けられた。
しかし、研ぎ澄まされた振動は追ってくる。距離は変わらない——どころか、詰められていた。
更に幾つもを超えると、崖へと出ていた。
——参ったね。
既に追い詰められていたのか。流石にジーノといえど、海は超えられない。
もう、逃げられはしなかった。
腹を据え、振り返る。
黄昏の逆光に照らされた、美しい男。
「よぉ、色男。俺のケツに、何の用だい?」
剣は答えない。静かに値踏みする様な視線だけが、送られている。
臓腑が締め付けられる様だった。無意識にジーノは、身体に染み付いた合気柔術の構えを取っている。
騎士は構えない。フッと夢魔の様に笑う。
その視線は、トラーパニの丘、キエッリーニの屋敷を一度だけ仰ぎ見る。
剣は何も語らず、踵を返した。
「お、おいっ!」
思わず叫んでしまうジーノ。遠ざかってゆく背中にさえ、噛み付く気にはなれない。
——見逃された。という安堵と共に、契約の残り期間を計算している。
「参ったね。こんな田舎にゃ俺より強い奴なんて、そう何人もいねぇと思っていたんだがな」
夕闇に響く潮騒の中でその二つ名の如く、所在なげに愚痴を零す、柳のジーノであった。




