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2話 大海蛇と遅刻した騎士。


 二話改稿です。もうちょい弄るかも。

 戦闘を面白く書くのって難しい……。


 港の光が水面に淡く揺れる。

 静けさは、ほんの一瞬の夢に過ぎなかった。


 波音が変わった——深く、重く。


 セルペンテ・マリーノ(海蛇)——赤黒く血を帯びた巨体が波間に蠢く。

 尾が船体に叩きつけられ、波しぶきが岸壁へ跳ね上がる。轟音が胸と耳を揺らし、船体は砕け散った。


 騎士たちは咄嗟に身を伏せ、港全体が悲鳴と衝撃に包まれる。津波が迫った。


「紅黒鱗だ! でけぇ!」

「銃弾が効かねぇ! 波を凌げ!」


 前線に飛び出す騎士たち。オルトの声も混じる。船員たちの悲痛な叫びが、港の空気を引き裂いた。


「沈んじまう! 助けてくれぇ!」

「死にたくねぇ!」


 悲鳴にアウグスタはドレスの裾を握り締め、重心を意識する。集中力——術式にはそれが必要だった。

 手指を動かし、水流を縛る。波はわずかにだが、彼女の意思に応えようとする。


 十四年前、失ったものの痛みが指先から胸にまで押し寄せるが、立ち止まるわけにはいかない。


「民の安全を最優先——波は私が制する」


 静寂に溶ける声。

 祈りではなく、決意。

 ——それでも、胸の奥では誰もが応えてくれと信じていた。

 祈りは手放すものではない。


 ただ、委ねるだけでは足りない。

 今は、動く時。

 詠唱を紡ぐ——(カルマ)


 水流は留まり、波形は制される。完全ではないが、秩序の微かな兆しが生まれた。


「……海と、話してる?」


 小さなルカの呟きは膨大な水音にかき消される。


「くそっ! なんだって霊獣が!」


 大津波が民を飲み込んだ。飛沫に混じる血と霊核。


 海蛇は顎を打ち下ろし、尾を振る。毒液が撒かれ、人々は必死に避ける。


 アウグスタは再び詠唱を紡いだ。せめて一人でも、無事に——。

 港の空気は焦げつくように熱く、煙と潮が混ざっていた。


「お前ら! 救助を急ぎなっせ! 奥方様の『戒め』から離れんとね!」


 シシリア弁丸出しの婆やが叫び、乱暴ながらも指示を代行している。


 その声に呼応するように。

 年嵩の船員や騎士たちも、互いに声を掛け合いながら、溺れる者を掬ってゆく。


「お、奥方様。術力が、凄く濃いです……」

「大丈夫よ。貴女は皆が引き揚げた方たちの治療をお願い。頼りにしてるわ」


 お調子者なリナは震えていたが、アウグスタがそっと頭を撫でると落ち着きを取り戻し、再び救助へ駆け出した。


「退路はこっちたい! 早よ逃げんかい!」

「要救助者を私の前に運んでください! 片っ端から治癒してあげちゃいます!」


 婆やが陸へと導き、リナは救助者たちの手当てを行いながら次々と駆ける。

 人々は励まし合い、己の持てる力を搾り出した。

 だが、水棲爬虫類の無機質な瞳は睥睨す。


「尾を振り上げた! またデカイぞ! 備えろ!」


 鳴動する大海原。隆起する津波、渦巻く水流。

 海蛇は巨体を振り回し、攻撃の種類を変える。

 うねりに波が裂け、漂う毒液が港を脅かした。


「させません。波よ、鎮まれ」


 微かな指の震え。意思により海をそっと縛った。

 押さえ込まれた波面が停止し、大津波が一瞬、静止する。


「撃て! ありったけの火力を叩きこめ!」


 銃や砲の火力が大海蛇に放たれる。叡智と技術の結晶が純然たる暴力として降り注いだ。

 だが、巨体は身をくねらせ、騎士たちが薙ぎ払われる。それでも戦意は削がれない。


「怯むな! 時間を稼げ!」

「ペントラ卿が来るまで、持ちこたえるぞ!」


 その名に指の震えは収まった。

 蒼い瞳が浮かぶ。しかし頬を強張らせ、首を小さく振る。大海蛇は再び身をくねらせた。


 民を護るため、アウグスタは波を鎮める詠唱に心を集中させる。海蛇の咆哮が潮風を裂く。


 高波はやがて動きを失い、崩れて落ちる。運動を取り戻した波間を縫い、陸へと上がってくるのは息子——オルトだった。


 波間から姿を現したオルト。抱えられた船員たちは陸へ放たれ、安堵の息が港に広がった。


「母ちゃん! 俺が抑える!」


 オルトは運ばれる船員たちを見届け、波間へ駆け出した。


「止めなさい! 死んじゃうわ!」


 アウグスタの声は、波と轟音にかき消される。

 けれど、振り返った男の貌は、強いものだった。


「アントニオの兄貴を待てねぇ!」


 言葉は届かない。海蛇の巨体へ、青年は一直線に走る。


「私もいくの」


 その背中を追う瞳も、戦士のもの。


「おう、ルカ! 初陣で勇気あるな。兄貴でいい」


 澄んだ声。小さな騎士ルカは双剣を抜き、軽やかに構える。肩は微かに震えるが、瞳は決意に満ちている。オルトが肩を軽く叩いた。


「や、からかわないで!」

「からかってねーって。弟分を誉めてんだよ」

「知らない!」


 プイと顔を逸らしたルカが髪を揺らし、しなやかに駆ける。双剣が波を蹴り、飛び散る鱗を裂く。周囲の船員たちは息を呑んだ。


「や、止めて! あの人みたいな事言わないで!」


 あの夜の記憶が背筋を走る。


「母ちゃん。誰も死なねぇよ。護ってみせるさ——父ちゃんみたいに」


 指を立て、オルトは莞爾として笑った。海蛇へ駆けるその姿に、ルカも負けじと追いかける。


「まだまだだな」

「負けない!」


 頬を紅く染め、追いつかん、追い越さんとするルカ。飛沫と残骸が波間に舞う。赤く光る霊核の欠片が揺れ、アウグスタの瞳が震えた。


「ま、待って……」


 潮風に血の匂いが混じる。オルトが斧を振り上げ、あの日の夫の姿が一瞬重なる。

 だが鱗に弾かれ、水弾が飛ぶ。アウグスタは唇を噛んだ。オルトの無謀は、私のせい——。


「油断」


 ルカが双剣と障壁で水弾を防いだ。オルトの死角を補うように双剣を振るう。

 賢い子。この子ならオルトの浅慮を補えるかもしれない。なのに——。


「止めて……。お願いだから、無茶をしないで……」


 胸の叫びが、重い吐息となって漏れた。


「若様たちが抑えてる間に残る十名の救助を! 奥方様が海を縛ります!」


 オルトの引き揚げた二名へ治癒を施し、リナが叫んだ。アウグスタも海上に残るは十名と読んでいる。


「お膳立ては済みましたよ奥方様。騎士様たちを信じてあげてください。キエッリーニへ仕える者は、主の期待を裏切りません!」


 欲しい言葉をくれる子だ。周りをよく見ている。騎士たちを信じられねば、結束は揺らぐ。

 四艘、百名近くの船員だ。陸に揚げた数と合わせれば、ほぼ全てとなるだろう。


「命ず。救助が完了次第、我が騎士たちも離脱せよ。同胞の海域からの退避と共に海を縛ります」


 大きな声は必要ない。用いるは、心を届ける交信。

 忠義を誓いし騎士たちや、同胞たちへ響かせる。


「婆や。海宥が発現したら、総攻撃の号令を。リナは要治療者たちをよろしくね」

「はい! お任せください! ばーんと、いってみましょう!」


 アウグスタは詠唱を続け、海を縛る機会を伺う。


「お待たせしました。後はお任せください」


 甘い声が耳朶を打った。アントニオが剣を捧げ膝をついている。


「来た! アントニオ様! ペントラ卿! これで勝てる!」


 大興奮のリナと。


「遅刻たい、色男。舞踊の相手(サメの霊獣)が離してくれなかったとでも言いなさっと? さっさと働きんしゃい」


 呆れ顔の婆や。二人の声が重なった。詠唱中のアウグスタは言葉を紡げない。


 だが視線は、剣を捧げ騎士礼を取る男をしっかりと捉える。顔を上げる涼やかな蒼瞳。

 浮かべられた微笑に頬が熱を持ち、微かに染まる。唇を結んだ彼女は、静かに頷いた。


「|スイ、ミア・シニョーラ《はい、我が夫人》」


 一言だけで応え、金色の髪を靡かせた美丈夫が海上を駆ける。視線はつい、その背中を追ってしまう。


「お母ちゃーん!」


 泣き叫ぶミリオッツィ商会の船員ジョヴァンニらを陸へと放り投げる。その数、十四。……四人、見落としていたのは私だ。

 だが、呆けている暇はない。海に残るは三名の勇士のみ。成すべき事を為す時だ。


 オルトとルカが突撃する。

 母の鎮める波を蹴り、水面を跳ね返しながら前進する二人。

 潮風に混じる塩の匂いと、飛び散る水滴が目に刺さる。

 斧と双剣が海蛇の鱗に叩きつけられた。硬質な鱗は容赦なく跳ね返し、鋭い音が水面を裂く。


 肩で風切る息遣い。水飛沫と混ざって耳を打つ。

 視線が交わり、無言の呼吸が連撃を繋ぐ。

 ルカが飛び散る水弾を受け止めた。

 オルトの斧が鱗をかすめ、淡く血を飛ばす。

 小さな亀裂が生じた。

 だが、依然として巨体は脅威のまま。


 リナは声を張り上げ、救助者に指示を飛ばす。

 手を振り、飛沫と血の舞う海を見守った。「若様たち、頑張って!」と励ましの声が、戦場全体に響く。


 海蛇の巨体が身をくねらせ、尾が巨大な水柱を打ち上げる。

 飛び散る水しぶきの中、オルトは体勢を崩さず斧を振り、ルカは双剣で水弾を斬り裂いた。


 連携の呼吸が一瞬でも乱れれば、命に関わる瞬間。


 心臓が跳ね、筋肉が張り詰める。短時間で見せた成長と勇気が、海蛇に小さな亀裂を刻む。

 互いの呼吸と視線で攻撃を繋ぎ、徐々に動きを制限する——ほんの一瞬、だが勝機の兆し。


「両名、退けっ!」


 アントニオの号令に、二人は一歩退く。肩で息をしながら、目は次の攻撃に鋭く光った。


「待ってたぜ! ペントラ卿!」

「父上!」


 子供達の声。海蛇が海中へ逃れれば、脅威は続く。詠唱は終わり、残すは駆動鍵のみ。


「海よ、風よ、波よ。——今一度我が祈りに応え、優しく鎮まり給え」


 凪。


 アウグスタが手を振ると、胸奥の意識が世界と共鳴する。

 海の術力が渦を巻く。水の糸が海蛇を包み、波を静める。

 膨大な術力はトラーパニの海へと溶け——海が鎮まる。


 誰かが「終わった」と呟いた。だが、アウグスタの指先はまだ震えている。


 その刹那、金色の髪を靡かせて、アントニオが海上を駆け抜けた。


「奥方様! かっこいい!」

「お見事、ベッラ・シニョーラ(麗しの夫人)


 リナの賞賛より深く、男の一言だけが耳に残る。

 蛇身から離れる二人。陽光に輝く白刃を手に、一人だけが迫った。


『やっちまえ!』


 オルトとリナが拳を振り上げる。


「せからしかガキどもばい」


 婆やが思い切り吐き捨てた。剣を振り上げた騎士の一閃が鱗を砕き、肉を裂く。


「やったぜ! 兄貴!」

美形(正義)は勝ーつ!」


 オルトとリナが絶叫し、婆やが鼻を鳴らして睨む。


 噴き出す血が海を染め、蛇身は二つに分かれて横たわった。

 血糊を払い、剣を鞘に収めた騎士は海上で恭しき礼を取る。


「いつまでも、お守りいたします。ミア・レジーナ(私の女王陛下)


 アントニオの微笑に、胸がほどける。

 港と浜から、歓声が響き渡った。


 だが、赤く染まった海面の底にまだ何かが漂っていて、沈黙のまま嗤う気配があった。

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