表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/30

19話 嵐の前。

短いですが。

 


「おかえりなさい。二人とも」


 先にアウグスタへと歩み寄ったのはルカだった。


 足音を立てない歩き方。距離を測るような歩幅。背筋は伸び、顔つきも落ち着いている。まるで、ここで何が起きているかを把握しているかのように。


 けれど、空気を探る視線だけが、わずかに忙しい。

 分かったつもりでいようとする、その浅さ。──アウグスタは見逃さなかった。


 胸の奥で、そっと息をつく。

 ——この子は、本当に強くあろうとしすぎる。


「いらっしゃい」


 抱き上げると、ルカの身体が一瞬だけ強ばり、それから力が抜けた。

 その変化が、腕越しにもはっきりと伝わる。


 少し離れたところで、オルトが立ち尽くしている。

 呼ばれるのを待っているのか、言葉を探しているのか。肩は固く、指先だけが宙を彷徨っていた。


 恐怖と誇りの間で、どちらにも寄りきれずにいる。

 そんな感情が見て取れた。

 アウグスタは、まず聴くべきだと静かに心を整える。


 ──そして聴いたのは、ただの若者同士の諍いではなかった。


 密輸。

 それも、単発ではない。


 想定の範囲内ではある。

 規制を敷けば、抜け道を探る者が出る。それは人の性だ。


「……やはり、そう来ますか」


 低く零した言葉に、感情は込めない。


 正義感の強いこの子が、見過ごせるはずがない。

 嬉しさと同時に、心配がよぎるのもまた、親としては当然だった。


 だが今は、それよりも先に聴くべきことがある。


「で、その男は。名を名乗ったか」

「柳……柳のジーノと」


 名が落ちると同時に、オルトの視線が床へ沈んだ。

 唇がわずかに歪む。無理もない。


 ——柳のジーノ。


 フィオナの報告にあった名だ。

 近頃、王都で名を上げているらしき無頼、魔銀。


 冒険者登録の位階制度は、こういう時に便利だ。

 実績と危険度が、端的に分かる。


 中級の上位。

 褪せた灰銀の登録証を授けられた者。銀霊に御されし卿。


 その「力」と「罪」だけならば、貴族にも並ぶ。


「……強かった、ですか?」

「母ちゃん、アイツを知ってんのか?」

「いいえ」


 即答だった。


 主張も信条も持たぬ破落戸に、個人的な関心はない。

 社会の脅威となるなら別だが──今は、まだ判断が早い。


「アイツは……ヤベぇ」


 オルトの拳が、小さく震えていた。

 力の差を、嫌というほど思い知らされたのだろう。


 誇りがある。

 だからこそ、言葉が続かない。


 アウグスタは、それ以上を急かさなかった。


「その名なら、聴いているわ」


 声は落ち着いている。

 けれど、アウグスタは意識的に言葉を選んでいた。


「腕が立つのは確かね。……ただ、それだけよ」

「それだけ?」


 オルトの眉が、わずかに跳ねる。


「力があるからといって、何かを決められるわけじゃない」

「でも、俺は──」


 詰まった言葉は、どのような感情からか。

 大方、思い出したくもない光景が、脳裏をよぎったのだろう。それとも、男の子の意地か。


 アウグスタは、そこを追わない。


「強者は厄介です。でも、それは敵に回した時の話」

「じゃあ、放っとくのかよ」


 息子の苛立ちが、声に滲んだ。


「いいえ」


 だからこそ、短く否定した。


「放っておけない相手だから、聴いているのです」

「……」


 オルトは口を閉ざしたまま、視線を逸らす。

 納得してはいない。それだけははっきりと分かる。

 この子にはまだ、会話の中から情報を引き出せる力はなかった。


 アウグスタは、抱いているルカの体重を感じ直す。

 軽い。

 それが、余計に現実感を伴って胸に落ちる。


「柳のジーノは、一人で動いているとは思えません」

「……根拠は?」


 ルカが、小さく口を挟む。

 声は冷静だが、どこか張りつめている。

 だが、それは状況を聴けば即座に察せれる。「雇われ」であると、自ら口にしているのだから。

 

 ルカならば、気付くと思ったが焦りがあるか。

 仕方がない。まだ小さなこの子だ。オルトへの心配が勝るのだろう。

 だからこそ、教えてやる訳にはいかない。


「経験よ」


 それ以上を伝える事はない。


 理由を並べれば、いくらでも並べられる。

 だが今は、それが必要な段階ではない。


「密輸は、力だけで続けられるものではないわ」

「……後ろがいる、ってことか」


 オルトの声が低くなり、ルカの息を飲む音が聴こえる。そう。単純な話だ。


「ええ。だからこそ、本件は軽く扱えない」


 それだけを、事実として置いた。


 判断は、まだ先だ。

 オルトが見たという赤い獅子、王国財務省の紋章。

 王国を富まさんと志す国士の旗。

 だが——「嫌な手触り」だけは、はっきりとしている。


「……でもさ」


 オルトが、低く呟いた。


「それでも、放っとけねぇだろ」

「ええ」


 これにも即答だった。


 それが、かえってオルトの表情を歪ませる。


「じゃあ、なんでそんなに落ち着いてんだよ」

「落ち着いているように、見えるだけです」


 アウグスタは視線を逸らさなかった。


「判断を急がないのと、何もしないのは違います」

「……」


 オルトは言い返さない。

 理屈としては、分かってしまうからだろう。


 だからこそ、拳に力が入っている。

 これも、男の子の意地か。


「俺が負けたのにか?」

「負けたからこそ、です」


 少しだけ、声を低くした。

 勝ち負けを語る必要性なぞない。


 残念ながら、この子の視座は低い。そうしてしまったのは、忙しさにかまけた私自身の過失。

 アウグスタはそう考えている。だからこそ、突き付けるものは現実となる。


「感情で動けば、同じ失敗を繰り返す」

「……っ」


 噛みしめた歯の音が、わずかに鳴る。


 そこに、控えめな声が重なった。


「……奥方様」


 ルカだ。


「一つ、よろしいですか」


 アウグスタは頷く。


「もし、その人が——柳のジーノが」

「ええ」


「次に動くとしたら……こちらは、間に合うのですか?」


 問いは短い。

 だが、逃げ場のない角度だった。


 アウグスタは、すぐには答えなかった。


 その沈黙が、答えでもある。


「……間に合わない可能性も、あります」


 オルトの肩が、ぴくりと跳ねる。


「だからこそ、準備をするのです」

「準備って……」


 続きを、言わせなかった。


「今は、それ以上は言えません」


 決めている。考えれば、自ずと解は導かれる事。


「なんでだよ……」


 オルトは、それが気に食わないのだろう。考えるよりも感情が先走っている。


「母ちゃんは、もう決めてんだろ」

「……ええ」


 初めて、否定しなかった。


「でも、それはまだ『あなたに押しつける答え』ではない。考えなさいな」


 顔を背けたオルト。


 理解している。それでも、納得はしていない。そんな空気が全身から漏れている。


 ——それでいい。


 アウグスタは、そう判断した。それが正解でなくてもよい。考える事、自ら解を求める事こそが、これから先の息子の仕事だ。


「ルカもよ」


 降ろしたルカがオルトに並ぶ。

 二人は辞去の礼をして、執務室から去った。


 大きく、吐息が漏れる。

 とうに夕陽は沈み、窓の外からは月明かりが覗いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ