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 ―― 蝿 ――

 ここは、なんて快適なんだろう?


 ここは、何にも無くて四角くて、そして白い壁に白い天井


一つの窓と一つのドア……

そして、一つのベッドがあるだけの

とても、とてもシンプルな世界


 今までは、色んな所を転々として来た


もっと、もっとごちゃごちゃと物が置いてある所だったり

もっと、もっと暗くてジメジメとしている所だったり

もっと、もっと広くて何処まで行っても同じような所だったり


 でも、どんな所に居ても

いつも、気を張り詰めていないと生きては行けない


 そんな、ピリピリと神経を尖らせながら

日々、死と隣合わせの危険な所


 例えば、いい匂いがする物を見付けて

フラフラと、吸い寄せられるように近づいた瞬間に

恐怖の毒ガスをまき散らされたり

恐怖のベッタンを振り回されて潰されそうになったり


 また、ある所では、僕等よりでっかい恐竜みたいな奴らに捕まりそうになったり


 またまた、ある所では、すっごく高~い場所から急に水が落ちて来てびしょ濡れになったり



 でも、この世界は、そんな危険な事が全く無い

それは、それは快適な世界なんだ



 1日の間に、たまに注意しないといけない時間があるくらいの、快適な世界なんだ


 それは、1日に何回かだけで

必ず、朝と昼と晩にやって来る2人組に見つからない事と

不定期でやって来る2人組に見つからない事


 朝昼晩の2人組は、必ず白い服を着ていて

不定期でやって来る2人組は、毎回服装が違う2人組



 この時だけは、隅っこに隠れてじっと動かないで

2人が、いなくなるのを息を殺して待っているしかない


 見つかったら、毒ガス攻撃やベッタン攻撃をされてしまう


 せっかく見つけた快適な世界から逃げなきゃいけないし

少しでも気を抜くと、そのままあの世行きにされてしまうから

こんな、快適な世界はなかなか見付からないし

だから、2人組が来た時はひっそりと隠れているんだ


 それだけ、我慢して徹底していれば

ここは、本当に快適な世界なんだ!


続く。

 私は、ここから出た事が無い


 ここは、何にも無くて四角くて、そして白い壁に白い天井

一つの窓と一つのドア……

そして、一つのベッドがあるだけの

とても、とてもシンプルな世界


 そして私は、このベッドから動いた事が一度も無い

私は、生まれた時から難病とか言われて

私は、一人では動けなくて何も出来なくて

私は、生まれたこの病院から出た事が一度も無いまま


 だから、私の知っている世界は

いつも、四角くて白い壁に白い天井

そして、一つの窓と一つのドアだけ


日々、死を待つだけのつまらない所


 一度でいいから、言葉を発して会話をしたい

ケラケラと、冗談を言い合って笑ってみたい

学校と、呼ばれる世界に行きたいし

友達と、呼ばれる人間を作ってみたい


 あと、歩いてみたり、すっごくた~くさん走ったり

恋もしたいし、ご飯を食べて美味しさを感じてみたい


 でも、私の世界は、そんな普通が出来ない世界


それは、それはつまらない世界なんだ


 唯一の楽しみは、右に少し首をかしげて窓を見つめる事と

左に少し首をかしげてドアを見つめる事くらい


 窓は、1日に何回も色を変えたり

カーテンを揺らしたり、外の世界の音を届けてくれる大好きな物

 ドアは、先生と看護士さんが様子を見に来る時と

両親が、たまにお見舞いに来る時に開く物


 先生と看護士さんは、朝昼晩に必ず来て体温を計ったり

たまに来る両親は、顔を覗いて話掛けたり

洋服を着替えさせてくれたりする

  私の病気の為に、お金がすごくかかるみたいで

両親は、会う度に疲れきってやつれて来たみたい

私が、こんな体に生まれてこなければ

両親も、もっと明るい幸せな顔なのかな?




 誰も、いなくなったらまた、首をかしげて窓を見つめる


風、車、人の声、

色んな音に、耳を傾けながら

私の世界とは違う、窓の外の世界に強く思いを込める


 そこは、どんな色があって

 そこは、どんな匂いがして

 そこは、どんな物があって

 そこは、どんな人間がいて

 そこは、どんな事が出来て

 そこは、どんな音がするのだろう?


ここで、あとどれだけの時を過ごすのだろう?


続く。

 この世界に来て、もう随分経った

僕も、この世界の事がだんだんと解って来た


 真ん中あたりにあるベッド

そこには、小さな女の子が眠っていて

そして、その子はベッドから降りられないみたい

そして、その子は一人では動けないみたい


 だって、僕が近づいても全然追い払わないし

恐怖の毒ガス攻撃もベッタン攻撃もして来ないんだ

 少しづつ、少しづつ距離を縮めて

思い切って、腕に止まってみたけど

やっぱり、追い払わないんだ

 そのまま、ゆっくりゆっくりゆっくりゆっくり

もっと思い切って、顔に止まってみたけど

やっぱり、追い払わないんだ


 僕は、とっても感動しちゃった

ちょっとだけ、涙が出ちゃった

 今までは、何処に行ったって追い払われて攻撃されて…

何度となく、殺されそうにもなったのに


 何でかな?何で、この子だけは何もしないのかな?




 それから、僕はほとんどの時間を女の子の近くで過ごして

そして、気付いたんだ


女の子の、か細く小さな腕には

何だか、いっぱいくっつけられていて

そして、それを一人で外したり直したり出来ないって事


朝昼晩の白い服の2人組とか

たまに来る違う服の2人組とか

今まで見て来た人間は、あちこちが動いているし

器用に二本足で移動したり

人間語でコミュニケーションしたりするけれど


 あぁ、そっかぁ…

この子は、それが出来ないんだね…

僕を追い払わないんじゃなくて

追い払えなかったんだね…



 僕は、とっても悲しくなって

女の子の側から、離れたくなくなって

ずっと、ずーっとくっついていようと決めたんだ


続く。

 私の名前は、波江(なみえ)

みんなが、私に向かってそう呼びかけるから

きっと、私の名前は波江なんだと思う


 趣味、特技は共に無し

正確に言うと、無しというより、何も出来ないんだけど…

 年齢とか、細かい事は聞かないで下さい

自分でも、よく分からないから


 一日中、ベッドに寝ているしか無い生活で

唯一、毎日楽しみにしている事が

左側と、右側を見つめる事


 左側には、入り口があって

 右側には、窓があって

どちらも、私の知らない世界に通じているみたいで

いつも、あれこれ考えながら

妄想しながら、ワクワクしながら見つめています



 今日も、目が覚めたらすぐに

右側に首を傾けて、天気の確認

今日は、キラキラしているから晴れらしい

左側に首を傾けて、巡回の時間を待って

先生と、看護士さんの仕事を見つめて

右側に首を傾けて、カーテンが揺れる大きさで

今日の、風の強さを確認



 そんな感じで、右→左→右→左………

一日中、エンドレスに見つめて過ごしています



 最近、たまに、本当にたまにね

考えても、仕方ないのは充分に分かってはいるんだけどね

それでも、考えてしまう時があって


『一度でいいから、外の世界を見てみたい』

右を見ても、左を見ても考えてしまうんだ



 それでも、どうにもならないのは

誰よりも、自分が一番分かっているから



 だから、今日もひたすら見つめながら

外の世界に憧れて

外の世界を諦める



 そんな、同じ事の繰り返しの日々の中

波江は、ある事に気付いた



続く。

 いつも、見ている世界の中に

何だか、見慣れない影が見える

それは、黒くて小さくて素早くて

すぐに、視界から消えて見えなくなってしまう

でも、またすぐに視界に入る



『あれ?何だろ?何かいるの?それとも、私の目が変になったのかな?とうとう、目も見えなくなるの?』

波江は、不安とドキドキが入り混じった

初めての感覚に戸惑いながら

あちこちに視線を移しながら

必死に、その姿を追った



 誰も、いなくなるとすぐに現れて

波江の周りをしきりに飛んでいるみたいだった


だんだんと、視界に収まる時間が増えてきて

顔の横にぴったりくっついたり

腕にぴったりくっついたりするようになった



 友達もいないし、会話も出来ないし、一人で動けない波江にとって

自分の近くにぴったりくっついて

ずっと、離れずに側にいてくれる存在は

本当に、初めての存在で

波江は、興味深くいつまでも見つめていた


 それは、黒くてとても小さいけれど

よく見ると、目も口もある

細いけれど、手みたいなものをしきりに動かし

細いけれど、足みたいなもので移動もしていた


背中には、ハネがあって

飛ぶ時は、見えないくらいに早く動かしてすぐに飛んで行ってしまった



窓とドアを見るのだけが楽しみだった波江に

新しい楽しみが出来た


 初めての友達、初めての外からのお客様



それからは、毎日一緒にすごした

ただ、見つめるだけだったけど

会話も、何も無かったけど


波江は、楽しくて楽しくて


生まれて初めて、生きている実感に包まれていた

幸せを感じていた

一緒にいたいと思った

もっと長く一緒にいたいと思った


生きたいと、強く思った


続く。

 今日も、僕はここにずっと止まって過ごした

最近のお気に入りは、鼻のてっぺん

ここからだと、女の子の顔が良く見える

女の子も、ずっと僕を見ている気がするから

僕を見る、女の子の眼差しは暖かい気がするから

安心して、止まっていられるから

だから、僕はここの場所が一番好きになったんだ



 毒ガス攻撃も無い、ベッタン攻撃も無い

暖かい、優しい女の子の眼差しが有る


 ここは、絶対世界で一番快適だと思う

僕は、ずっとここにいたいと思う

僕は、ずっと女の子の側にくっついていたいと思う



 人間に対して、安らぎを感じられるなんて

本当に、この子はなんて優しい人間何だろう?


『僕が、人間だったらこの子と恋に落ちたいな』

『それがダメでも、友達になりたいな』

『それすらもダメなら、ただのクラスメイトでもいいよ』






 それから、考えた

『この子は、いつかはここを出て行くのかな?』

『それとも、このまま……』



それを、考えてしまうと

胸が、苦しくて苦しくて

どうしようもなくなって

少し、動いて女の子を見る


女の子は、変わらずに僕を見ている

また、少し動いて背中を向ける


悲しくて、でも恥ずかしい

そんな顔は、見せたくないから



でも、また少し動いて女の子を見る


僕は、そんな毎日が楽しくてたまらないんだ


ずっと、ずっと、ずっと、ずっと

一緒にいたいんだ

ここに、止まっているのが

本当に、何よりも大好きで大切なんだ

いつまでも、この場所から女の子を見ていたいんだ



続く。


 なぜだか、今日は女の子にあまり近づけないよ…

 なぜだか、今日は朝から色んな人間が慌ただしく出入りして

女の子の周りには、見た事の無い機械が並んでいて

両親も、なかなか帰らない



 早く、女の子の近くに行きたいのにな~…



女の子も、今日はまだ起きて来ないし

何かあったのかな………


心配と不安で、落ち着かない

ドキドキしながら、女の子を見つめる



 部屋の中にいるひとが泣いている

先生も、部屋から出て行かなくなった


 もしかしたら、女の子は

このまま、死んでしまうのかもしれない…


心臓が、締め付けられように苦しくなって

女の子の苦しみが、伝わって来ているみたいだ


『女の子も、こんなに苦しいんだろうか?』

『もう、女の子と一緒に過ごせないんだろうか?』


 頭のなかで、一度に沢山の思いが流れ込んで

落ち着こうと思っても

心臓の爆発音が邪魔をして

悪い方へ、悪い方へと妄想が膨らんでいく



『また、あの優しい眼差しが見たいよ…お願いだから、お願いだから、僕を独りにしないで』


 だんだん、だんだん、部屋の様子が変になる

嫌だ、僕は1%の望みにかけたい!

また、元気になって、両親も先生も帰って

そして、いつものように近くで君を見つめるんだ!



神様、僕の幸せを奪わないで

女の子を、連れて行かないで


僕、何でもするから

僕の、命をあげるから

女の子に、僕の命をあげるから

神様、女の子と僕の命を取り替えて下さい!


僕は、必死に祈った



その時―

一瞬、目の前が真っ白になって

体に電流が走って

気が遠くなるような痛みが襲った

1ミリも体が動かない…


何があったのか、把握出来ないまま



痺れた体を懸命に動かして

もがくように、這いずり回った

ひたすらもがいて、飛び跳ねて

薄れる意識の中で、必死に目を開けた


 朦朧として、焦点が合わない


それでも、何とか目に力を入れた


なぜか、フラフラして倒れそうだ

もう、力尽きてこのまま眠ってしまいそう

『僕は、きっと、もうダメだと思う。今、眠ったら、きっともう……。でも、眠いんだ…とっても眠いんだ。我慢出来ないよ』



 目を、閉じる前にもう一度だけ目を開けた

最後に、女の子が見たくって

最後に、ありがとうと言いたくて



ぼやけた視界に、力を込めた

最後の力を振り絞った



『女の子が見えたら、窓から出て行こう。』


女の子の最後の姿を見たく無いし

ここで死んだら、女の子も連れて行ってしまうかもしれない

僕の代わりに、きっと、女の子が幸せになるんだ

女の子が幸せなら、僕はそれで幸せなんだ



力いっぱい、部屋を見渡して

窓に近づいて、窓に手をかけた


『これで、最後。でも、僕は幸せだよ。心配しないでね?僕は大丈夫だからね』


 窓から、心地よい風が吹き込む

カーテンが揺れる

頬に、カーテンが何度か触れて






 僕は、体を大きく乗り出す


体が、痺れているせいかな?

体が、痛くて動かないせいかな?

いつもより、全体的に重い



振り返って、本当に最後に女の子を見る

やっぱり、焦点が合わないまま


『最後に、見たかったけど…。でも、もう、行くね…。体が辛くて、支えてる手がキツいんだ。笑顔で行くね。』




 体が揺れて、窓の外に吸い込まれる瞬間


視界が開けて、部屋の中が鮮明に写る




ベッドに目をやる






 そこに、

波江の、姿は……


   無い……。




体は、窓から完全に離れて



下へ、下へ、下へ向かって沈んで行った




窓から、両親が叫びながら覗いていた……。



――完――

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― 新着の感想 ―
[一言] まず前回の感想について 短編で投稿されていたので完結しているものと勘違いしていました。 あらすじをしっかり読むべきでしたね…。 申し訳ありませんでした。 ちなみに、書き続けられるなら連載小説…
[一言] 楽しませていただきました。 語り手が蝿ということは分かったのですが、部屋にくる2人組みがよくわかりませんでした。 何かの比喩だったら私の読解力不足ですね… これからも執筆頑張って下さい。…
感想一覧
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