彼の大切な神様
このお話は架空のお話です。
わたしの彼氏の琉輝には、神様がいる。
彼が信仰するのは、生き神様の花織さま。
琉輝の中の一番は花織さまで、わたしはそれよりもずっと遥か下に位置している。
花織さまは、もともとは琉輝と同じ集落に住む普通の女の子だったそうだ。
それが厳しい修行を積んで、時を止め、生き神様となったらしい…。
私は花織さまに会ったことがないので、すべて琉輝から聞いたお話でしか知らない。
みんなから神様として敬われる花織さま。
妖精のように儚く美しい容姿をもつ花織さま。
「薫ちゃんはそれで良いの?薫ちゃんが彼女なのに…」
親友のちいちゃんは、わたしのことを心配してくれる。
けれど、わたしは良いのだ。
だって、琉輝とは初めからそういう約束で付き合ったのだから…。
『自分の全ては花織様に捧げるためにある。僕が結婚をするとしたら、僕が亡くなっても代わりに花織様を守る後継者を残すためだけだ。
それでも良ければ、付き合ってもいいけれど…』
そんな状態なのに、どうして彼と別れないのかというと、私が彼の事を好きすぎて離れたくないからだ。
大学で初めて彼を見た時、澄んだ瞳が何て綺麗な人なんだろうと見惚れた。
それから、いつも1人で講義を受ける彼をずっと見ていた。
全く笑わない彼を、笑顔にしてあげたいと思うようになった…。
確かに琉輝の一番は花織さまかもしれない。けれど、花織さまは集落を離れることができない…。
だから、こうして大学に通う琉輝の側にいられるのは私だけだ。
「その花織さまって、どんな娘なの?
妖精のように美しいのは分かったけれど、他にどんなところが神様だというの?」
ちいちゃんがチョコレートケーキを頬張りながら聞いてくる。
週末は琉輝が村に帰っていていないので、私はもちろんデートなんてしたことがない。
そんな私を励ますために、ちいちゃんはこうやって定期的に私を連れ出してくれる。
今日は、最近できたケーキバイキングのお店に来ていた。
「朝露だけを口にするとか、ずっと少女の姿のままだとか、天候を操るとか、側にいると多幸感に包まれるとか…」
私は苺のミルフィーユと格闘しながら、琉輝に聞いた花織さまを思い浮かべ答えた。
花織さまに関しての話は、どれが本当でどれが作り話なのか分からない。
ただ琉輝だけでなく、その集落に住む人も、みんな花織さまを生き神様として信仰しているらしい…。
琉輝は卒業後、集落の小学校の教師になるつもりで教員免許を取得している。
だから、もし私が琉輝と結婚して嫁ぐのなら、私も花織さまを神として崇めなければならないのかもしれない…。
「何だかこの科学の進歩した時代に、胡散臭い話よね…。そんな集落、実際にあるのかな?」
「確かN県の山の中だと言ってた…」
毎週車で片道3時間もかけて帰省する琉輝に、私も一緒に行きたいと言ったことがある。
けれど琉輝には
『どうして君を連れて行く必要があるの?』
と心底不思議そうに言われた…。
私としては長い時間、彼と一緒にドライブできるだけで嬉しかったし、あわよくば彼のご両親にも挨拶できたら…なんて思いもあったのに…。
ちいちゃんに散々、「こんな恋止めてしまえ!!」とも「仕方ないな~。あんたが気が済むまで付き合ってあげる」とも言われ、愚痴を聞いてもらいながらも、私は琉輝を諦めることが出来なかった。
そして付き合い始めて4年目にして、とうとう彼の実家に連れて行ってもらえることになった。
それは私のお腹に彼の子供が出来たからだ。
「お祖父様へのお土産は和菓子で良かったかな?甘いものは大丈夫?」
琉輝のお家は、ご両親が早くに亡くなられ、祖父母に育てられたそうだ。祖母も3年前に亡くなり、今は祖父と2人暮らしらしい…。
その辺の詳しい話は、あまり教えてもらっていない。
「ああ、別に何でも良いよ。祖父には花織さまの世話をする跡継ぎが出来たと報告するだけだから…」
こんな時も、彼の心の中心にいるのは花織さまなんだ…胸がチクンと痛んだ。
でも妊婦の私を気づかって、休み休み運転してくれる彼の優しさに、嬉しくなってしまう…。
ちいちゃんに言ったら、きっとチョロすぎると呆れられたことだろう…。
高速を降りる前の最後のサービスエリアで、彼は実家に電話をしていた。
『うん、あと1時間程で着くと思う。
……えっ…花織さま???はい、甘い物ですか?
花織さまはどんなものを好まれますか?
はい、承知いたしました。…はい、僕も久しぶりにお会い出来るのを楽しみにしてます…』
何気なしに聞いていたら、途中で電話口に、花織さまが代わったようだ…。
琉輝は、電話で話ししている間も、掛け終わった後も、とても嬉しそうに微笑んでいた。
それは初めて見る、私がずっと見たいと思っていた琉輝の笑顔だった。
私が赤ちゃんが出来たと報告した時も、こんな笑顔、見ることが出来なかったな…。
けれど、彼の横顔をずっと見つめていた私と目が合うと、またいつもの無表情に戻ってしまった。
それから琉輝は、サービスエリアに売っていた甘いお菓子を吟味し、それでも絞りきれなくて和洋とりどりに6種類ほど選んで購入していた。
私が実家へのお土産をどうしようと相談した時は、適当に日持ちしそうなものを選んでと言っただけなのに…。
それからは特に話すこともなく、1時間程山道を走り、山の中の集落らしきところの一軒家の前で車を停めた。
それはその辺りの家の中で、一番立派なお屋敷だった。
「ルキ~」
義祖父が来るだろうと思って構えていたら、中からこんな田舎に存在するのが信じられないほど美しい少女が出てきた。
年齢は10代前半くらいだろうか…?
「花織さま」
琉輝は、慈しみに満ちた優しい笑顔で、飛びついてきた少女を抱き締めた。
花織さまは、着ている白いワンピース姿も相まって、本当に背中に羽根が生えてないのが不思議に思えるほど、ファンタジーの世界の住人だった。
パール色をしたふわふわの長い髪。
神秘的な湖のようなコバルトブルーの瞳はキラキラと輝いて…。
全てのパーツが、精巧に計算されたようにベストな位置に配置されている。
本当に生き神様って存在するんだ…。
私に気づいた花織さまが、琉輝から離れ、こちらに目を向けた。
「あなたはだあれ?」
子犬が新しい玩具に興味を示すような目で、こちらをじっと見てくる花織さま。
「横井薫です。もうすぐ琉輝と結婚して、私もこの集落で暮らします。よろしくお願いします」
私がそう答えると、琉輝は一瞬余計なことを言うなというように、眉をひそめた。
「ルキは、けっこんするの?」
花織さまが置いていかれた子供のように、不安そうな瞳で琉輝を見つめ尋ねた。
琉輝は花織さまの前にしゃがみ、視線を合わせると
「祖父はもう高齢でそう長くはないでしょう。私もいずれは寿命がきます。
なるべく長く一緒にいられるよう努力しますが、それでも私の次に花織さまをお世話する者を用意しておく必要があります。
そのための結婚です。
私は結婚しても、花織さまの元を離れませんから安心してください」
笑顔でそう言った。
彼と付き合う前から言われていたことだけど、この状況でまたはっきり告げられるのはキツかった…。
花織さまは、それでも不安そうに琉輝の服の袖をつかんだまま尋ねる。
「でも…ハルキもそう言っていたのに、けっこんしてすぐにいなくなったよ…」
「父が亡くなったのは、事故のようなものです。私は寿命が尽きるまで、あなたの側におりますよ」
ハルキというのは、琉輝が赤ちゃんの時に亡くなったという、お父さんのことだろうか…?
琉輝から両親は生まれてすぐに亡くなっているので、記憶にないと聞いている…。
何が原因でそんなに若くして亡くなられたのかは聞けなかった…。
完全に納得したわけではないけれど、琉輝に諭され少し落ち着いた花織さまは、また私の方に向いて、話し掛けてきた。
「カオルはわたしと仲良くしてくれる?
ユカリも外から来た人だったけれど…いつも悲しそうな顔をしてた。
わたしとは目も合わせてくれなかったな…。
ユカリがわたしを見てくれたのは、ルキが生まれた時にだけ…結局、ルキと引き換えに、ハルキを連れていってしまった…。
カオルはルキを連れて行ったりしない?」
花織さまは不安そうに私の表情を伺ってきたけれど…私は何と答えれば良いのか分からなかった。
たぶん、ユカリさんは、ルキのお母さんなのだろう。
わたしは、いつまでも振り向いてくれない夫に、耐えることができるのだろうか?
それから私は里帰りして子供を…瑠夏を産んでから、集落に越して来た。
私が実家に帰っている間、結局琉輝が私に会いに来てくれることはなかった…。
うちの両親は、そんな夫婦関係で嫁いだら、誰も味方がいないのじゃないかと心配してくれたけれど、思っていたよりも集落の人達は友好的に余所者の私を受け入れてくれた。
全員合わせても100人にも満たない小さな集落だけれど、ここは限界集落ではなく普通に若い家族層もいる。
お年寄りも若者も子供達も、みんな笑顔で幸せそうだ。
この集落には小中学校しかないので、高校からはみんな外の学校に行くけれど、都会に出て行ったままにはなったりせず、みんな地元に帰って来るらしい。
それは、この村には他では感じられない幸せがあるからだと言う。
「琉輝にもこんな可愛いお嫁さんが来てくれて、しかも瑠夏ちゃんまで増えて、この集落は安泰だな~」
お隣の家のおじさんが、いつものように産みたての卵を持ってきてくれた。
この集落では、どの家族もみんな仲良しで、それぞれに育てている作物や家畜を、ある人が無い人に分け与えるのが普通とされている。
うちは、まだ瑠夏が小さいし、琉輝は学校の先生なので、人にあげれるような作物は育てていないけれど、花織さまのお世話役となる瑠夏を育てていることが、村一番の貢献になるそうだ。私はただ自分の息子を育てているだけなのだけれど…。
みんな笑顔が絶えなくて、いつも親切で優しくて…村の人達といると、私も温かい気持ちになって幸せだと感じる。
相変わらず琉輝の世界は、花織さまが中心で私や瑠夏には関心が無いけれど、別にそれでも構わないと思えてくる。
でもたまに、ちいちゃんから連絡が来て『本当に幸せなのか?』と聞かれると、何故か答えられない…。
そんなふうに村での生活に慣れてきた頃、突然義祖父が亡くなった。
最初はちょっとした風邪を拗らせて起きれなくなり、まだ抵抗力の弱い瑠夏にうつすと行けないからと病院に入院し、そのまま2週間ほどして息を引き取った。
跡継ぎの曾孫もでき、ホッとしたからか、安らかな最期だったそうだ。
義祖父は集落から離れた、山の麓の病院に入院していたため、集落から出られない花織さまは、義祖父のお見舞いに行くことも出来なかった。
「カオルはいいな。どこにでも自由に行けて…」
棺桶の中で穏やかな顔で眠るお祖父様を見ながら、花織さまがポツリとつぶやいた。
「私は琉輝を笑顔に出来て、琉輝にちゃんと見てもらえる花織さまが羨ましいです」
それは思わず漏れた、私の本音だ。
恨みがましく言うつもりは無かったのに、つい声が低くなってしまった…。
けれど、それを気にした様子もなく、花織さまは話を続けた。
「でもみんな、いつも私を置いて行ってしまうよ。
初めてユカリが私に笑顔を見せてくれた、あの時も…
『ルキを置いて行くから、ハルキを連れて行っても良いでしょ?』って…
幸せそうな笑顔で、ハルキと一緒に崖から飛び降りたの。
ハルキは優しい人だったから、どんどん壊れていくユカリを止めることが出来なかった。
そんな時も、結界を超えられない私は、1人残されて…」
たぶんそうだろうと思っていたけれど、ユカリさんはハルキさんを捕らえるために、命を懸けたのだ。
ポロポロと真珠のような涙をこぼす花織さまを綺麗だなと思う反面、何もしなくてもみんなから愛される花織さまを妬む、自分の醜い心が浮き彫りになった。
「そんなに置いて行かれるのが辛いなら、花織さまはどうして結界を超えて、ついて行かないの?」
真っ黒な私が、神様に囁く。
「だって、みんなの幸せのために、私はここにいないと駄目だから…それが私の役目だから…」
花織さま自身、どうしてそうしなければならないのか…明瞭な理由が分からなくなっているようだ。
たぶん、花織さまが神様になった当時は、どうしてもそうしなければならない理由があったのだろう。
この山の中にある集落には、棚田がある。
今でこそ、農業以外の仕事をしている人もいるけれど、流通が整っていなかった昔は、それこそみんな自給自足で暮らしていたのだろう。
そんな中、水源の確保は最重要課題だったと思う。きっと天候を操る花織さまの力は、みんながとても望むものだったに違いない。
でも、年月が経つに連れ環境も変わり、それが薄れていった…。
「私、ここから離れても良いの?」
花織さまが戸惑いながらも、集落の境界線の方に目をやる。
「花織さまはもう十分、みんなのために頑張られたと思います」
私はただ笑顔で、その肩を押すだけ…。
「たぶん私…ずっと誰かにそう言って欲しかったのだと思う。カオルありがとう」
花織さまは幸せそうに微笑むと、白い石で引かれた、集落の境界線へとまっすぐ進んで行った。
そしてそれを越えた途端、その姿は空に溶け込むように消えてしまった。
不思議なことに、私以外の誰も、花織さまのことを覚えていない。
まるで最初から花織さまなんて神様はいなかったように…。
花織さまがいなくなった村は、何だかギスギスしていた。
前のように、見かけたら誰にでも笑顔で声を掛けるなんてこともなくなった。
ご近所さんがお裾分けを持って訪ねてくることもなくなったので、琉輝が仕事に出ている日中は瑠夏と2人きり、とても静かな時間を過ごしていた。
学校の先生になるくらいなので、琉輝は子供が好きなようだ。瑠夏にも、とても愛情を持って優しく接してくれる。
ただ私に対しては、妻なのだと認識はしているけれど、どうして結婚したのかが分からないようだ…。
琉輝は…いつも何か違うものを求めるように探している…。
そして、たぶん見つけたのだろう。
ある日突然、琉輝は山に散歩に出かけたまま帰って来なくなった…。
琉輝が何かを求めてフラッといなくなり、結局何も見つけられず、帰って来ることはよくあったけれど…今回は違った。
1日経っても、2日経っても帰って来ず、3日目で捜索願いを出し、3ヶ月経っても何の手掛かりも見つけられなかった時、諦めて瑠夏を連れて実家に帰ることにした…。
そして7年の月日が流れ、瑠夏も元気に小学校に通うようになったころ、失踪届を出して、正式に琉輝の死亡が認められた。
そして迎える初盆。久しぶりにあの集落を訪れ、琉輝のお父さんお母さんも眠るお墓に、彼の名前を刻むことにした。
私達が滅多に訪れることが出来なくても、彼もその方が喜んでくれるだろう…。
家族で暮らしていた琉輝の家は、 定期的に業者の人に頼んで清掃してもらっていたけれど、今回相続が認められたので、売りに出すことにした。
私達がここで暮らすことは、もうないから…。
せっかくなので、最後に瑠夏と一緒に懐かしい家を訪れる。
「へ~っ、僕、赤ちゃんの頃は、こんなところに住んでたんだ」
瑠夏があまりの田舎具合に、驚いたように声を上げた。
「そうよ。でも一歳の誕生日を迎える前には、今の家に引っ越したから、全然覚えてないでしょ?」
瑠夏は家の中を色々探検して回りながら、興味深そうにそこにある置き物や飾られた写真を見ていた。
「これ、お父さんの子供の頃の写真かな?
僕によく似てる…隣の子は彼女かな?すごく綺麗な子…」
思わず、私は瑠夏の見ていた写真を引ったくるように取り上げた。
ここにそんな写真なんて置いてなかった…。
「もう、いくら美人の彼女と一緒の写真だからって、子供の頃の写真だよ。
お母さんヤキモチやいたの?」
瑠夏はからかって笑っていたけれど、その写真を見た私の表情は凍りついていた。
そこには瑠夏より少し大きくなったくらいの…たぶん琉輝と思われる男の子と、黒髪黒目の普通の女の子に見える花織さまが笑顔で写っていた。
男の子の目元には、琉輝と同じ位置に泣きぼくろがある。
二人共浴衣姿で、女の子は涼しげに髪を結い上げていた。
手を繋いで見つめ合う2人は、とても幸せそうに見えた…。
一通り確認が終わった後、戸締まりをして、鍵は不動産業者の人に渡した。
もう、私達がこの集落に来ることはないだろう。
写真はそのまま、そこに置いていった。
集落を出る前に、花織さまが消えた空を最後に見返す。
空に浮かぶ白い雲が、花織さまの綿あめのような髪のようで、何だか子供達の楽しそうな笑い声が聞こえたような気がした。
「お母さん、タクシー来たよ!」
何もない集落は、街育ちの瑠夏には退屈だったようだ。瑠夏に手を引かれ、タクシーへと急ぐ。
『琉輝、花織さま、さようなら』
最後に心の中で別れを告げ、私はまた忙しない日常へと戻って行った。
お読みいただきありがとうございます。
誤字脱字報告ありがとうございます。
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