第52話『神話と交わる地』
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俺たちはアイリスのホームで一夜を過ごした。
それぞれ疲れ果て、久々に安らぎを感じながら眠りについた。
「……おはようございます、アスフィさん」
「ああ、おはよう。随分と早いな」
「わたくし、睡眠を必要としないので」
淡々としたアイリスの声に、思わず眉をひそめた。
こいつ、本当に神なんだな……人間とは根本的に違う存在だ。
裸のアイリスがベッドのシーツで体を隠し、あぐらをかいて座っていた。
あくまで自然体で、恥じる素振りすら見せない。その姿に、神秘的な威厳を感じてしまう自分が少し情けない。
「彼女たちはまだ寝ていますよ。……アスフィさん、今からわたくしと少し散歩でもいかがでしょうか」
かなり早い時間に目覚めてしまった。まだ時間にして朝の六時といったところか。
俺は目が冴えてしまったので、アイリスの提案に乗ることにした。
とはいえ……こいつのことだ。またなにか裏があるに違いない。
「大丈夫ですよ、何もしませんので」
その一言で、俺の疑念を見透かされたことに気づく。心を読まれた……。
だが、俺はあえて何も言わず、アイリスについていくことにした。
***
アイリスの言われるがまま街を出た。
相変わらず住民……いや、アイリスの創造物たちは賑わいを見せていた。
それらは完璧なものだった。顔立ちや仕草、言葉遣い。すべてが人そのものだ。
しかし俺はわかっている。彼らは本物ではない。作られた存在だ。
まるで感情がある様に喋り、笑い、時には怒る。その様子に、胸の奥がザワつく。
本物と偽物の境目が分からなくなりそうだった。
「なぁ、もしかして俺達人間も神に創造された生き物だったりするのかな」
「……さぁ、どうでしょうか。ご想像にお任せします」
やっぱりはぐらかされたか……まぁ分かっていたことだが。
結局、真相なんて神の気分次第でしか教えてもらえないのだろう。
俺達人間、か。いつのまに俺は自分を「人間」と思い込むようになったんだろう。
そう考えた瞬間、自分の存在そのものがぐらつくような感覚に襲われた。
俺はアイリスに言われるがまま付いて行った。そこは冒険者協会だった。
「アイリス、なんでここなんだ? 一番話をするのに向いてないだろ? やかましいし」
「ここのお酒が一番いいんです。かつての人間が出していた酒を再現していますので」
かつて……か。なんだか悲しい話だな。事情は知らないけど。
廃れたものを、こうして神の手で再現されているのは皮肉としか言いようがない。
「……少しうるさいですか? では黙らせましょう」
アイリスはパンッと手を叩いた。すると一斉に黙り、静かになった。誰も一言も喋っていない。
その光景に、思わず息を呑む。圧倒的すぎる力……これが神か。
平然とそれを成し得るアイリスを見て、俺は少し悲しくなった……。
やっぱり人間じゃないんだと……そう思ったからだ。
俺とアイリスは席に着いた。
「………で、話ってなんだ」
「はい、では単刀直入に言いますね」
アイリスは真剣な眼差しで俺に言った。言い放ったのだ。
「――アスフィさん、あなたは『どっち』ですか?」
どっちとはどういうことだ?
「それは『人間』か、『人間じゃない』か、とかそんな話か?」
「いえ、それは分かりきっていることですのでどうでもいいです。わたくしが言っているのは、『神』か『悪魔』かということです」
ますます分からん……アイリスは何を言っているんだ?
「神でも、悪魔でもない。一応人間のつもりだ」
俺のよく分からないという表情からアイリスは続ける――
「あなたからは不思議なモノを感じます。『神』のような神気もなければ、『悪魔』のような邪気も感じない。神のわたくしもなんて言ったらいいのか分からないのですが……あなたはこの世界の住人ですか?」
「……当たり前だ。俺はこの世界のシーネット家で生まれたアスフィ・シーネット十二歳だ。この世界以外で生まれた覚えは無い」
もう少しで十三になるけどな。しかし俺の回答にアイリスは納得いっていない様子だ。
「そうですか……やはり彼女に聞くしかないのでしょうか」
「……俺もその彼女ってゼウスか?俺はお前もそうだが、その神とやらに聞きたいことが山ほどあるんだが、どこに行けば会えるか分からないか?もしくはお前が教えてくれるのが一番話が早いんだが?」
「先日も言いましたが、神は見つけようと思って見つけられるものではありませんよ?それと、わたくしから教える事はありません」
「俺にはそんなに時間がある訳じゃない」
そうだ……レイラに母さん……。俺は目覚めさせたい人が二人もいる。そして二人を手に掛けた、黒フードの集団。
母さんは父さんがいるから一応は大丈夫だとは思うが、万が一ということもある。それにレイラは置き去りだ。その万が一が起きれば俺はこれ以上自分を制御出来る気がしない。
「アスフィさん、では一つ助言を授けます」
「助言?」
「はい、神の言葉ですよ? 有難く聞いて下さいね」
アイリスはそう前置きし、俺に助言する――
『アスフィさん、神を見つけるのではなく、自分がやるべき事を成しなさい。そうすれば、神の方からあなたに会いに来るでしょうね』
アイリスは神々しい光を放ちそう言った。神の方からくる……か。
俺は神に会うのが目的では無い。俺の目的はレイラと母さんを目覚めさせる事だ。
だが、神は何か知っている……ゼウスだけじゃない。コイツらは……神という生き物は俺たちの知らないことを『何か』知っている。それを聞く為にはやはり会うしかない。
それに神の中には『ゼウスを信仰する者』について何か知っている者が居るかもしれない。
「………アイリス、一緒に来てくれないか?」
『あら、まさかわたくしを誘っているのですか?……残念ながらわたくしにはこの街を復権させるという目的がありますので。ですが、もし何かあればまた相談くらいなら乗りますよ? いつでも歓迎しますので』
そう言い終わると、
アイリスの神々しさは消えていく。そして周りにいた者たちもまたそれに応じて、喋り出す。
「……では、戻りましょうか」
「ああ、そうだな」
俺たちの散歩はこれで終了……ってこれのどこが散歩だよ。
***
戻ってくるとルクスとエルザが起きていた。
二人でどこに行っていたのかと聞かれたが、アイリスが『デート』です。と口元に人差し指をあて、言う。それにまた、のせられる彼女達。
やれやれ、アイリスはどうやら人間を弄ぶのがご趣味なようだ。まだ根に持ってるのかね、この神は……。
***
俺たちは次の目的地について話し合っていた。
結局ここには『ゼウスを信仰する者』についての手がかりは得られなかった。それにルクスのかつての冒険者仲間という連中も……。しかし、それについては大丈夫というアイリス。
「この街が滅んだのは十数年も前です。その後に訪れたのであれば死んでは居ないかと思いますよ?」
そうか、ルクスの仲間はこの国が滅んだ後に来たのか。そうなると確かに、まだ生きている可能性があるな。
だが、ハイディの家族は分からないな。アイリスはある家族がやってきたと言っていたが、それがもしハイディの家族ならもう……。
「次は私に決めさせてくれ」
エルザが突然ニヤリと笑って言ってきた。なんだか嫌な予感がするなぁ……。
ルクスは地図を広げてくれた。
「私はここがいいぞ!」
エルザは地図に指を差す。
「『炎城ピレゴリウス』ですか。なかなか面白いところに行きたいようですね」
アイリスが笑う……。
おい、神を笑わせるって嫌な予感しかしない。もちろん俺は反対する。
「却下だ」
「なぜだアスフィ!? 次は私の番だろう!?」
「そんな順番制にした覚えは無いし、そもそも名前が不吉すぎる」
「ふふっ、アスフィさん。そうでもないかと思いますよ?」
アイリスが笑いながら言ってくる。
いやもう神のお前が笑ってる時点で嫌な予感しかしないんだよなぁ……。
「『炎城ピレゴリウス』に行けば、あなたの求めている人物と会えるかもしれません」
俺が求めている……?
また俺は神に試されているのか?
「………そもそもなぜエルザはここに行きたいんだ?」
「おじいちゃんが生前、そこには伝説の剣があると言っていたのだ!」
「……なんだよその胡散臭いの」
どうせ孫を喜ばせる為の嘘だろう……。
と思っていると――
「ありますよ」
アイリスは真剣な顔で言った。
「本当か!?」
「はい、伝説の剣、ありますよ?」
「本当にあるのかよ」
「私は聞いたことありませんね……」
アイリスの言葉にエルザが食いついた。
ルクスは聞いたことがないらしい。もちろん俺もない。
昔、冒険者をやっていた父さんなら知っているのだろうか?
まぁ知っていても父さんはそんな事言わないな。だいたい俺に教えてきたのは剣術ばかりで、知識になるような事は殆ど母さんが教えてくれたし。
「では伝説の剣を求めて『炎城ピレゴリウス』にいざ出撃だ!」
「まぁ行く宛てもないし別に良いか……」
伝説の剣とか求めてる人物とか色々気になるし。それに、『呪い』や『ゼウスを信仰する者』についても何か分かるかもしれない。
「私はあまり乗り気になれないですが……」
ルクスは乗り気じゃないようだった。名前が不吉過ぎるし無理もない。
「……皆さん、『炎城ピレゴリウス』でまた何があったか、わたくしにお話を聞かせて下さいね」
アイリスは笑顔でそう答えた。嫌な笑顔だ。神に踊らされているようなこの感覚……。
もし何かあったら全てエルザのせいにしよう。
***
そして俺たちは『水の都フィルマリア』を発ち、『炎城ピレゴリウス』に向かって歩き出した。
「……なぁルクス」
「はい? なんでしょう」
「仲間の件はいいのか?」
「はい、アイリスの話では死んではいないようなので……彼らは決して強いとは言えませんが、運は良い方なので大丈夫だと思います」
「そうか、ならいいんだが」
今回はルクスが行きたいと言っていたからな。落ち込んでいなくてよかった。
「……もしかしてアスフィ、心配してくれたんですか?」
「まぁ一応な」
「ふふっ、ありがとうございますアスフィ」
ルクスは満面の笑みでそう答えた。その笑顔を見て、なんとなくホッとする。
俺はこうして仲間と旅を続けられることに感謝しつつ、歩みを進めた。
ご覧いただきありがとうございました。
『水の都フィルマリア』篇…終了?
ではまた次回。