第17話 「『獣化』」
もうダメだ……逃げたい。俺たちは今、絶賛エルザにしばかれ……いや、しごかれている。
あのよく曲がるフニフニのオモチャになって以降、確かに骨が折れることはなくなった。
だが、それだけだ。
「痛いのは変わらない……」
「……そう……だね」
俺たちはまたしても天井を見つめていた。この天井、何度見ただろうか……。
もはや天井の石タイルの数を数えてしまうほど、俺たちは床に転がっていた。
ちなみにまだ数え終わっていない。広すぎて途中で諦めた。
「さぁ次だ!」
「……ねぇエルザ、お腹すいたんだけど」
「レイラもぉ~」
「……うむ、もうそんな時間か。よし、じゃあ今日はここまでだ!」
やっと終わったぁ……!ダメージは俺の『ヒール』で回復できる。
だが、心の疲労は回復できない。今日はもう飯を食って、さっさと寝よう……。
ここの飯はすごく美味しい。俺たちの村の料理とは違い、華やかさがある。
以前食べたワイバーンの肉料理なんかもそうだった。とにかく見た目が鮮やかで、そして美味い。
「やっぱりここのご飯は何度食べても美味しいね、レイラ!」
「うん、レイラも幸せだよ」
「気に入ってくれたのなら私も嬉しい。ここの料理はメイド達が作っている。存分に味わいたまえ! ハッハッハ!」
と言うのはエルザパパ……もといエルフォードだ。ほんと、この親子は笑い方までそっくりだな。
俺とレイラ、それにエルザ親子の四人での食事。
机はやたらと長く、メイドたちもここで一緒に食べるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「エルフォードさん、娘さん物凄く鬼なんですけど……どうにかなりませんか?」
俺はエルフォードに、エルザの容赦のない特訓について訴えた。
「……そうか、またやっているのかエルザちゃん」
「違うのよパパ、手加減しているのよ」
「……エルザちゃんの手加減は手加減じゃないんだから……」
そう言われて、しょんぼりするエルザ。あのエルザが怒られている……?怒られるのがそんなに嫌なのか。あんなに強いのに。
「アスフィ、それにレイラよ。明日は私が相手をしよう。私はA級だ。エルザちゃんよりかは手加減できるだろう」
それはありがたい!もう逃げ出したいくらいだったから、素直に感謝する!
俺の尊敬ランキング、エルフォードさんが堂々の二位に浮上!
ちなみに父さんは三位……いや、ゲンじいがいるから四位でいいか。
「ありがとうございます! やったねレイラ」
「うん……ありがとうございます」
「では明日の早朝から始めるとしよう。ところでアスフィ。娘が鬼というのが聞き捨てならないのだが……」
その後、俺はエルフォードに延々と「エルザがどれだけ可愛いか」という話を聞かされた。
一方、そのエルザはというと、まだショックを受けている様子だった。
父は娘に弱いが、娘もまた父に弱いのか。俺も父さんに怒られるのは怖かったっけ……。
そうして、俺たちは腹を満たし部屋へ戻った。
部屋に入るなり、ベッドにダイブ――。
「ふぅ、良かったぁ~。これで死なずに済みそうだね」
「でもアスフィ、エルフォードさんも強いよ」
そう、A級冒険者であるエルフォードは、エルザとはまた違ったオーラを持っている。
ひと目でわかる強者の風格。俺も、エルザと一緒にいる“親バカ”エルフォードを見ていなければ、きっと怯えていたはずだ。
「でも、エルフォードさんは話のわかる人だし」
「……それもそうだね」
そして俺たちは布団に入った。
今夜はぐっすり眠れそうだ。
「…………あ、風呂」
また覗くのを忘れた。
***
「では、始めようか」
「「お願いします!」」
エルフォードの威厳ある声が道場に響く。俺とレイラは竹刀を握りしめ、呼吸を整えた。
なんだか、父さんとの特訓を思い出す。まだ始まってもいないのに、そんな気がしてならなかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
まずは俺から。
「動きはいい、だが正面から考えなしに突っ込んでくるとは、あまりいい考えとは言えないな」
「おっ――!」
次の瞬間、俺の体は宙を舞い、そのまま床に転がった。
……やっぱりだ。
竹刀で軽くいなされた。まるで、父さんにやられた時のように。懐かしい……いや、まだそんなに時は経っていないはずなのに。でも、なんだかすごく懐かしく感じた。
「行きます! はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
続いて、レイラがエルフォードに向かっていく。
「ほう、流石だ。レイラはいい動きをする。ウチの団員の誰よりも強い。エルザちゃんの修行の成果は既に出ているようだね。だが――」
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、レイラの体が弧を描いて倒れた。
俺と同じように、軽々と竹刀で転ばされる。
「行きます、と宣言して突っ込んでくる剣士がどこにいる。ここは道場ではあるが、実戦と思ってかかってきなさい」
さすがはA級冒険者。あのエルザのように、ただ圧倒的な力で殴り倒す戦い方とは違う。
的確に、無駄なく、理にかなった戦い方だった。
……俺は楽しくなっていた。
俺に剣術の才能はない。だから、どれだけ修行をしても、剣術の才能を持つ者には勝てない。
けれど、そんなことは関係なかった。懐かしい父さんとの特訓を思い出しながら、ただ剣を振るうことが楽しくて仕方なかった。
「もう一戦お願いします!」
俺は自然とエルフォードに願い出た。
「いい心がけだ。かかってきなさい」
俺は、真正面から大きく振りかぶる。大振りの構えを見せ、一直線に突進――
「だからそれは通じぬと――」
だが、ここで俺は剣を振るうと見せかけ、エルフォードの左脇腹に蹴りを叩き込んだ。
「……ほう、なかなか面白いことをする。……ガーフィの手癖の悪さを見ているようだ」
一瞬で見抜かれた。
この蹴りは、俺が十歳の時に父さんから教わったフェイント。
"ズルスキル"と呼んでいた、父さん直伝の小細工だった。
だが、エルフォードには通用しなかった。俺の蹴りは、あっさりと片手で防がれる。
「フェイント……それ自体はいい。他の団員にならば通用するだろう。だが、私はその技を誰よりも見てきた。残念だったな、ハッハッハ!」
どうやら、昔から父さんがよく使っていた技らしい。だから、エルフォードには通じなかったのか……。
「……レイラもお願いします!」
「よし、面白くなってきた。かかってきなさい」
レイラの構えが鋭くなる。
確かに、彼女は強くなっていた。もしかしたら、今ならワイバーン相手でも渡り合えるかもしれない。この短期間で、明らかに動きが洗練されてきている。
「やはり才能の子、先の戦いを学んだか。着実に強くなっているな」
俺も、そう思った。さっきの戦いよりも、さらに速くなっている。
まるで獣のような動き……獣?
「獣人の特性が出たか……だが――」
「うあ?」
エルフォードの竹刀が軽く弾かれ、レイラの体がよろめいた。
それでも、さっきより動きが洗練されているのは確かだった。
「『獣化』、獣人固有の『強化技術』。まだまだ甘いが、それを極めれば動きは誰よりも早くなるだろう」
『獣化』獣人固有の"強化技術"。
ヒューマンに『身体強化』があるように、
獣人にもまた、それぞれの種族特有の"力"がある。
俺は、昔読んだ母さんの日記でその存在を知っていた。
もちろん、"浮気許さない日記"の方ではなく、ちゃんとした冒険の日記の方だ。
「レイラ、凄いじゃないか!」
「……なんか体が勝手に動いていたんだよ?」
「ハッハッハ! 恐らく獣人の本能だろう。だが、それは『祝福』ある者にしか発現しない。誇るといい」
エルフォードの言葉に、レイラは少しだけ嬉しそうに見えた。
その後も、俺たちはエルフォードの指導のもと修行に励んだ。
「では、ここまでにするとしよう」
「はぁ……はぁ……ありがとう……ございます」
「ありがとう……ございます」
エルフォードとの剣術修行は、これにて終了。エルザの特訓のような、ただ"しばかれる"訓練ではない。的確な指導のもと、俺たちは確かな成長を実感できた。
特にレイラ。"獣化"の発現という、確かな変化があった。
俺には剣術の才能はない。だから、限界はあるかもしれない。でも、レイラは違う。彼女は、まだまだ強くなれる。
――その後、俺たちはエルザ親子と共に、広々とした食卓を囲んだ。王族の食卓は、やはり規模が違う。皿の数も食事の種類も、俺たちの村とは比べものにならないほど豪華だった。
だが、それよりも目の前の"親バカ"に意識を奪われる。
「どうだった? パパ」
エルザが、期待するようにエルフォードへ尋ねる。
彼女の表情には、"褒めてもらいたい"という気持ちが隠せていなかった。
「二人とも筋がいい。ガーフィの教えが良かったのだろう」
淡々とした声でそう言い放つエルフォード。
その瞬間、エルザの顔がみるみる曇っていく。
「……そうなんだ。私……いらない子……」
どんよりとした空気をまといながら、エルザが落ち込む。
だが、それを見たエルフォードは、即座に反応した。
「ああもちろん! エルザちゃんの教えもあるよ?! エルザちゃんの教え九割! そう! 九割だよ! ガーフィは一割だから!」
慌てた様子で、全力で娘を持ち上げ始めるエルフォード。
その必死な姿に、俺とレイラは思わず目を見合わせた。
「パパ……!!」
エルザの表情が一転。感動したように父を見つめ、瞳を潤ませている。
……単純すぎる。
「親バカだ」
「そうだね……」
いや、これは単純というより"親バカと娘バカ"か?
俺たちは、呆れたように小声で共感し合うのだった。
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