第145話「アリス」
『水の都フィルマリア』のホームで目覚めた青髪青眼の少女。
そんな彼女の脳内に突如声が聞こえてきた。
【やぁ、気分はどうだい? 】
……誰でしょうか。
【君の神友、だよ】
神友……オーディンですか。
【さぁ、どうでしょう? 】
わたくしに何の用ですか?
【実はね、色々と想定外の事が起きたんだよね】
想定外……?
【バグっていうのかな? 世界を創る過程で邪魔が入ってね。君というバグを生んでしまったんだよ】
わたくしがバグ……?
【そ! バグって言うとちょっと怖いよね。ニセモノっていうの? それともドッペルゲンガー? まぁそんな感じ! 】
つまり、わたくしは本物では無いと?
【まぁ簡単に言えばそうだね。ごめんね】
ありえません。わたくしには今まで生きてきた確かな記憶があります。これがニセモノ? バカ言わないで下さい。オーディン、あなたの力でもそんな事まで出来る訳がありません。
【……出来ない、とも言った事がないよね】
……何が言いたいのですか?
【説明するのも面倒だから、本人に直接会ってきてよ。そうすれば自分が何者なのか分かるはずだからさ】
……本人?
【ホンモノ、だよ。君のホンモノだアイリス……いや、今の君はアイリスでも無いか。今の君は何も無いし、何者でもない】
ふざけるのも大概に――
そうして彼女が瞬きをした瞬間、次に視界に入ってきたのは見慣れた世界。特段変わった所は無かった。強いて言うなら、その場に居たのは自身が先程まで居た『水の都フィルマリア』では無かった事くらいか。
「……何故わたくしはこのような場所に」
青髪の少女がぽつんと立っていたのは心地のいい風が吹く、緑の草原の上だった。
彼女は状況を理解した。
「……なるほど、オーディン。あなたの仕業ですね」
(本物に会え、と。そんな事を言っていましたが、本当にわたくしがもう一人居るのでしょうか)
「とはいえ、あなたが考え無しにこんな所に呼び出すなどするとは思えませんね。きっと居るとすれば、この近くに居るのでしょう」
青髪の少女は居るかも分からないもう一人の自分を探す為に歩いた。
――それは簡単に見つかった。
「……本当にいた」
自分と瓜二つの少女が居た。しかし、様子がおかしい。そこに居たのは一人では無かった。
「あの少年……確か以前わたくしの街に入ってきたフィーとかい男に似ている。……それともう一人……あれは知りませんね」
どうやら敵対している様子だった。青髪の少女は遠くから三名のやり取りを見ていた。
すると、一人がその場から慌てた様子で逃げ出した。
(…………逃げた? わたくしが?)
自分と同じ姿の少女があろうことか少年を置いて逃げていった。
「本当にわたくしだと言うのなら、逃げるなんて真似はしない。あれがあなたが言う本物ですか、オーディン」
神の如き力を持つ自分が、相手が神ならともかく、ただの人間に遅れを取るなどありえない。それどころか、背を向け逃げ出す?
……あれは本物じゃない。偽物だ。わたくしこそが本物だ。
青髪の少女は逃げた少女を追うことにした。
……
…………
………………
(……立ち止まった? 何をしているのでしょう)
青髪の少女は彼女の元へこっそりと近付き聞き耳を立てた。
すると聞こえてきたのは弱音と後悔の言葉だった。
(あれがわたくし……違う。あれはわたくしじゃない!)
***
「……わたくしがアイリスの名を受け継ぐ……ならばわたくし……あなた…………」
「――アリス、と。わたくしの事はそうお呼びください」
「アリス……それこそわたくしが捨てた名ではありませんか」
アリスとアイリス。瓜二つの二人。彼女達の会話は他者から見れば異様なものだろう。
「……良いのですか? ア……アリス、この名はあなたが一番嫌っていた名前でしょう。あの無惨な日を迎えた頃を思い出す……」
「ええ、まぁ。ですが、考えても見てください。アイリスという名が二人も居たらややこしいではありませんか。それに先程もお伝えしたように、わたくしはもう神ではありません。それにアイリス、実はわたくしからお願いしたい事があるのです」
「……お願い?」
アイリス……もといアリスは、もう一人の自分である青髪の少女アイリスにある頼み事をする。それは――
「『水の都フィルマリア』をもう一度建国して頂けないでしょうか」
それはかつて、アリスがアイリスとして治めていた国である。
「……わたくしに『水の都フィルマリア』を?」
「ええ」
「何故?」
「あなたのここまでの境遇はだいたい察しがつきました。アイリス、あなたはオーディンが新たに創り上げた幻想世界のわたくし。そうでしょう?」
「……わたくしがオーディンによって創られた……」
アイリスはもう一人の自分であるアリスに言われた事でやはりオーディンの言っていた事は本当だったのかと、実感した。と、同時に動揺が隠せなかった。そんなアイリスにアリスは更に続ける。
「あなたはフィーをなんと呼びますか?」
アリスの問いかけにアイリスは首を傾げた。
「……分からないでしょう。わたくしはフィーの事をお兄様とお慕いお呼びしています。それにルクスお姉様や……と、そういえばルクスお姉様ともまだお会いしていなかったですね」
「……あなたが何を言っているのかわたくしには理解出来ません」
「……それでいいのです。わたくしとあなたは容姿や声が似ていても別人。同じじゃ無ければ、ホンモノでもニセモノでもありません。だからアイリス、あなたはあなたの道を往くのです」
「それが……こちらの世界の『水の都フィルマリア』を任せる、と?」
「ええ、そうです。無理にとは言いません。あくまでお願いなので」
アイリスは少し考えた。今までやって来ていたことだ。それこそ、一時間程前までは『水の都フィルマリア』を治めていた。
しかし、それは殆どが記憶に過ぎず実際にやってきた訳では無い。自分の人生を本当に歩んだのは、今自分の目の前にいる彼女、アリスだ。……それがどうしても思考を混乱させる。
「…………分かりました。今まで通りにすれば良いのですね」
「ええ、そうです。受け入れて頂きありがとうございます、アイリス。今この世界に水の都は存在しません。わたくしがおりませんから」
「……しかし、わたくしが持っているのは創られた『神力』。こればかりはオーディンも再現が出来なかった様です。先程力を使って気付きましたが、わたくしが向こうの世界で『水の都フィルマリア』を維持していたのは、わたくし自身の力ではなかった。恐らく、オーディンが維持していたのでしょう。『神力』が無ければこの世界で『水の都フィルマリア』は建国する事は出来ないのでは?」
アイリスはアリスに当然の疑問を問いかける。『神力』というのはそれ程までに人外な力なのだ。
「その辺は大丈夫です。わたくしの中に『神力』はもう残っておりませんが、もう一つだけあの人から引き継いだものならあります」
「……それは……でも……」
「ええ、これはあの人からあの国を任された時に貰った『神力』とは別のもの。……誰にも教えるな、例え心を許した人物や、自分が愛する者が出来たとしても絶対に教えるなと釘を刺されましたが……」
アリスは苦笑いを浮かべた。
「……ですが、わたくしなら大丈夫でしょう? アイリス」
「…………本当に貰っても?」
「ええ、もちろん」
そう言うと、アリスは胸の前で手を組み、祈る。
すると、アリスの身体が青く光り輝く。神の力でも魔法でもない。
そしてアリスの前に一つの青い石が生成された。宝石のようなそれを手に取りアイリスに渡す。
「……ふぅ、どうぞ」
「……これが本物の『コア』……」
「オーディンでもこれは再現出来ません。そもそも、存在自体を知らなかった事でしょう」
「これがあればわたくしにも『水の都フィルマリア』をこの世界でも建国出来る……」
「ええ。これがあれば『神力』が無くとも、国を興せるでしょう。……作り上げる国はお任せします。わたくしの旧名、フィルマリアでも良いですし、あの人が治めていた頃の――」
「いえ、フィルマリアとして治めます。あの国はもうあの時代に滅びましたから」
アイリスは誓う。『水の都フィルマリア』をこの世界でも、もう一度治めると。
……
…………
………………
【……なるほどなるほどそっかそっか〜。『コア』は君が持ち出していたんだね。通りでどれだけ探しても見つからなかった訳だよ……エルザ・ヒナカワ】