第144話「アイリスⅡ」
わたくしの名前はアリス・フィルマリア。所謂貴族のお嬢様。
とはいえ貴族の中でも地位は下の方です。市民の方々から難癖を付けられることもあれば、貴族の方から嫌味を言われる事もありました。上と下からの板挟み、というものです。
でも、そんな齢八のわたくしにも理解してくれる方がいました。
「――そうなのね。酷い話ね」
「いえ、いつものことですので」
「……それが普通とおもうのは良くないわ。私にもね、家族がいるのよ? 丁度あなたと同じくらいの歳のね」
「わたくしと?」
「ええ。元気で、素直で、少しワガママな所はあるけれど、そういう所もアリスとそっくりね」
「もう! エルザ! わたくしはもう大人です!」
「うふふっごめんなさい、アリスはもう大人だったわね」
彼女の名はエルザ。出会いは特別何かあった訳じゃない。帽子とサングラスを掛け、街のベンチに腰掛けた、いかにも怪しい人がそこに居た。わたくしはその人に話しかけた。それがエルザだ。わたくしも何故話しかけたのかは分からない。多分、そういう運命なのだろう。
彼女はいつもわたくしをからかってくる。でも、そんな時間がわたくしは好きだった。街を歩けば嫌な事ばかり言われる。それが当たり前だと生きてきたわたくしに、普通じゃないと言ってくれたのは彼女だけだった。
そんな楽しい日々の終わりを告げられたのは突然だった。
「アリス、よく聞いてね」
「……どうしたの? エル……ザ?」
彼女はいつものわたくしをからかう雰囲気では無かった。いつも笑顔なこの人が、真剣な顔だった。わたくしは少し怖かった。
それは決して彼女の顔が怖かったからとかじゃない。むしろ彼女に怖さなんて微塵も感じたことはない。優しさ溢れる女性だった。
単純に、居なくなる。そう言うのでは無いかと思った。
わたくしの一番楽しい時間が終わりを迎える……それを考えると怖かった。
「私ね、少し行かなければ行けない所があるの」
「行かなければ行けない所? それってどこ? わたくしもいきます!」
「ダメ! ……あ、ごめんなさい。……ただ、これは世界の……いいえ、人類の危機に関わってくるの」
「え?」
「えっと……要するにね、私が行かないと皆死んじゃうかもしれないの。この街の人達も」
この街の人達が死ぬ……?
「……別にいい」
わたくしはこの街の人達が嫌いだった。いつも落ちぶれた貴族の娘やそれ以上の事を言われてきた。そんな人達が死んでも問題ないとわたくしは思っていた。でも、彼女は違った。
「アリスの気持ちは痛い程分かる……でもね、街の人達もあなたが嫌いでそういう事を言うんじゃないのよ」
「嘘です! じゃあ何でわたくしにあのような事を言うのですか!? 教えて下さいエルザ!」
わたくしは感情的になっていた。
「彼らはね、王を待っているの」
「……王?」
「そう、王。待っているのよ、王様をね。国っていうのは本来トップが居なければいけないの。でもこの国に王はいない。名前も無い。だから彼らは不安なのよ」
「それが何? わたくしと関係あるのですか!?」
「トップが居なければ統制されないの。つまり、皆やりたい放題って事よ。この国にはルールが無いでしょ? これ、普通じゃないのよ?」
エルザはそんな事を言ってきた。
「ルールが存在すれば統制が取れる。ルールを破った者には罰を。そうして国というのは成り立つの。その為にはトップ……王が必要なの」
齢八のわたくしは全く理解出来なかった。
「……私はなんて言われようと、行く。例えアリス、あなたに憎まれようとも。……あなたは私の娘同然よ。いつかまた会える事を楽しみにしている。だからそんな私からの最後のお願いなの。この街を立派な国にしてちょうだい」
それから数日後、彼女は本当に居なくなった。
――結局、彼女の正体が分からなかった。それから数年後。
名前、雰囲気、匂い、容姿。それら全てが彼女に似た存在が、わたくしの国を彼と荒らしに来たのはまた別の話だ――。