第9話『死を呼ぶ回復魔法──癒すは死、蘇らせるは命』
癒やしの力は万能ではない。
守りたいものに届かない夜が、誰にでも一度は来る。
俺たちは騎士団の護衛を受け、ミスタリス王国へ向かうことになった。まだ出発したばかりで、顔を合わせてから数時間しか経っていないが、すでに何となくその雰囲気に包まれている気がしていた。
「ありがとうございます、護衛までして頂いて」
「あ……ありがとう、ござ……ございます」
レイラのその声には、どこかぎこちなさが滲んでいる。慣れていないのだろうか。いや、ただの人見知りか。
俺達が礼を言うと、相手もそれに応じて返してきた。
「いいさ……俺の名はハンベルだ。コイツらの……リーダーだ」
「僕はアスフィ・シーネットです。こっちはレイラ・セレスティアです。この子人見知りなので気にしないでください」
レイラは俺の隣で静かに歩きながら、目を伏せて一言も発しなかった。彼女はこんな風に、他の人と話すのが得意ではない。顔を上げることすらなく、ただ足元を見つめている。
「……どうも」
ハンベルはレイラに目を向け、少し戸惑いながらも無理に笑顔を作った。それが、少し不自然に感じられた。だが、そうした細かな部分も含めて、やはり騎士団の団長らしさを感じる。
「騎士団の皆さんはこんな所でなにしていたんですか?」
何気ない疑問を俺が投げかけると、ハンベルは少しだけ考え込み、答えてくれた。
「ん?あぁ~、ちょっと人探しをしていてな」
「人探しですか?実は僕達もなんです」
その言葉に、思わず驚く。偶然の一致かと思ったが、まだ先のことは分からない。彼の言葉には、何か隠しているような気配も感じられたが……気のせいだろう。
「そうか、奇遇だな。まぁ俺たちはもう見つけたんだがな」
「そうなんですか!羨ましいです……僕達はこれからでして……」
会話は自然と流れ、しばらく歩き続けた。周囲の風景は変わらず、道を進んでいくけれど、レイラは相変わらず黙ったままだった。彼女がこんなに口を閉ざしているのを、俺は久しぶりに見た気がする。もしかしたら、騎士団の人数の多さに緊張しているのかもしれない。
その時、レイラがようやく口を開いた。
「……ねぇ、おじさん達。…これほんとにミスタリス王国に向かってるの?」
その声には、少し不安が混じっているようだった。それと同時に、強い疑念も感じ取れた。レイラは直感的に、何かを感じ取ったのだろう。
「……嬢ちゃん。勘がいいねぇ」
ハンベルは軽い調子で言ったが、その言葉の裏に、少しだけ警戒心が見え隠れしていた。笑顔を作っているものの、その眼差しは鋭く、どこか危険な匂いがした。
「逃げてアスフィ!!こいつら騎士団なんかじゃ――」
その瞬間、レイラが驚いたように声を上げた。その声に反応するように、ハンベルがすばやく動き、レイラの口を手で押さえ込んだ。そして、鋭い一言を放った。
「動くなよ嬢ちゃん?その腰の剣を抜いたらお前の手足を切り落とす」
その冷徹な言葉に、俺の背筋が一瞬で凍りついた。何が起こったのか、理解できない。目の前で起きていることが現実なのか、夢なのかさえ分からなかった。
ハンベルは、まるで試すかのようにレイラを押さえ込んでいる。その手は強く、鋭く、反応するなら即座に切り捨てるという意図が感じられた。周囲の空気が一気に張り詰め、誰もが息を呑んでいる。
どうして……?一体、何が起こっているんだ?
そんな疑問が俺の中で大きく広がり、解答を求めるが、答えはどこにも見当たらない。
なんだなんだ?こいつら騎士団じゃないのか!?
俺の心臓が激しく鼓動を打つ。これまで感じたことのない怒りが沸き上がってきた。目の前の男がレイラに手を伸ばし、無理やり衣服を脱がそうとしている。
ハンベルはレイラの口を後ろから手で塞ぎ、剣をその首元に突きつけていた。
「もう少し人目のつかない離れたところが良かったんだが……仕方ない、ここらでいいだろう。ここも人はいねぇはずだ」
「おい!レイラを離せ!!」
「ガキは黙ってろ!てめぇに用はねぇんだ……おいお前ら、そのガキを殺せ!俺はその間この獣人のガキをたっぷり楽しんでるからよぉ。俺が楽しんだ後、お前らにも楽しませてやる。まぁ、このガキが俺のブツに耐え切れるかどうかって所だがな」
ハンベルはニヤリと笑い、その口元から涎が垂れていた。
「ケッヘッヘ!流石兄貴だぜ!最高にイカれてやがる!でもそこが痺れる憧れるぅー!」
「くっそぉ!騙したなぁ!!ゲスがァァァァァァー!!」
「ガキ。お前の相手は俺たちだ。あの女のガキは兄貴が楽しんだ後、俺たちが貰う……ヒッヒッ!……久しぶりの亜人だぜぇ。しかも獣人の娘ときた!これは楽しみだなぁ!俺は別に死体でも構わねぇっ!!あぁ楽しみだなあああああ!」
俺の目の前に立ち塞がる五人の下っ端共。 こいつらは騎士団じゃない、ただの盗賊だ。騎士団の装いをしているが、鎧が汚れているのがそれを証明している。恐らく、どこかの騎士団を襲ってその装備を奪ったんだろう。何故俺は気づかなかったのだと、自分を責める。
「動くなよぉ~?さっきの動き……剣術の才能持ちか。それもその歳にしてはレベルが高い。惜しかったなぁ?俺達と出会わなければ、きっと明るい未来が待っていたんだろうよ?俺達のような”偽の騎士”じゃなく”本物の騎士”になぁ?……でもよ、俺達はお前の体が目的なんだよ。……お前も今日でその一人に含まれる。残念だなぁ?」
「うぅっ!」
レイラは抵抗しようと足掻く。
「おっと、動いたらこの手足切り落とすぞぉ?……油断したらこっちが殺られそうだぜ……にしてもお前なかなか発育がいいなぁ?これは楽しめそうだなぁ?」
その言葉を聞いて、俺の身体が震えた。レイラが目の前で、無力に抵抗することもできず、衣服を剥ぎ取られそうになっている。
助けに行きたい、でも俺の前には五人の下っ端共がいる。勝ち目はない。だが、何かが我慢できなかった。
「おまえーーー!!!レイラに手を出したらどうなるか分かってんだろうなぁ!!?殺すぞぉぉぉぉぉ」
俺の声が怒りに震え、声帯を絞り上げる。……ああ、これは初めての感情だ。ここまで怒ったのは人生で初めてだ。
目の前の男達が不敵に笑いながら、俺を侮るような言葉を吐いている。しかし、その時だった。俺の中で何かが切れる音がした。
「『ヒール』」
何も考えず、ただ声が出た。――いや、声だけじゃない、魔法が湧き出てきた。俺の手のひらから放たれる回復魔法。それが、俺の手に負えないほどの暴力を振るった。
「は?オイオイまさか俺たちを回復してくれんのか? ハッハッハ!!それはありがとよガキ……うっ……なん……だ……ガハッ」
「『ヒール』」
再び、俺の言葉と共に魔法が爆発的に放たれる。その瞬間、男たちの顔が歪む。目から血が噴き出し、口から血を吐いて倒れていく。
「……おい……ガキぃぃぃぃぃぃテメェ俺達に何をしたぁぁぁぁぁっ!!」
「『ヒール』」「『ヒール』」 「『ヒール』」 「『ヒール』」
もはや回復でも治癒でもない。回復魔法という癒やし本来の力が、どこか歪んだ形で暴走していた。
「ヒール、ヒール、ヒール、ヒール、ヒール、ヒール……」
俺の目の前で、男たちが次々と血を吐きながら倒れ込む。その光景に、俺の思考が止まる。
「アス……フィ?」
レイラの震える声が耳に届く。俺はレイラの方を振り向くが、その時にはすでに遅い。
「な!?お前らぁ!どうした!?ガキ一人に何してんだよぉ!!……ガキ、テメェの仕業か。どうやらおめェから先に殺さなきゃこの後を楽しめそうにねぇみてぇだな~?」
「アスフィ逃げてっ!!こいつかなり強いよ!!!」
レイラの叫びが響く。しかしその声が届く間もなく、俺の右腕が地面に落ちるのを感じた。
不思議と痛みは無い。ただ体の一部が切り落とさた事実だけが冷たく、確かに心に刻み込まれた。
「へッ!!ガキが調子に乗るからだ!……これでも俺は剣術の才能持ちだ。こいつと同じなぁ」
耳に入ってくるのは、ハンベルの嘲笑と、レイラの絶望的な叫び。その声が、まるで遠くから聞こえてくるように感じた。遠ざかる意識の中でただそれだけが異常なほどまでにクリアに聞こえた。
「アスフィィィィィィィィ!!!!」
その声を聞いた瞬間、『何か』が俺の中で囁いたのを感じた――
【思い出せ……お前は俺だ】
俺は右腕から大量の血を地に垂らしながら突っ立っていた。そして一言……
「『ヒール』」
力なく呟いた声が、震えながらも響く。そして何度でも試みる。
「『ヒール』」
その度に俺の傷は癒えていき、ついに腕は元通りになった。痛みも、血も、失われた感覚も、その全てが元に戻った。
体は確かに癒えた。だが、心にポッカリと穴が空いたような感覚が俺を襲う――。
「――なっ!?バカな!ありえねぇ!確かに腕を切り落とした筈だ!?なんでだ!?たかが『ヒール』みてぇな初級回復魔法で癒せる傷じゃねぇぞ!!」
盗賊のリーダーである彼には見たことがない現象がまさに目の前で起きていた。
そして再び唱える。今度は自分じゃない。ハンベルという盗賊、”俺達の敵”を対象にして――
「『ヒール』」
「グハッ!!て、てめぇ……ただのガキじゃねぇな……その赤い目……まさか『白い悪魔』か!?……いや、『神マキナ』の……クソッ……どっちにしろバケモンじゃねぇか……」
ハンベルが血を吐きながらも、再び立ち上がる。その姿が遠く、ぼやけて見えた。
ただ、今はそれすらもどうでも良かった。
「ハッ!だがこう見えて俺も剣術の『祝福』を持つ者……悪魔か神か知んねぇがよぉ……たかがガキなんかにやられてたまるかっ!……俺はそこに倒れてる雑魚とは違ぇ!『 身体強化』!!死ねえぇぇぇぇぇクソガキィィィィィィ!!」
――次の瞬間、彼の体が急激に膨れ上がる。刹那、彼の速度が大幅に加速し、気付けば俺の体が地面に叩きつけられていた。
痛み――それすら感じる暇もないほど、無力に、残酷にそれは襲いかかる。
身体が歪むような感覚と共に、視界もまたぐらつく。息をすることすら出来ず、ただ無力に地面に倒れ伏す自分がいる。
アスフィの身体は無惨な姿となり地面に転がった。
「……はは……ギャッハハハハ!どうだ!?真っ二つにしてやったぜ!!……例え神だろうが悪魔だろうが、ガキはガキだ!元A級冒険者の俺に勝てる訳ねぇだろ…………さて、俺はかなり疲れたんだ。その分癒してくれよお嬢ちゃん?」
聞こえてくるのはハンベルの嘲笑と俺を罵倒するような声。どれだけ自分が無力で、無意味だったか――それを突きつけられているような気分だった。
ハンベルは倒れたアスフィの元を通り過ぎ、ゆっくりとレイラに近づいていく。
その足音が、レイラの心を深く抉るように響く。彼女の目の前には、血まみれで無力に横たわるアスフィの姿があった。
「いやぁ……そんな……アスフィィィィィィィィ………あぁ……」
レイラの目からは止めどなく涙が流れ落ち、その唇が震えて言葉を失う。心の中で何度も叫んでいた。「お願い、目を覚まして!」と。
しかし、アスフィは応えてはくれない。彼の体は動かず、ただ静かに地面に横たわっている。無力で、脆弱で、守るべき者を守れなかった自分を呪いながら、レイラは膝をつき、崩れ落ちた。
旅は始まったばかりだった。まだ、何一つ成し遂げていない――彼女の心はその無力さに、ただ押し潰されていく。
「こんなにも弱い自分が憎い……」彼女は心の中で呟いた。
その時――
「『ハイヒール』」
その言葉が、静寂だった空気をぶち破る。
「……な……に……?」
倒れていたはずのアスフィが、まるで何事もなかったかのように立ち上がる。レイラはその光景に目を見張った。
アスフィは無言で一歩踏み出し、その足元に力強く踏み込む。そして、彼は唱える――
『 死を呼ぶ回復魔法』
その瞬間、空気が震え、ハンベルの体が凄まじい勢いで崩れ落ちる。
白目をむき、血を吐くこともなく、ただその場に倒れ込む。それは命の灯が完全に消えた瞬間だった。
だが――アスフィもまた、そのまま力なく倒れた。
レイラは目の前の光景を信じられず、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
レイラです。
アスフィが見せた癒やしと死の魔法……私はまだ震えが止まりません。でも彼を守ると決めました。
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