八話 「制圧開始 その1」
アピュラトリスの直径は、およそ四千五百メートル。この全三百二十階層の中にはさまざまな施設が存在している。
地下二十九階は、制御室に勤める職員の居住区だ。これはもはやアパートやマンションに近いレベルのものが用意されており、望めばここで住むことが可能になっている。
地下二十八階には商業区が存在し、地上と同じ物が常時用意されている。娯楽施設も豊富でゲームセンターや人工的な浜辺もあるので、室内にいることを忘れそうなほど快適である。
今日は国際連盟会議があることが伝えられており、多くの人間が各々の持ち場で業務に携わっていた。商業区にもスタッフ以外の人間はほとんどいない。
静かだ。
まるで人がいるとは思えないほどに静まり返っている。
ただし、その理由は今述べたものとはやや異なる。室内にはすでに【ガス】が充満しており、多くの人間は意識を失っているか身体の自由を奪われて倒れていることだろう。
ガスは神経性のもので、ここアピュラトリスの警備システムのよるものだ。
その中を明らかにスタッフとは異なる者たちが駆け抜けていく。
彼らは倒れている人間には視線すら向けずに通り過ぎる。とどめを刺す必要もなければ、かまっている暇もない。
「次の階層、地下二十六階からは軍関係者の施設となります。隔壁は操作できますが、警備システムは完全に制御できません」
駆け抜ける者、ユニサンたちには常時マレンから情報が伝わっていた。
すでに警備システムはこちらの手にあり、ほぼ全階層のセキュリティが自在に操れる状況にある。
このガスを放射したのもマレンの手によるものだ。地下の階層から少しずつ制圧を開始し、現在はこの二十七階までが終了していた。
地下二十七階は、上に滞在している軍の関係者と地下の金融スタッフを分けるための大きな隔壁が存在しているだけのもので、突破は非常に楽であった。
とはいえ、もしセキュリティを奪えていなければ絶対に破れない防壁なのは間違いなく、最初に最深部を制圧できたことがいかに価値あるものかを物語っている。
また、地下から始めるのは混乱を避けるためでもあった。
こちらの弱点は人員数が少ないこと。塔内に勤める何万という人間のパニックは利用できるが、それは最終手段である。まだ敵に動きを悟られるわけにはいかない。
その理由の一つが、次の階層からは【システムが別】になっていることだ。
地下四階から地下二十六階は軍部の防衛隊が詰めているエリアである。
万一に備えて重要なシステムは地下十階にある軍部司令室が管理し、アピュラトリスの中では独立したものとなっている。
現状でも最低限の隔壁操作や施設内のセキュリティ操作はできるが、警備用対人兵器などの操作は司令室が管理している。
つまり、これからは道は開けるが、敵との交戦が発生する可能性が非常に高いエリアが次々と待ち受けているのだ。
地下から始まる。それは有利でもあるが、もはや退路がないことを意味していた。成功させるか死ぬか。ユニサンたちには二つの選択肢しかないのである。
ならば戦うしかない。全力をもって。
「突入と同時に隔離操作を開始しろ。タイミングは任せる」
ユニサンがマレンに指示を出し、次に自身の後ろを走っている者たちに声をかける。
「一番から五番のロキは結界師の護衛につけ」
ユニサンたちは全十五名。
ユニサンを含む十名は戦闘要員である。戦闘要員は、彼以外はすべて仮面をつけて顔を隠している。
その者たちを【ロキ〈悪魔の手足〉】と呼ぶ。
ロキたちも自身の【救世主】に絶対の忠誠を誓い、自己犠牲の覚悟の証として顔という人間が持つ最大の個性を捨てた者たちである。よって、ロキはその場に応じて『番号』で呼ばれる。
それ以外の五人は、坊主頭に黒い袈裟を着た『結界師』と呼ばれる者たちだ。仮面はつけておらず素顔である。彼らの役割はまた別にあるのだ。
護衛に命じられたロキは結界師たちの前についた。
だが、その中の一人、オンギョウジがユニサンに覚悟を伝える。
「拙僧に護衛は不要。楽な戦いではあるまい。一人でも多くの戦力をそちらに回すべきであろう」
同じ坊主でも、彼は独特な凄みを放っていた。
顔の右半分が焼けただれているせいもあるが、発せられるオーラが他の者とは格段に違う。相当な修羅場を潜り抜けてきたことは間違いない。
「死なれては困るぞ。お前の役割は俺よりも大きいからな」
「拙僧とて生半可な気持ちで来ているのではない。心配無用」
オンギョウジたち結界師は、この作戦におけるキーマンである。
ユニサンたちの最大の役割は敵勢力の制圧のほかに、彼らを【最上階まで送り届ける】ことにある。
仮にユニサンたちが全滅しても、彼らが最上階に到達することができれば次のステージには影響はない。むしろ、制圧は彼らの道を開き安全を確保するための行動なのだ。
ユニサンは少し思案したのち、提案を受ける。
「わかった。任せよう。ここはあんたのほうが詳しいだろうからな」
慎重にいきたい気持ちはあるが、オンギョウジがこの作戦に選ばれた意味がある。彼が大丈夫だと言うのならば任せるだけだ。
地下の軍部エリアの螺旋階段は通常より大きく、MGや戦車が通れるように設計されている。
その横幅二十メートルにも及ぶ巨大な螺旋階段を上り終えると、目の前には大きな扉があった。ここを抜けると二十六階である。
「いくぞ!」
マレンのタイミングで扉が開くと、前衛にロキが二人つき、続いてユニサンが飛び出す。
二十六階は軍部の格納庫および弾薬庫になっていた。ガトリングガンや砲台、刀剣類や爆弾、戦車に至るまで、塔の中とは思えないような多様な武器が巨大ないくつもの倉庫に分けられて格納されている。
倉庫は全二十。
一見すれば港の倉庫街のようになっている。ただし、質が違う。古ぼけたものは一つもなく、耐久性の高い防壁に電子ロックなど最新の揃えを誇っている。
ダマスカス軍と戦ううえで、気をつけねばならないことがある。
まず一つがこれ、『最新鋭の武器』を使わせないことだ。
武に秀でたロキたちであるが、何百何千という相手に一斉に最新武器で攻撃されれば不利は必至。
時間をかけて地上から援軍が来ればまず間違いなく全滅だろう。その意味でも制圧しておかねばならないエリアなのだ。
「マレン、状況は?」
「武器庫内にいる人間は整備兵の模様。ですが三番格納庫に武装兵がおよそ二百五十人、十五番弾薬庫に同程度の隊がいます。通路にも取り残された兵士を複数確認」
「レベルはわかるか?」
「検索完了。先日配属された後方支援の部隊のようです」
このエリアはあまり人が来ない場所であるが、今日が国際連盟会議ということもあって兵士が増員されていた。その新しく配属された隊が武器を取りに来ていたのだ。
データを検索すると、配属された人員の多くは新兵であることがわかった。
通常は地下に近いエリアほど安全である。彼らは人数集めの部隊にすぎないようだ。
格納庫の入り口はマレンがロックしてある。多くの人間はなぜ扉が開かないのか疑問に感じているだけで特に行動を起こしてはいない。
「だが、警備兵はともかく、兵士ならば強行手段に出る可能性があるな」
整備兵ならば何かの故障かと思ってしばらくは待つだろうが、武装兵は格納庫内部の武器を使って強引にこじ開けようとする可能性も否定できない。
新兵なので独断で動くことは考えにくいが、現在の状況において安全の確保は第一である。
地下十五階と地下七階の格納庫エリアには『魔人機』――通称MG――も多数配置されており、ここにも少数ながらMGも戦車もあるのだ。リスクは避けるべきだろう。
「MGが出られると面倒だ。消すぞ」
ユニサンは万一にそなえて排除の選択を下す。
「了解しました。通信施設は制御下にありますので連絡を遮断します」
各倉庫の内線は中央の通信室に繋がっており、そこはすでにセキュリティロックがかけられているので連絡される恐れはない。
ただし、司令室がこちらに連絡してきた場合は応答がないことを不審に思うかもしれない。マレンが時間稼ぎするにも限界はあるだろう。その前に仕留めねばならない。
「一分以内に終わらす。オンギョウジたちは次の階層付近の階段で待機。欲は出すなよ。素直に隠れていろ」
「承知」
結界師は【隠行術】を使うことができる。一定範囲内ならば彼らの姿を完全に消すこともできるし、すれ違う人間に見られても意識させないという特殊な術もある。
万能ではないが、この広さならば隠れるくらいは十分可能だった。
「散れ!」
ユニサンとロキ、計六名が二手に分かれる。
ユニサンは三番格納庫、他のロキ三人は十五番弾薬庫に走る。
彼らは全員、【武人】である。
武人とは、偉大なる者より受け継がれた因子を一定レベル以上に覚醒させた者たちであり、一般的には常人よりも強い肉体と武力を持っている。
武人のタイプはさまざまな部類に分かれており、戦闘面以外の特技を持つ者も多いが、ユニサンたちはより武に特化した武人である。当然運動能力も高く、風のような速度で目的地に到達することができる。
格納庫前の大きな通路には、エリア内移動用の車両とともに十人程度の兵士が困惑した表情を浮かべていた。突然扉が閉まり、どうしてよいのかわからないのだ。
武装は肩に担いだ自動小銃のみ。この距離に近づいても気がつかないレベルの相手であった。
彼らの目には一瞬影が通ったようにしか見えなかっただろう。しかし、その瞬間には彼らは生涯は終わりを告げていた。
まずユニサンが走りざまに一番近くにいた兵士の首をへし折り、それと同時に隣にいた兵士をロキN6が心臓を剣で突く。
その後ろにいた兵士も、ロキN8が喉を引き裂いていた。即死である。
最初に殺された兵士が倒れる音がした頃には、すでに十人いた兵士たちは全員が消されており、瞬く間にユニサンたちは六百メートル先にある三番倉庫に到達していた。
階段でオンギョウジと分かれてから、およそ八秒の出来事である。
「俺が先手を打つ。残りを始末しろ」
ユニサンが三番格納庫の入り口に立つと同時に扉が開放。
中にいた兵士たちは、ようやく開いた扉に対して緊張感のない視線を向ける。無害な、無抵抗な者の顔だ。
ここに敵が現れるはずがない。もし現れたとしても上の階層が慌しく対応しているはずだ。
彼らが新兵であったことも一つの要因であるが、こうした慢心はアピュラトリス全体にいえることである。
そうした彼らの想像を超えて、そこには拳を引いた黒服の男の姿があった。
注意深く見た者ならば、男の周囲に【戦気】が展開されているのがわかっただろう。
「はっ!」
ユニサンは気合いの声とともに掌を突き出す。
掌圧は衝撃波に加えて、炎の渦を生じさせながら広い格納庫全体に広がった。
覇王技『炎龍掌』。
掌に集めた戦気を【炎気】に変えて放つ広域放出技である。
威力そのものは当人の拳撃以上にはならないが、渦の力は非常に強いため、相手を吹き飛ばしたり怯ませたりすることができる。
戦気は生体磁気と精神エネルギーの化合物であり、それ単体でも攻撃や防御のための物理エネルギーとして活用できる。
さらにそうして作り出したエネルギーに『普遍的流動体』という大気に含まれる無限の粒子、俗に言う【神の粒子】を加えることで、さまざまな形状および波動に変化させることができる。これが応用技である。
当人の資質にもよるが、炎や水、雷や風などの性質を帯びさせることが可能で、ユニサンが放った一撃も【気質変化】を用いた技だった。
経験が浅い兵士たちは、完全なる無防備でユニサンの技をくらう。
最初の掌圧をもらった三人がその場で圧死し、次に訪れた吹き荒れる炎の渦で全員が吹き飛ばされた。
もはや大爆発に近い衝撃だ。それを密室でくらうのだから、たまったものではない。
直後に飛び込んだロキN6は、すでに準備ができていた。
剣を抜き『風衝・十閃』を放つ。
剣に集めた戦気、【剣気】を飛ばすのが『剣衝』と呼ばれる基本の技である。これは一般にスラッシュとも呼ばれるもので、身体能力では戦士に劣る剣士が間合いを取る場合によく使われる。
この剣気を風のように操るものが【風衝】。それを同時に十放つのが【風衝・十閃】だ。
放った数によって二閃、五閃となっていくわけだが、十閃操れる剣士はそう多くはない。
風衝はユニサンの炎を巻き込むように襲いかかり、兵士たちを薙ぎ払う。
一撃で胴体を切断された者もいれば、風によって炎の勢いが増して全身を焼かれた者もいる。どちらにせよ地獄絵図である。
そこにロキN8がとどめを刺す。
広域用の特殊手榴弾を三つほど投げ込み、さらに毒霧を放った。特殊手榴弾は貫通性の高い針を全方位に放射するもので、毒霧は致死性の猛毒だ。
扉が閉まる。
直後に数回の爆発と悲鳴が起こり、場は静かになった。
「生体反応なし。全滅です」
マレンから報告が入る。
相手のレベルを考えるとやりすぎのようにも思えるが、油断は禁物である。一気に殺さねばこちらが危うくなるのだ。
「向こうも片づいたようです。次の階層に向かってください」
「了解だ」
ユニサンたちはオンギョウジが待っている階段に戻る。
彼らも無事だ。この階の制圧に要した時間は、およそ三十六秒。上々の出来である。
ユニサンたちからは微弱ながら血の臭いがした。オンギョウジは表情を変えなかったが、心の中では鎮魂に思いを馳せていた。
(赦せとは言わぬ。どんな大義があろうと罪であることは変わらぬ。ただただ白狼様のご慈悲があらんことを祈る)
オンギョウジには、死した者たちの魂を迎えにきた【白狼の使い】の姿が見える。
小さな光の玉が、死者から離れた霊体に包まれた小自我(魂)を回収していく。
彼らはこれから【ウロボロスの環】に戻るのだ。この者たちはまだ幸せなのかもしれない。
これから起こる惨劇に比べれば。
「行くぞ。できれば十五分以内に司令室に到着したい」
ユニサンたちは次の階に向かった。