四十四話 「ロキというもの その1」
「ここでいいかな」
志郎たちは六階にある一つの部屋に行き着いていた。
入り口からやや離れた場所にあり、なおかつ少し入り組んだブロックにあった。同じような部屋もいくつかあったので、真っ先にここが狙われるという場所ではないだろう。
部屋といっても小さな工場のような大きさで、内部ではベルトコンベアで運ばれたさまざまな物品、主に銃器などの武器類が自動で区分けされている。
どうやらエレベーターで回収、または接収した武器などがここに集められているようだ。大半はナイフや短銃だが、なぜかロケットランチャーのようなものまである。
部屋の端にはリグ・ギアスを外す装置もあった。両腕を入れる穴が空いた箱のような装置で、上部に使い方の説明が書かれたプレートが張ってある。もしデムサンダーが単独だったならば、この装置のお世話になっていただろう。
「お嬢様たちはどこに置く?」
「うーん、死角になるところがいいよね。あそこは?」
志郎は部屋の隅、銃器類に囲まれて死角になっているスペースを見つける。隅々まで探されると見つかってしまうが、ぱっと見ればわからない場所である。
「起きたら文句言いそうだな」
デムサンダーが抱えていた二人を降ろす。当然だがベッドやソファーはなく、そのまま硬い床に置いておくしかない。
暖房は効いているので、少なくとも風邪は引かないだろうが、エリスの性格上、起きたら確実に文句は言いそうである。
「しょうがないよね。他に探している余裕がないし」
「ベルトコンベアに乗せてみるか? どう仕分けされるんだろうな?」
「えーと、生物用は…」
ここに運ばれるのは銃器類であるが、異物が混入される場合もあるだろう。志郎がコンベアを目で追うと、異物用のコンベアは大きなダストシュートにつながっており、下の階で一時的に集められるようだ。
「たしかに安全ではありそうだけど…やめたほうがいいね」
寝ている間にダストシュートに落とされたら、それこそ激怒は間違いない。爆弾で報復してくるかもしれないのでやめておく。
結局二人は、コンベアで死角となっている隅に、そのままそっと寝かせておくことにする。
「結果的には良かったかもな。ここから先は、どう考えてもやばそうだ」
「そうだね。僕たちだけでは守れない可能性もある。ここにいたほうが安全だよ」
「まあ、その後のことはどうしようもないけどな。この様子じゃ、あとあと揉めそうだぜ」
今後、エリスがどうなるのかはわからない。単純な暴力ならば志郎たちで対応はできるが、政治的、金融的な問題となれば何もすることはできないのだ。
「このお嬢さんは、もう普通の生活には戻れない。それだけは確実だ」
デムサンダーは、少しだけ同情の視線をエリスに向ける。
エリスが良質の電池だとわかった以上、その価値が失われるまで安息の日々はない。拒否しても拉致される恐れもあるし、今のような強硬な手段に出られるとエリスは身を守ることはできないのだ。
「エリス…」
志郎は、エリスの寝顔を見つめる。気の強そうな眉と目元からは、寝ていても強い意思が感じられた。
エリスは炎である。
力強く、猛々しく、周囲を巻き込んで大きなことをやってのける炎だ。しかし、炎は燃料が尽きれば燃え尽きる。ふとしたことで威力が弱まれば、あっという間にくすぶってしまうものだ。
(まだ危うい)
彼女は、まだ少女なのである。自らの炎が強すぎるがゆえに、自身すら燃やしてしまう。そのためには抑える役割の人間が必要だが、その役目はディズレーでは難しいようだ。
「もう少し一緒にいたかったけど…じゃあね、エリス。バイバイ」
志郎は寝ているエリスに別れを告げる。
一時とはいえ、こうして一緒にいられたことは素直に楽しかった。それだけ衝撃的な女性だったのは間違いない。少なくとも里にはいないタイプの女性であった。
「もともと住む世界が違う。気にするな」
エルダー・パワーは、やはり常人とは相容れない存在である。どんなに親しくなっても、最後の一線だけは絶対に越えることができない。
その境目は、人殺しとそうではない人間という、決定的な違いなのである。
志郎の笑顔はあどけないものでも、その手は確実に人を殺した人間のものである。それはエリスが求める正規の力とは違うもの。そうした人間と一緒にいれば、いずれはエリスにとっても害悪となるだろう。
だから、これでよかったのである。
「女は世界に一人だけじゃないさ。また出会いはある。今回はしょうがない」
「何のこと?」
志郎はデムサンダーの言葉に首を傾げる。突然相棒が言い出した謎の言葉である。
(こいつ、気がついてないのか。なら、それでいいか)
志郎は、恋愛に関しては顔以上に幼いところがある。自分がエリスに惹かれているとは思いもしないのだろう。
そんな志郎に、黒くて太くて大きいものは少しだけ優しく笑う。
「まあ、拾った犬とは、ここらが別れ時ってことさ。これ以上いると情が移るからな」
「犬って…、きっと怒るよ」
「怒っても元気ならいいってことだよ」
「それもそうだね。元気なら、それでいいね」
その言葉には志郎も頷いた。エリスがどんなに怒っても元気ならばいいのだ。そうであればいいと思った。
そして、二人は部屋を出るや否や波動円を展開させて走り出す。
「で、どうするよ?」
「こうなったら、先に進むしかないよね」
どのみち退路は断たれている。経緯はどうあれ、中に入ったからには異常を確かめねばならないだろう。
「そもそも俺たちは何と戦えばいいんだ?」
「うーん、たしかに」
志郎たちは武人である。明確に【敵】と呼べる相手がいれば対応できる。仮に陸軍が苦戦していれば手助けすればよいだろう。
しかし、今はそれを見極める術がない。状況もわからなければ、誰が味方で誰が敵なのかもわからないのだ。明らかに情報が少ない不利な状況であった。
だが、つてはある。
「アズマさんと合流できればいいんだけど」
先に内部に入っているはずのジン・アズマと合流できれば、少なくともこうした曖昧な状況は回避できるはずだ。また、何か知っているかもしれない。
個人的にも志郎はアズマに会いたかった。実際に会えば、この胸にある不安も一発で解消されるのである。
「ジンは気に入らないが、それが妥当っぽいな。ただ、婆さんが来ているって聞いたぜ。あの婆さんなら何でも知っているっぽいけどな」
「あー、羽尾火さんか。でも、本当に入ったのかな? アズマさんのあとに入った人なんていなかったよね?」
先行で派遣された志郎たちが実際に確認したのはアズマだけである。それ以後、少なくとも羽尾火がエレベーターを使って入塔したことはなかった。エレベーター自体、ほとんど動いていないのだから間違えようもない。
先に入っていた可能性もあるが、志郎が里を出る時に見送っていたので、先に来ていたらそれはそれで怖い現象である。
「妖怪ババアだからな、何があっても驚かないぜ」
術士の羽尾火は、エルダー・パワー内部でもやや異色の存在である。ずっと昔から老婆のままで、歳も取らねば若返りもしないという。
聞いた話では、幼少期に里にやってきた師範がオッサンになっても羽尾火は昔と同じ姿のままらしい。そのため仙人やら妖怪やら、いろいろな言葉で表現されている謎の存在でもあるのだ。
そんな羽尾火ならば、何かしらの超常的な方法で中に入っていてもおかしくないだろう。それだけ恐ろしい存在なのである。
「でもさ、ずっと不思議だったんだよ。師範まで出るなんておかしいと思わないか」
「たしかにな。あの婆さんが里から出るなんて初めて聞いたしな」
志郎がずっと引っかかっていた疑問を口にすると、デムサンダーも同意する。
マスター・パワーの赤虎を含めた師範たちは、まず表舞台に出ない。日々静かに暮らし、武を探求し続けている。その彼らが外に出る。それだけで異常な事態であるといえるのだ。
つまり、このアピュラトリスが、それだけの【守護】が必要な状況に晒される可能性が高いことを意味している。加えて、エルダー・パワーが堕落とは縁遠い存在である以上、普通の崩壊程度でここまで関与はしないはずである。
アピュラトリスに危険が迫り、なおかつそれによって多くの被害及び犠牲が出る。または危険な技術が外部に漏洩し、ダマスカスや他の国家、世界が揺らぐ可能性がある場合。
彼らが出るとすれば、ここまで想定しなければならない。しかも、今回派遣されたのは羽尾火だけ。それもまた不思議なのだ。
「確信がないけど注意は必要って感じなのかな?」
志郎が考えられるのはそれくらいである。もしくは大統領の顔を立てて師範を一人出した可能性もある。大統領は女性を出してほしいと要請したと聞いているからだ。
「アレが女性か? もうとっくに女を捨ててると思うけどな」
アミカではなく羽尾火が護衛で来たら大統領は泣く。本気で泣く。その慟哭で、会議が止まるかもしれないほどに。
「マスター・パワーは、何か隠しているような気がするよ」
「上はもともと秘密主義だからな。席持ちの俺たちだって、たまに外されることもある。今回もそうなんだろうよ」
「そうだけど…。今回は特に嫌な予感がするんだ」
「またジンのことか? まあ、婆さんがどこにいるかわからねーし、そんなに心配ならあいつと合流するか。そうすればお前も安心するだろうしな」
結局、どこにいるかわからない羽尾火よりも、地下に配置されたアズマとの合流を最優先とすることになる。
「ディム、油断はしないでおこうね」
アピュラトリス内部の地理など知らない志郎たちは、ただ道に沿って走るしかない。ただでさえここは未知の空間なのだ。注意を払って払いすぎることはない。
「わかったよ。また閉じ込められるのは勘弁だしな」
すでに危うい場面に遭遇しているので、デムサンダーも素直に頷く。
(嫌な予感…か。こういうときの志郎の勘は当たるんだよな)
デムサンダーも内部に入ったことで、緊迫した雰囲気に気がついていた。胸騒ぎ、それも強い圧迫感を感じ始める。おそらく、これが志郎が感じていたものなのだろう。
そうして走っていると、三つの分かれ道が現れた。二人がどうしようと迷う暇もなく、二つが隔壁で塞がれ一本道になる。
「おいおい、ずいぶんと露骨すぎるな」
あからさまな光景に、デムサンダーは不快で顔を歪める。
「キリルさん…かな?」
「そうだとしてもアピュラトリスだぜ。そんな簡単にできるものかよ」
アピュラトリスの制御は事務員程度が扱えるものではない。それは素人の二人でも容易に理解できることだ。ここは天下一のセキュリティを誇る富の塔なのだ。
また、二人が知る由もないことだが、現在はマレンが大部分の制御を握っているので、仮に制御室にいたとしてもこのような操作は簡単にはできない。それほどこの現象は特異なものであった。
「あの女、やっぱり普通の職員ってわけじゃなさそうだぜ」
「直接会って訊いてみるしかないね」
「素直に話すような玉じゃないと思うがな」
キリルが何者でどんな目的があるのか。ここまで巻き込まれたのだ。問いただすまでは戻れないだろう。それ以前に、志郎たちに選択肢はないのだが。
「気に入らないが、行くしかないな」
「そうだね。行けるところまで行ってみよう」




