三十九話 「それは夢見る少女のごとき炎 その3」
「そうですね…」
いきなり話を振られたので驚いたが、志郎は少し考えてから静かに語った。
「エリスは…正しいと思います」
「その根拠はありますか?」
「彼女は自分で見てきたと言いました。自分で見て、そして決めた。多少強引ではあっても、れっきとした強い意思だと思います」
これがただの少女の夢物語であれば、志郎も関わらないでおこうと思ったに違いない。しかし、エリスがそんな女性でないことは、この短期間でもすぐにわかることである。
エリスには、人を惹きつける魅力がある。
言葉には力があり、目には炎が宿り、意思は猛々しく心を掴む。
「エリスの願いは、とても難しいと思います。いや、これは本当に難しい。でも、そういった心から闘いは始まります。武人の鍛錬だって同じです。最初に心がなければ何も生まれません」
志郎は生粋の武人なので戦うことしかわからない。しかし、【闘う】という意味においては、普通の人間も武人も同じなのだ。
人はいつだって闘っている。闘争している。自分を高めようと、何かを成し遂げようと傷ついて、あらがって、闘っているのだ。
エリスは闘う意思を示した。自らの動機をはっきりとし、宣戦布告をしたのだ。そうなればもう後はない。闘うのみである。
「少なくともエリス自身の願いは間違っていないはずです。できればやり方は穏便であってほしいですけど」
彼女がどんなやり方を考えているのかはわからないが、エリスの言葉は志郎には普通に思えた。むしろ彼にとっては、それが良いとか悪いとか考えるほうがおかしいのだ。
しかし、人は迷うものだということも知っている。何かが、おそらくは富というものが人を狂わせてしまったのかもしれない。本来ならば人を幸せにする道具が、いつの間にか人間の主人になってしまったのだろう。
だから、エリスが壊したいと願うのならば、壊してもよいのではないかと思ったのだ。
「さすが私が見込んだ男ですわ。志郎は、よくわかっていますわ」
「全肯定したわけじゃないからね。やり方は穏便にだよ?」
「さすが志郎ですわね。全部任せておきなさいな」
駄目だ。聞いていない。
「デムサンダー様はどうでしょう?」
「俺はどっちでもいいさ。関係ない話だからな。だが、そいつが言ったことは、少なくともあんたの話よりは面白かったし、心に響いたぜ」
そう言うデムサンダーであるが、エリスの言葉には十二分に共感していた。彼もまた、ここまでして守らねばならない塔を作ったこと、そんな一部の人間が扱う権益が存在すること自体が気持ち悪い、そう思っているのだ。
ちなみに意見を聞かれなかったディズレーも主人と同じ気持ちであることは間違いないだろう。エリスがキリルを挑発したあたりから、すでに半分魂が抜けた感じになっており、空気と化しているが。
「なるほど、よくわかりました」
キリルはそう言うと、四人を先導するように再び歩き出した。その顔は最初と同じ営業スマイルであるが、実際にどう思っているかはわからないのが若干怖い。
キリルは次のブロックが存在する扉を開けると、まず自分がそこに入り、それから四人を招き入れる。
「さあ、お入りください」
部屋は三十メートル四方の、この塔のブロックにしては小さなもので、ソファーなどの最低限の家具だけが置かれている質素なものである。
「こちらでしばらくお待ちください」
「なんだ、また待たされるのかよ」
デムサンダーはまた待たされるのかと苦々しい顔を浮かべる。しかも、さきほどの庭園の待合室とは違い、とても簡素で質素である。相当退屈しそうだ。
「では、失礼いたします」
「お待ちなさい。まだ答えを聞いておりませんわ」
部屋を出ていこうとするキリルをエリスが呼び止める。
「まだ明確な返事を頂戴しておりません」
エリスは自分の意思を示したが、キリルはまだ答えていない。自分の中で納得したにすぎない。それでは回答にはならないだろう。
(キリルさんにそこまでの権限はないと思うけど…)
いくら経済に疎い志郎とて、一介の事務員であるキリルにそこまでの権限があるはずもないことはわかる。これだけの大きなこと、叶うにしても相当な時間と協議が必要になるはずだ。
だから、エリスが呼び止めたのは早計。そもそも無意味。
と、志郎は思っていたのだが、驚くべき答えが返ってきた。
「答えはすでに出ております。あなた様は、すでにご存知なのではありませんか?」
「試されるのは好きではありませんわね」
「試してなどはおりません。答えはもう出たのです。アナイスメルは、すでに答えを出しているはずです。今の私にはもう聴こえませんが…」
「聴こえる? どういう意味ですか?」
キリルはエリスの言葉に答える代わりに、志郎とデムサンダーを見つめる。
「勇気ある戦士たちよ、どうかフォードラ様を守ってください。そして、一時の【敗北】にけっして心を打ち砕かれてはいけません。勝利とは、敗北の後にやってくるのですから。どうか心に留めておいてください」
キリルの雰囲気がまるで違っていることに志郎は困惑を隠せない。最初に感じたやり手の事務員の印象とはまったく異なっている。今はその言葉の重みと深みが強調され、まるで予言者のようでもあった。
「キリルさん、それはどういう…」
と志郎が言おうとした瞬間、周囲に設置されていた隔壁が降り、四人を部屋に閉じこめる。瞬間的にデムサンダーが動いて壁を押すがビクともしない。
隔壁は特殊な強化ガラスで作られて透けており、閉じ込められた状態でもキリルの顔ははっきりと見えた。
(キリルさん…?)
志郎は、キリルの顔を見て驚いた。笑っていたのだ。しかし、その笑みは企みが成功して笑っている人間のそれではない。
優しさと柔らかさをそなえた、さきほどとはまるで違う素敵な顔であった。最初からこのように笑えば、多くの人から好感をもたれるだろうにと残念に思えるほどだ。
そして、【ガスの注入】を確認したキリルは、静かにその場を去っていった。
「うっ…志郎…、これは何です…の」
耐性のないエリスとディズレーはすぐに意識が朦朧とし、崩れ落ちるように意識を失った。
志郎とデムサンダーは、二人が怪我をしないように崩れる寸前に受け止め、着ていたジャンパーを下に敷いて仰向けにして寝かせる。二人からは静かな寝息が聞こえていた。
それは間違いなく生きている証であり、志郎は安堵する。そして、分析。
「睡眠ガスだね。それもかなり強力だ」
志郎はすぐにガスの性質を見極める。
エルダー・パワーでは、さまざまな毒物に対する耐性を高めるための修練があり、実際に毒や神経ガスを使って身体を慣らしている。慣れると神経の感覚から、どんな種類の毒であるかがすぐにわかるようになるのだ。
「金持ちの歓迎の仕方ってのは変わってやがるな」
デムサンダーもガスの中にあって平然としている。多少くらっとするが、動きや思考にはまったく問題がない。日々の修練の賜物である。
「やっぱり普通じゃないってことでいいか?」
「そうだね。いくらここの人たちが変わっているとしても、これが歓迎だとは思えないよ」
デムサンダーの問いに志郎は頷くしかない。どう考えても客人を迎える態度ではないのだ。それに今まで歩いた通路はかなり長くて広いのに、他の職員がまったくいないことも気になっていた。
「で、どうする?」
デムサンダーはこれから起こるであろう出来事を想像し、にかっと笑う。志郎はそんな楽しい気分ではなかったが、ここまで関わった以上は突き進むしかないと覚悟を決めた。
「行こう。何かが起こっている。それを確かめないとね」
志郎は、右腕のリグ・ギアスをすっと外した。次に右手を使って左腕のリグ・ギアスも外す。それを見て、ひゅーと口笛を鳴らすデムサンダー。
「相変わらず、えぐいな。拘束具ってのは、拘束するからそういう名前がついているんだぜ?」
「そんなこと言われてもな」
志郎は苦笑いをしながらデムサンダーのリグ・ギアスも外していく。
志郎には天賦の才ともいえる特殊な能力がある。彼が護衛に向いている最大の特徴とは武術ではなくこの能力なのだ。
彼にはいっさいの拘束が効かない。あるいは中和してしまう特異な体質であるのだ。加えて縄抜けなどの技術もエルダー・パワー随一である。
「このガラスは、ちと硬いな。それに厚い」
デムサンダーは強化ガラスを叩いて強度を確かめる。
これもさすがアピュラトリスというだけあって特注物のようだ。先が見えるほど透明ではあるが、厚さは三十センチ以上あり、人間の力では到底破壊は困難に思える。
武人であるデムサンダー単独でも壊せなくはないが、それには相当な労力が必要になりそうだ。よって最良の選択肢を選ぶことにした。
「じゃあ、頼むわ」
「わかった」
そう言われた志郎は強化ガラスに両手を置き、強い声を発した。
「はっ!!」
両手から振動が生まれ、強化ガラスの内部に流れていく。力は内部で波を打って共鳴し、存在そのものを揺らしていく。
「ご機嫌にいくぜぇええーーー!」
そこにデムサンダーが重い蹴りを放った。衝突した打撃力が志郎の発した波に共鳴してガラス全体を激しく叩く!!
瞬間、ガラスは粉々に砕け散った。
あの重く厚い強化ガラスが内部から粉々になったのだ。その威力や想像を絶する。だが、彼らにしてみれば普通のこと。何事もなかったかのように軽い口調でデムサンダーは倒れている二人を指さす。
「お嬢様と爺さんはどうする?」
「安全な場所にまで連れていったほうがいいね。持っていこう」
すでにアイテムのような扱いをされている二人。相手側の考えがわからない以上、ここで離れるのは逆に危険だと考える。
二人を担いで再び通路に出ると、最初とは様相が違った。すでに背後にはいくつもの隔壁が下りており、入り口に戻るのは容易ではないようだ。
「ったく、悪意しかないな、これ」
デムサンダーがぼやくのも仕方がない。入り口への道は封鎖されていても、内部へと続く道は綺麗に通っているのだ。それは明らかにキリルの意思が志郎たちを中へと導いている証拠であった。
「キリルさんは敵なのかな?」
「あれが味方に見えたか? 閉じ込められたじゃねーか」
「でも、僕たちを殺さなかったし。毒ガスでもよかったんだよ」
どのみち志郎たちは毒ガスでは死なないが、彼女は睡眠ガスという手段に出た。もちろん、それしかなかったという可能性もあるし、エリスを殺したくないのも本音だろう。だからこそ意図が見えない。
「単純にお嬢ちゃんを捕獲するためだろう? やっぱり欲張りすぎたんで怒ったんだろうさ」
「うーん、そうかー。それもあるね。でもキリルさん、いい笑顔だったんだよね」
「お前、案外ああいうのがタイプか?」
「違うよ」
あっさり否定。キリル、無念である。
「しゃあない、メイクピークのオッサンのためじゃないが、やるしかないようだな」
志郎たちは、アピュラトリスの内部へと入っていく。
そしてそれは、この世界が変わるための第一歩であることを、まだ彼らは知らない。




