三十四話 「富に招かれし者 その3」
「待たせたな」
陸軍軍服を身につけた赤銅しゃくどう》色の髪をした壮年の男、コウタ・メイクピーク大佐が電話を終えてやってきた。
「電話中に突然すみません」
志郎が頭を下げようとするとメイクピークは手で制する。
「かまわない。君たちこそ居心地が悪い場所で大変だろう。少し休んでいきなさい」
メイクピークは軍一筋二四年の実直な軍人なので、本来ならばエルダー・パワーに対して懐疑的であっても不思議ではない。
が、メイクピークは志郎たちに対して友好的であった。上層部からの信頼もあったし、何よりも彼自身が優れた武人であることも理由の一つである。
志郎はもちろん、先に会ったアズマを見た時には背筋が震えたくらいだ。また、彼の祖父が武術道場を開いていたこともあり、かつてダマスカスで栄えた偉大なる武の力を知っていたことも影響したのだろう。
そのせいか志郎やデムサンダーの面倒もよく見てくれる。年齢も四十は過ぎているだろうから、志郎たちからすれば頼れる兄貴あるいは叔父貴、といったところだろうか。
メイクピークはエリスに目を配らせながら、手元にある書類を確認する。
「報告にはドレスとあったが?」
「あれはもう捨てました。無粋でしょうから」
エリスは手榴弾を手で転がしながら答えた。どちらが無粋かは微妙なところだが、ここが軍のコテージであることを思えば、この姿もあながち間違ってもいないのかもしれない。と志郎は思うことにした。
「フォードラ准将のお嬢さんがいらっしゃるとは不思議な縁だ」
一瞬エリスは首を傾げた。父親の階級は中佐だったはず。特に殉職したわけでもないので、准将にまでは到達はしなかったはずだ。
しかし、ふと【祖父】が准将であったことを思い出す。本来ならば忘れることはないが、父親が死んだあとのことが大変ですっかりと記憶から抜け落ちていた。
「祖父をご存知なのですか?」
「それはもう。陸軍ならばたいていの人間は知っているよ」
エリスの祖父、ゴードンは陸軍の中でも武闘派に属する武人肌の人間で、武人の血が強い軍人からの支持を得ていた。
メイクピークも武を重んじる軍人であるので、若き頃よりゴードンの思想に傾倒し、迷うことなく彼の派閥に入った経緯があった。
だが、当時のダマスカスは軍部縮小を唱える大統領が政権を担っていたため、ゴードンら拡充派は非常に苦しい立場に追いやられていた。
そして、最後は既得権益を重視するダマスカスでの権力闘争に負け、その流れでフォードラ家も半ば潰れかかることになる。
将校にまで上り詰めれば、通常は軍から支援があるものなのだが、それがなかったことから陸軍内では見せしめではないかという見方が有力である。
「何もできずに申し訳ないと思っている。口で言ったところで信じてもらえないとは思うが…」
同じ武闘派とはいえ、メイクピークも軍人なのだ。上からの命令には従うしかなかった。何より、その程度の力しかなかった自分が今でも口惜しい。
しかし、エリスはそれを責めない。
「過去には何の価値もありません。詫びも礼も結構です。わたくしは今を生きておりますから」
エリスは家長となると決めた時から、過去にこだわるのをやめた。誇りではあっても、少なくとも過去の栄光にすがることはやめたのだ。
それによって救われるものはなく、ただ惨めな哀れみしか受けないのならば、そんなものは願い下げである。
エリスが求めているのは【力】。
今を勝ち抜く力なのだ。
「君は准将の血を受け継いだようだ」
メイクピークは、エリスのその表情にかつての祖父の姿を垣間見る。雄々しく、けっして過去を振り返らない姿勢はそっくりであった。
「ところで大佐、エリスをアピュラトリスの中に送りたいのですが…」
志郎が頃合いを見計らってその旨を告げる。
アピュラトリスの入り口はいつも以上に厳重に警備されており、入る場合は通常の検査とともに、こうして軍部のチェックも受けねばならない。ここに立ち寄ったのは、そのための許可を受けに来たのだ。
「中にか…。私にそれを止める権限はないようだ」
特別な相手にしか招待状は送られない。おそらく面倒な検査もパスされる可能性が高い。これはアピュラトリス側からの要請なので軍部といえども口出しはできない。
しかしながら、メイクピークは少し不思議な言い回しをした。それが志郎には気にかかる。
「何かあったのですか?」
志郎は、ふとさきほどの電話を思い出す。声の雰囲気からして明らかに普通の会話ではない。異様な緊迫感が込められていることを志郎は見抜いていた。
「うむ…」
メイクピークは話すかどうか迷ったが、知ったところでどうにかなる問題でもないので口を開く。
「さきほどバードナー中将から電話があった。内容は、アピュラトリス内部の再調査についてだ」
バクナイアから命令を受けたバードナーは、まずメイクピークに連絡を取った。そこからアピュラトリス側に接触を図るためである。
現在、アピュラトリスは隔離された状態にある。電話であっても外部からのアクセスを遮断するように設定されている。これは連盟会議中の限定措置である。
世界中からさまざまな人間が集まっているため、中には邪な考えを抱く人間がいるかもしれない。また、すべてがダマスカスに好意的ではない。警戒はしておくほうがよいという判断からだ。
普段アピュラトリスにこもっているヘインシーが外に出ているのも、こうした隔離状態が前提となっているためだ。この間は誰であろうとも外部からアクセスすることができない。
唯一このコテージにはアピュラトリスとの専用回線が設置されており、内部とのやり取りが可能となっている状態となっている。だからバードナーはメイクピークに連絡を取ったのだ。
それだけならば問題はないのだが、メイクピークは現在少し困っていた。
その理由がこれである。
「アピュラトリス側が査察を受け入れてくれないのだ」
バードナーの指示でアピュラトリス内部と接触を図ったが、現状では異常が見られないという理由で、アピュラトリス側が軍部の介入を拒絶したのだ。
これはバクナイアから発せられた命令であることが一つの要因でもある。彼らは自由な経済活動を行うために、軍からの介入を極端に嫌う傾向にあるのだ。
陸軍出身の防衛長官からの命令を簡単に受けては、内部干渉につながりかねない。それは安全神話を持つアピュラトリスという象徴を穢すことになる。相手はそう考えているのだろう。
ただし、ヘインシーが命令したとしても結果は同じだっただろう。あくまで当人がここに来なければ応じない。それがアピュラトリスの徹底した機密保持を成立させているのだから。
それを知っていながら、ヘインシーはバクナイアに頼んだのだ。重要なことはアピュラトリス側に危機を知らせることと、実際の戦力を付近あるいは内部に集めることなのだ。拒否はされたが、少なくとも異常な事態であることは伝わったはずだ。
「何か起こったのですか?」
志郎は自分の中の不安がざわついたような気がした。もし起こっているのならば見極めたい気持ちにもなる。
「いや、まだ単なる確認にすぎない。確証はないのだ。ただ、国防長官から直接というのが気になる」
連盟会議中であるため、こうした確認は何度も行うのが自然だ。慎重すぎて困ることはない。
問題は、国防長官のバクナイア経由での指示であるということ。
たしかにバクナイアは国防のすべてを担当しているが、こうして直接具体的な命令を発するのは稀なことである。そうしたことは普通、陸軍省経由で送られてくるのが一般的だ。
しかも首都防衛の最高責任者のバードナー中将まで出てくれば、さすがのメイクピークも異常であると気がつく。明らかに何かが起きているのは間違いないのだ。
しかしながら、まだあくまで確認の段階。強引に軍を突入させれば、アピュラトリス側との軋轢はさらに深まるだろう。
もし間違いであれば、ただでさえこのような世界情勢なのだから、ダマスカスの恥というだけでは済まない事態になる。メイクピークの首くらいは確実に飛ぶだろう。
「くだらないことですわね。いつからダマスカスは虚栄心に支配されるようになったのですか。所詮、犬の縄張り争いではありませんか。強行できないのですか?」
エリスは辛辣な言葉でダマスカスの堕落を指摘。こうした腐敗と堕落は、彼女が今まで嫌というほど見てきたものだから、なおさら嫌悪感を抱くのだろう。
「耳が痛いな。しかし、これがわが国の現状でありシステムだ」
アピュラトリスによってダマスカスは生きている。人権があるのも民主主義のおかげである。軍が勝手な行動を取れないこともまた富の一部であるのだ。都合よく分けるわけにはいかない。
「私に力があれば変えられるのに…」
エリスのその言葉はつぶやきに近いもので、唇がわずかに動いた程度。それが届いたのは隣にいた志郎だけであった。
エリスを心配そうに見る志郎を見て、メイクピークはふと何かを思いつく。
「志郎、デムサンダー、お嬢さんの護衛ついでにアピュラトリスの中を見てみたくはないか。なかなか貴重な体験だぞ」
「おっさん、回りくどいぜ。素直に護衛を口実にして中を調べてこいって言えよ」
デムサンダーからの的確な訂正を聞いたメイクピークは、苦笑いしながら肯定する。
「そうだが…、素直にそう言ったら従ってくれるのか?」
「俺は遠慮したいね」
誰が好んで牢獄に入るのだろう。少なくともデムサンダーにそんな嗜好はなかった。
「それにだ、中にはあのバトルジャンキーだっているんだ。問題ないさ」
デムサンダーはアズマを嫌っているが、その戦闘力は自分よりも上であることを認めていた。
同じ第五席にいても力量が同等というわけではない。マスター・パワーの赤虎が剣士なので、特に剣士は厳しく見られる傾向にある。アズマの実力は、もう一席は上だと思ったほうがいいだろう。
そんなアズマが中にいるのだ。もし何かあれば、彼が真っ先に対応しているだろう。
「それは私も同感だ。ジンならば実力的には問題ないだろう。しかし、アピュラトリスは広い。彼一人で対応できないこともあるだろう」
「おいおい、その段階で終わりじゃねーか。そもそも、そういうのはあんたらの仕事じゃないのか? 役に立たない軍に価値があるのかよ」
「ディム、言いすぎだよ。大佐は僕たちの味方だ」
「ふんっ」
デムサンダーも、メイクピークが味方であることは理解している。だが、そもそも軍人というものが気に入らないのだ。
軍などの政府機関は大きな組織であるが、そのぶんだけ制約があって動きが遅い。今も互いの縄張りを荒らさないようにと、必死に気を遣いあっているのだ。いつも偉そうにしておきながら、いざというときには役立たない。そんな彼らが嫌いなのだ。
「デムサンダー、それでも軍は必要なのだ。国を守るためには大きな力、数の力が必要なのだよ。私とお前たちは立場は違うが、同じ仲間だと思っている。それは信じてほしい」
「べつに…、あんたを否定したわけじゃないさ。軍のやり方が気に入らないだけだ」
デムサンダーも、メイクピークのことは評価していた。同じ武人同士。見れば相手の実力くらいはわかる。メイクピークは、間違いなく達人レベルの剣の使い手である。それを得るために、彼がいったいどれほどの鍛錬を積んだのか想像に難くない。
ただデムサンダーは、そんな彼が命令とか派閥とか、そういったものに縛られているのが我慢ならないにすぎない。
「ふっ、これも役割さ。面倒なことは私が代わりにやる。だから頼まれてくれないか。身軽なお前たちだからこそできることなのだ」
「しかし大佐、そもそも我々が入れるのでしょうか?」
志郎が、ごくごく自然な疑問を呈する。アピュラトリスに招待されたのはエリスたちだけだ。護衛というのも、おそらく入り口までのことだろう。
それなのに中にまで入ろうというのは、少々場違いに思える。アピュラトリス側からの拒否は目に見えているはずだ。
「それもそうだが、少なくとも我々よりは警戒が薄いのは確かだ。さりげなく入れないか?」
「それはさすがに無理じゃねえの? ここはおとなしくジンに任せようぜ」
デムサンダーは、なんとかここで話を終わらせようとするが、それをばっさりと切り裂いたのはエリスであった。
「私がなんとかしますわ!」
「え、エリス?」
志郎は、勢いよく立ち上がったエリスに驚く。一番驚いたのは、エリスが腰にぶらさげた手榴弾が眼前にあることだが。非常に危ない。
「行きましょう。陸軍に貸しを作る良いチャンスですわ」
エリスにとっては悪くない提案である。アピュラトリスに入ったからといって富が得られる確証はないのだ。あくまでチャンスが訪れるにすぎない。
ならば、ここで陸軍と再びコネクションが築けるのは好都合である。祖父とつながりのあるメイクピークならば、なおさら好都合。その上にはバードナーもいる。
バードナーの名前は、戦友として祖父からも少しだけ聞いたことがあった。自分が戦友の孫と知れば、いくら落ちぶれたとはいっても何かしら引き出せるものがあるだろう。
これはエリスにとってのチャンスなのである。それを逃す手はない。
「志郎、ディム、行くわよ。私がいればなんとかなるわ」
「ちょっと待て。どうして俺たちがお前の野望に付き合わないといけないんだ。それに勝手にディムと呼ぶな。この名前は相棒にしか…」
「黒くて太くて大きいわりには、器が小さいですわね。それとも自信がないのかしら。なさけないことね」
挑発するようにエリスが手榴弾を転がす。正直その挑発はやめてほしいと志郎は思った。
「はっ、俺様を挑発しようってか。後悔するぜ」
「なら、後悔させてみなさい」
「相手が駄目と言ったらどうする?」
「すべては私が決めるわ。押し通す」
「世間知らずのお嬢様だと笑われるぜ」
「笑いたいやつは笑わせておきなさい。それでも貫いた人間だけが成功するのよ」
エリスの意思は揺らがない。その目には「もし拒否されたら、こちらも拒否してやる」という強い覚悟が宿っていた。
「…はっ、あとで泣くんじゃねえぞ」
そう言ってデムサンダーはメイクピークに振り向く。
「いいぜ、おっさん。やってやるよ」
エリスの目は本気だった。本気は嫌いじゃない。ここまでの覚悟を見せられれば、デムサンダーも動くしかないだろう。
(なんだかんだいって似た者同士かもしれないな…)
志郎はデムサンダーとエリスは似ていると感じた。
細かい点は違うが、オーラの質もかなり似ているように見える。これは傾向性といったもので、生来の性格そのものが似ているせいだろう。
エリスが真っ先に志郎を選んだのもその証拠である。デムサンダーも志郎と会った瞬間に打ち解けたのだ。二人は同じ感性を持っているといえる。
もしエリスが男だったならば、デムサンダーとは良い友人になれたことだろう。ただ、今はお互いの性別に対して嫌悪感を抱いているので、打ち解けないにすぎない。
「では、君たちを富の塔に招待しよう。まあ、私は中に入ったことがないので身の安全の保証はできないがね」
メイクピークにとって、その言葉は単なる思いつきのジョークにすぎなかった。
しかし、まさかそれが現実のものとなることを、この場の人間はまだ誰も知らない。




